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2011年10月10日(月)

祝日だけど、明治学院非常勤後期第三回目。

220pxbenfranklinduplessis「アメリカ文学入門」は、ベンジャミン・フランクリンについて。もっとも「ヤンキー」(ウンコ座りしている不良じゃないよ)らしい人物と言われ、100ドル札の肖像画にもなっているベンジャミン・フランクリン。実業家であり、政治家であり、発明家でも科学者でもあったこの多才な人物について、とくに理神論に影響を受けたその人間中心の考え方について、『フランクリン自伝』を中心に概説した。何かが正しいとか間違っているというとき、それは神がそう決めたから正しかったり間違っていたりするのではなく、人間にとって正しいことであったり間違ったことであったりするから神もそう定めたのだ・・・こうした言葉でフランクリンはピューリタンの厳格な神をカッコにくくってしまう。それによって人間は自ら理性をもって考える自由を手にするが、同時にすべてを自ら判断しなければならいという重荷をも抱えこむことになる。フランクリンが十三の徳目を定め、一種偏執的なやり方でそれを実行しようとしたのもそのためだ。そんなフランクリンをD・H・ロレンスはロマン主義的な立場から批判するのだが、フランクリン自身、自ら定めた徳目のうち一番難しい二つ(純潔と謙譲)はなかなか守れなかったと告白していて、なかなかオチャメなところもある。アメリカ史に残るこの大人物がいかにヘンなやつで、それゆえに人間的な魅力があったということが伝わっていればよいのだが。

「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」は、ついにハーレム・ルネサンス。まずは、20世紀初頭のアフリカ系アメリカ人をめぐる社会的な動きをまとめた。

19世紀末期から20世紀にかけて、南部の貧困層を背景としたワシントンと、北部の比較的裕福な人たちを背景としたデュボイス ― 二人の指導者が対照的なやり方でアフリカ系アメリカ人の地位向上を目指していた・・・っていうのは先週話したね。このころ南部ではリンチによる死亡者がピークに達する。南部ではあちこちでジム・クロウ法って呼ばれる人種差別法ができて、あらゆる場所で人種隔離が徹底されるようになった・・・っていうのは前期、話した。プレッシー対ファーガソン裁判で「分離すれども平等」ならいいって判決が出て、最高裁が人種隔離は合憲だって認めてしまったっていうことも大きい。そんななか、アメリカ自体の都市化っていう背景もあって、多くのアフリカ系アメリカ人が人種差別の厳しい南部を離れ、北部の都市に向かった。でも、北部も人種差別のないパラダイスじゃなかった。南部からやってきたアフリカ系アメリカ人はそこで、貧しい白人たちと仕事をめぐって競合することになる。貧しい白人労働者たちは自分たちの仕事を奪う存在として、黒人を忌み嫌うようになる。そこには今まで自分たちより下だと思っていた黒人が偉そうに・・・っていう鬱屈した気持ちもあったろうね。その結果、各地で人種暴動が頻発する。人種暴動っていうと、人種差別や貧困に耐えきれなくなった黒人が起こすものって思っている人が多いと思うけど、この時代は違います。この時代の人種暴動は、貧しい白人たちが自分たちより弱い黒人たちに怒りをぶつけるというものです。白人による「人種暴動」で多くの罪のないアフリカ系アメリカ人が殺されました。

転機になったのは、第一次世界大戦。前期にも言ったように、アフリカ系アメリカ人の歴史において、戦争は常に重要なターニング・ポイントになります。白人の側からすれば、黒人をアメリカ軍の兵士として認めるか、認めたとして白人と同じように扱うのか、人種隔離された軍が果たして規律を守れるのかといった問題がついてまわります。アフリカ系アメリカ人にとって、アメリカ軍に入って戦うということは、アメリカ人として認められるということを意味します。そのため、第二次世界大戦中の日系人部隊と同じように、黒人部隊はアメリカ人であることを証明するために勇猛果敢に戦いました。また、ヨーロッパに遠征した場合、そこでは友軍の兵士として、本国よりも人間的に扱われました。もちろん、ヨーロッパに人種差別がないわけじゃないよ。でも、人種が何であれ、自分たちを助けに来てくれたアメリカ軍の兵士だからね。丁重に扱わなくちゃならない。ところが、国に帰ってみると人種差別は残っている。国のために戦い、ヨーロッパでも歓迎されたのに、自分の国ではレストランから追い出される。そういうことを経験して、何かおかしいと思わなかったら嘘だね。

ちょうど第一次世界大戦が終わったころ、アメリカは空前の好景気に突入する。いわいるバブルだね。これは1929年の株式大暴落で終わりを告げるんだけれども、それまではかつての日本のバブルと同じように、金が余ってしょうがないという状態。そこに戦争で意識ががらりと変わった黒人の若者たちが帰ってきて、ニューヨークのハーレムを中心に、新しい自分たちの姿を表現しはじめた。そこに成り上がりの白人たちが目をつける。金が余ってしょうがないんだけど、なんか、ハーレムで黒人たちが変わったことやってるらしいぜ、ちょっくら投資してみっか!ってな感じかな。こうした白人パトロンの後押しによって、いわいる「ハーレム・ルネサンス」といわれるムーヴメントが動きはじめる。1925年には、アレイン・ロックっていう人が編集した『新しい黒人』ってアンソロジーや、グラフィック・サーヴェイ誌のハーレム特集号なんかが出て、いよいよハーレムがゲキアツってことになってくる。

どんなムーヴメントでもそうかもしれないけど、ハーレム・ルネサンスっていうのも一つの思惑で動いていたわけじゃなかった。まじめに新しい黒人文化を考えている若い芸術家たちの頭にあったのは、南部のフォークロア、その向こうにアフリカも見据えた自分たちのルーツを見直すということだった。でも、都市の黒人ブルジョワジーたちは違った。いわいる「洗練された」白人並みの文化を求める彼らは、むしろ南部のフォークロアなんて奴隷制時代の遺物で、そんなものを見せたらまた白人にバカにされるって考えていたんだ。一方、白人のパトロンたちは、黒人の文化に野蛮、原始、ワーオワオーワオー、ギャーオーみたいなものを求めていた。若い芸術家たちが真面目に集めてきたフォークロアを、白人パトロンはステレオタイプ的なイメージを裏打ちするものとして利用したんだ。それを見て、黒人ブルジョワジーはますます、ほら見ろ、また黒人は野蛮だって言われるじゃないかと眉をひそめる。

今日はこれから、『ストーミー・ウェザー』っていう映画を見ます。つくられたのは1943年でだいぶあとなんだけど、ハーレム・ルネサンスのころの華やかなエンターテイメントの世界を再現しています。43年っていうとね、第二次世界大戦だね。第二次世界大戦に黒人兵を徴用しなければならない。そのために、第一次世界大戦のときは華やかだったじゃないか、みんなあの頃のことを思い出して、国のために戦おう・・・って、黒人たちに呼びかけるためにつくられた映画です。でも、その内容は・・・サイコー。ハーレム・ルネサンスのころから活躍していたビル・ボージャングル・ロビンソンっていうタップダンスの名手が素晴らしい。当時60代のロビンソンが20代の女優レナ・ホーン(すごい美人!)と恋人役っていうのは無理はあるけど・・・戦意高揚が目的ってこともあって、第一次世界大戦の戦勝パレードのシーンが出てきます。黒人部隊のパレードを指揮するジム・ヨーロッパって人は、大戦で軍楽隊を指揮したことで戦後も人気を得るんだけど、しばらくしてマネージャーと喧嘩して殺されてしまいます。ダンス・パーティのシーンで出てくるジム・ヨーロッパはもちろんそっくりさんです(すごく似てるけど)。

では、さっそく見てみましょう。さっき言った、ハーレム・ルネサンスのいろんな側面が見られると思います。


ボージャングル・ロビンソンが蒸気船のうえで、ジャイヴ・バンドと踊るシーンまで見たところで、タイムアップ。この日は他に、マーカス・ガーヴェイについても話した。

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