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2011年5月14日(土)

Afro_desney_2菊地成孔大谷能生アフロ・ディズニー エイゼンシュテインから「オタク=黒人」まで』(文藝春秋、2009)を読み終わった。東京大学でのジャズ講義を収めた『東京大学のアルバート・アイラー』で知られる二人が、2008年に慶應大学で行った授業を再構成した内容。すごく、面白かった。大きなテーマの下にちりばめられた重要なサブテーマについては、関心を持った時点でとりあげてきたが、読み終わったので全体の大きな流れについてまとめておきたいと思う。

中心となるテーマは、映画とレコードによる視覚と聴覚の切断である。サイレントの形で登場した映画は日常の音声から映像を引き剥がすことによって、私たちのまわりの風景がひとつの意味に回収されない「ノイズ」に満ちていることを明らかにした。それは視覚と聴覚がそれぞれ別個に与えられる乳児期への回帰として捉えることができるだろう。やがて、トーキーという新技術によって、切断された視覚と聴覚の再統合が試みられる。それはエイゼンシュテインが『映画における第4次元』で示したような、発見された「ノイズ」を残したものになる可能性もあったが、実際にトーキー普及の主導権を握ったのはディズニーアニメに代表されるアメリカ映画であった。そこでは映像と音声の完璧にシンクロさせることが求められ、ノイズは新たな意味づけのなかに回収された。

一方、レコードによって映像(演奏している姿)から切り離された音声は、もう少し事情が違っていた。そこには聴覚と視覚の違いが関係している。目は閉じることが出来るが、耳は閉じることが出来ない。目を閉じたとき、聴覚は視覚から切り離されて単独で働く。したがって、映像から切り離された音声は、音声から切り離された映像ほど不自然ではない。とはいえ、音楽の世界でも、音に輪郭を与えるメロディーによって意味づけがなされてきた。また、近年、音楽が映像とパッケージで販売されることがむしろ普通になってきており、ここでも再統合による意味づけが進んでいる。今後、レコード・ジャケットのような静止画を見ながら音楽を聞くという行為は、むしろ不自然なものになっていくかもしれない。

映像と音声の完璧なシンクロナイゼーションは、今見ているものすべての意味を理解しているという感覚を観客に与える。こうした全能感のもたらす喜びは、ちょうど視覚と聴覚を連動させはじめた幼児の幸福感と似ている。このことは20世紀の文化がなぜ子供じみているのかという謎を解く鍵になる。特定の場所で同じ舞台芸術を鑑賞することによって、「ずれ」や「ゆらぎ」を楽しむ19世紀文化は、20世紀以降、映画やレコードの形で切り売りされ、個人が子供じみた全能感を楽しむ玩具になった。そんななか、例外的に19世紀的な「ずれ」と「ゆらぎ」の文化が残されているのが、まったく対照的に見える「ブラック・ミュージック」と「ハイ・ファッション」の世界である。しかし、20世紀的文化が発展したオタク文化と交流することによって、そうした二つの世界にも変化が起こりつつある。

・・・と、ざっくりまとめてしまうと、「ぜんぜん違う!」と怒られそうだ。あくまでも、ぼく自身のための覚書ということで・・・これだけで本を読んだつもりになって恥をかいても、責任は負いかねます。あしからず。

読み終わったところで、アイリッシュ・アメリカン研究会に参加するために、青山学院大学の夏目研究室へ。Seymour Stark, Men in Blackdace: True Stories of the Minstrel Show の6、7章を題材にした河内裕二、伊達雅彦両先生の発表を聞く。初期のミンストレルでは多くのアイルランド系パフォーマーが活躍している。今日初めて参加したのでこれまでの経緯はよくわからないが、その流れでスタークの本を扱うことになったのだろう。しかし、6、7章はアル・ジョルソンをはじめとするユダヤ系パフォーマーの話ということで、ユダヤ系アメリカ文学が専門の両先生にお願いすることになったのだと思う。ちなみに、アイリッシュやユダヤといった移民たちが自分が白人であることを示すための手段のひとつが、顔を黒塗りにして黒人を笑うことだったというのがスタークの本のテーマである。ミンストレルはぼくがずっと追いかけてきたテーマのひとつだ。加えて、ジョルソン主演の映画『ジャズ・シンガー』は初のトーキー作品であり、『アフロ・ディズニー』を読んだばかりのぼくにとっては、どんぴしゃりタイムリーな研究会になった。

貴重な映像を交えた発表はいろいろと参考になった。映画のあちこちにユダヤ人にしかわからないようなくすぐりが忍ばされているのも面白い。また、ジョルソンの半生を描いた映画『ジョルソン物語』で、ジョルソンが本格的なジャズに影響を受けたかのように描かれているのが気になった。主演映画のタイトルとは裏腹に、ジョルソンの歌は本格的な「ジャズ」とはほど遠い。もちろん、ジョルソンの時代には、「ジャズ」という言葉が厳密な意味で使われていたわけではない。気になるのは、1946年に発表された『ジョルソン物語』が、黒塗り役者のジョルソンを正統派ジャズの伝統につらなるものとして捉えなおそうとしているように見えることだ。その背景には何があるのだろうか。戦争?スウィング・ジャズの興隆?人種問題?もうひとつ、ユダヤの伝統文化とアメリカの主流文化の断絶と和解という『ジャズ・シンガー』のテーマは、トーキーによる音声と映像の再統合とシンクロするかも?と思った。

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