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2011年11月14日(月)

220pxnathaniel_hawthorne明治学院非常勤後期第八回目。「アメリカ文学入門」はこの授業の終着点のひとつであるナサニエル・ホーソンの『緋文字』について。17世紀ボストン、戒律の厳しいピューリタン社会。姦淫(Adultery)の罪を表す緋色の文字Aを胸につけ、幼子を抱いた美しい女がさらし台に立たされている。女の名はヘスター・プリン。人妻でありながら、有徳の誉れ高い若き牧師アーサー・デムズデイルと道ならぬ恋に落ち、不義の子を産んで処罰されるところだった。彼女は、子どもの父親を明かすように言われるが、決して口を割らない。かたわらには、隠された罪に震える牧師と、恥辱にまみれた自分の妻の姿を遠くから見つめる夫の姿があった。ヘスターはやがて、胸に縫いつけられた緋色のAによって、善人の顔をした他の人たちも「罪」を抱えていることを知るようになる。社会から排除されたヘスターは言わば、社会の内側にいる人びとと罪と罪でつながっている。「彼女を他の人たちと結び付けている絆―花とか絹とか金とかどんなものとの絆も―すべて断ち切れてしまっていた。あるものはただ、彼も彼女も壊しえない共同の罪という鉄の絆だった」(新潮文庫版、136-7)。

一方で、ヨーロッパから啓蒙思想的な新しい自由な考えを持ってアメリカに渡ってきたヘスターは、ピューリタンのコミュニティが狭い限定された世界であることを知っている。自由な世界に逃げようとデムズデイルに語りかける。にもかかわらず、デムズデイルの死後、娘パールを連れてヨーロッパに帰ったヘスターは、娘の成長を見届けたあと、元のピューリタン社会に戻ってくる。それは彼女が罪と罪の関係にしか、つながりを見いだせなかったからではないだろうか。ここには、人間のつくった制度や習慣など100年たったら消えてしまう取るに足らないものであるとするトランセンデンタリズム的な考えに対するホーソンの疑問が表れていはいないか。デムズデイルとヘスター、パールが人目を忍んで会うのが深い森のなかであるというのも、自然との一体を説くトランセンデンタリズムを連想させる。『緋文字』の語り手は、女性が人間らしく生きる社会にするためには、社会機構を変えることはもちろんだが、男性の意識、さらには女性自身の意識も変わらなければならないと述べている。制度や習慣といった表面的なものが変わりうるとしても、それに付随する人間の意識はなかなか変わらない。トランセンデンタリズムが言うほど人間は簡単じゃないよ・・・とホーソンは言いたかったのかもしれない。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」は、いよいよ公民権運動に入ったが、その前に、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピーの演奏を聞いて、ビ・バップについて(?)ちょっとだけ話した。

今日最初に聞いてもらったのは、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの演奏です。この授業でも何度かジャズの演奏を聞いてもらったけど、どうかな?全然違う感じがするんじゃないかな?こっちのほうがジャズっぽいっていう人もいれば、これまで聞いてきたルイ・アームストロングとかデューク・エリントンのほうが自分のイメージするジャズに近いっていう人もいると思う。でもまあ、とにかく違う。流れるようなメロディーはなくて、カクカクした鋭角的なフレーズだね。それにこれまでのジャズっていうのは基本的にダンス音楽だから、踊りやすかったんだけど、これは・・・まあ、踊れないことはないけど、難しいね。今まで聞いてきたのはビッグ・バンドが多かったけど、これは少人数で演奏している。パーカーもガレスピーもモトモトはビッグ・バンドにいたのね。でも、大人数のなかに埋没するのに飽き足らなくなって、ビッグバンドでの仕事が終わった後、みんなで集まってジャム・セッションをやるようになった。そんななかから、生まれた新しいジャズはやがて、ビ・バップと呼ばれるようになっていく。『ビ―・バップ・ハイスクール』とは、遠~くつながっているはずだけど、とりあえず別物です(笑)。それまでも、ジャズは即興が要だったんだけど、ジャム・セッションから生まれたビ・バップでは、即興の比重がより大きくなっていきます。

ビ・バップっていう名前はおそらく音からきてる。たぶん、ヒップ・ホップぐらいまでつながっていくんだろうね。言葉の「音」で遊ぶっていうのも、ビ・バップの特徴のひとつでね。例えば、ディジー・ガレスピーの曲で「ソルティド・ピーナッツ」って曲があってね。塩味のピーナッツのことだね。それをソールピーナッソールピナッ、パッパラパッパラッて吹くわけ。たぶん、意味はない。そのへん、意味を読み込もうとする人間をはぐらかして楽しむ、みたいなところもあるね。こういう言葉遊びは、日本のジャズ関係の人たちもやっていてね。大橋巨泉って知ってる?まあ、みんなからすると、ときどきテレビに出てくる偉そうなオッサンってところだろうけど、ぼくが子供のころには人気司会者でね。そのまた前、ぼくが生まれるころにはジャズ評論家だったんだ。その巨泉が、テレビで万年筆のCMに出ていてる。「みじかきの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」ってわけのわからないことを言って、「わかるね?」とくる。わかんないよ!(笑) こういう流れは、ジャズピアニストの山下洋輔周辺の人たち、とくにタモリなんかに受け継がれてるね。タモリが各国語のモノマネってやるの知ってる?それだけだとね、ちょっとミンストレル的な感じがしなくもないんだけど、タモリがすごいのは「日本語のモノマネ」をやるんだな。自分にかえってきちゃう。で、それが発展して「ハナモゲラ語」っていうのができた。ハナモゲラ語による相撲中継とか、アフリカ音楽っぽい演奏にあわせて「フロヤノニカイデ(ソバヤソバーヤ)」って歌うのとかね。ぜひみんなに聞かせたいけど、これはそういう授業じゃないので・・・YouTubeで調べてください。

さて、そんな怪しげな音楽が地下で胎動していたころ、ルーズベルト政権期のリベラルな雰囲気にも支えられて、アフリカ系アメリカ人の地位向上を求める運動も動き出します。いわいる公民権運動です。公民権運動は英語で Civil Rights Movement。civil は「市民の」っていう意味だから、civil rights は「市民権」だね。みんなが社会の授業で習った「市民権」と同じことだよ。なぜ、この場合だけ「公民権」と訳したのかっていう問題はあるんだけど、この授業では一般に知られている「公民権運動」って言葉を使います。この言葉は広くはアフリカ系アメリカ人の権利を求める運動一般に使われます。アフリカ系の人たちは奴隷として連れ去られたときからずっと、公民権運動を続けてきたとも言えるわけだからね。さらに、女性やメキシコ系アメリカ人やゲイといったあらゆるマイノリティの権利を求める運動を表す言葉として使われることもある。でも、マーティン・ルーサー・キングが登場した1950年代中頃から70年代初頭ぐらいまでのアフリカ系アメリカ人による運動という意味で使われることも多いね。今回はキング師が登場するちょっと前ぐらいからはじめて、キング師の登場によって運動がどう変わったのかという点について見てみたいと思います。

Scottsboro

マーティン・ルーサー・キングが登場する前の公民権運動は、裁判闘争が中心です。いわいるジム・クロウ法っていわれる人種差別的な法律の違法性を裁判で認めさせようとしたんだ。でもね、裁判闘争っていうのは、両刃の剣でね。まず、人種差別を当然のように認めているアメリカという国の裁判所が、果たして「人種差別はいけない」って判決を出すだろうか。あやしいね。実際、1896年、列車における人種隔離をなくそうとしたプレッシー対ファーガソン裁判では、逆に「分離すれども平等」ならいいって判決が出てしまった。裁判闘争の危ないところはここで、裁判に負けると人種差別的な判決が判例として後々まで残ってしまう。「分離すれども平等」判決によって、アフリカ系アメリカ人の権利を求める運動は停滞を余儀なくされてしまった。1930~40年代にもね、重要な裁判がいくつか行われています。例えば、1931年のスコッツボロ事件。これは9人の黒人男性(写真)が2人の白人女性をレイプしたとして逮捕された事件。容疑者のうちの一人は性病でとてもセックスができる状態じゃなかったし、女性のうちの一人は途中で証言を覆している。にもかかわらず、容疑者たちは有罪となり、のちのやり直し裁判でも5名は有罪のままだった。あるいは、1940年、民主党の予備選挙から黒人が排除されているのは違憲だと訴えたスミス対オールライト裁判。これも政党の予備選は「私的行為」だから、問題がないって判決が出てしまった。

Lr2

そんななかでも成果があったのが、公教育における隔離撤廃です。1951年にブラウン対教育委員会事件っていうのが起こる。これはね、カンザス州に住むリンダ・ブラウンっていう黒人の女の子のお父さんが、近所の白人学校へ転学したいっていう娘の希望を拒否した市の教育委員会を訴えた事件。54年になって、「公立学校において白人と黒人の子どもを隔離しておくことは黒人の子どもに有害な影響を与える」として、公教育においては「分離すれど平等」は認められないとする判決が下った。しかも、この裁判はさらに続けられて、隔離教育を解消する具体的な計画まで決めたんだ。この判決に基づいて、公教育における人種統合が進められていくことになった。ところが、現実はそう簡単じゃなかった。法的に決着のついたことが人びとの偏見によって覆されてしまう。1956年には、オーザリン・ルーシーという黒人の女子学生が、アラバマ大学に入学する手続きを取ったのに、「大学に黒人を入れるな」と叫んだ1000人近い学生のデモに追い返された。大学は彼女の通学を保障するどころか、「ルーシーの身の安全を守るため」という名目で彼女に休校を命じた。さらに、これを不服として復学を求める訴えを起こしたルーシーを退学処分にしたんだ。1957年には、白人の生徒だけが通ってたアーカンソー州のリトルロック・セントラル高校に9人の黒人学生が入学することになったんだけど、始業式前日、人種隔離を支持する選挙民を意識したオーヴァル・E・フォーバス知事が「もしも、明日、人種共学が強制的に実施されるなら、わたしはこの地域の平和と秩序を維持することはできない」と言って、250名の州兵を派遣して学校を包囲させた。翌日、知事の言葉に扇動されて集まってきた白人群衆によって、黒人の生徒は追い返される(写真)。アイゼンハワー大統領が事件解決に動き出したのは、事件発生から20日以上たってからのことだった。

このリトルロック高校事件でのフォーバスやアイゼンハワーを皮肉った歌を、ジャズ・ベーシスト=チャールズ・ミンガスのグループが演奏しています。人種差別主義者への怒りが伝わってくる演奏です。

このように、人種統合は人種主義者の妨害を受けながらも、着実に進んでいた。でも、そこには裁判闘争の限界もあった。さっき言ったように、裁判で負けると反動的な内容の判例が残ってしまうからね。もちろん、裁判闘争は必要。続けなくちゃいけない。でも、それだけじゃだめだ。どうすればいいか。ここでマーティン・ルーサー・キングが登場する。もちろん、実際にはキング師だけじゃない。多くの人たちが力を出し合って、新しい戦略を編み出したんだ。新しい戦略・・・それはね、大衆動員ってこと。つまり、デモとか座り込みといった実力行使だね。最近は原発問題なんかもあって、世の中を変える手段としての「デモ」っていうのが現実味を帯びてきてると思う。デモや座り込みをやると、逮捕される。ときには暴力的にねじ伏せられたりする。でも、それで負けじゃないんだ。逮捕者が増えて社会がマヒしたり、暴力的な抑圧行為が報道されたりすると、あれ?何かおかしいんじゃないかって思う人が増えてくる・・・キング師の場合は、これを徹底して非暴力でやる。ただし、決して服従しない。キング師っていうと、すぐね、「非暴力」ばかり強調されるんだけれども、それだけだとすごく安全な、世の中を変えるなんてできそうもないホンワカしたイメージになっちゃうね。いや、非暴力けっこう。でも、キング師の場合、それは「非暴力不服従」、不服従とセットで考えるべきなんだ。

キング師が公民権運動家として頭角を現したのが、有名なモントゴメリーのバス・ボイコット事件だね。1955年12月、ローザ・パークスっていう当時42歳の女性が・・・あっ!今のぼくより一つ年下じゃないか!・・・仕事で疲れて帰るバスのなかで、白人に席を譲ることを拒否して逮捕される。当時のモントゴメリーのバスでは、黒人は後部の座席に、白人は前部の座席に座ることになっていた。これはね、単に黒人席と白人席があったってことじゃないんだ。黒人は後ろから、白人は前から席をうめていって、満員になったときにさらに白人がのってきたら、黒人は白人に席を譲らなければならないってことなんだ。しかも、ローザ・パークスのとなりの席は空いていた。じゃあ、あとから乗ってきた白人はそこに座ればいいじゃないかって?いやいや、白人と黒人がとなりの席に座るなんてとんでもない。白人が座るために、ローザ・パークスには立ってもらわなきゃいけない・・・屈辱的だね。ローザ・パークスはのちに、自分は肉体的に疲れていたのではない、精神的に、白人の言いなりになることに疲れていたんだって言ってる。パークスの逮捕はたちまちモントゴメリーの黒人の人たちに知れわたり、町の黒人指導者がデクスター・バプティスト教会に集まって、バス会社に対してボイコットを起こすことを決定した。このとき、指導者に選ばれたのが教会の牧師だった26歳のマーティン・ルーサー・キングだったんだ。モントゴメリーの黒人たちは車を提供しあって、バスをボイコットし続けた。キング師の自宅に爆弾が投げ込まれるなどの嫌がらせにもめげず1年以上にわたって運動は続けられた。そして、1956年11月、連邦最高裁判所が「バスの人種隔離は違憲である」という判決を下して、運動は黒人側の勝利に終わった。

今回はこのあと、マーティン・ルーサー・キングのバイオグラフィを紹介し終わったところでタイムアウト。次回はその後のキング師、シット・イン、フリーダム・ライダーズなど若い公民権運動家の活動、エメット・ティル事件など。

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