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2010年1月28日(金)

古いTheatre Research International(1996. Vol.21 No. 1)に、ミンストレルについての興味深い論文を見つけた。リサ・M・アンダーソンという人の書いた"From Blackface to 'Genuine Negroes':Nineteenth-Century Minstrelsy and the Icon of the Negro"(「黒塗りの顔から'真の黒人'へ:19世紀のミンストレルシーと黒人の偶像」)というもので、南北戦争に前後してミンストレルに参入してきた黒人パフォーマーたちが、この差別的な芸能をどのように変えたかということに焦点をあてている。まさにぼくの興味と重なり合うところ。

南北戦争を境にミンストレルは黒人を笑うことから、展示することへ軸足を移した。もちろん、黒人を笑うことによって優越感にひたりたいという気持ちと、本当のところ黒人はどんな連中なのかということに対する興味は、どちらもミンストレルの観客である白人たちのなかに存在していたことだろう。ただ、南北戦争の結果、奴隷制が「悪」とされたとき、牧歌的な南部を舞台に能天気な黒人の滑稽な行動を笑うということが、何らかのエクスキューズなしにはやりにくくなった、ということは考えられる。19世紀後半といえば、大規模な国際博覧会が華々しく行われていた時代であり、アメリカではかのインチキ興行師P・T・バーナムが活躍していた時代だ。博覧会でもバーナムのフリーク・ショーでも、人間(見慣れない「未開の」人びと)の「展示」が、学術的な体裁をとりながら、人びとの好奇心を満たしていた。そこに「本物の」黒人が、(本来白人が顔を黒く塗って黒人を演じる芸能である)ミンストレルに、パフォーマーとして入りこむ素地があった。「残念ながら、黒人ミンストレル芸人はフリーク・ショーの新要素になる運命にあった」のである(20-1)。

しかし、一方で、黒人パフォーマーは白人パフォーマーたちが演じる滑稽な黒人像を自ら引き受けることによって、現実の黒人とミンストレルで描かれる戯画との間にある差異を際立たせていく。黒人パフォーマーはスピリチュアルや、アフリカ由来のダンスや、奴隷制反対の演目などを持ち込むことによって、差別的な芸能を二重化した。著者はそれを、ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアのいうところの「シグニファイン」 ― 先行する言説をパロディ化しながら、そうした言説と自分との距離を際立たせつつ、新たな表現をつくりだす、アフリカ起源の文化実践 ― のひとつとして捉えていく。それはヨルバのトリックスター的神「エシュ」と同じように、二つの声を併せ持っている。「黒人のミンストレル芸人の声は二重化されている。彼はパフォーマーとして話すが、それはミンストレルショーの歴史と彼の歴史に対する知識を通してパフォーマンスするものとして話しているのだ」(22)。

黒人パフォーマーの「シグニファイン」が複雑な様相を呈するのは、白人たちが黒人は白人の「猿真似をする」ものだと考えていたからだ。例えば、ケイクウォークで、黒人たちは白人たちの気取った踊りを真似た。しかし、それは白人たちが考えていたような、白人になりたいのになりきれない、滑稽な猿真似的な行為としてではない。黒人たちは白人たちの気取りをパロディ化して笑ったのであり、ケイクウォークはまさに踊りによる「シグニファイン」であったのだ。彼らは白人の気取った踊りのなかに、アフリカ由来の動きを織り交ぜることによって、両者の差異を際立たせた。だから、「奴隷たちのダンスは部分的にはアフリカの形式を改作したものであり、部分的には白人のダンスに基づくシグニファイン」なのだ(23)。

うーん、面白かった。またミンストレルについても何か書いてみよう。

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