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2011年6月13日(月)

明治学院非常勤第六回目。アラン・ロマックスがフィールド録音したスピリチュアルを流しながら、いつものようにアンケートで寄せられた疑問に答えることから始めた。

まずは、「奴隷」という言葉の問題。奴隷という言葉はその人たちが生まれた時から奴隷であるかのように聞こえるから失礼だ、「奴隷にされた人びと」と改めるべきではないか、という意見があった。こうした言葉の問題は決して軽く見るべきではないと思う。いわいる差別語の問題を考える意味は二つある。ひとつはそれを使っている側の意識の問題。例えば、「スチュワーデス」「看護婦」といった言葉を使っていたころのぼくは、そうした職業が女性のものであると心のどこかで思っていた。言葉の問題を考えることでそうした自分のなかの偏見に気づかされるし、それを直していくこともできる。

もうひとつはもちろん、差別され、偏見を持たれてきた側の感情の問題だ。例えば、もともと「黒」という色を表す'negro'という言葉自体に差別的な意味はないとしても、長い間差別的なニュアンスを込めて使われてきたという歴史がある。差別されている側にいる人間が嫌う言葉はすべて使うべきではないということではない。差別される側もひとつではなく、ある言葉に強く嫌悪を抱く人、そうでもない人、どうでもいい人と様々だからだ。ある言葉を差別的だと感じる人がいた場合、どうしてそうなのか、徹底的に話し合うべきだと思う。そうでなければ、その言葉を使ってきた自分の意識は変わらないまま、言葉にだけ蓋をすることになってしまう。

で、「奴隷」という言葉だけれども、ぼくのとりあえずの結論としては「奴隷にされた人びと」と言い換える必要はないと思う。「奴隷」という言葉自体、「強制的に労働をさせられている人びと」という意味だと考えるからだ。もちろん、奴隷は生まれながらに奴隷であると考える人たちもいる。しかし、「奴隷にされた人びと」という言葉を使うということは、それとは別に「生まれつきの奴隷」がいるということを暗示することになりはしないだろうか・・・この問題はまだまだ議論する余地があると思う。とりわけ、差別されてきた側(アフリカ系アメリカ人)がどう思うかという問題が残されている。だから、とりあえずの結論。

「先生は白人の残虐さを訴えたいのですか?」という質問もあった。これは半分は当たっていて、半分は違う。これまで授業でやってきたことに関して言えば、奴隷貿易や奴隷制の残虐さを訴えたいという気持ちはある。だけど、「白人はそもそも残虐なものだ」などと言いたいわけではない。この大学にも立派な「白人」の先生はたくさんいるしね。ただ、それじゃあ、奴隷貿易や奴隷制は人種や民族とは関係なく、個人的に残虐な人たちがやったことなのかというと、それも違う。奴隷貿易や奴隷制によって、ヨーロッパやアメリカの白人は莫大な富を蓄積し、今でもその恩恵にあずかっているからだ。それは奴隷貿易や奴隷制に直接かかわったか、かかわっていないかに関係なく、ヨーロッパやアメリカの白人は奴隷の犠牲のもとに築かれた社会の恩恵にあずかって生きてきた。一部の悪魔のような人たちが奴隷貿易を行ったわけではないといったのには、そういう意味もある。

とはいえ、すべての「白人」が奴隷制を受け入れていたわけではない。その話をしよう・・・という流れで、地下鉄道の話をした。地下鉄道とは地下鉄ではなく(1863年、ロンドンに地下鉄が開設されるより前のことだ)、奴隷の逃亡を助けるネットワークのこと。アボリッショニスト(奴隷制廃止論者)の白人、元逃亡奴隷、あるいは奴隷のなかの協力者などが秘密裏に連絡を取り合って、北部に逃げようとする奴隷を助けた。奴隷を案内する「車掌」、奴隷をかくまう「駅」、道筋を示す暗号などが、「地下鉄道」によって用意された。車掌として活動したハリエット・タブマンの他、元逃亡奴隷として奴隷制廃止を訴えた人物にソージャナー・トゥルースフレデリック・ダグラスがいる。ソージャナー・トゥルースは女性参政権にも関心を示し、演説「私は女ではないのですか」で男性の「庇護」から抜け出すことを求めた白人女性とは違う(そもそも「庇護」など与えられなかった)黒人女性の立場を訴えた。ダグラスは黒人を運動の補佐的な役割にとどめようとする白人のアボリッショニストと袂を分かち、アフリカ系アメリカ人の立場から奴隷制反対を訴える雑誌『北極星』を創刊した。

こうした地下鉄道の活動のなかで、重要な役割を果たしたかもしれないのが、スピリチュアル(霊歌)である。奴隷を主人に従わせるために使われたキリスト教だったが、やがて奴隷たちは聖書のなかに解放のメッセージを読みとる。アフリカの宗教を奪われた彼らの心の空白をうめたのが、こうした彼ら独自のキリスト教だったともいえる。彼らは主人の目を盗んで、秘密の集会を開き、祈るようになった。そんななかで歌われたのが、のちに「霊歌」として知られるようになる歌の数々である。一方で、霊歌には祈りだけではなく、逃亡奴隷を助ける暗号が隠されていたと指摘される。例えば、「水びしゃくについていけ」は北極星の位置を示す北斗七星のことを歌った歌であると言われている。

そのあと、奴隷暴動の話になり、ナット・ターナーについて説明したところで、タイムアップとなった。来週はナット・ターナーの反乱の話から。

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