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2011年9月22日(木)

論文「ルドルフ・フィッシャーとまじない師のシグニファイン」、ブログで下書きをしてしまおうという無茶な連載企画。〆切も近づいてきて、いよいよピンチ!な感じですが、今日はイントロダクションシグニファインとエシュ=レグバの概説ダート警部とアーチャー医師による尋問に見られるシグニファインに続いて、死から甦ったまじない師フリンボの怪しげな哲学に踏み込んでみたいと思います。ようするに、エシュ=レグバはダートとアーチャーではなくて、フリンボだって話。何だかちょっと危なっかしいけど、ええい、ままよ・・・

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死んだはずのフリンボが生き返ったことで、ジンクス・ジェンキンスを犯人として落着するかに思えた捜査は振出しに戻る。アーチャーが検死した死体はフリンボ本人だったのか。もし、そうでないとすれば誰なのか。フリンボは被害者の殺害に関わっているのか。姿を消したフリンボの助手はどこへ行ったのか。謎が謎をよび、推理の筋道は錯綜していく。

フリンボの「再生」によって覆されたのは、事件解決のシナリオだけではない。それはダート警部とアーチャー医師が事件解決の主導権を握ることの正当性そのものに疑問を投げかける。復活したフリンボは、面会室の自分の椅子 ― 被害者の死体が発見され、ダート警部が座って容疑者を尋問した椅子 ― に座っている。ダートとアーチャーが自分の名を騙って、事件の解釈者として振る舞ったことを咎めるかのように。実際、ダート警部がその椅子に座ることによって、アーチャーとともに、被害者の代理人として事件を解釈する特権を行使していたのだとすると、被害者本人(であると主張する人物)の登場によって、ハーレムのエシュとイフェはその正当性を失ってしまう。復活したフリンボが被害者の死体と同一人物であることをアーチャーが認めようとしないのも、事件を解釈する主導権を奪われることに対する抵抗だと考えることもできる。

一方で、書斎に並べられた哲学書や最新の器具を揃えた実験室、容疑者から伝えられる言動などを通じて予感されていたフリンボの驚くべき人間像が明らかになるにつれ、彼にこそエシュとして事件を解決する力があるのではないかと思えてくる。フリンボはリベリア北東に位置する独立領ブウォンゴの王族で、その地の秘儀に通じた「まじない師」であると同時に、アメリカの大学を卒業し、生理学、心理学、物理学、哲学などあらゆる西洋的知識を身につけたインテリである。アーチャーの使う医学用語の他、警察用語さえも使いこなし、ダート警部を驚かせている(178)。ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)の科学分類法や血液型の判定といった最新の知識にはアーチャーも驚きを隠せず、アフリカと西洋を結びつけるフリンボの手腕を前にして、「きみは間違いなく、見たからに対立する概念を調和させる才能を持ってるね」と感嘆の声を上げている(215)。フリンボは、スティーヴン・F・ソイトス(Stephen F. Soitos)が言うように、「原始的な性格と対になった進歩した知性のような二重性を持った混合物」(The Blues Detective 108)であるように見える。

フリンボの描く自画像は、しかし、アーチャーの賛辞やソイトスの評価とは微妙に異なっている。それはアフリカと西洋という二項対立には回収されない。フリンボによれば、彼が依頼者の過去・現在・未来を見通せるのは、「未来は必ず現在の結果であり、現在は過去の結果である」(226)というシンプルな因果律を掌握しているからだという。西洋の科学や哲学にせよ、アフリカの神秘主義にせよ、すべての言説は無数の原因と結果に還元される。原因と結果の因果律を掌握するがゆえに、フリンボはアフリカと西洋の相克を超える。

それどころか、彼は因果律それ自体を解体するような、別の秩序を手にしている。原因と結果という因果律に縛られた決定論には、自由意志の入りこむ余地がないと主張するアーチャーに、フリンボは別の秩序体系があることを示唆する。

他の秩序だってあるはずだ ― われわれの原因と結果というシンプルな秩序よりももっと複雑な秩序が。例えば、想像してごらんよ、原因が結果の先じゃなくて後に来るような秩序を。誰かがすでにそんな可能性があることを公にしているかもしれないね。そんな秩序の生き物はわれわれには思いも及ばぬやり方で、われわれの秩序に影響を与えることができるかもしれない(227)。

アーチャーには机上の空論にしか思えないこうした可能性を示したうえで、フリンボは自分こそが「他の秩序の生き物」であることを告白する。「厳密に決定された原因と結果の世界で、フリンボだけが自由だ。他の秩序の存在であるかのように自由なのだ」(228)。こうして、フリンボはアフリカと西洋という二つの価値だけではなく、われわれの住む世界の価値すべてを掌握し、転倒させるエシュ的なトリックスターとして現れる。

それでは、すべての因果律を超える秩序とはどのようものなのだろうか。残念ながら、フリンボはこの世の因果律を操作するブウォンゴの秘儀のすべてを明らかにはしてくれない。彼がアーチャーに残したのは、因果律から逃れるヒントが「生殖(器)」にあるという言葉だけだった(269)。しかし、作品中にもう一つ、重要なヒントが隠されている。フリンボが子供のころ、王である父と訪れた臣下の村で見た、生殖と誕生の儀式マリンドである。音楽家でもあったフィッシャーは、そこで演奏される音楽の交錯するリズムを、フリンボの口を通して生き生きと描いてみせる。

しかし、いよいよ何かが始まろうとしている。太鼓のビートのゆっくりとしたくり返しのなかに、新しい音がこっそり忍び込んできたからだ ― 別の小さめの太鼓、さらに別の太鼓、さまにまた別の太鼓が、より細かいビートによる下位の拍子、親となる音から生まれるより速い拍動を鳴らし、徐々に小さくなる反響のようにそこから舞いあがる。
(中略)

今度はさらに別の主題がリズミックな韻律のなかに入りこんでくる ― 残っている太鼓はそろって、最初はそっと、ほとんど聞き取れないぐらいの音で、それからはっきりと、この新しい、より明るく、速い変奏を演奏し始め、それはダマスク織に織り込まれたブロケードの模様のように、主体となるパターンに自らを織り込んでいく ― 全体としては力強く、繊細で、信じられないほど複雑なデザインの豊かな織物となる(220)。

ここに描かれているのは、アフリカ音楽にしばしば見られるポリリズムである。先行するリズムを意識し、別の文脈から新たなリズムを重ねていくことによって、複雑なリズムの織物が完成する。ここでは先行するリズム(過去)と後追いで現れたリズム(未来)が共存し、リズムとリズムが互いを解釈しあっている。その意味で、ポリリズムとは、以前著者が別のところで書いたように、「リズムのシグニファイン」に他ならない(平尾吉直「変わっていく同じもの/『変わっていく』という同じもの」 307)。このようにフリンボの背後にあるブウォンゴの秘儀には、エシュ的な相互解釈のメカニズム ― シグニファイン ― が垣間見える。

うー。今日はここまで。

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