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2011年9月26日(月)

明治学院非常勤後期第一回目。後期から前期の「アメリカ文化研究(アフリカ系アメリカ人の歴史と文化)」に加えて、「アメリカ文学入門」の授業も担当。「アメリカ文学入門」はアメリカという国の錯綜したイメージ(自由⇔人種差別、合理的⇔宗教的保守派、都市⇔田舎、性の解放⇔家族の価値など)がどこから出てきたのか、地域的差異、エスニシティの多様さ、思想史などから概観し、ピューリタン理神論ベンジャミン・フランクリントーマス・ジェファーソン)→トランセンデンタリズムホーソーンの懐疑主義(そこに初期アメリカの演劇・大衆芸能→マーク・トウェインという傍流を加える)という授業の流れを説明した。「アメリカ文化研究」ではピート・ジョンソンブギウギ・ピアノをかけながら、19世紀後半から20世紀にかけて急速に「都市化」していったアメリカにあって、アフリカ系アメリカ人も人種差別の厳しい南部を捨てて北部の都市に向かったこと、レント・パーティなどで演奏されたブギウギ・ピアノは都市ゲットーにアフリカ系アメリカ人のコミュニティが生まれていることを示しているなどと話した。前期にやり残した19世紀までのアフリカ系アメリカ人の文学(フィリス・ホイートリー奴隷体験記ウィリアム・ウェルズ・ブラウンクローテル』)の紹介をしながら、後期から参加する学生のために、奴隷貿易、アンダーグラウンド・レイルロードナット・ターナーの反乱など前期の内容を作品にそって解説した。第一回にしては重たすぎたかな。

この日記で下書きを公開してきた論文「ルドルフ・フイッシャーとまじない師のシグニファイン」、ようやく書き終わった。もう、いーよ、という人がほとんどでしょうが、一応連載企画なので、結論部分を掲載しておきます。推理小説のオチを明かしているので、これから作品を読んでみようという人は目をつぶっていてください。

『まじない師の死』の結末は唐突で、推理小説として成功しているとは言いがたい。被害者を殺したのは、妻マーサがフリンボと不倫関係にあることを知った家主の葬儀屋サミュエル・クロウチであった。しかし、実際に殺されたのは、命を狙われていることを察知したフリンボの代わりに彼の椅子に座っていた助手ンオゴ・フリンボ(N'Ogo Frimbo)である。犯行後、クロウチは鉄道員イーズリー・ジョーンズに変装して捜査を撹乱する。一方、フリンボは故国の慣習に従って、ブウォンゴにおける臣下であるンオゴの魂が先祖のもとに帰れるように死体を焼き、被害者になりすまして犯人を探し続けた。当時の書評に書かれているように、「ストーリーが写実的に描かれてきただけに、最後の最後になって変装が持ち出されるのはひどい」(America, November 12, 1932 143)。内容も陳腐であり、ミステリアスな舞台装置に惹きつけられた読者にとっては拍子抜けだろう。

しかし、こうした陳腐な結末こそが、ゴシック小説、あるいはゴシック小説的なアフリカ理解を撹乱するフィッシャーの戦略である。まじない師にしてマッド・サイエンティストの偏執狂的アフリカ人が、新鮮な生殖器を手に入れて彼の誇大妄想を満たすために助手を殺した、というアーチャーの推理が正しければ、ゴシック小説的な禍々しい結末を求める読者を喜ばせることができただろう。ところが、アーチャーの「科学的推理」は陳腐な現実の前に敗れ去る。ハーレムの裏通りに誘い込まれた読者は、おどろおどろしい別世界にたどり着く直前で、ありふれた現実に引き戻される。アフリカの秘儀もまじない師の誇大妄想も、殺人の動機とは関係がない。事件を引き起こしたのは妻の不倫相手に対する嫉妬という、どこにでもある現実だったのだ。読者の期待は裏切られ、ゴシック小説的なアフリカ像は解体される。

一方、フリンボとブウォンゴの秘儀はアフリカ/西洋という対立軸を無効にする。アーチャーとフリンボの対決は、アフリカ系アメリカ人の二重意識という袋小路にフィッシャーを追い込む。アフリカ人まじない師が西洋の科学捜査に敗れれば、アフリカ的価値が否定されることになる。一方、西洋的知識を身につけたアーチャーが敗北すれば、身につけた知識を使いこなせないアフリカ系アメリカ人の能力が問われることになりかねない。こうしたジレンマを解消するために、フィッシャーはフリンボをすべての因果律を掌握し、転倒させる者として描き出す。フリンボは西洋的知識を含むすべての言説を、原因と結果のシンプルな因果律に還元し、その関係を転倒させる。解釈するものが解釈されるもの、解釈されるものが解釈するものになり、原因と結果が相互に解釈しあうシグニファイン的な関係のなかに、アフリカ/西洋という二項対立は解消される。

こうした二つの戦略によって、フィッシャーは読者のアフリカに対するイメージを撹乱する。そのことがこの作品を既存のアフリカ像に対するシグニファイン的な試みにしているのである。

ふーおわたおわた~。

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