2011年6月30日(木)
東京新聞、中日新聞の夕刊にひらげの書いた記事が載りました。
最近身体を動かすようになって気付いたのだが、どうもぼくは自分の体を2割ぐらい小さめに想定している節がある。ボイトレで「肩幅ぐらいに足を開いて」と言われても、気をつけに近い姿勢をとってしまう。狭い道を通るときも、よく肩をぶつける(どんくさっ!)。長い間スポーツをしてこなかったので、身体感覚が未発達のようだ。このへんの感覚を鍛えることも今後の課題としたい。まずは、鏡で自分の動きを見てみるとか。
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東京新聞、中日新聞の夕刊にひらげの書いた記事が載りました。
最近身体を動かすようになって気付いたのだが、どうもぼくは自分の体を2割ぐらい小さめに想定している節がある。ボイトレで「肩幅ぐらいに足を開いて」と言われても、気をつけに近い姿勢をとってしまう。狭い道を通るときも、よく肩をぶつける(どんくさっ!)。長い間スポーツをしてこなかったので、身体感覚が未発達のようだ。このへんの感覚を鍛えることも今後の課題としたい。まずは、鏡で自分の動きを見てみるとか。
渋谷『サラヴァ東京』でサカキマンゴーさんのライブを見た。今回はパーカッショニスト駒澤れおさんとの共演。マンゴーさんの親指ピアノがくすんだ渋い音で、ぽぽぽぽーんと会場をつつんでいく。繊細な使い方のエフェクターが楽器本来の揺らぎを増幅させ、踊ろうという意思もないままに身体がゆらゆらと動き出す。寄り添うように打ちこまれるパーカッションは的確。テキカクといってもあらかじめ決められた感じではなく、会話のなかの絶妙な受け答えという感じ。マンゴーさんの声がまた、聞くものの心の隙をついて、やわらかいところをチクチクするような、いやらしいまでの切なさを持っている。やられたなー。それでいて、MCはザッツ・エンターテイメントだし。鹿児島民謡「茶碗蒸しの歌」、ええねぇ。ニューアルバムにクンビア・ヴァージョンが入るらしいけど、今日のスタイルでもまた聞いてみたい。
ボイトレ、いつもの先生が体調不良で、別の先生。色んな練習法を教えてもらった。喉の力を抜くために、「らる」と「でぃり」で発声練習。しゃくって入るくせを直すために、 声帯をとじた状態からパッと開いて一音一音切って、あいうえおで発声練習。続けてなめらかに同じくフレーズ。フラットした音を微妙にあげるには、視線を遠く、上に。表情筋(口角)をあげる。
明治学院非常勤第八回目。今日はピート・シーガーの歌う「ジョン・ブラウンズ・ボディ」を聞きながら授業をはじめた。教室に入ってくるなり、何で「おたまじゃくしはカエルの子」がかかっているのか?(しかも英語!)と思った人も多かったと思う。奴隷解放のために反乱を起こしたアボリッショニスト=ジョン・ブラウンのことを歌ったこの歌は、南北戦争で北軍を鼓舞するために歌われた。「ジョン・ブラウンの屍は墓のなかで朽ちていくが、彼の魂はわれらとともに進み行く」という内容。それがなぜ、「おたまじゃくしはカエルの子」になったのかはよくわからないけど、幕末の混乱と南北戦争はほぼ同じ時代の出来事であり、その時期に日本に入ってきた洋楽が南北戦争をテーマにしたものであっても何の不思議もない。他にもシャーマン将軍の行軍を歌った「マーチング・スルー・ジョージア」が、日本で「東京節」になっている。ラーメチャンタラギッチョンチョンでパイノパイノパーイ、パリコとバナナでフライフライフライ~♪(歌ってみせる)って、知らない?こっちは添田さつきって人が勝手に歌詞をつけたんだってことがわかっている。
ところで、『仁-JIN-』、終わっちゃったね。ぼくはあのドラマが好きで・・・まあ、綾瀬はるか、チョーかわいい、とかいうこともあるんだけど・・・来週から何を楽しみに生きていったらいいのか(笑)。あれも幕末の話。だから、今日の授業で話す南北戦争と同じころ。つまり、日本で薩摩だ~長州だ~、倒幕だ~幕臣だ~と国を分けて争っていたとき、アメリカもまた南部と北部、奴隷制反対派と存続派が、ほとんど国がばらばらになりかねないほど対立を深めていた。
もう一つ、あのドラマでは、南方仁が歴史を変えていいものかどうか、また、いざ歴史にかかわろうとしても結局「修正力」に阻まれて何もできないのではないか・・・と悩んでいた。結局、仁は大きく歴史を変えることはできなかったし、彼が江戸に残した痕跡は人びとの記憶とともに消えてしまった。でも、ね。すべてが無駄だったのかというと、ぼくはそうは思わない。恋人の手術に失敗してふぬけのようになっていた仁が、江戸の人たちを必死に救おうとするうちに、生気を取り戻していく。彼自身が変わって、精一杯「生きた」ことが大切だったんじゃないかな。
アフリカ系アメリカ人の歴史でも、ジョン・ブラウンや、先週やったナット・ターナーは、反乱に失敗して殺されてしまう。クンタ・キンテも奴隷制から逃げることはできなかった。まして、ほとんどの奴隷は名前を残すこともなく死んでいく。でも、彼らの人生が無駄だったのかというと、そうじゃないと思うんだ。この授業では歴史的な「事件」を扱うことがどうしても多くなってしまうけど、それ以上にこうした一人一人の人間が必死で生きたっていうことを忘れないで欲しい。
あ、ビデオとかに撮ってまだ見てない人いたら、ごめんなさい。
・・・と、こんな話からはじめて、先週の続きで、トーマス・ジェファーソンと奴隷の黒人女性サリー・ヘミングスの関係について、彼らの子孫がこの複雑な「家族」、あるいは拡大家族としてのアメリカの人種関係をどのように考えているか、シャノン・ラニア『大統領ジェファソンの子どもたち』を引用しつつ考えた。
後半は南北戦争に向かうアメリカ史。ルイジアナ購入、テキサス併合、米墨戦争などによって領土が拡張され、新しく州に昇格する地域を奴隷州にするか自由州にするかをめぐって、南部と北部は衝突をくり返した。1820年、ミズーリが州に昇格するさいには、奴隷制の北限として定められた北緯36度30分より北にあるにもかかわらず奴隷州とされ、その代りにコネチカット州からメーン州を自由州として分離させ、勢力の均衡を保った。また、1850年、米墨戦争で獲得したカリフォルニアを自由州とする代わりに、逃亡奴隷法が強化されることになった。こうした数合わせはついに破綻し、ルイジアナ購入によって領土となったカンザス、ネブラスカを奴隷州にするか自由州にするかは、住民たちの意思にゆだねられた。これにより、この地域では、奴隷制擁護派と反対派が血で血を洗う内戦状態となった。このとき家族とともにカンザスに移住し、自らも命の危険にさらされながら、奴隷制擁護派を殺しまくったのが、のちに反乱を起こすジョン・ブラウンである。
この時期、ウィリアム・ロイド・ギャリソンをはじめとするラディカルなアボリッショニストの活動も目立つようになってきた。ギャリソンに見いだされ、やがて彼らと袂を分かつことになるフレデリック・ダグラスをはじめとするアフリカ系アメリカ人も奴隷制に反対する運動を進めていた。そんななか、奴隷制廃止を神に与えられた使命と考えるジョン・ブラウン(↑写真)は1859年、ヴァージニア州ハーパーズ・フェリーにある連邦軍の弾薬庫を襲い、奴隷制廃止のための革命を試みるが、のちに南軍を率いることになるロバート・リー将軍によって捕えられ、反逆罪で絞首刑になる。ジョン・ブラウンの行動は当時、アボリッショニストの間ですら議論を呼んだが、ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』などとともに、南北の対立を深め、南北戦争の引き金となったことは否定できない。
そして、1861年、南部諸州がジェファーソン・デイヴィスを大統領にアメリカ連合国として分離独立を宣言。南部連合に参加したサウス・カロライナ州が州内のサムター要塞を攻撃し、南北戦争がはじまった。
今日はここでタイムアウト。
『JIN-仁-』最終回。
切なかった。
仁はずっと、
何のために自分は江戸に送られてきたのか、
歴史を変えてしまっていいのかと
思い悩んでいた。
でも、タイムスリップによって変わったのは
歴史ではない。
仁自身だったのだ。
恋人の手術に失敗して
フヌケのようになっていた仁は、
薬も十分な医療設備もない江戸で
必死に人命を救おうとするうちに、
「生きる」ことを取り戻していく。
仁が自分の「生」を生きることによって、
制度や慣習に縛られた江戸の人びとも、
しがらみに抗って「生きる」ようになった。
仁が江戸に残した痕跡は
「歴史の修正力」によって
咲のぼんやりした記憶以外
消し去られた。
でも、ぼくらだって同じだ。
いつか死んでこの世を去れば、
ぼくらの生きた痕跡が
跡形もなく消え去るのに
時間はかからない。
モニュメントを作って
残そうとしても空しいことだ。
それよりもとにかく、
精一杯生きること。
そうすれば、生が生を生み、
つながっていく。
どこまでも続く
大きな物語のなかで
ちっぽけな自分の生を生きる
ぼくらひとりひとりの美しさを寿ごう。
ボイトレ。筋肉を丸く使う。息をすったら、すぐに吐けるように(一度止まると、息を吐くのにもう一度腹筋に力を入れなくてはならなくなる)。がむしゃらに練習せずに、喉を使っていたら、一度立ち止まってみること。無理に大きな声を出そうとしない。声量はあとから腹筋でつける。
ついに体重が70キロを下回りました(朝食前、Wii-Fit調べ)。
明治学院非常勤第七回目。調子の悪かったCDプレイヤーを交換してもらったので、以前途中までしか聞けなかったアレサ・フランクリン「アメイジング・グレイス」を聞きながら、授業をはじめた。ぼくの声、聞こえる?アレサ・フランクリンに負けてない?アレサに負けないくらいだったら、今すぐプロの歌手になってるな(笑)。ちょっと音を小さくしよう。
前回書いてもらったアンケートを見ると、奴隷主が女性の奴隷に子供を産ませることによって、性的欲望を満たすと同時に奴隷という財産を得るという話を聞いて、衝撃を受けた学生が多かったようだ。自分の子供を奴隷にするなんて、いくら奴隷に産ませた子供とはいえ、親子の情はわかないのか・・・いい質問だ。一方で、奴隷制は確かにひどいことだけれど、それにかかわっていた人たちも当時の「常識」にしばられていただけなのではないか・・・という意見もあった。たしかに、その通り。でも、常識に縛られながらも、そこからはみ出す感情も消すことはできなかったんじゃないかというのが、ぼくの考えだ。常識ではこうだ、と思いながらも、人間的な感情の部分では、「どうも違う」という違和感を覚えてしまう。当時のアメリカでは奴隷制を「特殊な制度」と呼んでいた。つまり、感情的には納得できない常識を「特殊な」と呼ぶことで、つじつまを合わせようとしていたんじゃないかな。このことについては、今日の授業の後半で、トーマス・ジェファーソンと奴隷の女性との関係を例に挙げて詳しく見てみたいと思う。
まずは先週の続きで、ナット・ターナーの反乱について。若くして読み書きの能力を身につけた奴隷ナット・ターナーは祈祷や断食を行い、仲間から「預言者」と呼ばれるようになる。1831年2月、日食を神のメッセージと考えた彼は準備をはじめ、同年8月、仲間の奴隷たちと反乱を起こす。57人の白人を殺したものの、反乱は18時間で鎮圧されてしまう。ターナー自身も捕えられ、11月に絞首刑に処された。
ターナーの反乱について特筆すべきは、その容赦ない残虐さとナット・ターナーという人物の残す印象の強さだろう。ターナーと仲間たちは十分な兵力が集まるまでは、年齢・性別にかかわりなくすべての白人を殺すと決めていた。実際、殺し忘れた赤ん坊をわざわざ引き返して殺してくるほどの念の入りようであったことが知られている。「十分な兵力が集まるまでは」といっていることからもわかるように、これは白人に対する憎悪というよりは、ゲリラとしての戦略であった。ともあれ、「皆殺し」の残虐さは白人を震え上あらせた。
ところが、直接ターナーの話を聞いた新聞記者トーマス・R・グレイの記録はどこか煮え切らない。ターナーを悪魔的な人間として断罪しなくてはならないにもかかわらず、目の前にいる男は憎悪に燃える野獣からはほど遠い。そこにいるのは、「何ごとでもやってのけられる頭脳によって人並みすぐれた聡明さを身につけ」、「穏やかで慎重な落ち着き」をもって自らの行いを語る、「鎖に埋まりながらなお人間のさがを超えて舞い上がる精神」の男だった。結局、グレイは「かれ自身が語り、論じた物語がどんな印象をあたえたか、それはあえて記さない」と、ターナーを悪鬼として描くという自分の仕事を放棄してしまう。
今日はもうひとつ、人種混交(miscegenation)について話した。アメリカにおいて、人種混交は長い間タブーだった。独立前から、各地で黒人の女性と関係を持った男性が処罰されている。まして、黒人男性と白人女性の関係は考えることもためらわれるような、おぞましいことと考えられていたのだろう。南北戦争中の1863年に出版されたパンフレット『人種混交―諸人種の融合に関する理論とそのアメリカ白人・黒人への適用』は、人種間結婚を肯定し、奴隷解放に取り組む共和党を支援する文書の体裁をとりながら、人種混交に対する白人のアレルギーを刺激するために民主党右派によって書かれたものだった。一方、共和党のリンカーンは演説で、「わたしが黒人の女を奴隷にしておくことを望まないのだから、必然に黒人の女を妻にしたがっているのだ、などと結論するデッチあげの論理に抗議」している。
こうした人種混交に対するアレルギーにもかかわらず、奴隷主は奴隷の黒人女性に子供を産ませ、性的欲望を満足させるとともに、子供を奴隷にすることによって財産を増やした。閉鎖されたプランテーションの世界ではそのことが罪に問われることはほとんどなく、「特殊な」事例として黙認されていたのである。そうした事例のひとつが、第三代大統領トーマス・ジェファーソンと奴隷の女性サリー・ヘミングスの関係である。ジェファーソンは独立宣言に、奴隷貿易を推進したイギリス国王を断罪する条文を入れようとしたことで知られるリベラル派だが、一方で80人とも100人ともいわれる奴隷を使ってプランテーションを経営するプランターでもあった。著書『ヴァージニア覚書』のなかで差別的な黒人観をあらわにしているジェファーソンは、いわば、現在につながるアメリカの矛盾を体現した人物であると言えるだろう。
そのジェファーソンと奴隷の黒人女性との間に子供がいるという噂が最初に知られたのは、対立候補を支援する新聞記者ジェイムズ・T・カレンダーによる中傷記事だった。この噂はその後もくすぶり続け、最初に出版されたアフリカ系アメリカ人による小説、ウィリアム・ウェルズ・ブラウンの『クローテル、もしくは大統領の娘』もこのことをテーマにしている。1998年、アフリカ系アメリカ人の人気司会者オプラ・ウィンフリーのテレビ番組にジェファーソンの子孫と名のる黒人男性が登場し、DNA鑑定によって彼とジェファーソン家の男系子孫のY染色体が一致することが証明され、全米が騒然とした。黒人女性作家バーバラ・チェイス・リボーは、トーマス・ジェファーソンとサリー・ヘミングスの関係をテーマに小説『サリー・ヘミングス』を書いている。
サリー・ヘミングスはジェファーソンの亡くなった妻マーサの父親が奴隷の黒人女性に産ませた子供、つまり、マーサの異母姉妹である。サリーはトーマスに嫁いだマーサとともにジェファーソン家にやってきて、マーサの死後、トーマスと関係を持った。つまり、サリーにとって、マーサは姉妹であり、主人であり、愛人の元妻である。また、トーマスは姉妹の夫であり、主人であり、愛人である。こうした「特殊な」人間関係のなかで、プランテーションの家族は形作られていることが少なくなかった・・・と、今日はここでタイムアウト。来週はジェファーソンやヘミングスの子孫が、この「特殊な」家族をどう考えているのか、そのへんを明らかにしたい。
日本の親指ピアノ奏者が一堂に会するムビラの祭典『ムビラ・サミットEast Vol.6』が行われ、ムビラの弾けないムビラ愛好者=オカムビラーのひらげは今回も司会を務めさせていただいた。場所は浜松町のアフリカ料理レストラン『カラバッシュ』。『カラバッシュ』と言えば、昨年12月、チキリカがライブをやる予定だったのに、当日ひらげがありえない事故を起こして参加できず、スタッフの皆さんにたいへんご迷惑をかけたという経緯があった。まずは店長の熊澤さんに丁重にお詫びした。ほんとうに申し訳ありませんでした。
さて、ムビラサミット。
トップバッターはsageさん。聞くものの想像力を刺激し、空間を感じさせる演奏。音楽的にアフリカを意識することはないと言っていたけれど、なぐさみに親指ピアノを弾いているうちに、ふわーんと身体が浮きあがってきて、やめられなくなるような感覚は、アフリカの人たちが持っているものとも通じると思う。
続いて、アフロ・キューバンを基本とした音楽を聞かせるCUBATUMBA。ムビラサミットにキューバ音楽?と疑問を抱いた人も多かったかもしれないが、ベース音を出しているのは巨大な親指ピアノ(「親指」で弾くわけではないが)マリンブラである。そうしたことを抜きにしても、ダンサンブルなキューバ音楽は楽しい。厨房のアフリカ人スタッフが仕事の手を休めて、身体を揺らしていた。スペイン語かな?と思ってよく聞くと、日本語だったりする歌詞が楽しい。トレスの生演奏もはじめて聞いた。終演後、ヴォーカル/トレスのヒロ・カリエンテさんに、「アルセニオ・ロドリゲスみたいでしたよ!」と声をかけた。
ハクナターブの伊藤ヒロコさんによるタンザニア音楽についてのレクチャーの後、コイケ龍一くん率いるZungooca登場。「本日は、Zungooca航空をご利用いただき誠にありがとうございます」というMCを裏切らない、スペイシーなサウンド。ついにリンバは宇宙に飛び出した!これかぁ、コイケくん、こういうのがやりたかったのかぁ!「フンコロガシ」の歌詞、いいなぁ。コンゴトロニクスあたりをきっかけとして大きく広がった親指ピアノの可能性のなかには、こんな世界もあったのか。間違いなく、今回のクライマックスのひとつだった。
タンザニアの伝統的な音楽を聞かせるハクナターブは、よく鍛えられたぶっとい音とダンス。見ているだけで体が熱くなってくる。リンバや太鼓群はもちろんのこと、ぴーんとよく通るヴォーカルにも惹かれた。さすが、日本におけるタンザニア音楽のパイオニア的存在である伊藤ヒロコさん率いるグループである。
『カラバッシュ』店長の熊澤さんからアフリカ料理についての貴重なお話。70年代からアフリカと関わり続けているなんて・・・すごい。
トリはパチシガレ・ムビラズ。サミット実行委員長のハヤシエリカさん、マサさん、トンデライさん、スミさん。エリカさんがジンバブウェに定住することになったので、この4人での演奏は(26日の『アフリカ大陸』ライブ後)しばらく見られないかもしれない。ジンバブウェの熱気を湛えた演奏にじっとしていられなくなり、司会の任務も忘れて踊りだした。客席からも立ちあがって踊り出す人たちが現れる。いつまでも続くんじゃないかと思えるグルーヴの輪のなか、辛抱できなくなったオーディエンスと一心に演奏するプレイヤーの思いが、びりびりという音のなかにに滲んでいく。美しいひとときだった。
個人的に全部ビデオにとっていた・・・はずだったのだが、どういうわけか、半分以上音がはいっていなかった(涙)。1930年代のサイレント・フィルムみたいなのを見せてもしょうがないので、音が入っていたZungoocaとパチシガレ・ムビラズの演奏をアップしました。
驚いた。昨日、ふと目についてベスト盤を買った平田隆夫とセルスターズについてネットで調べてみたら、リーダーの平田隆夫さんが4日前に亡くなっていた。ハチのムサシは死んだのさ。合掌。
だるまさんが口論だ。
「南方の植民地がなくなったら、石油が足りなくなる。どんな犠牲を払っても戦争しかない」というのと、「原発がなくなったら、電力が足りなくなる。どんな犠牲を払っても原発推進しかない」というのは、どこが違うのだろう。
『東京大学のアルバート・アイラー キーワード編』、読みはじめた。初期ブルースの係留感。どっちつかずで、起承転結もなく、ぐるぐると同じところをまわっている感じ。民族音楽的で、とりわけアフリカ的な。典型的なブルースは展開を整えるなかでこうした係留感を失っていった。「モード」は係留への回帰だ。
体育で疲れたって!?先生もビリーズブートキャンプがんばるから、寝るな!
ボイトレ。ミックス・ボイスの練習。裏声との違いがなかなかつかめなかったのだが、裏声が全面的に鼻に響かせるのに対し、ミックス・ボイスは鼻と口全体に響かせ、だーと出す感じ。これをつかめばかなり音域が広がる。課題曲では高い音(地声)では意識的にあごを引く。母音が「あ」の音は口を広めに開いてやわらかい音に。
秋山なみ、亀井伸孝『手話で行こう ろう者の言い分 聴者のホンネ』(ミネルヴァ書房、2004)を読み終わった。ろう者の妻「ねこ」こと秋山なみさんと、聴者の夫「かめ」こと亀井伸孝さんご夫婦の暮らしをつづった内容。前半は音が聞こえる/聞こえないことによる夫婦のすれ違いの話にはっとしながらも、ほのぼのさせられるところもあったが、後半にいくにしたがって、耳が聞こえないだけでこんなに暮らしづらい社会っていったい・・・と考えさせられることが多くなる。とりわけ、大学に通う「ねこ」さんの体験が、大学で働くものとしては胸に痛い。多くの場合、大学は制度として考えなければならないろう者支援の問題を、学生の善意、助け合いの問題にすり替えてしまう。そりゃあ、善意や助け合いは必要だが、授業に必要な手話通訳を探すのが「善意」頼みでは、毎回毎回、「善意の人」を探し出し、頭を下げてお願いしなければならない。それでは、ろう者がふつうに暮らし、ふつうに大学に通うことはできないと言っているに等しい。ハンディキャップがあるのは耳が聞こえない人たちではなく、彼らを受け入れる能力に欠けている社会のほうではないかと思う。
ぼくの職場にもかつて、ろう者の女性がいた。そのころのぼくは知識もなく、口話(口の動きを見て何を言っているのか読みとる)が上手いその人がろう者であることがなかなか理解できず、電話で用事を頼もうとしたりしたこともあった。いやな思いをされたんじゃないかと思う。そのころのぼくは、ろう者にとって手話がいちばん自然な言語であり、口話を強要してはならないということも知らなかった。ぼくもまた無神経な聴者のひとりだったし、今もそうなのかもしれない。
アメリカ・ギャローデッド大学の話も興味深かった。ろう者によるろう者のための大学。手話が下手な聴者の教師は学生の反発を受けて追いだされる。建物は手話が見えるように、吹き抜けになっている。ここでは不思議な目で見られるのは、声で意思を伝えようとする者のほうだ。聴者が多数であるのは、たまたまのことなのかもしれない。「異文化」としての「ろう」。その先に、異文化の共存を考えなければならない。多数者の社会に、少数者を同化させようとするのではなく。
明治学院非常勤第六回目。アラン・ロマックスがフィールド録音したスピリチュアルを流しながら、いつものようにアンケートで寄せられた疑問に答えることから始めた。
まずは、「奴隷」という言葉の問題。奴隷という言葉はその人たちが生まれた時から奴隷であるかのように聞こえるから失礼だ、「奴隷にされた人びと」と改めるべきではないか、という意見があった。こうした言葉の問題は決して軽く見るべきではないと思う。いわいる差別語の問題を考える意味は二つある。ひとつはそれを使っている側の意識の問題。例えば、「スチュワーデス」「看護婦」といった言葉を使っていたころのぼくは、そうした職業が女性のものであると心のどこかで思っていた。言葉の問題を考えることでそうした自分のなかの偏見に気づかされるし、それを直していくこともできる。
もうひとつはもちろん、差別され、偏見を持たれてきた側の感情の問題だ。例えば、もともと「黒」という色を表す'negro'という言葉自体に差別的な意味はないとしても、長い間差別的なニュアンスを込めて使われてきたという歴史がある。差別されている側にいる人間が嫌う言葉はすべて使うべきではないということではない。差別される側もひとつではなく、ある言葉に強く嫌悪を抱く人、そうでもない人、どうでもいい人と様々だからだ。ある言葉を差別的だと感じる人がいた場合、どうしてそうなのか、徹底的に話し合うべきだと思う。そうでなければ、その言葉を使ってきた自分の意識は変わらないまま、言葉にだけ蓋をすることになってしまう。
で、「奴隷」という言葉だけれども、ぼくのとりあえずの結論としては「奴隷にされた人びと」と言い換える必要はないと思う。「奴隷」という言葉自体、「強制的に労働をさせられている人びと」という意味だと考えるからだ。もちろん、奴隷は生まれながらに奴隷であると考える人たちもいる。しかし、「奴隷にされた人びと」という言葉を使うということは、それとは別に「生まれつきの奴隷」がいるということを暗示することになりはしないだろうか・・・この問題はまだまだ議論する余地があると思う。とりわけ、差別されてきた側(アフリカ系アメリカ人)がどう思うかという問題が残されている。だから、とりあえずの結論。
「先生は白人の残虐さを訴えたいのですか?」という質問もあった。これは半分は当たっていて、半分は違う。これまで授業でやってきたことに関して言えば、奴隷貿易や奴隷制の残虐さを訴えたいという気持ちはある。だけど、「白人はそもそも残虐なものだ」などと言いたいわけではない。この大学にも立派な「白人」の先生はたくさんいるしね。ただ、それじゃあ、奴隷貿易や奴隷制は人種や民族とは関係なく、個人的に残虐な人たちがやったことなのかというと、それも違う。奴隷貿易や奴隷制によって、ヨーロッパやアメリカの白人は莫大な富を蓄積し、今でもその恩恵にあずかっているからだ。それは奴隷貿易や奴隷制に直接かかわったか、かかわっていないかに関係なく、ヨーロッパやアメリカの白人は奴隷の犠牲のもとに築かれた社会の恩恵にあずかって生きてきた。一部の悪魔のような人たちが奴隷貿易を行ったわけではないといったのには、そういう意味もある。
とはいえ、すべての「白人」が奴隷制を受け入れていたわけではない。その話をしよう・・・という流れで、地下鉄道の話をした。地下鉄道とは地下鉄ではなく(1863年、ロンドンに地下鉄が開設されるより前のことだ)、奴隷の逃亡を助けるネットワークのこと。アボリッショニスト(奴隷制廃止論者)の白人、元逃亡奴隷、あるいは奴隷のなかの協力者などが秘密裏に連絡を取り合って、北部に逃げようとする奴隷を助けた。奴隷を案内する「車掌」、奴隷をかくまう「駅」、道筋を示す暗号などが、「地下鉄道」によって用意された。車掌として活動したハリエット・タブマンの他、元逃亡奴隷として奴隷制廃止を訴えた人物にソージャナー・トゥルースやフレデリック・ダグラスがいる。ソージャナー・トゥルースは女性参政権にも関心を示し、演説「私は女ではないのですか」で男性の「庇護」から抜け出すことを求めた白人女性とは違う(そもそも「庇護」など与えられなかった)黒人女性の立場を訴えた。ダグラスは黒人を運動の補佐的な役割にとどめようとする白人のアボリッショニストと袂を分かち、アフリカ系アメリカ人の立場から奴隷制反対を訴える雑誌『北極星』を創刊した。
こうした地下鉄道の活動のなかで、重要な役割を果たしたかもしれないのが、スピリチュアル(霊歌)である。奴隷を主人に従わせるために使われたキリスト教だったが、やがて奴隷たちは聖書のなかに解放のメッセージを読みとる。アフリカの宗教を奪われた彼らの心の空白をうめたのが、こうした彼ら独自のキリスト教だったともいえる。彼らは主人の目を盗んで、秘密の集会を開き、祈るようになった。そんななかで歌われたのが、のちに「霊歌」として知られるようになる歌の数々である。一方で、霊歌には祈りだけではなく、逃亡奴隷を助ける暗号が隠されていたと指摘される。例えば、「水びしゃくについていけ」は北極星の位置を示す北斗七星のことを歌った歌であると言われている。
そのあと、奴隷暴動の話になり、ナット・ターナーについて説明したところで、タイムアップとなった。来週はナット・ターナーの反乱の話から。
なんか、すごくモテモテな夢を見た。
Wii版ビリーズ・ブートキャンプ、入隊してみた。むちゃくちゃきつい。汗だく。
文庫化された菊地成孔、大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史編』(文春文庫、2009、2005)を読み終わった。東京大学で行われた菊地・大谷コンビによるジャズ史講義を再構成したもの。モダン・ジャズはその名の通り、モダニズム ― 秘儀として伝えられてきた芸術をいったん分析・解体し、記号化して誰もが使えるルールを作り出すこと ― の運動である。モダン・ジャズが作り出したのは、コード・シーケンスに基づく即興演奏であり、それは同時期に生まれたバークリー・メソッドと相性が良かった。こうしたルールは言わば、白人の作り出したスタンダード(コード・シーケンスに基づく緊張と緩和の物語)という枠組に、そこには収まりきらない即興演奏を押し込んだもので、ダンス音楽としてお客を楽しませるエンターテイメントでありながら、孤高の芸術性をも志向するジャズの本質的な葛藤が反映されていた。
いったんはコードの複雑化へ向かったモダン・ジャズはその後、コード・シーケンスを無効化するモード、さらにはフリーへと、ルールを単純化する方向へ向かう。それは言わば、エンターテイメントの制約から、また、コード・シーケンスに表れた西洋の物語性から、ジャズを解放する動きだったと言える。起承転結から自由になったジャズは、グルーヴ言語に基づく律動空間というものを思う存分展開することができるようになった。エンターテイメントとしてのダンス音楽からの解放が、グルーヴとしてのダンス音楽を生み出すという展開。電気楽器の持つ濁りも含め、70年代中ごろまでのジャズは、ある意味で民俗音楽に近づいていたと言えるかもしれない。その最大の成果が、エレクトリック期のマイルス・デイヴィスによる鬼気迫る音楽だ。
面白かった。とくにコード・シーケンスから解放された音楽がポリリズムに向かうところ。「アクセント言語」と「グルーヴ言語」については、同じコンビの『憂鬱と官能を教えた学校』に詳しいらしいので、そちらも読んでみよう。
スタジオ・ペンタで、朝の自主ボイトレ。のどを使わないよう腹筋に集中してみる。気持ちよく高音を出すためには、下腹部の筋肉をもっと幅広く持ち上げなければならない。
夜、高校時代の同窓生女子二人とプチ同窓会。酔った女子二人と素面で対決というのも、なかなか面白かった。
菊地成孔、大谷能生『アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界』(文藝春秋、2010)を読み終わった。前期分が『アフロ・ディズニー』にまとめられた慶應義塾大学での講義、毎回豪華なゲストを迎えて行われた後期分。日本のオタク文化とカニエ・ウェスト、ファレル・ウィリアムスらヒップ・ホップのアーティストが手をとりあって、ハイ・ファッションの世界に殴り込みをかけている・・・なんて、全然知らなかったけど、痛快な話だ。オタク文化とヒップ・ホップの共通点は、その担い手が長らくメインストリームから排除されてきた(そのため、抑圧に対して過敏に反応する)ということもあるだろうが、何といっても引用という手法の重要性ではないかと思う。ニコニコ動画におけるMADムービーの氾濫なんかは、著作権が問題になる前のヒップ・ホップにおけるサンプリングの多用に通じるものがある。そして、ヒップ・ホップをアフリカ系アメリカ人の文化として見るならば、それはヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアのいう「シグニファイン」にもつながるお家芸ではないかと思う。他にもアメリカのスラップスティク・アニメーションにおけるミッキーマウシングの分析など、興味深いことでいっぱいの本だった。
明治学院非常勤第五回目。今日はとりあえず、『ルーツ』の続きを見る。その前に簡単な説明。前回のアンケートで、奴隷のフィドラーがクンタ・キンテの言葉を理解できないこと、アフリカ人に対する偏見を持っているように見えることに疑問を持った学生が多かった。奴隷貿易は数百年に渡って行われたので、アフリカから奴隷が運ばれ続ける一方、アメリカ生まれの奴隷も現れる。フィドラーはおそらくその一人だ。彼らは当然アフリカの言語を理解しなかったし、奴隷主による教育もあってアフリカを野蛮な暗黒の地と考えるものも多かった。
クンタ・キンテの農場での生活。フィドラーを通してさまざまなことを学んでいく。やがて、農作業中に見つけた鉄片で鎖を断ち切ったクンタは、農場を逃げだす。断ち切られた鎖を見たフィドラーは、「(教育係である)オレがどんな目に合うか考えなかったのか」となじるが、持ってきた食料を渡し、クンタを逃がす。逃亡のかいもなく、次の日、犬を引き連れた捜索隊にクンタはあっけなくつかまってしまう。農場に引き戻され、奴隷たちの前でつるし上げられるクンタ。フィドラーの必死の懇願もむなしく、むち打ちが始まる。主人から与えられた「トビー」という名前を拒否し続けるクンタ。しかし、ついに鞭に耐え切れず、「お前の名前は?」との声に「トビー」と答える。下ろされたクンタに駆け寄り、苛立たしげに縄をほどくフィドラー。クンタをいたわりながら、「白人はお前に勝手な名前をつけた。だけど、お前はクンタ・キンテだ。忘れるな!」と語りかける。
涙なくして見られない場面なので、ハンカチを持ってくるようにと言っておいた。さすがに、教室で涙を流している学生はいなかったが、あとでアンケートを見たら「ひとりで見てたら泣いてました」という学生が何人かいた。しかし、「かわいそう」だけで終わってもらっては困る。名前の問題は日本に住む私たちにとってもヒトゴトではない。詩人であり、日本における黒人文学研究の先駆けでもある木島始さんの『詩・黒人・ジャズ』から、こんなエピソードを紹介した。木島さんが黒人文学と黒人の苦悩について友人の共田くんに自説を話していたときのこと。ひと通り話を聞いた共田くんがこう言った。「創氏改名って知ってます?」共田という名前は一種のアナグラムで、部首を入れ替えれば「黄」となる。「黄寅秀(ファンインスウ)」というのが、彼の本名。木島さんとともに、黒人文学の翻訳・紹介において大きな足跡を残すことになる人物である。
残りの時間で、その木島さんと黄さんが翻訳した『奴隷とは』から、農場における奴隷たちの生活がいかに過酷なものであったかを示すエピソードをいくつか紹介した。来週はそんな奴隷たちの抵抗 ― スピリチュアルに代表される文化的抵抗、逃亡奴隷を導く地下鉄道、奴隷の反乱などについて話そうと思う。
自主ボイトレ。腹筋の使い方、つい矢吹ジョーを気取って「えぐりこむように打つべし!打つべし!打つべし!」と書いたけど、それだと断続的になってしまうな。ぐいっと巻き込むように、というのが正しいかも。今日はだいぶ身体を笛にできた。
中古盤屋でアンティーク・オルゴールのCDを買った。「みやさん みやさん」「ひとつとや」なんていう日本の曲も入っていて、けっこう気に入っている。オルゴールがムビラをもとに作られたのかどうかは定かではないが、もしそうだとすると、ムビラの生演奏とオルゴールの違いって、アフロ・ビートと『リメイン・イン・ライト』の違いのようなものかもしれない・・・うーん、ほんまか?ぼよよよーん。
三崎亜記さんの短編集『鼓笛隊の襲来』(光文社、2008)を読み終わった・・・三崎さんのデビュー作『となり町戦争』は衝撃的だった。静かな日常にじわじわと浸透していくとなり町との戦争という残酷な非日常。江口洋介、原田知世主演の映画も見た。
ここに収められた短編でもやはり、日常の裂け目から顔を覗かせるのは、歪んだ非日常である。戸惑っていた登場人物(あるいは読者)もいつしか慣れ、非日常を当然のこととして受けとめはじめる。こんな世界もあるのかもしれない。「誰もが同じように見ていると思い込んでいるものも、実は見るものによってはまったく違う見え方をしているのかもしれない」(「校庭」 183)のだから。
いや、フィクションではなく、ぼくらが住んでいるこの世界こそが、ありえない非日常なのかもしれない。
ふと、原発事故のことを思った。事故が起きたあとの世界が非日常なのではない。原発が次々と建設されていくそれまでの日本が、そもそもオカシナオカシナ非日常だったのだ。ほとんどの人はそれがオカシナことだとは思わなかった。あるいはオカシイと思いながらも、慣れてしまった。一歩外に足を踏み出せば、どんなに狂った世界に住んでいるかわかったはずなのに。あの日を境に世界が歪んでしまったように感じているとしたら、それはそうではなく、もともとあった歪みにようやく気づいたということなのだ。
ブラックフェイス・ミンストレルを研究している立場からすると、「覆面社員」が特に面白かった。
素顔以上になじんでしまったこの覆面は、私にとっても、そして私を見る者にとっても、無いも同然なのかもしれない。覆面を被っても変わることのできなかった私は、覆面を被っていることすら誰からも認識されえないのだろう。
私はこれからも、この覆面を素顔として生きていくのだ。 覆面を素顔として生きていくしかないのだ。
否定的なニュアンスで書かれたものかもしれないが、ぼくはこう解釈したい。人間のアイデンティティはすべて仮面(覆面)である。しかし、仮面(覆面)を被るという行為自体がどうしようもなく自分自身である。すべては自分に返ってくる。
吉祥寺『Manda-La2』で、久しぶりに遠峰あこさんの歌を聞いた。客席に姿を見せた岡大介くんとノンアルコールで乾杯(お酒大好きの岡くんだが、この日は風邪薬を飲んでいたとか)。バンドを従えて登場したあこさん、絵になるなぁ。アコーディオン片手に斜めにすっと立つ姿は、大衆演劇の一場面を見るかのようだ。あこさんの歌はますます力強く、ズドーンと胸に飛び込んでくる。民謡本来のグルーヴを掘りおこした演奏も素晴らしい。元気をもらったし、ぼくもがんばらなくちゃ・・・と気合が入った。これこそ、音楽の力だな。
今日はこころば音楽祭ということで、コンポステラでの活動でも知られるチューバ奏者・関島岳郎さん、3人組のアコースティック・ユニット「こころば」との共演。関島さんのソロではチューバに加えて、リコーダーの演奏、こころばのベーシスト小塚さんとのデュオもあった。チューバの独奏ってちょっと地味じゃない?などと思っていたのだが、聞いているうちに他の楽器が見えてくるような ― 聞こえるのではなく、文字通り「見えて」くるような ― 薄い膜隔てた向こう側を鼓笛隊が音もなく行進するのが見えるような気がした。
こころばは不思議なグループ。民謡なんかもやるのだが、基本は昔のフォーク・グループみたい(六文銭とか思い出した)。でも、アヴァンギャルドな音が好きなのがところどころに感じられて、目を離していると転げ落ちてジャックスになってしまいそうな危うさ(?)がある。
お店を出てから、岡くんにハモニカ横丁のまぐろ丼屋に行かないかと誘われた。すごく嬉しかったんだけど、お酒の飲めない身でもあり、時間も遅かったので帰ることにした。せっかくのお誘いだったのに、ごめん!いやー、岡くんに誘ってもらえるなんて、俺は嬉しいよ!またライブ行くぜ!
地下原発!?いわいるひとつのアンダーグラウンド、略してあんぐらですか?えろぐろなんせんす!原発なんせんす!核を埋めても核地下子になるだけです!
ボイトレ。やはり、えぐりこむように打つべし!打つべし!打つべし!(三段階でどんどん筋肉を内側に)。一オクターブ低く歌ったり、ゆっくりしたテンポで歌ったりする練習が効果的。音程をしゃくらないように、ぴたっと置く練習。メロ譜を書いてみよう。
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