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2011年10月24日(月)

明治学院非常勤後期第五回目。「アメリカ文学入門」はヘンリー・デヴィッド・ソローの唱える少数派の不服従について、前回取りあげたトーマス・ジェファソンの素朴な民主主義観と比較しながら概説した。人間が理性をもって話し合えば、必ず正しい結論に到達するはずであると考えたジェファソンは、少数派を病原菌のように排除するべきであるとすら言っている。奴隷制や対メキシコ戦争に反対したソローは、まさにその少数派だった。奴隷制と大義のない戦争に反対して納税を拒否し、拘束されることによって、ソローは少数派が投票だけではなく、あらゆる手段を使って抵抗すべきであることを身をもって示した。少数派が抵抗をやめてしまえば、それは少数派ですらない。多数派は決して少数派を尊重などしてくれないからだ。しかし、少数派が全力をもって抵抗するとき、道は開ける。こうしたソローの主張は、反乱を起こした奴隷制廃止論者ジョン・ブラウンを擁護する演説にも表れている。ソローがジョン・ブラウンに見たのは、すべてを現世的な利益に還元しようとする人びととは対照的な、大義のために命をも惜しまない英雄の姿だった。ソローはラディカルである。しばしば訳語としてあてられる「過激な」という意味ではなく、「根源的な」という意味で。問題を解決のために回り道をしようとする人びとに対し、問題の核心と直接向かいあうことを説く性急さにおいてラディカルなのである。ウォールデン湖畔の森で自給自足の生活を送ったのも、根源を見極めたいという欲求を満たすためだった。それでは、こうしたソローのラディカルな姿勢に影響を与えた思想 ― トランセンデンタリズムとはどんなものだったのだろうか。次回はトランセンデンタリズムの最重要人物であり、ソローの兄貴分にあたるラルフ・ワォルドー・エマソンの思想を、ピューリタリズム→理神論に影響を受けた人間中心主義→・・・という流れのなかに位置づけながら、考えてみたいと思う。


「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」では、デューク・エリントンの「ザ・ムーチ」を聞きながら、ハーレム・ルネサンスを動かしていたさまざまなベクトルについて考えた後、ハーレム・ルネサンスの文学についての概説をはじめた。

先週言ったように、ハーレム・ルネサンスっていうのは、ひとつの意図によって動いているような運動じゃなかった。まあ、運動っていうのはそういうものかもしれないけどね。一方に南部のフォークロアの再評価にまじめに取り組もうとする若い芸術家がいて、もう一方により「洗練」された「白人並みの」文化を求める黒人ブルジョワジーがいる。黒人ブルジョワジーの多くは南部のフォークロアを奴隷制時代の遺物としか見ていなくて、それを再評価しようとする動きにも冷ややかだった。そんなものを持ち出して来たら、また白人にバカにされる・・・ってね。じゃあ、その白人はどうかっていうと、未曽有の好景気のなか、だぶついたお金をハーレムの若い黒人芸術家たちに投資した。つまり、パトロンになったわけ。彼らが求めたのは、「原始」「野蛮」といった黒人のステレオタイプに沿った表現だった。

もちろん、こうした説明もまた、図式的すぎるかもしれない。ハーレム・ルネサンスに関わった人たちの多くは、こうした3つの傾向のうちのいくつかに足をつっこんでいたんだ。なかには自分がどの角度からこの運動に関わっているのか、よくわかっていない人もいただろうね。例えば、前回見た映画『ストーミー・ウェザー』で、チック・ベイリーの劇団は「原始」「野蛮」のイメージに忠実なショーをやっていた。でも、ベイリーは楽屋裏でビル・ウィリアムズに「こんなクラッシーなショーに出られただけで、ありがたいと思え!」とか言っている。ベイリーは自分のショーを「クラッシー」、つまり上品で洗練されたものであると考えていたわけ。こういうことをもっと意識的にやったのが、今日最初にかけたデューク・エリントンだったと言えるかもしれない。エリントン楽団は有名なコットンクラブのハコバン(伴奏を受け持つバンド)だった。白人向けのコットンクラブで行われるショーはそれこそ、「原始」「野蛮」を強調したワーオワオワオーなものだった。その一方で、エリントンはクラッシックの楽理を学び、ジャズを構成力のある音楽に洗練させようとしていたし、彼の音楽にはブルースをはじめとする泥臭いフォークロアが内包されている。エリントンはさまざまなベクトルのなかでバランスをとりながら、自分の音楽を作り上げていったと言えるんじゃないかな。

エリントンのようにさまざまなベクトルの間をうまくバランスを取りながら生きたアフリカ系アメリカ人のひとりに、アレイン・ロックがいる。ハーレム・ルネサンスの記念碑的アンソロジー『新しい黒人』を編集した人物だけど、黒人ブルジョワジー出身のロックは、当初フォークロアの再評価には否定的だった。やがて、若い世代に刺激されてフォークロアの価値を認めるようになるんだけど、フォークロアそのままじゃだめだと考えた。粗野な形式のままフォークロアを提示しても、やっぱり白人にバカにされるだけだ。クラシックの交響曲みたいな、「洗練された」ものにしなければならない。なぜかというと、ロックや彼と同世代のアフリカ系知識人が、アフリカ系アメリカ人独自の文化を求めたのは、それによって「黒人は受け身の存在である」という偏見を打ち崩せると思ったからなんだ。だから、それは白人が「おおーっすごい、黒人やるじゃないか」って驚くようなものじゃなきゃいけない。でも、この考えが若い世代には重荷になっていく。若い世代はもっと自由に、第一次世界大戦後に見いだされた新しい自分たちの姿を描き出したかったんだ。

というわけで、文学について見たいんだけど、ハーレム・ルネサンスの作家っていっても、たくさんいる。全部やっていたらいくら時間があっても足りないので、ぼくの好きな3人の作家 ― ジーン・トゥーマーラングストン・ヒューズゾラ・ニール・ハーストン ― に焦点を当てたいと思います。この3人はフォークロアの再評価に関わったという点で共通しています。また、彼らはロックの世代が当然のものとして求めてくる「黒人の地位向上のために書く」というお題目に対する反発も共有しています。まずは、ハーレム・ルネサンスの先駆者とも言えるジーン・トゥーマーから。

Jean_toomerこの人はね、1923年に発表された『砂糖きび』っていう美しい作品で知られています。詩とか短編があわさった形でひとつの全体を形作っている、独特の形式を持った作品です。若いころに放浪生活をして・・・そのころの写真を見ると、のちのいかにも文学者然とした姿からは想像もつかない、ムキムキのマッチョだね。この身体でさまざまな仕事をしたり、あちこちの大学に短期間在籍したりしながら、アメリカ全土を歩きまわった。見てわかるとおりトゥーマーは色も白いし、白人としても通用するような風貌をしている。そのことも放浪して回るのには有利だったろうね。で、あるとき南部の田舎町で教師をしていたときに目にした、黒人たちの生活に心を奪われる。トゥーマーの目にはそれが間もなく姿を消してしまう、前時代的な美しさをとどめたものと写ったみたい。トゥーマーとしては永遠に姿を消してしまう前に、この風景を書き残しておかなければならないと思ったんだな。だから、『砂糖きび』にはどこか、胸を締めつけられるような切なさが漂っている。

『砂糖きび』を出版した後、トゥーマーは作品らしい作品をほとんど書いていません。散発的に発表された評論なんかが残っているくらいで。アルメニア系のグルジェフっていう思想家に心酔したり、クウェーカー教徒の考えに共感したりしながら、トゥーマーは「アメリカ人」としての自分を見つめ直していきます。で、結局、自分は黒人でも白人でもないってところにたどり着く。まして、「黒人作家」なんかではない。これは確かにその通りなんだけど・・・でも、現実の社会にはカラーラインが存在する。「自分は黒人でも白人でもない」って言い方は、人種差別に対する闘いを放棄する無責任な発言になってしまいかねない一面もある。だから、のちのアフリカ系作家たちのトゥーマーに対する評価も微妙なものがあるね。『砂糖きび』で描かれた世界自体は、彼らのルーツとして忘れることのできないものであるはずなんだけれども。

Hughes次に、ラングストン・ヒューズにいこう。ヒューズは1967年に亡くなるまで、アフリカ系アメリカ人を代表する詩人として活躍した人なので、必ずしも「ハーレム・ルネサンスの作家」として取りあげるべきではないのかもしれない。この人は度量の大きい、ユーモアにあふれた人だったみたい。ぼくの大先輩でもうお亡くなりになったある先生がね、当時無許可でヒューズの詩を訳して出版していた。最初にヒューズ本人に会ったときにそのことを告白すると、「かまわないよ。そのかわり、きみが翻訳した本を一冊づつ持ってきなさい」と許してくれたんだって。またあるときには、ヒューズが詩の朗読を録音したテープを送ってくれたんだけど、郵便ポストが小さすぎたのか、日本の郵便屋さんが二つに折り曲げてしまって、テープは無残な姿に・・・(笑)。そのことを報告すると、ヒューズは「日本の郵便屋さんは乱暴だねぇ」と笑いながら同じものをもう一つ送ってくれたとか。彼の詩にもそんな温和な性格が表れている。

でも、まあ、ヒューズにも若いころがあった。みんなは知らないと思うけど、ぼくにも若いころがあったんだよ(笑)。まあ、ぼくの話はともかく、若いころのヒューズは・・・アツイ。「黒人芸術家と人種の山」っていう評論っていうか、若い黒人芸術家のマニュフェストみたいな文章があるんだけど、そのなかで「白人が喜んでくれれば嬉しいけれど、、喜んでくれなくてもかまわない」って書いている。「白人並みの洗練された文化を」という黒人ブルジョワジー的な考えに対する決別だね。さらに、「黒人が喜んでくれれば嬉しいけど、それもまた問題ではない」とも書いている。「黒人の地位向上のために書く」という重荷を下して、醜いことは醜いままに、美しいことは美しいままに、自分たちの姿を描くことを宣言したわけ。アツイでしょ?

そんなヒューズがどんな詩を書いたのか。まずはね、「黒人は多くの川を語る」っていう詩を見てみたいんだけど・・・この詩には書いたときのエピソードがあるんだ。ヒューズのお父さんは、何ていうか・・・金もうけ命、みたいな人だったらしい。もちろん、そこには理由があって、ほら、以前取りあげたブッカー・T・ワシントンみたいにね、まずは金を儲けることで黒人は自立して、白人を見返さなければならないって気持ちがあったんじゃないかな。で、それだけじゃなくて、自分以外の黒人がどうしてそうしないのか、ってイライラするわけね。で、黒人はダメだ、と。黒人でありながら黒人嫌いになっていく。やがて、ヒューズのお母さんとも別れて、メキシコで事業を成功させていた。ヒューズはこのお父さんになじめなかった。この詩が書かれたのは、ヒューズがお父さんに呼び寄せられてメキシコに向かう汽車が川を渡ろうとしているときだったんだ・・・

あ!時間だ!

来週は「黒人は多くの川を語る」の内容、特にアフリカ系アメリカ人の歴史において「川」が持つ意味について考えた後、その後のヒューズ、さらにゾラ・ニール・ハーストンについて見てみたいと思います。

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