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2011年11月12日(土)

Robertjohnson_2

日暮泰文『RL ― ロバート・ジョンソンを読む アメリカ南部が生んだブルース超人』を読み終わった。ブルース・インターアクションズ(Pヴァイン・レコード)を創業して、ブラック・ミュージックを日本に紹介してきた著者による、渾身のロバート・ジョンソン論。ロバジョンが殺された晩の出来事を再現する冒頭からして引き込まれる。続けて、年長のギターリスト=アイク・ジママンと深夜の墓地でギターの練習に励む姿、その上達ぶりでサン・ハウスウィリー・ブラウンを驚かせたときのこと、果てはもしロバジョンが生き残り、ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演していたらという妄想まで、豊富な資料、ロバジョンの足跡を追ってミシシッピを旅した経験、ときには大胆な独断を交えながら描き出していく語り口は、ブルースに暗いロマンを感じる人たちの心を捉えて離さないだろう。

いわいる「クロスロード伝説」にもかなりの紙面が割かれている。ロバート・ジョンソンが急にギターの腕前をあげたのは、十字路で悪魔に魂を売ったからだ・・・サン・ハウスの証言に由来するこの伝説は、ブルース・ファンのロマンをかきたてるだけではなく、悪魔がヴードゥーの十字路神レグバに通じるのではないかという点でも注目を集めてきた。映画『クロスロード』では魂と引き換えにギター・テクニックを約束する悪魔はレグバと名のっている。西アフリカから伝播し南北アメリカ大陸で広く信仰されているエシュ/レグバが、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアによって、アフリカとアフリカ系ディアスポラを結ぶキー概念として取りあげられたこともあり、研究者の間でも「クロスロードの悪魔」は注目を集めている。

しかし、ロバジョンの「クロスロード・ブルース」をアフリカ文化の残照を宿すレグバの歌と位置づけてしまうのは、軽薄にすぎる気がする。第一に、アフリカ系アメリカ人が「悪魔」に言及するとき、それはキリスト教の悪魔とエシュ=レグバ的なアフリカの神が本人たちもわからないうちにないまぜになっている。また、ニューオリンズ以外の北アメリカではヴードゥーは概して形骸化しており、宗教体系というよりも現世利益のまじない(フードゥー)として流通している。もちろん、本人たちの気づかないところでアフリカの伝統が受け継がれているということは言えるし、悪魔にしろレグバにしろ、アフリカ系アメリカ人にとって霊的存在が現実であることは確かなのだが、そこばかりを強調しすぎると、歌が歌い手と聞き手の間でどう機能していたかという重要な点を見落としたまま、空虚な議論だけが先走りかねない。著者はフードゥーとキリスト教の微妙な関係にふれつつ、霊的な世界の影響を排除したブルース解釈を当時の背景を知らぬものとして退ける一方で、ブルースの機能する場が他にあることを示しており、さすがである。

であればこそ、著者がブルースの「笑いとばして楽しもうと言った一面」(141-2)を認めながら、ロバジョンの語る「悪魔」にこめられたユーモアを執拗に否定しようとするのはなぜだろうか。ピーティー・ホィーストローのような悪魔の「演技」とは違うが、ロバジョンが歌う悪魔の歌にもユーモアがある。ロバジョンが「悪魔と並んで歩いて行って、俺の女を思う存分なぐってやる」と歌うとき、観客のなかに喚起されるのは、人間の暗部に対する暗澹たる感情ではなく、陰鬱なユーモアだと思う。女を殴る男は殴ってしまうダメな自分を笑い、女に殴られる男は殴る側に回れない自分を笑う。そして、女はそんなダメな男たちを笑う。殴られてもついて行ってしまうダメな自分を笑う。ゲラゲラではなく、フッという自嘲的な笑い。ちょうど、つげ義春の『無能の人』を読んだ時のような。

別の可能性もある。「殴った」ではなく、「殴ってやる」と歌っているということは、実際には殴りたくても殴れないということを意味しているのかもしれない。歌の主人公は、普段は女を殴ることなど思いもつかないような気弱な、優しい男である。ロバジョン本人もそんな優男に見えたかもしれない。二人目の奥さんに何もかも面倒を見てもらい、身なりなど構わない粗野な男たちのなかでひとりスーツを着崩さないロバジョンは、ジューク・ジョイントのあれくれ者たちの目には、ママズ・ボーイ、女にモテるかわい子ちゃんと映ったのではないか。「あいつ、悪魔の力を借りなきゃ、女も殴れないのか」というような。だとすれば、シリアスな表情で悪魔と自分の関係を誇示すればするほど、男たちは笑い、女たちは「キャー、ボブ~。私を殴ってぇ~」と黄色い声をあげる、ということになったはずである。

いずれにせよ、観客の前にいるのは、悪魔に魂を売り渡した恐ろしい男などではない。実際のロバジョンは酒癖が悪く、女好きの、ちょっと危険なスカした男といったところだろう。当時の観客は、まさか彼が本当に悪魔に魅入られたような死に方をするとは思っていなかったはずだ。そのことは彼らが悪魔の存在を信じていないということを意味しない。むしろ、悪魔の存在を信じているからこそ、そんな恐ろしい男を前に酒など飲めるはずがないのだ。逆に言えば、ジューク・ジョイントにいる連中はみな、ロバジョンと同じ程度には悪魔と親しかったと言える。ロバジョンの歌を聞く者たちは、彼と同じように道を踏み外していたし、彼と同じような死に方をする可能性があった。黒人の人生はそれほど危険に満ちたものだった ― そのことが不吉な陰影をロバジョンの歌に与えている。しかし、そのことと、歌の持つユーモアは矛盾しないし、むしろ互いに捕捉し合っているように思える。

こうした疑問をかきたてられるのも、本書が深い見識に支えられたロバート・ジョンソン研究の決定版だからだろう。たいへん勉強になりました。

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