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2011年7月18日(月)

明治学院非常勤第十一回目。前半はD・W・グリフィス監督の映画『國民の創生』(1915)の続きと、それに対するアフリカ系アメリカ人からの回答ともいうべきオスカー・ミショー監督の『ウィズイン・アワー・ゲイツ』(1919)を見た。後半は音楽の話。スピリチュアルワークソングケイクウォークミンストレルなどについてビデオ、音源を交えて説明した。

D・W・グリフィス監督の『國民の創生』、前回はキャメロン家の娘フローラが元奴隷のガスに言い寄られ、崖から落ちて死んでしまうシーンまで見ました。サイレントなのでちょっとわかりにくかったかな。アンケートには、ガスがフローラを追いかけるシーンが怖かったという声がけっこうあった。一方で、ガスは結婚してくれといっただけで何も悪いことしていないのにかわいそうという人もいたね。どちらの意見も一理あると思う。確かにこのシーンは怖い。怖いように描かれているからだ。逃げるフローラと追いかけるガスが交互に、クロスカッティングで描かれ、緊迫感を高めている。そこに狙われた獲物を象徴するリスのカットが挿入されていたのに気づいた人いるかな?実際にはガスは何も悪いことしていない。でも、このシーンは何か恐ろしいことが起きている ― 黒人が俺たちの女を狙っているぞ! ― という印象を観客に与えただろう。

今日はその続き。時間の関係でちょっととばします。キャメロン家の長男ベンが結成したクー・クラックス・クランはフローラを追いつめたガスをリンチにかけ、その結果、キャメロン家のお父さんがリンチの黒幕として逮捕される。そこに現れたのがストーンマン家の長男フィル。キャメロン家の娘マーガレットの心を取り戻したいフィルはキャメロン家の人びとを救いだし、森の丸太小屋に逃げ込む・・・が、そこにも黒人の軍隊が迫ってくる。一方、混血の野心家サイラス・リンチはずっと狙っていたストーンマン家の娘エルジーに襲いかかり・・・それでは、見てみましょう。

サイラス・リンチに襲われるエルジーや丸太小屋で抵抗するキャメロン家の人びとと、駆けつけるKKKがクロスカッティングで描かれているのがわかったと思います。緊迫感を高め、観客が「正義の味方」KKKの到着を待ち望むようにつくられているわけです。

さて、これが真実だと思われてしまっても困るので、アフリカ系アメリカ人の側から描かれた映画を見てみましょう。オスカー・ミショーという人の映画です。オスカー・ミショーは最も早い時期に映画を監督したアフリカ系アメリカ人の一人です。彼は最初、開拓した土地を自分のものにできるホームステッド法という法律ができたのをきっかけとして、自作農として自立するために西部に行きました。しかし、夢かなわず、そこでの体験をもとに小説を自費出版して、自ら売り歩くようになります。やがて、自分の作品を多くの人に知ってもらうには、映画という新しいメディアがうってつけであることに気づき、映画の制作をはじめます。もちろん、どこの馬の骨ともしれない黒人の「映画監督」にすすんで金を出そうとするものはなく、ミショーは資金繰りから、脚本、撮影、制作、宣伝まで一人で手がけて、自主制作で映画を完成させます。当時公開されたばかりの『國民の創生』に違和感を抱いていた彼は、黒人の側から見た南部を描いた映画をつくろうと思い立ちます。それがこれからお見せする『ウィズイン・アワー・ゲイツ』です。

この映画には『國民の創生』のクライマックスと同じようなシーンが、立場を変えて描かれています。主人公のシルヴィアは幼い頃に両親と別れ、黒人小作人のランドリー夫妻に育てられました。育ての親、弟と貧しいながらも幸せに暮らしていたのですが、ある日、大変なことが起こります。ランドリー氏が小作料の交渉に行ったとき、地主が恨みを持つ貧しい白人に殺されてしまうのです。地主の死体のそばに佇むランドリーを目撃した男が、彼が犯人だと言いふらしてしまいます。町の白人は沼地に逃げようとした夫妻と息子をリンチにかけます。一方、荷物を取りに家に帰ったシルヴィアは、以前から彼女を狙っていた地主の弟にレイプされそうになります。いよいよ、危うしというところで、シルヴィアの身体に見覚えのある傷を見つけた男は彼女が自分の娘であることに気づきます。犯行を思いとどまった男は、罪滅ぼしにシルヴィアの学費を出すことを約束します。

『國民の創生』と同じように、ここではレイプと家族の危機がクロスカッティングで描かれています。しかし、ここでひどい目にあっているのは白人ではなく黒人のほうです。そして、KKKは正義の味方などではなく、首を吊られた黒人家族の死体を焼く悪魔のような人たちです。潤沢な資金をもとにつくられた『國民の創生』に対し、ミショーの映画は最低限の予算で作らざるをえませんでした。しかし、グリフィスと同じ最新の技法を使って、『國民の創生』とは全く違う南部を描いたのです。

さて、今日は盛りだくさん。後半は音楽の話をします。

まずは以前、地下鉄道のところでも取りあげたスピリチュアルの話から。スピリチュアルが奴隷たちの宗教歌であると同時に、逃亡奴隷を導く暗号であったかもしれないという可能性については、以前話しました。この説に異論を唱える人もいるんだけど、歌詞なんかを見ると、どうもそう考えないと説明がつかないものなんかもあるね。キング師も『良心のトランペット』のなかで、スピリチュアルが地下鉄道の暗号に使われていたと述べています。

Jubileesingers1_2

スピリチュアルは南北戦争後、黒人大学の学生たちによって全国に広められます。南部再建期に、元奴隷たちを教育するため、南部各地に黒人のための学校がつくられた。そのなかには黒人大学もいくつかあったんだけど、どこも経営難。そんななか、テネシー州ナッシュビルのフィスク大学では、学生のコーラス・グループの演奏を聞かせて、寄付金を集めることになった。もっとも、最初はスピリチュアルなどの「奴隷の歌」を歌うことに抵抗があったんだけどね。せっかく自由の身になって、これから教養を身につけようというのに、奴隷の歌なんて!ってね。でも、実際に歌ってみるとこれが受けた。「フィスク・ジュビリー・シンガーズ」の名声は高まり、1886年にはヨーロッパ公演を行うまでになった。これをきっかけとして、スピリチュアルをステージ用に編曲しなおすといったことが盛んに行われるようになった。後で話すミンストレル・ショーなんかでも、スピリチュアルは重要なレパートリーになっていきます。

Fisk Jubilee Singers, "Roll Jordan Roll"

でも、ね。スピリチュアルっていうのは、本来、そういうものじゃない。ステージから観客に聞かせるために歌うようなもんじゃなくて、普段の生活のなかでみんながいっしょに歌う様なものなんだ。例えばさ、せっせっせーのよいよいよい、なんてわらべ歌があるでしょ?あれ、別にステージのうえで歌ってもいいけど、本来はみんなでいっしょに遊ぶためのものでしょ?誰かに聞かせるものじゃなく。スピリチュアルをステージ用にアレンジしてしまうと、重要なものが失われてしまう。そのことを指摘したのが、ぼくが特別に好きな作家で、民俗学者でもあったゾラ・ニール・ハーストン。彼女は「ふぞろいなハーモニーこそが、スピリチュアルを形作っている」と言う。それはひとつにはかっちりとした編曲によって、人びとが自由に歌に参加するスピリチュアル本来の姿が失われてしまうと考えたからじゃないかと思う。

John Davis and Group, "John"

今聞かせたのは、ハーストンといっしょにフィールドワークをしていたアラン・ロマックスという人が、ハーストンと行った場所(ジョージア州シーアイランド)を数十年後にもう一度訪ねてみたら、同じような音楽をやっていたので録音してみた・・・というものです。さっきのフィスク・ジュビリー・シンガーズと全然違うでしょう?低い声やら甲高い声やら声の質もバラバラだし。でも、それでいて、みんなで歌っている一体感がある。本来のスピリチュアルって、こういうもんだったと思う。

さて、スピリチュアルと同じく、奴隷制時代のアフリカ系アメリカ人に歌われていた歌にワークソング、つまり労働歌があります。これは働くリズムを合わせるために、主唱者の歌に他の人が答えるコール・アンド・レスポンスの形で歌われることが多かった。コール・アンド・レスポンスっていうのは、例えば・・・みんなはもう分からないかもしれないけど、『8時だョ!全員集合』っていう番組があってね。ドリフの。そこで、いかりや長介が出てきて言うわけ。「おいっすー!」。すると客席の子供たちが「おいっすー!」「声が小さい!おいっすー!」「おいっすー!」 まさにこれだね。ぼくなんかも、テレビの前で「おいっすー!」とレスポンスしていた。まあ、それとか、黒人教会の説教だと牧師が何か言った後に必ず「オーイェー」とか合いの手が入るね。キング師の演説なんかでもそう。もちろん、こういうのはアフリカ系だけじゃないんだけど、アフリカ系の音楽には顕著で、彼らがアフリカから受け継いだものだと言える。

それから、面白いのはケイクウォークっていうダンス。これ主人が奴隷たちに「お前らのなかでいちばんダンスの上手いやつにケーキをやろう」とダンスコンテストをやったことから名前がついた。もともとは奴隷たちが白人の気取ったダンスを面白がってパロディ化したところから生まれたんだけど、それを見た白人が「黒人は妙なダンスをしよる」と真似して大流行した。自分たちがパロディされているとは気づいていなかったのだから、皮肉な話。動画は1、2番目が黒人によるケイクウォーク、3番目がそれをまねた白人たちが海岸で大はしゃぎ・・・というもの。これもミンストレル・ショーの重要な出し物になっていきます。

そして、さっきから話に出ているそのミンストレル。正確にはブラックフェイス・ミンストレルといって白人が顔を黒く塗って、黒人をバカにした演技をするものです。1828年、北部の白人芸人トーマス・D・ライスが黒人馬丁のダンスをヒントに考え出した「ジム・クロウ踊り」が元祖だと言われています。「ジム・クロウ」が黒人差別の代名詞となったことからもわかるように、ミンストレルは明らかに差別的な意図を含んだ芸能です。でも、このミンストレルが19世紀のアメリカでは、今のロックやヒップホップぐらい影響力のある、芸能の主流だった。やがてダン・エメット率いるヴァージニア・ミンストレルズとか、E・P・クリスティクリスティズ・ミンストレルズとか人気のミンストレル劇団が次々と生まれていきます。

と、ここでタイムアウト。今日はミンストレルの流れを汲む黒塗り芸人チェス・デイヴィスとエメット・ミラーのステージを見ながらお別れします。来週はもう少し、ミンストレルについて話をしてから、いよいよブルース。そしてジャズの誕生です。

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