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2011年7月25日(月)

体重が68キロをきりました(67.7キロ、朝食前Wii Fit調べ)。

明治学院非常勤第十二回目(前期最終回)。今日はロバート・ジョンソンクロスロード・ブルース」でスタート。前回の後半に引き続き、音楽・芸能の話。

前回、ミンストレル・ショーの話をして、こういう例は日本にもある、方言をからかったりするのもそのひとつだって話をしたら、アンケートにU字工事のことを書いてくれた人がいたね。「私は彼らのお笑いが好きだけど、方言を使った笑いっていうのはいろいろ問題があるのかもしれない」ってね。そうだね・・・U字工事の場合は、栃木だっけ?栃木出身で栃木弁をしゃべるわけだから、またちょっと違うかもしれないけど・・・難しい問題だね。笑いっていうのは多かれ少なかれ、カリカチュアっていうものがついてまわる。特定の人たちの特徴を大げさに表現してからかうというようなことがね。それがいいのか悪いのかっていうと、笑われている人たちがどこまでそれをいやだと思うかっていうことも関係してくると思うけど・・・ムズカシイ。

アフリカ系アメリカ人の場合で言うと、インテリの人たち・・・つまり、ぼくのような人・・・あれ?何でここで笑う?(笑)。知識人、インテリ、あるいは中産階級の人たちはミンストレルを嫌った。あんな差別的なものはけしからん、われわれに対する侮辱である・・・ってね。ところが、貧困層の人たちは意外と楽しんで見ていたっていう話もあるんだ。どういうことかというと、白人にとって、ミンストレルで描かれている「黒人」は、黒人っていう人種全体のイメージだ。ところが、貧しいアフリカ系アメリカ人にとって、それはとなりのトムだったり、裏町のマリーだったりする。「アハハハ、ありゃ、トムにそっくりだ」ってわけ。決して、見ている自分自身のことではない。ミンストレルが人種全体を揶揄する芸能だという点では、白人とインテリ・中産階級のアフリカ系アメリカ人は意見が一致していたと言えるかもしれない。

南北戦争後、そんなミンストレルに何とアフリカ系のパフォーマーが登場する。奴隷も解放されて、北部の白人の間で、「ホンモノの黒人ってどんなだろう」っていう好奇心が高まっていた。ひとたび黒人のパフォーマーが登場すると、こっちのほうがホンモノじゃんっていうことになって、黒塗りの白人パフォーマーはたちまち駆逐されていった。黒人を馬鹿にした芸能に黒人が出るんだよ。だいぶ屈辱的なことじゃないかと思う。このころには混血も相当すすんでるから、黒人パフォーマーのなかには顔の色の薄い人もいる。そういう人は、「あれ、ほんとうに黒人なの?メキシコ系じゃない?」といった疑いを晴らすために、黒人なのに顔を黒く塗る・・・って、わけのわからないことになっていく。

なぜこんなことが起きたんだろう。ひとつにはそこしか活躍の場がなかったということがあるね。ミンストレルは今でいうとヒップホップやロックと同じぐらい影響力のあるエンターテイメントの中心だった。ただでさえ活動の場が限られているアフリカ系アメリカ人がミンストレルに出たくないなんて言える状況じゃなかった。でも、それだけじゃないと思うんだ。顔を黒く塗ったミンストレルのパフォーマンスは、ステージにいるのが白人だけだという証明だったという説がある。顔を黒く塗らなきゃいけないってことは、逆に言えば、その人の顔は黒くないってことだよね。でも、だとすると、顔を黒く塗ったアフリカ系のパフォーマーはどうなるんだろう。それもやっぱり、普段のパフォーマーは黒塗りした顔にみられるようなステレオタイプ化された「黒人」ではないってことにならないだろうか。

ミンストレルに登場したアフリカ系パフォーマーは、やがて、白人の要求に過剰に答えることで、もはや黒人のステレオタイプだかなんだかわからないパフォーマンスを生み出していく。例えば、ビリー・カーサンズという人は、口が大きい ― これも黒人のステレオタイプのひとつ ― ことを誇示するために、口にコーヒーカップとソーサーを入れたり、ビリヤードの玉を入るだけつめこんだりした。もうこうなると、普段のビリー・カーサンズがそんなものを口に入れていると思う人はいなくなる。それは彼の「芸」なんだ。19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した黒人の黒塗り芸人バート・ウィリアムズは、白人の血をひいていたので色が薄かったし、カリブ海出身なので南部の黒人英語もしゃべれなかった。黒塗りで黒人英語を話すステージのうえの彼は普段の彼ではなく、彼が努力して身につけた「芸」、演技だったんだ。

さて、ミンストレルの話はこれくらいにして、いよいよ、ブルースの話をしよう。おそらく19世紀の終わりごろ、アフリカ系アメリカ人のなかから耳慣れない音楽が生まれてくる。ブルースだ。今日最初にかけていたのは、知っている人もいるかな?ロバート・ジョンソンの「クロスロード・ブルース」っていう曲なんだけど・・・もう一度聞いてみよう。

Robert Johnson, Crossroad Blues

いいね~。歌詞は「十字路に行って膝まづき、神様に祈った。哀れなボブをお救いくださいと」みたいな内容なんだけど、それ以上にこの歌は「十字路で悪魔に魂を売った」って伝説と結びつけて語られることが多い。ジョンソンの先輩にあたるサンハウスってブルースマンなんかが話していることだけど、へたっぴなギターしか弾けなかったジョンソンがしばらく姿を消して戻ってきてみると、ものすごく上手くなっていた。で、きっと十字路で悪魔に魂を売ったに違いない・・・って噂になった。まあ、十字路で魂を売ったって話があるのは、ロバート・ジョンソンだけじゃないんだけどね。当時、ギターが急にうまくなったりすると、やっかみ半分でそんなことを言ったのかもしれない。で、ステージで「クロスロード・ブルース」を弾きはじめると、観客は盛りあがったんだろうな。でも、それだけじゃなくて、アフリカにはエシュとかレグバって呼ばれる神様がいてね。こいつが十字路の神様なんだ。エシュ=レグバは人間と神の間を取り持つ重要な役割を持った存在で、一種のトリックスター的な性格を持っている。十字路で会った悪魔っていうのは、ヴードゥーなんかのなかに生き残っていたこのエシュ=レグバじゃないか・・・っていうんだな。

さて、クロスロード伝説はさておき、ブルースがどんな音楽なのかってことを話しておこう。まず、ブルースがそれまでのスピリチュアルとかワークソングと違うのは、それが個人の歌だってことだ。スピリチュアルにせよ、ワークソングにせよ、奴隷解放前の音楽はコミュニティのためのものだ。常に集団で行動することが求められた奴隷たちにとって、歌は個人の思いをこめるためのものではなかった。「自由」の身になってはじめて、生活が苦しいとか、恋人がいなくなって悲しいとか、個人的な問題を歌うことができるようになった。もちろん、だからといって、ブルースにコミュニティとのつながりがないわけじゃない。ブルースという形式も歌詞のフレーズも、コミュニティのなかで培われたものを使っているし、生まれた歌は同じような経験をしている人々の共感を呼ぶわけだからね。

音楽的に言うと、ブルースをブルースたらしめている特徴はまず、ブルー・ノート・スケールっていう音階。それはこんな感じ。

Scale_bluenote1_2

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドでいうとミとソとシの音がちょっと下がる。ちょっとというのは半音までいかない。じゃあ、どれくらいかというとフレーズによっても変わってくるんで、一言では言えないんだけど。悩ましいのは西洋楽器ではなかなかこの微妙に下げた音っていうのが出せないんだ。ギターとか弦楽器だとね、スライド・ギターって言ってビンのネックやナイフを滑らせたり、チョーキングって言って弦をちょいとあげたりして、半端な音を出すんだけど、ピアノなんかはしょうがないから、前後の音をテロテロレロレロって連続してい弾いたり、不協和音覚悟でガーンっていっしょに弾いたりすることもあるね。コード進行・・・音楽知らない人は、書いてもあんまり意味ないかもしれないけど、ブルースの典型的なコード進行っていうのがあって・・・


Sinkou


こんな感じ。全部7っていうのがついてるでしょ。これは音楽理論的にいうとすごく不安定な和音らしいよ。だから、普通は「さあ、早く、この不安定な状態を脱して落ち着きたい」って、安定したコードに移って終わるためのものらしい。でも、ブルースだと、これがついてまわる。常に動いている音楽ともいえるかもしれない。で、一行目と二行目ではたいてい同じ歌詞を歌う。一行目「今日は明治学院でブルースの授業~♪」、二行目「今日は明治学院でブルースの授業~♪」で、三行目にオチが来る。「調子に乗って歌ってみた~♪」(笑)。こういうのが、まあ、ブルースの典型的な形式なんだけど・・・とりあえず、もう一曲、ロバート・ジョンソンを聞いてみましょう。

すごいね~。ずっと聞いていたいね。歌詞はね、ちょっと脈略ないようにも思えるんだけど、友だちから奪った女を他の男に奪われちまったとか、結婚せずに子供を産んだ女がいると世間は冷たいとか、そんな歌詞の後に「ぼくの台所に入っておいでよ、もうすぐ外は雨になる」っていうんだ。ずっと旅をしていたロバート・ジョンソンのことだから、この「台所」っていうのは、自分の家じゃなくて雨宿りしに入った人の家なんじゃないかな。そこに悲しい目をした美しい女が現れる・・・

ぼくの妄想はともかくとして、もう一曲聞いてもらいましょう。

Gare Du Nord "Pablo's Blues"

気づいた人いるかな。さっきと同じ曲ね。ガレ・デュ・ノールってグループがロバート・ジョンソンの「カモン・イン・マイ・キッチン」に演奏をかぶせて、「パブロズ・ブルース」として発表してしまったというほとんど反則ものの録音です。でも、いいね~。これ、歌はそのまんまなんだけど、コード進行も変わってて、ちょっと違う曲になってる。でも、すごくブルースな感じするでしょ。ジャズなんかだともっと複雑なコード進行で、ブルージーな演奏っていっぱいある。逆にこういう例もある。

ジョン・リー・フッカーっていう人だけど、こんどは逆によりシンプルで、コードはほとんどひとつとかふたつで、ずっと同じことをやってる。つまり、何がいいたいかっていうと、ブルースにとって、さっきのコード進行っていうのは必須じゃないってこと。ブルースをブルースたらしめてるのはやっぱりブルー・ノート・スケールなんだと思う。

ブルースっていうと、よく憂鬱な歌、悲しい歌って言われるけど、ただ憂鬱なだけ、悲しいだけじゃ、ブルースにはならない。詩人のラングストン・ヒューズが『ジャズの本』っていう子供向けにジャズを説明した本のなかで紹介しているのは、自殺しようと思って線路に頭を乗っけるんだけど、汽車が来るとこわくなって頭をひっこめるっていうブルース。ここには憂鬱、悲しみといったものを笑いとばそうというものが感じられるね。で、ブルースの話の最後に、これは今授業で扱っている時代よりもはるかに後の映像(1967)なんだけど、ライトニン・ホプキンスっていうブルースマンが故郷テキサスで演奏している映像を見てもらいましょう。ダンス・パーティみたいな感じでね。個人の思いを歌うブルースが、こういう形でコミュニティの音楽としても機能していたというところを見てください。

さて、もう一つ。ブルースと前後して、ジャズという音楽が誕生します。ジャズは、ブルースやラグタイム、ブラスバンド、クラッシック音楽、ミンストレル、アフリカ起源の音楽などが融合した混血度の高い音楽です。ブルースもそうだけど、ジャズも、いつ、どこで生まれたのか、はっきりしたことはわからない。ただ、ニューオリンズって町が重要な役割を果たしたことは、間違いないだろうと思う。なぜニューオリンズだったのかっていうと、いくつか理由があって、まずひとつは南部に攻めこんできた北軍がニューオリンズの港から船に乗って北部に帰った、そのときに軍楽隊がラッパを安く売っていったというのがある。それから、以前はフランス領、スペイン領だったということも大きい。フランス~スペイン統治時代は、白人と黒人の間に生まれた子供は白人として扱われていた。だから、高い(音楽)教育を受けた混血の人たちがたくさんいたわけ。その人たちが、アメリカ領になった途端、「黒人」として差別される。生きていくために、音楽の才能を生かした人もいただろうね。それに、フランス~スペイン統治時代のなごりか、ニューオリンズの「コンゴ広場」ではアフリカ直系の音楽を演奏することが許されていた。最後に悪名高き売春街、ストーリーヴィルの存在がある。売春宿では併設されたバーで女の子を品定めする。そこでムードを盛り上げるために演奏をする人たちのなかから、ジェリー・ロール・モートンのような、のちにジャズを作り出す人たちが現れた。今日は有名なルイ・アームストロングの若いころの演奏を聞いてみましょう。

ルイ・アームストロングもね、大きな口をあけてガハハハって笑うみたいなところが、すごくミンストレル的だとして敬遠された時もあったみたいだね。でも、そんななかで、彼の演奏のすごさ、かっこよさっていうのはあんまり語られなくなっちゃったところがある。

さて、ぐるっと回ってミンストレルに話が戻ったところで、ミンストレルで白人の期待に過剰に答えていたアフリカ系アメリカ人のパフォーマーたちが行き着く先というのを見てみたいと思います。ミンストレルには実は何もわかっていないのに知ったかぶりをする洒落ものと、愚鈍だがときどき真実をついたような発言をするマヌケというキャラクターがあります。前者のキャラを過剰に発展させて、もはや白人には理解できないところまでデフォルメさせるとどうなるか。キャブ・キャロウェイという、アフリカ系のミュージシャンのなかでもぼくが特別に好きな人のパフォーマンスです。

さて、今日はここまで。ほんとうは文学の話までやりたかったんだけど、できませんでした。後期の最初にやりたいと思います。

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