無料ブログはココログ

« 2011年10月2日(日) | トップページ | 2011年10月4日(火) »

2011年10月3日(月)

明治学院非常勤後期第二回目。

「アメリカ文学入門」は、ピューリタンの文学。ニューイングランドの歴史が神の恩寵のもとにあるという考え方、予型論的なものの見方、セイラムの魔女裁判大覚醒運動などについて概説。ピューリタンが言葉で「遊ぶ」ことを好まなかったうえに、出版のための手だてもない植民地では「文学」どころではなかったといっていいだろう。しかし、ピューリタンの指導者コットン・マザーは詩作にふける人びとの堕落を嘆きながらも、宗教的な題材であれば許されると考え、自らもいくつもの宗教詩を残した。そんななか、アン・ブラッドストリートエドワード・テイラーといったこの時代の人びとの詩は宗教的な内容にならざるをえなかったが、ブラッドストリートの詩などは予備知識がなければストレートなラブソングにも聞こえる。彼らが宗教的熱情だけで詩を書いていたのかというと・・・アヤシイ。他にも、メアリー・ローランドソンのものに代表される「インディアン捕囚記」なども、捕囚の体験を神が人びとに与えた試練であると考え、生きて帰れたことを神に感謝するために書かれているが、ワクワクドキドキの冒険物語として読まれた可能性がないとは言えない。また、ホーソンが『緋文字』のなかで描いているように、ピューリタンの社会にも先住民や船乗りといったピューリタンの価値観に染まらない「他者」がいた。彼らの存在も無視することはできないだろう。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」では、世紀転換期に現れた二人の黒人指導者 ― ブッカー・T・ワシントンW・E・B・デュボイス ― に焦点をあてた。人種差別の激しい南部で奴隷として生まれたワシントンと、北部の比較的裕福な家庭に生まれ、名門ハーバード大学で学んだエリートのデュボイス。アフリカ系アメリカ人の地位向上という同じ目標を掲げながら、二人が対照的なやり方を選び、激しく対立した背景にはこうした環境の違いがある。ワシントンっていう人は、当時、すごく尊敬されていたんだ。でも、公民権運動以降、「裏切り者」的な扱いをうけることが多い。でも、ほんとうのところはどうだったんだろうか。

Washingtonワシントンが「裏切り者」であるという根拠にあげられるものの一つに、1895年、アトランタでの演説がある。難破船が近くを通りがかった船に「水をくれ」とサインを送ると、「バケツをおろせ」という返事が返ってくる。何度、サインを送っても、そのたびに「バケツをおろせ」。そこで、バケツを下してみると、そこはアマゾン川の河口近くなので真水をくみ上げることができた。黒人も自らバケツをおろして、白人と友だちにならなければならない・・・と。これはね、たしかに問題のある演説。だって、差別されている側が差別している側に歩み寄るべきだって言うんだもんね。奴隷として生まれたワシントンはアフリカ系の人びとが置かれている状況を誰よりも理解していたはずだ。なのに、何でこんなことを言ったんだろう。その答えは演説が行われた催しの名前にある ― 綿花国際博覧会。聴衆は、奴隷や、奴隷解放後はシェアクロッパーと言われる小作人をこき使って、綿花をつくってきた白人大農場主だったんだ。

当時、ワシントンはタスキーギ学院っていう黒人学校の校長だった。奴隷解放後、奴隷たちに教育の機会を与えるっていう真面目な取り組みがなされたのは確かだ。ワシントン自身、そうした取り組みのなかから生まれたハンプトン学院で勉強して、学校の先生になった。でも、こういう黒人のための学校はどこも財政難だったんだ。国や州は学校を設立するというと、ああ、やりなさいやりなさいと言うけれど、ほとんど予算は出さない。創設されたばかりのタスキーギは建物を探すところから始めなきゃならなかった。ようやく見つかったのは、放棄された教会の礼拝堂と物置小屋で、雨漏りがひどくて雨の日には学生がひとり、先生の頭のうえに傘を差していなければならないほどだった。学校を整備していくには、白人の寄付がどうしても必要だった。そのためには、白人を喜ばせるような演説だってしなきゃならない。つらいね。

タスキーギでワシントンが目指したのは、職業訓練だった。ほとんどの奴隷は畑を耕す以外のことを知らない。お金を貯めることもできないし、白人にも認めてもらえない。だから、まずは手に職をつけてっていうのがワシントンの考え方。奴隷として生まれて、いろんな職業を転々としながら、苦労して身をたてたワシントンらしい考えだね。そして、黒人が手に職をつけて、いろいろな分野で働くようになれば、あなたたちのためにもなりますよ、仲良くやりましょうよ、と白人たちにアピールしようとしたんだな。

Duboisワシントンの職業訓練をそれじゃだめだと激しく批判したのが、ペンシルヴァニア大学やアトランタ大学で教鞭をとっていたデュボイスだ。さっき言ったように、デュボイスは比較的裕福な家庭で生まれて、たぶん食べるのには困らなかった。大学も名門ハーバードを出て、ベルリン大学に留学までしている。もちろん、大金持ちってわけじゃないけど ― 大学の先生って、みんなが思っているほどもうからないからね(笑) ― まあ、ワシントンとは対極にいるような感じだよね。彼がどんなことを言ったかっていうと、「才能のある10分の1」って言い方をしたんだ。才能のある、頭のいい10パーセントのエリートに、その才能を伸ばすような教育を施すべきだ・・・ってね。なんか、鼻持ちならない?うん、ぼくもそう思う。でも、これもまた、当時のアフリカ系アメリカ人が置かれていた状況から考えて、無視できない意見なんだ。

エリート教育で生まれるのは、医者とか、弁護士とか、学校の先生とか、牧師とか・・・いわいる専門職って言われる人たちだ。そんなのは後回しでいい、まずはもっとすぐにお金になるような仕事を・・・って思うかもしれないけど、いや、ちょっと待った。もし、黒人の医者がいなかったら、だれが黒人の病人を見てくれるんだ?黒人お断りの病院をたらいまわしにされたあげく、助かるはずの病気で死んでしまうなんてことはよくあることだったんだ。弁護士だってそう。もちろん、黒人の権利のために闘う勇気ある白人弁護士もいるけど、数は限られている。学校では黒人が自分自身に誇りを持てるような教育は行われていない。白人の教会も黒人を締め出している。黒人自身がそういった専門職につかなければ、誰がやってくれるというのか・・・これは深刻な問題だよ。だから、デュボイスが言ってるのは理想ではなくて、現実だったんだ。

ワシントンとデュボイス、どっちが正しいだろう?二人は同じ問題を違った方向から見ていただけなんじゃないだろか。

このあと、デュボイスが『黒人のたましい』で取りあげた二重意識の問題、ナイアガラ運動全米黒人地位向上委員会(NAACP)などについて説明した。授業後のアンケートでは、ワシントンのやり方は上手くいかないと思うとか、デュボイスいけすかないとか、わがことのように書いている学生が多くて面白かった。

« 2011年10月2日(日) | トップページ | 2011年10月4日(火) »

コメント

はじめまして。

読んでいただき、こちらこそありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

フィリピンの貧困地区でのお仕事、
がんばってください。

はじめまして。私は虐げられた側がどのように権利を勝ち取っていくかのプロセスにとても興味があり、大学時代、もう20年以上前になりますが、卒業論文でブッカー・T・ワシントンとW・E・B・デュボイスについて調べました。最近また気になってたまたまネットでワシントンで検索をかけていたら、先生のサイトがヒットして読ませていただきました。とても参考になり、改めて今の自分の仕事について考えさせられました。一言御礼を言いたくてメールしました。私は今、フィリピンの貧困地区で働いています。明学からたまに現地を視察する学生さんたちが来られます。これからもたまに読ませてください。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/73760/52942277

この記事へのトラックバック一覧です: 2011年10月3日(月):

« 2011年10月2日(日) | トップページ | 2011年10月4日(火) »

最近のトラックバック

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31