« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »
人間はときどき酷いことをする。それは永遠に変わらないだろう。それでも人間に絶望なんかしない。まずいラーメンというものはあるし、決してなくならないだろうけど、ラーメンに絶望したりしないのと同じだ。
『さや侍』を見る前にこれを見ていたら、松ちゃん、あぶない薬か、あぶない宗教でもやってるんじゃないか・・・と思ったかもしれない。笑えないという人もいるだろう。オチがない・・・「ない」というより、先延ばしにされる。エンディングに向ってオチが来るぞ、オチが来るぞ・・・という期待感ばかりが高まっていき、あげくの果てに期待は「未来」(笑)にあずけられる。コメディ映画に「オチ」を求める人は、肩透かしを食ったように感じるかもしれないし、見て損したという酷評もわからないではない。
でも、コメディにオチが必要だと誰が決めた?窮屈な「オチ」の制約はいらないという考え方だってある。この映画はオチがないことが逆説的にオチになっているような、メタフィクション的構造になっている(マジ?)。なにやら壮大な世界観が示されているようでいて、その実、何もないんじゃないかと思う。それでいい。コメディって馬鹿80パーセント、悲劇18パーセント、大真面目2パーセントぐらいでできているのがちょうどいいんじゃないだろうか・・・ちなみに、ぼくのこの文もそれぐらいのパーセンテージだと考えていただきたい。
遠峰あこさんの演奏を聞きに野毛の居酒屋『すきずき』へ。あこファンの常連「遠峰組」の面々と(禁酒中のひらげはノンアルコールビールで)乾杯しつつ、アコーディオン民謡を楽しむ。いつものように小皿叩いてチャンチキしていると、店長が「おっ、ずいぶん(チャンチキの)腕をあげたんじゃないの?」「そりゃあ、今日はシラフだから!やっぱ、酒飲んでステージ(?)あがっちゃいけねぇ!」と軽口をたたく。
ひらげが歌詞を提供して、あこちゃんが完成させた「すっぽんぽん節」は各地で好評らしい。ある会社の(名誉のために名前は伏せておく)忘年会に招かれたあこちゃんがこの歌を歌ったところ、酔った会社員がわれもわれもと服を脱ぎはじめたという。こんな歌詞・・・
知事も議員も大臣も
生まれたときはみな裸
女の腹からちょいと出たときに
股を隠したやつはない
飲んで飲んで飲んで・・・
裸だったら何が悪い
すっとこどっこいスッポンポン!
一人で夜を明かすより
隣に誰かがいたほうがいい
言葉で愛をちょいと語るより
包み隠さず見せるがいい
飲んで飲んで飲んで・・・
裸だったら何が悪い
すっとこどっこいスッポンポン!
人目気にして生きるより
ダメな自分を愛したい
あんたの粗をちょいと探すより
酒酌み交わせばアラ不思議
飲んで飲んで飲んで・・・
裸だったら何が悪い
すっとこどっこいスッポンポン!
元の歌詞にあこちゃんが「飲んで・・・」、「すっとこどっこいスッポンポン!」っていうキメのフレーズをつけて完成させてくれました。すげえなー俺たち。見事なコラボレーション!レノン=マッカートニーみたいだなぁ!(嘘ですよ、嘘)。まあ、作った本人は禁酒中なんだけどね(笑)。
すみだ錦糸町河内音頭大盆踊りに行ってきた。錦糸町に河内音頭の演者を招いて盆踊りをやるようになって、今年で30年になるという。ぼくも学生時代(20数年前)に一度行ったことがあった。長いブランクを経て一昨年、久しぶりにのぞきに行って、その熱い世界に再びはまった。昨年は残念ながら行けなかったのだが、今年は名盤『三音会オールスターズ 東京殴り込みライブ』のCD完全盤での復刻という朗報もあり、満を持しての参加となった。昨年から一門対決という方式をとるようになったらしい。今年は五月家一若率いる「五月会」と司家征嗣率いる「つかさ会」が激突する。この日は前半が五月会、後半がつかさ会(翌日は逆)。到着したときには五月家勝美さんが舞台の上にいた。
河内音頭はさまざまな顔を持つ芸能だ。ダンス・ミュージックであり、語り物であり、聞くための音楽にもなりうる。盆踊りではもちろん、第一義的にはダンス・ミュージックである。広い会場では老若男女が輪になって踊っている。踊りの輪は二重になっていて、内側では比較的年齢層の高い人たちが、スタンダードな手踊りを楽しむ。外側では若い人たちを中心に「マンボ踊り」と言われる激しい動きで、全身をバネのように弾けさせる。演者たちは輪の中心に置かれた櫓のうえで踊る人びとを煽るのが一般的だが、ここでは踊る人びとの脇にステージが設けられている。語り物、あるいは音楽として、じっくり聞きたい人たちへの配慮だろう。ぼくも学生時代には汗だくになって踊ったものだが、今ではついつい音楽的な興味のほうが先に立ってステージにかじりついてしまう。
河内音頭の編成は音頭取りの他に、三味線と太鼓、お囃子というのが基本で、最近ではそこにエレキ・ギターが加わることが多い(たまにベースが入ることもある)。ぼくのような人間には、「日本の伝統音楽」としての河内音楽にとって異物であるはずのギターが気になってしょうがない。両者の和解は、三味線のフレーズを置き換えただけでは成立しない。ギターには本来の日本音楽にはなかったハーモニーがある。河内音頭をハーモニーという新しいモードで解釈しないと演奏できないのだ。比較的最近になって導入された楽器だからだろう、演奏の仕方は演者によってかなり違うと感じた。個人的には五月家菊若さん(写真)のバックで弾いていたギターリストが気になってしょうがない。親指でベース音を鳴らしながら、チャッ、チャッとカッティングを入れ、合間に細かいパッセージで音頭的なフレーズをはさみ込む。ジャズやブルースの感覚が感じられる演奏だった。かっこいい。
強く印象に残ったのは、五月会の紅一点、五月家一苺(いちご)さん。若い女性の音頭取りで、河内音頭の他にもアコーディオンの弾き語りなんかもやっているという(なんか、遠峰あこさんみたいだ)。演目は「安珍清姫」・・・「あんちんさま~♪」とカワイらしく安珍を慕っていた清姫が、やがて女の執念をみせるようになる中世日本のストーカー物語である。一苺さんのパフォーマンスからは、すさまじい執念のなかにある切ない思いが見えるような気がして、そのキュートさにノックアウトされた(この日の映像@YouTube 前半 後半)。アコーディオン弾き語りって、どんなのやってるんだろ?
五月会のトリはもちろん、御大・五月家一若大師匠である。お弟子さんたちのパフォーマンスもそれぞれに素晴らしかったのだが、家元は何かが違う。ステージのうえの佇まいに「聞かせてやろう」という気負いが微塵も感じられない。襟元をちょっと崩した感じで、すっと立つ姿にまるで隙がない。客をリラックスさせておいて、ズブリとやろうという心算だ。くわばらくわばら・・・案の定、やくざ渡世の番場の忠太郎と生き別れた母の親子愛を語る「瞼の母」に期せずして泣かされてしまった。物語がすうっと心のなかに入ってくる。すさまじい。
後半はつかさ会。演者はそれぞれに個性的。トップバッターの玄嗣さんは汗だくで、めいいっぱいのパフォーマンス。どんっと爆発して倒れてしまうのではないかという熱さ。一転、正俊さんはやわらかい感じ。つかさ会紅一点・綾嗣さんの演目は、どちらがぶつけたのか、一若師匠と同じ「瞼の母」。こういうのは後にやったほうが不利だなぁ。同じ話二度聞くことになるからね。貴嗣さん(写真)は人気者。きまった!という感じの「どや顔」がチャーミングだ。昌嗣さんは錦糸町南口に遊びに行ったんだろうか。声質は師匠にいちばん近いだみ声で、迫力がある。
そして、待ってました!御大・司家征嗣大師匠。一昨年の錦糸町盆踊りでも、渋い声と佇まいにしびれた。フルアコ片手に音頭を唸るその姿を見て、勝手に「河内音頭のジョン・リー・フッカー」と呼んでいた。今日の演目は忠臣蔵から「南部坂 雪の別れ」。連日の櫓で声もかなりお疲れのようだったけど、会場を揺るがすに余りあるパフォーマンスだった。師匠がお弟子さんのバックで三味線を弾いたりする、つかさ会一門のファミリー的な雰囲気にも惹かれた。
二日目行けないのが残念だけど、熱い河内音頭の夜をたっぷり楽しませていただきました。来年も行きます!
みみずだって、おけらだって、あめんぼだって~♪
ごきぶりだって、なめくじだって、うじむしだって~♪
ハムザ・エルディーン『ナイルの流れのように』(中村とうよう訳、筑摩書房、1990)を読んだ。ハムザ・エルディーンはエジプトとスーダンの国境周辺地域ヌビア出身のウード(アラブ音楽でよく使われる弦楽器)奏者。古代から偉大な文明を誇ってきたヌビアだが、長い間、エジプトの支配下にあった。そのエジプトもイギリスに支配されていたわけで、ヌビアの人びとは二重の意味で支配されていたことになる。そんななか、ヌビアはエジプト=イギリスの利益に翻弄されてきた。ハムザさんの生まれた村もアスワン・ハイ・ダムの建設によって、ダムの底に沈んでしまった。彼の歌には二度と返らない故郷に対する望郷の念がこめられていることが多い。
ハムザさんの生き方はナイル川のように悠々と、あらゆるものを飲み込んでいく。父の働くカイロと故郷の村を行き来して育ったハムザさんは、フランス人学校、アメリカン・スクールなどを経て、イタリア人のための高校で工業を学び、エンジニアになった。そんななか、ふとしたきっかけで手にしたウードで、ヌビアの音楽を奏ではじめる。ハムザさんの音楽は、故郷を思うカイロのヌビア人の間で評判になった。結局、エンジニアの仕事をやめ、新国家スーダンのラジオ局オーケストラで打楽器奏者として働いたのち、イタリアに音楽留学する。そこで知り合ったアメリカ人の友人のつてでアメリカのレーベル=ヴァンガードからレコードを出すことになった。ニューヨークに渡ったハムザさんは、サンディ・ブルをはじめとするフォーク系のミュージシャンと交流を深める。さらに、講演のために訪れた日本の文化に惹かれ、日本でウードを教えながら日本文化を研究しはじめ・・・
ハムザさんの音楽にはコミュニティ内部にとどまらない視点がある。ウードという楽器自体、もともとヌビアのものではない。もともとのヌビア音楽はパーカッションと手拍子に合わせて歌い踊るようなものだったらしい。そうしたヌビアの歌をウードというアラブの楽器で拾いあげていくことで、ハムザさんは狭いコミュニティの伝統音楽を、外からの視点で再構成することができたのだろう。ギターという西洋の楽器でインディオの音楽を再構成したアタウアルパ・ユパンキにも通じるものがある。民俗音楽が「ワールド・ミュージック」に変化する契機といってもいいかもしれない。そこには、ヌビア、エジプト、ヨーロッパ、アメリカ、日本・・・と各地を転々としたハムザさんの来歴が大きく関係している。もちろん、それは永遠に失われた故郷という残酷な現実を抜きにしては語れないのだが・・・
1956年、ヌビア人をはじめとする人びとがエジプト=イギリスの支配から脱し、スーダン共和国として独立した。しかし、その後も内戦が絶えず、つい先日、キリスト教徒の多い南部が「南スーダン」として独立した。ハムザさんの草稿を翻訳して本書をまとめた中村とうようさんが最後の「とうようず・トーク」で書いたのも、南スーダンの独立と5年前に亡くなったハムザさんのことだった。そのなかで、とうようさんは「ぼくが日本人であることに何の疑問も持たないように、彼(ハムザさん)が疑問の余地なくスーダン人であるかどうかについては微妙な"ゆらぎ"にようなものを感じずにはいられなかった」と書いている(『ミュージック・マガジン』2011年9月号、94)。アイデンティティの微妙な揺らぎ - まあ、アイデンティティは国家に由来するものだけではないけれど - それが内戦のような混乱につながるのか、ハムザさんの音楽に見られるような新しいつながりを生みだしていくのか・・・ぼくらの今後が問われているという気がしている。
太田光『マボロシの鳥』(新潮社、2010)を読み終わった。爆笑問題の太田氏による9つの寓話。人間はほんとうに愚かでどうしょうもないけど、だからってどうなの?どうしょうもない人間がドタバタと生きているうちに、つながったりつながらなかったりするところが面白いんじゃないの?つながったりつながらなかったりすることに意味も必然性もないけど、いいじゃん、それで・・・という、そんな「希望の書」(帯のキャッチコピー)。人間のドタバタを否定したり、他人のドタバタを見下したりする人たちにはわからないだろうけど・・・否定したり見下したりっていうのもまた人間のドタバタにすぎないんだよ。
作品によっては芸風そのままのくどい語り口なので、好みは分かれるかもしれない。藤城清治さんの影絵で絵本になったそうだけど、タイトル・ストーリーのイメージはどう考えても、さくらももこ『コジコジ』なんだけどなぁ・・・まあ、いいか。
自主ボイトレ。腹筋を幅広く、深く使う。下腹部の筋肉は高い音に移るとき、追いかけるようにあてがう。いきなり高い音のときは下腹部も素早く。こぶしが入るところも、下腹部で補助。
ダニエル・ウルフ『Mr. Soul サム・クック』(You Send Me: The Life and Times of Sam Cooke、1995、石田泰子・加藤千明訳、2002)を読み終わった。
サム・クックは「希望」の歌手であると言われる。サムの歌の魅力はその幸せな高揚感にある。ゴスペルから歓喜に打ち震える信者たちの高ぶりを抽出し、世俗の音楽に持ちこんだのがソウル・ミュージックだったとするなら、サム・クックほど「ミスター・ソウル」の称号にふさわしい者はいない。少なくとも、レイ・チャールズとともに「ソウル」という音楽をつくった一人であることは間違いない。
戦前から40年代くらいまでのゴスペルの録音を聞くと、その陰鬱なトーンに驚かされる。サムが加わる以前のソウル・スターラーズ然り。サムの前任者R・H・ハリスは抑制された歌で、人生の苦しみや絶望、不安を表現する。そこにある高揚感は希望に満ちたものというよりも、絶望の向こうにかすかに見える光を求めるもののカタルシスとでもいうべきものだ。絶望のトーンが強ければ強いほど、希望を求める人びとの抗いも強くなる。それは絶望と希望のポリフォニーであり、教会やゴスペル集会では両者が反応して、爆発が起きるのだろう。
ところが、ハリスの後任としてスターラーズに入ったサムの歌には絶望のトーンがほとんどない。ハリスの影響下に出発したはずのその声には、ハリスの声に響く深い絶望はなく、あるのは「上へ!上へ!上へ!」という若々しい上昇ばかりだ。もちろん、ダブル・リードの相方であるポール・フォスターをはじめとする他のメンバーの声には暗いトーンがある。サムひとりだけが、一手に希望を引き受けたかのように舞いあがっていく。リードをとるフォスターのバックで、コーラスにまわったサムの声は他のメンバーから浮いている。年齢のせいもあるだろうが、サム自身の資質が大きい。
希望に満ちたサムの声は、新しい時代に合致していた。戦争が終わり、好景気の予感に希望を抱くことができた時代。厳しい人種差別は残っていたが、それも間もなく公民権運動の挑戦を受けることになる。こうした時代の変化を敏感に感じとった若い世代に、サムの歌、彼が提示した新しいゴスペルは支持されたのだ。ゴスペルから抽出された舞いあがるような高揚感 ― それが世俗の音楽に持ちこまれて、ソウル・ミュージックが生まれるのは時間の問題だった。間もなく、サム・クックは(最初デイル・クックの変名で)ポップス歌手に転向する。
ポップス歌手サム・クックの歌を嫌うソウル・ファンもいる。たしかに、キーンからRCA初期のサム・クックのヒット曲はしゃらしゃらした女性コーラスや上すべりするストリングスが特徴的な、「薄い」「軽い」「聞きやすい」といったものがほとんどだ。とはいえ、それを責めるのは酷というものだ。「白人の領域に足を踏み入れる」という、まさに公民権運動的なテーマを避けて通ることのできるアフリカ系アメリカ人はいない。アメリカのメインストリームに入りこむこと ― サムはそれを成し遂げようとした。最初は子供向けのヒット曲で、それから大人向けのナイトクラブで。
それでもやはり、キーン時代のアルバムはどうにもつまらない。スタンダードや甘口のラブソングを歌っているのがいけないのではない。それなら、サムも目標にしたナット・キング・コールがいる。甘いコールの歌からはときどきブルースがこぼれ落ち、それが聞くものをどきりとさせるのだ。この時期のサムの歌は上手さが裏目に出ていて、さらりと流れてしまう。本書にも書いてあるように、ビリー・ホリデイ曲集ですら、どこかよそよそしくてつまらない。暗いトーンのコーラスに、若々しい希望の歌で切り込んでいったゴスペル時代の緊張感はここにはない。この時期のサムにはまだ、人生の絶望を表現することができなかったのだと思う。
サムの歌がゴスペルの緊張感を取り戻し、ソウル・ミュージックを生み出すには、自動車事故で死にかけたり、幼い息子を失ったりといった経験が必要だったのかもしれない(そんな経験は誰しも願い下げだが・・・)。RCAに移籍してから間もなくして、サムの歌は俄然輝きを増していく。声がかすれるようになってきたことも、関係しているのかもしれない。希望に満ちたその歌のなかには、苦い苦い絶望が隠されている。サムの声が舞いあがればあがるほど、胸の奥でくすぶり続ける絶望が意識される。希望のなかの絶望。絶望のなかの希望 ― 「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」や「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を聞くとそんなことを考えてしまう。
33歳で突然亡くなってしまった「希望の歌手」サムの穴を埋めようとしたのが、「ミスター・ピティフル」と呼ばれた悲しい歌を歌う男オーティス・レディングだったというのもできすぎた話だ。オーティスは悲しい歌のなかにあったかいユーモアをにじませる人だった。そのオーティスも26歳の若さで、飛行機事故に遭い命を落とした。サムがあんな死に方をしなかったら ― 生きていれば80歳になる。よぼよぼのサム・クックというのも見てみたかったな。
ボイトレ。演奏しながら歌う練習もしておいたほうがいいだろうということで、ギターを持っていった。先生にボ・ディドリー・モデルの四角いギターを自慢する。「うわー、真っ赤!」って、そこ!?・・・冒頭しゃくって入らないようにするためには、「むー」と最初の音程をとってから歌ってみる。できてきたら、「むー」は声に出さずに頭のなかでイメージする。ブレスのとき、口をもっと小さくしてもいいかも(省エネ省エネ)。腹筋、油断しないように。
終戦記念日。すべての戦争犠牲者のために・・・黙祷。
愛は地球を巣食う?
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、2010)を読み終わった。堺利彦は盟友・幸徳秋水らとともに日露戦争反対を訴えた気骨の社会主義者である。バーナード・ショーやジャック・ロンドンの紹介者としても知られており、若いころには自ら短編小説も書いている。社会主義者が狙い撃ちにされ、秋水ら12名が死刑になった大逆事件では、獄中にあったため難を逃れた。釈放後は、事件の犠牲になった仲間の遺族を慰問してまわっている。
その後の「冬の時代」、堺はあらゆる代筆、翻訳、文章校正を引き受ける「売文社」を起ちあげ、若い社会主義者に活動の場所を与えるとともに、当局に対する怒りを「日本のユーモリスト」と評される飄々とした文章に包んで発信し続けた。本書はその「売文社」時代を中心にした堺利彦の評伝である。「売文社」の名前はパンにペンが突き刺さったその商標とともに、「物書きで金を稼いで何が悪い」という自負とユーモアがうかがわれて、堺という人物をよく表している。若い社会主義者たちは、秋水のカリスマには近づくことができなかったが、堺のことは「おやじ」と呼び、さんざん世話になっておきながら陰口をたたくこともあったという。それでもいいというようなところが、堺にはあったのだろう。そのために、目をかけていた売文社の仲間に裏切られるという苦汁を嘗めることにもなるのだが・・・
関東大震災直後、大杉栄が伊藤野枝、甥の橘宗一と共に憲兵に殺害されたときも、堺は獄中にいた。堺には常に「生き残ってしまった」という忸怩たる思いがあったのではないか。ユーモアに富んだ文章の底に流れる苦い思いがこの人の強さであったという気がする。ともすると、どちらが「非妥協的」か(ようするに勇ましいかどうか)といった小さなことで分裂しそうになる仲間をまとめ、大同団結を訴え続けたのも、この苦い思いがあったからではないかと思う。
なお、素晴らしいノンフィクションを書き上げた著者は、昨年11月、執筆中に発病した膵臓がんで亡くなられた。謹んでご冥福をお祈りします。
理由あってゴシック小説について勉強しなくてはならなくなり、小池滋『ゴシック小説を読む』(岩波書店、1999)を読んだ。1998年に岩波市民セミナーで行った講座をもとにまとめたもので、小池先生のやわらかい語り口にのせられて、あっという間に読み終わってしまった。グランド・ツアー、サルヴァトール・ローザの絵画に見られるピクチャレスク、エドマンド・バークの「崇高なもの」、英国人の廃墟趣味、といった流れのなかにゴシック小説があるのだということがよくわかった。ようするに、退屈と平凡に対する抵抗だったんだな。退屈なのだけは我慢ならないと言ったブライアン・ジョーンズと同じ英国人のやりそうなことだ。
それにしても、ホラー映画とかお化け屋敷とか、聞いただけでおしっこもらしそうになるぼくとしては、まったく興味のない分野だったんだけど、やたらと面白そうだなぁ。とくにヘンタイ度の高そうなマシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』とか、永遠の命が刑罰になるチャールズ・マチューリン『放浪者メルモス』とか。一方で、どこまでがゴシック小説なのか、ミステリーやSFとの境はどこにあるのか、という点については、必ずしもはっきりしない。まあ、ジャンル分けというのはそういうものかもしれない。今読んでいる小説がゴシック的と呼べるのかどうか知りたかったんだけど、「ゴシック的な要素がある」とでもいう他ないのかもしれない。
久しぶりにスージーズの演奏を聞きに、『琉球居酒屋 舞天』へ。ここはいつ来ても変わらない空気が流れていてほっとするなぁ。禁酒中のひらげにぴったりの飲み物「塩サイダー」を飲みながら、カチャーシーのリズムに身を任せる。楽しかった。※動画は録音レベルを間違えてしまったので、かなり音が小さいです。
長崎原爆の日。黙祷。
ボイトレ。最後まで気を抜かずに、腹筋を使うこと。下降フレーズも腹筋を使うことで安定する。頭の音で音程を外しやすい。音をつかみ取るように。
広島原爆の日。黙祷。
『ヒサエ・ヤマモト作品集 ―「十七文字」ほか十八編―』(山本岩夫・桧原美恵訳、南雲堂フェニックス、2008)を読み終わった。ヒサエ・ヤマモトはカリフォルニア生まれの日系人作家。「ニセイ」世代の一人として、日系人収容所での体験や親世代との意識のずれ、他のマイノリティとの交流とすれ違いなどを描く短編で高く評価されてるが、今年の1月に惜しまれつつこの世を去った。
彼女の作品はどれも、すんなりと腑に落ちるということがない。どうも結論の出ない、居心地の悪さを残したまま終わる。読者に一種の異化を強いるその「居心地の悪さ」は、ヒサエ・ヤマモトが「ニセイ」であることが深く関係している。故国の慣習を再現しようとする日系人の営みは、英語で描写されることによって、どこかヨソヨソしい遠い国の出来事のように映る。そこには「ニセイ」たちの目に映ったものが反映されているのだろう。「ニセイ」たちにとって、日本の慣習は祖国のものであり、なおかつ異国のものでもあるからだ。
彼女の代表作のひとつ、「十七文字」では、日系人の娘ロージーは、母親から自作の俳句に対する評価を求められて、生返事でやりすごす(52)。アメリカ生まれの彼女には、俳句の良し悪しはわからないのだ。しかし、母親が俳句コンテストで獲得した賞品を父親が焼き払うとき、娘は母親の悲しみや諦観を(そして、幾分かは父親の怒りも)理解しているように見える。だからといって、母親の希望通り、彼女が「一生結婚しない」とも思えない。こうして、娘にはわからないはずの俳句を通して、逆説的に家族の関係が浮き彫りになる。
黒人週刊誌『ロサンゼルス・トリビューン』で働いた経験を持つヤマモトは、他のマイノリティとの関係も多く取りあげている。しかし、その関係もほとんどが苦いすれ違いを含んだものである。彼女自身は周囲の人間が人種的含意のあるジョークを口にすることを黙認できないほど、人種問題に敏感である。だからこそ、連帯すべきマイノリティとマイノリティの間にある見えない壁を意識せずにはいられない。
「ウィルシャー通りのバス」では、中国系の女性が酔った白人男性に罵られるままになっているのを見て、日系人女性エルシーは「日本人なんだから、私には関係ない」と考えている自分に気づく。彼女自身、日系人でないことを示すために「私は朝鮮人です」というバッジをつけた老人を見て、ぎくりとした経験があったのに(111)。「茶色の家」では非合法の賭博場から逃げ出した黒人を車に乗せたことで、ミスター・ハットリが妻をなじる。「クロンボなんか!」と(124)。「エスキモーとの出会い」では、エミコ・トヤマとエスキモーの囚人の文通は互いの理解を深めたといえるだろうが、囚人がいったいどんな罪を犯したのかは最後まで明らかにされず、読者の胸には(おそらくエミコの胸にも)もやもやとした割り切れないものが残る。
ヒサエ・ヤマモトの作品に登場する人物は、他者との幸せな関係(という幻想)のなかに埋没することがない。「日本」との関係にせよ、他のマイノリティとの関係にせよ、苦味を含んでおり、全面的に肯定されるということはない。苦味を含んだ、条件付の肯定だからこそ、読者もまた苦味を持って受けとめることができるのだ。精神を病んだ主人公が同じ病院の人びとを描写していく「ユーカリの木」の語りのように、それが仮の「真実」であるにしても。そもそも人と人との関係というのはそういうものではないかと思う。
43歳になりました。実感ないなぁ。数え間違いでしたって言われても、信じるなぁ。
ボイトレ。今までになく難しい練習フレーズを習った。よーし、これをマスターしよう。
渋谷クラブクワトロに、爆音親指ピアノでセンセーションを巻き起こしたコノノNo.1、カサイ・オールスターズの選抜メンバーに、アルゼンチンの女性シンガー=ファナ・モリーナ、ブルックリンのスケルトンズが加わった「コンゴトロニクス」の演奏を聞きに行った。
まず、カサイのメンバーが抱えている三角形の巨大な板のようなものが目を引く。「えっ、フライングV?あるいはバラライカ?(まさか)」と思ったら、ばちでポカポカたたき出した。あとで聞いたら、ロコンベというパーカッションらしい。どういう仕組みになっているのか、ブォイーンとすごい音がする。しかも、このロコンベ、しゃべるのだ。エフェクターを通したビリビリの親指ピアノ、空をかけるようなリンガラ・ギター。とてつもないグルーヴに踊りださずにいられない。
魂を揺さぶる歪んだ響きに誘われて、今は亡きアフリカの息子たちが顔を出す。ミドルテンポの曲でジョン・リー・フッカーが下りてきた。ロコンベに合わせて気持ちよさそうにブギを弾いている。アクセントの強い曲ではボ・ディドリーが出てきて、「へーい、ボーディドリー♪」と自分の歌を歌う。マイナー・キーの曲で出てきたロバート・ジョンソンは演奏せずに、ニヤッと笑って隅のほうに佇んでいる。両腕を交互に振りあげながら、「オドレオドレ」と煽る曲では、ドリフの収録と間違えたいかりや長介と荒井注がビバノンな振り付けで踊りだした。みんなこの時を待っていたんだ。
・・・と、ぼくの妄想はともかくとして、ひっくりかえるほど素晴らしいパフォーマンスだった。退場のしかたのかっこよかったこと!アルゼンチンの歌姫ファナ・モリーナはぼくよりだいぶ年上なのだが、ステージのうえでは少女のようだ。実をいうと、コノノ以外の出演者はよく知らなかったのだが、長年このメンバーでやってきたかのような素晴らしいコンビネーションだった。昨年の「スキヤキ・オール・スターズ」といい、本当の意味で「ワールド・ミュージック」と呼べるような共演があちこちではじまっているのかもしれない。
最近のコメント