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2010年9月14日(火)

8時45分の飛行機でジンバブウェを去る。ダウトが車を出してくれた。ありがとう。

ヨハネスブルグでトランジットに6時間。出国ラウンジのCDショップをのぞいて、オリヴァー・ムツクジ『イヴァイ・ナヴォ』とマクゴナ・ツォーレ・バンド『マサカVol.2』を購入。驚いたことに、ジンバブウェのコーナーにトーマス・マプーモの名前がない。アメリカ在住のマプーモは南部アフリカでは過去のひとになりつつあるのか。一方、国内に残って地道な活動を続けるムツクジの存在感は増すばかりだ。土産物屋でブブゼラ購入。たくさん買ってばらまこうかとも思ったが、けっこうかさばるので自分用にひとつだけ。他に誰にとでもなく、土産物(いやげ物)を。

そして再び、14時間機上の人。長い夜。機上で聞いたシフォカジ(Siphokazi)という南アフリカの女性シンガーがすごく良かった。ソウルフルで、それでいて懐かしい子守唄のような・・・

2010年9月13日(月)

自他共に認める屁こき虫である。座右の銘は「出物腫れ物ところ嫌わず」だ。とりわけ、ジンバブウェにいると、食べ物のせいかある種の笛のような、美しい音色の屁が出る。ミスター・プーと人は呼ぶ。

ジャスーラ(zvasula?)というトーテムを賜った。ショナ人はそれぞれ、動物の名前を表すトーテムを持っている。例えば、トーマス・マプーモは猿を表す「ムカンヤ(Mukanya)」。ジャスーラは鳥の名前らしい。家系なども関わってくるので、日本人のトーテムを決定できるわけはないのだが、お前はジャスーラだという。「だって、スーラはおならって意味だからね、ミスター・プー。くっくっく」 名誉あるトーテムをいただけて光栄である。

レストランのトイレで小用を足していたら、背後に人の気配がして個室に入った。そのときである。実に美しい音色の屁が出たのは。個室のなかの紳士は(紳士用トイレだから、紳士に違いない)、「おっ、スーラ」とつぶやいた。これはレジだと直感したぼくは「あーハン」と、あいまいに返事をして席に戻った。ぼくの直感ははずれていた。そこには皿に残った麻婆豆腐を口にすべりこませるレジの姿があった。

今日は感謝の思いをこめて、レジ&アンジーとダウト夫妻を中華料理店『グレイト・ウォール』に招待した。レジが平らげた麻婆豆腐は山椒が手に入ったのか、痺れる辛さも加わって、ますます美味かった。「ハラレに中華料理店はあるけど、日本料理店はないでしょ。ヨシがやったら?」というアンジーに、「いや、ぼくがやるなら、ラーメン屋だ」と即答。以前レジと話したことがある。サザ(とうもろこしの粉から作るジンバブウェの主食)入りラーメン。マゾンド(牛のかかとを煮込んだもの)を使ったスープ。ハラレ・ラーメンだ。店の名前は『無冠家』にしよう。「いつか日本のラーメン屋につれてってくれるって言ったよね」とアンジー。そんなこと言ったっけ?

美味しい中華料理に舌鼓を打ちながら、ジンバブウェ最後の夜は更けていった。ププッ。

2010年9月12日(日)

タファ・ナイトクラブにキレニ・ズールーが出演するという。ズールーはオマシガンダと呼ばれる、かつてジンバブウェや南アフリカで一世を風靡した弾き語りスタイルを継承するミュージシャン。昨年、そのパフォーマンスに接して、女性ヴォーカルあり、太鼓の乱れ打ちありという内容に、オマシガンダがどんな風に乱痴気騒ぎを盛りあげていたのかわかって楽しかった。行こう行こう。

ナイトクラブの庭に老若男女、さまざまな人たちが三々五々集まってくる。建物のなかからリハーサルの音が聞こえる。本番までまだ時間がありそうだ。まだ日も高いというのに、ビールが出回りはじめる。当然、ぼくらもザンベジやキャッスルを握りしめ、ぐびぐびと喉を鳴らす。DJが登場して音楽を流しはじめる。チムレンガ・ミュージック、スングラ、レゲエ。自然と身体が揺れる。黄色い男が揺れているのを見て、黒い男たちが笑いかける。父親と嫁子供を連れてきていたゴドゥン。レジの友人のラスタ。飲み方がだいぶだらしなくなってきたころ、入場料を払って室内に入る。

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ひしめきあう観客。ズールーの演奏はすでに始まっていた。昨年よりも小規模な編成。3人いた女性ヴォーカルはひとり。アクロバテイックな動きを見せる老パーカッショニストもおらず、若いパーカッショニストひとりだけ。派手な動きはないが、観客はズールーの言葉に惹きつけられている。レジが笑いながら言う。「今の歌詞・・・説明してやろうか?」「うん」「片足のない女と結婚した男がいた」「ほう」「男は女の苦しみがわかるように、自分の足も切り落としてくれと言う」「ほー愛だね」「女が大丈夫なの?と聞くと、男曰く、大丈夫、ち○こがあるから!」「何や、シモネタかい!」

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途中、外に出ると、会場に入りきれない(お金がなくて入れない?)連中が大音量の音楽に身を委ねながらビールを飲んでいる。パイドパイパーズのヒット曲「アマヨ」に会場が沸く。大合唱。ぼくも負けじとビールを煽る。例によって、NGワードを連呼しながら、友人たち、友人の友人たちが集まってくる。写真を撮りはじめたら、俺も俺もということになって、へべれけの醜態をいくつも画像に残すことになった。赤い服を着たおばあちゃんがヒューオーと叫びながら、腰を振りはじめた。ぼくも辛抱たまらず、ステップを踏む。「ぼくの動きは全部チャップリン仕込さ」(ここは嘘でも「ジンバブウェ仕込」と言うべきだろう)と嘯きながら、コミカルに足をくねらせた。そのままのノリで室内へ。

ズールーの演奏はいよいよ佳境。ひらげは観衆の後ろで足をくねくね。珍妙な動きを見せる黄色い男に、女の子たちがくすくす笑う。さっきのおばあちゃんがいつの間にか入ってきて、会場の後ろに座っている。ひらげを見て手をたたいて笑い、いっしょに踊ろうという。このとき、一瞬、おばあちゃんが老いたテンダイに見えた。テンダイは年下だからそんなはずはないのだが、酒場で年を重ね、悲しみも喜びも乗り越えたテンダイがそこにいるような気がした。差し出された彼女の手を取り、くるくる回した。おばあちゃんはよろけることもなく、きれいにターンをくり返した。まわりで友だちがあきれている。ああ、テンダイはゾラ・ニール・ハーストンだったか!

このあとのことは、ほとんど憶えていない。

2010年9月11日(土)

日記を書いたりして、無為に過ごす。ひげがのびている。

Img520今日は、何年か前にタファラのナイトクラブで見て、そのかっこよさに痺れたプログレス・チプーモ(Progress Chipfumo)を見に行く予定だったのだが、ダウトの車が故障してしまい取りやめになった。夜8時から真夜中すぎまでのライブだから、帰りの交通手段は確保しておきたい。しかたがない。レジも疲れているみたいだし。それに今回の旅は今までのジンバブウェ旅行の総決算のようで、ちょっと怖かった。ヴィンセントの弟に会い、ムタレでサマンサの宿を見て、亡くなったオレイの本を買い、ハンターズ・ムビラ・クルーとも再会。念願だったオリヴァー・ムツクジアリック・マチェーソのパフォーマンスも体験した。これでチプーモまで見たら、何かがひと回りして終わってしまいそうだ。これはまた来年にとっておこう。

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レジとアンジーの娘ジュディがやってきて、「絵本読んで」と言う。お土産に持ってきた『3匹の子豚の本当の話』という変な絵本。おばあちゃんにあげるケーキをつくるために近所に住む豚の兄弟に砂糖を借りに行った狼が、たまたま風邪をひいていたため、藁の家と木の家をくしゃみで吹き飛ばす。瓦礫のなかに残った豚の死体。好物を目の前にした狼は豚を食べてしまう。レンガの家に住む豚におばあちゃんのことを悪しざまに言われて我を失い、豚を殺す。狼は逮捕され、牢屋のなかからそれでも砂糖をくれと言っている、という内容。読みきかせながら、この本はまだちょっと早かったかなと思う。それにしても、絵本を読んでとねだるなんて、かわいいじゃないか。

2010年9月10日(金)

昨晩飲みすぎたせいで、朝からダウン。

Img518数年前、レジが世話を焼いていた若いムビラのグループ=ハンターズ・ムビラ・クルーの3人が、新しく出来たCDを持ってやってきた。二日酔いのため、ベッドルームでの会見となった。前回会ったときに録音したものをCDにしようと思っていたのだが、すでにオフィシャル盤が出ているのなら、それにこしたことはない。5枚ほど仕入れて日本でプロモートしよう・・・と思ったのだが、あとでCDを聞いてみると、以前とはかなり毛色の違った音楽になっている。メローなギターなんかも入っていて、ムビラだけの演奏を求める人には敬遠されるかもしれない。内容的には決して悪くはないのだが、つくりこみすぎて勢いが削がれている気もする。以前の録音と抱き合わせで売るというのはどうか。

夕方から、ブックカフェにマウンギラ・エナリラ(Mawungira Enharira)の演奏を聞きに行った。レジ、アンジー、ダウトといういつものメンバーに、今日はダウトの細君も参加することに。二日酔いでぐったりしているひらげを、アンジーが「昨日はワイフを飲んでいたから大丈夫だったんじゃないの?」とからかう。ワイフというのは、ジンバブウェの国産ビール「ザンベジ」のことだ。もともとぼくのお気に入りはザンベジだったのだが、経済の混乱などでこの数年ほとんど手に入らなかった。しかたなく、南アフリカ産の「キャッスル」を飲んでいたのだが、今年になってザンベジを見かけることが多くなってきた。調子に乗って「ずっと離れていたワイフに再会したような気分だよ」と言ったのを、アンジーは憶えていたのだ。「うん・・・でも、昨日はザンベジが売り切れで、途中から愛人(キャッスル)に浮気したからね」「まあ、じゃあ、ワイフと愛人が喧嘩してるってわけね」「そう。でも、今日はザンベジしか飲まないから、大丈夫」「へー、でもザンベジ置いてないかもよ」案の定、ザンベジは売り切れだった。トイレで身支度を済ませてきた女性陣が、キャッスルを飲んでいるひらげを見て「あ!」と声を上げたので、「ワイフには秘密だよ」としゃれのめした。

食事をしながらパフォーマンスが始まるのを待っていると、カーティス・メイフィールドのような風貌の老人がギターを抱えて入ってきた。何か冗談を言って、だみ声で豪快に笑う。そのままステージに上がって、ギターを置いた。レジが「有名なギターリストだよ。名前はジャクソン・・・ジャクソン・ピリ(Jackson Phiri)だ」。ジャクソン・ピリ・・・どこかで聞いた名前だな。「ほら、前にリンポポ・ジャズ・バンドのこと聞いてただろう?あのバンドのギターリストだよ」そうか!思い出した。コンゴからの出稼ぎミュージシャンによって結成されたリンポポ・ジャズ・バンドはルンバ・コンゴリースから出発しながら、地元のミュージシャンをメンバーに加えつつローカル色を強めていった70~80年代のバンド。トーマス・マプーモよりも先にムビラ音楽をバンド化していたとも言われ、そのときの中心人物が他ならぬジャクソン・ピリなのだ。伝説的人物との思わぬ遭遇に色めきたった。「今日、演奏するのかな?」「たぶんね」

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マウンギラ・エナリラの演奏はいつものようにゆるゆるとはじまった。グループの若手が一人でリハーサルを始める。他のメンバーが一人二人とリハーサルに加わり、どこまでがリハで、どこからが本番なのかわからないうちに観客を巻き込んでいく。ホショ奏者が両腕を突き出し、派手な動きで暴れまくる。満を持してリーダーが登場するころには、観客の目はパフォーマンスに釘付け、踊る気満々になっている。リーダーを加えたフル・メンバーで数曲。ここでリーダー以外のメンバーが一旦退場して、ジャクソン・ピリ登場。リーダーのベース・ムビラをバックに、サッチモばりのだみ声でコミカルな歌を披露。リーダーが退場して、ギター弾き語りで「ノー・ウーマン・ノー・クライ」など数曲。だみ声に泣き笑いをにじませ、観客を和ませる。さすが。ところが、すでに酒がまわっているのか、最初に演奏した「ノー・ウーマン・ノー・クライ」を再び演奏しようとして、強引にSEを流され、ステージをおろされてしまった。

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ステージをおりてきたピリはそれでも観客に愛嬌をふりまいている。ジンバブウェ音楽の功労者を何もあんなに冷たくあしらうことはないだろうと思いながら、握手を求めた。「座ってもいいかな?」と言うので、「どうぞどうぞ」と席をすすめた。これが悪かった。ぼくが言えることではないが、この人、酒癖が悪い。「クライヴ・マルンガの日本人ワイフ(高橋朋子さん)はわしの妹じゃ(?)」とか、「マウンギラ・エナリラに音楽を教えてやったのはわしなんじゃ」とか、メールアドレスと電話番号を教えろとか、演奏がはじまっても延々話かけてくる。最初のうちは拝聴していたのだが、しばらくするとさっきした話をもう一度くり返している。たまりかねて、演奏を聞こうというつもりでステージを指差した。何となく言わんとすることがわかったのか、しばらくショボンとしていた・・・かと思うと、いつの間にか巨乳のおねえちゃんをダンスに誘っている。ふられるかと思いきや、見事ナンパに成功。カワイイおじいちゃんキャラを最大限に利用している。さすがだ。しばらくして席に戻ってきたが、踊りつかれたのか、抜け殻のようになっていた・・・と思った次の瞬間、またさっきと同じ話をはじめている。しまいにはダウトのタバコの煙を払って、「あーやだやだ、タバコはやだ」などという始末。まあ、このおっちゃんにしてあの芸あり、かな(写真はなぜかギターをダウトに持たせて、上機嫌のピリ翁)。

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後半、トレードマークの皮の衣装に身を包んで再登場したマウンギラ・エナリラは太鼓中心の演奏からムビラ中心の演奏へとシフトしながら、どんどんボルテージをあげていく。観客に太鼓を叩かせたり(レジが出て行って見事なリズムを叩いた)、二人のホショ奏者がボクシングのような動きを見せたり、とにかく、見るものを飽きさせない。昨年ダンサー/ファシリテイターのトンデライ・フィリ氏が亡くなって、新しいパフォーマンスの方向を必死で模索しているのがよくわかる。そんななか、「ひらげサン、呼んでるよ」とレジが言う。よく聞くと、ステージから「ブッダ、ブッダ」と呼ぶ声が・・・ブッダ?「お前のことだよ。このなかで仏教徒はお前一人だ」仏教徒って・・・色即是空。ステージの呼びかけは「ブッダ、ブッダ・ジャパニ」とより具体的になっている。こうなったらしかたない。ステージ前にしゃしゃり出て、でたらめなダンスを踊った。最後はまた開脚ジャンプで決める。拍手喝采。今日は二日酔いなので、控えめにしようと思っていたんだけど。伝説の男(いろんな意味で)ジャクソン・ピリも「よくやった、わが息子」という調子で迎えてくれた。

マウンギラ・エナリラのパフォーマンスは余韻を残して終わった。ピリ翁は急に素面に戻って、「また会いましょう」とぼくの手を握って去っていった。ふと、酔った態まで含めてすべてが彼の芸なのではないかという思いが頭をかすめた。どちらにしても、ここに至るまでにはいろんなことがあったんだろう。

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女性たちは「たまには夫婦でこういうところ来たいわよね」とか言っている。日々の生活に追われて、夫婦で出かける機会というのもなかなかないのだろう。彼らが思い切り楽しんでいる姿を見て、ぼくも幸せだった。レジとダウトは罪の意識を感じたのか、帰りに昨日ダンス・ショーを見に行ったタファ・ナイトクラブに寄った。レジがアンジーをダンスに誘う。ダウトも細君と甘いチーク・ダンスに合流する。独り者の日本人がシャッターを切る・・・いい夜だった。

2010年9月9日(木)

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レジが、昨日手に入らなかったホープ・マシケのCDとアンディ・ブラウンの新作を手に入れてきてくれた。マシケのCDは2年前に見たときのバンド=カクウェ(Kakuwe)との演奏を収めたもので、2009年の録音。一昨日の演奏は企画的なもので、カクウェとの活動も続いているということなのか。これはこれですでにチウォニソとは違う世界を開拓しつつある。ちょっと不安定なリコーダーの音色が捨てがたい効果を出している。アンディ・ブラウンの新作はいつになくハードで、プログレッシヴ。新聞記事にも「俺に言えるのは、このアルバムには以前のアルバムと比べて多くの時間と労力を要したってことだ。最高のものを作りたかったからね」といった発言が引用されていて(2010年9月2日付Herald Entertainment)、その意気込みのほどがうかがわれる。それだけに重たすぎてお腹にたまる感じも。

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午後から、建設中のレジ新居(予定地)へ。昨年、レジは日本からの個人的援助で土地を買った(本当は建売りを買うつもりだったのだが、目当ての物件が売れてしまった)。糖尿病だったチャリグワティ(Charigwati)村前村長の未亡人が、亡夫のケアに献身したレジに格安で譲ってくれることになったのだ。静かな農村地帯の広大な土地で、レジが飛びついたのも無理はない。レジはここに彫刻家や音楽家、ダンサーといった芸術家が集まるアート・センターをつくるという壮大な夢を語った。うーん、夢はいいけどね、新居は未だ屋根もできていない状態でしょ。12月には大家が帰ってきて、今の借家を空けなければならないのに。アート・センターの夢は10年計画でいいけど、住居のことははるかに差し迫った問題だ。定職もないのに、少しずつレンガを買って・・・といったって、どうなることやら。心配だけど、とにかく現状はわかった。幸い、彼の周りには助けてくれる人がたくさんいる。前村長の未亡人にも会ってきた。レジは隣人に恵まれている。

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↑村長未亡人の家族とレジ/アンジー夫妻

閑話休題。レジの細君アンジーと前村長未亡人の会話で、未亡人が「★※△!~α七万なんぼ!」と言っていた(ように聞こえた)。それに答えてアンジーも「う~ん、七万なんぼ!」と頷いている。未亡人は「△★!!○&%オオサカ!○%$!」とも言っていたような気がする。あとでレジとアンジーに確かめたが、「そんなショナ語あるかなぁ・・・」と首をひねっていた。絶対、言ってたって!七万なんぼ!(a little more than 70,000って意味やで!)

夕方から、ムカンヤ・ナイトクラブに飲みに行く。昨日酔っ払ってみんなにビールをおごっていたジャズ狂のおっちゃん=ジョージが、今日は素面でちょこんと座っていた。サダオ・ワタナベをどこで知ったのか聞くと、レコードを持っているという。これは驚き。今日はもう一人、だぶだぶのワイシャツを着た小さなおっちゃんがいて、粋なダンスを踊っていた。心のなかで「めだかサン」と名づける。めだかサンが手招きをするので、そばに行ってしばらくいっしょに踊った。ヒップホップ好きの若者ズングも来て、若者らしくはっちゃけていた。ジンバブウェのバーには世代の垣根がない。20代の若者から、40代、50代まで、いっしょになって飲んで、話して、踊っている。音楽もトーマス・マプーモオリヴァー・ムツクジから、ヒップホップやダンスホール・レゲエまでさまざまだ。若い世代もマプーモやツクで踊るし、めだかサンのようなおっちゃんもヒップホップに合わせて身体を揺らしている。

しばらくして、すぐ隣のタファ・ナイトクラブに移動。そこには何と、アリック・マチェーソのグループ=オーケストラ・ムベリクワゾのギターリスト、ドラマー、ダンサー/ヴォーカリストがいた。まあ、ドラマーのオバート(Obert)はレジの家の2軒先に住んでいるから、来ていても不思議はないのだが。ステージでは黒い服を着た男が、カラオケをバックに歌を歌っている。こういうショーの形態もありか。男の出番が終わったようなので、流れ出した音楽に合わせて踊りはじめた。ジンバブウェ音楽にあわせて踊る黄色い男の登場に、例によって会場はやんややんや。満面の笑みで近づいてきたオバートと、動きをあわせる。やがて、ステージにはダンス・グループが登場。アクロバテイックな動きで、会場を沸かせた。ムベリクワゾのダンサー/ヴォーカリスト=フランコ(Franco)は鋭い目つきで若いダンサーを値踏みしている。このなかからマチェーソ一座に採用されるものが出るかもしれない。そんなプロフェッショナルらしい厳しさを見せる一方で、目が合うと腰や首を動かして小技を披露してくれる。

この日はこれで火がついてしまい、このあともバーやナイトクラブをはしごして深夜まで飲み続けた。いささか飲みすぎた。

2010年9月8日(水)

昨日買ったオレイの小説を読んだりして、のんびりとすごす。

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夕方、ジンバブウェ・ドイツ人協会で行われるイベントにホープ・マシケ(写真)が出演すると聞いて行ってみた。6時すぎに到着すると、敷地内は着飾ったドイツ人とジンバブウェ人でごったがえしていた。特設のステージでジンバブウェの若者が次々と演奏を披露するが、どれも素人レベルのものばかり。素人レベルの国際交流もありだが、それならそれでドイツ人も素人芸を披露しないとバランスがとれないよなぁ。南アフリカのジャズを歌った女性とマシケ、ドイツ在住のジンバブウェ人の演奏が印象に残ったぐらいで、他は散々だった。マシケ単独の演奏は1曲だけ。演奏自体は素晴らしかったものの、食い足りなさが残った。

Img519実は今日の主役はドイツ人2人のグループ、ファヴォ(FAVO)。バス・クラリネットとソプラノ・サックスで、さまざまな音楽を演奏する。ソプラノ・サックス奏者は昨日のマシケのパフォーマンスにも飛び入り参加していたが、よく伸びる澄んだ音を持っていて、さすがプロだ。しかし、グループの演奏は、「オーヴァー・ザ・レインボウ」やピアソラの曲を演奏したまでは良かったが、室内楽の枠内で控えめにブロウしてみせただけで「ブルースでござい」と言っているようなところが鼻持ちならず、途中から聞いていられなかった。ダウトは「ヴォッ、ヴォッ、日本にもこういう音楽があるか?ヴォッヴォッヴォッヴォッ」とバス・クラリネットの音を真似して笑っている。「こういう音楽聞いてると、寒くなってくるな。音楽はもっとホットじゃなきゃ。ジャイヴ、ジャイヴ!」そうだよな。ジンバブウェまで来て、なんで俺、こんな音楽聞いているんだろう?実際、ドイツ人の連れがいないジンバブウェ人が続々と席を立っている。ぼくらも終演を前に退散することにした。マシケらジンバブウェ人ミュージシャン、ドイツ在住のジンバブウェ人ミュージシャンとワークショップを重ねてきたと言うことなので、このあと共演も見られたのだろうが、正直、どんなものか想像がついた。買えると思っていたマシケのCDも売り切れで、結局買えなかった。

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場所をジャズ105に移して、食事。ポーク・チップスを食べ終わるころに、トゥー・オープン(Too Open)の演奏が始まった。レパートリーはパイドパイパーズ、トーマス・マプーモオリヴァー・ムツクジといったジンバブウェ・ポピュラー音楽のスタンダードが中心。オリジナリティはないかもしれないが、腰のすわった演奏はそれこそ、ダウトやぼくの求める「ジャイヴ、ジャイヴ!」で、自然と身体が動いた。特にギターリストが素晴らしく、華麗な指の動きに目が釘付けになった。

2010年9月7日(火)

シティセンターへ。

先日亡くなったオレイ・マルマの小説Coming Homeを手に入れた。書店を4軒まわってやっと見つかった。食料や生活必需品に関しては、品不足が解消されつつあるハラレだが、本やCDとなるとなかなかそうも行かないようだ。特に書店はどこへ行ってもがらんとしていて、隙間をノートなどの文具が埋めている。正直、本を読むどころではないのだろう。オレイの本は書店の片隅にひっそりと一冊だけ残っていた。手に入れられたのは、運がよかったとしかいいようがない。天国からオレイが、あの皮肉な笑顔を浮かべながら、「今ごろ探しているのか。遅いぞ。まあ、読むなら、そこにあるけどな」と導いてくれたような気がした。

Img514いくつかCDを物色。なかでも収穫だったのは、巨漢のパーカッション/ムビラ奏者、アダム・チスヴォ(Adam Chisvo)のソロ・アルバム。チウォニソの元夫アンディ・ブラウンとともにイランガのメンバーだったアダムは、イランガ解散後もアンディ・ブラウン&ザ・ストームに参加。さらに『タイムレス』のころのチウォニソを影で支えるバンドの中心人物として活躍した。このアルバムにもイランガの女性ヴォーカル、ブシ・ンキューベがバッキング・ヴォーカルのひとりとして参加している。カラフルでスピード感のあるムビラ・サウンドに、ぶっといアダムの声。これはいい物を手に入れた。10ドル。

しばらく時間があったので、シティセンターから少し離れたところにある中華料理店『グレイト・ウォール』で、レジ/アンジー夫妻とダウトにご馳走することにした。去年、ハラレではじめて中華料理店に入ったのだが、みんながそれぞれに同じような皿うどん系の料理を頼んだので、どうにも間の抜けたテーブルになってしまった。それにあのお店は、どこに入ってもはずれがないと定評のある中華料理にしてはイマイチだった。そこで、今回はレジとダウトの案内で別のお店を試してみることに。茅葺きのエスニックな店構えながら、四方ガラス張りのスタイリッシュな外装。料理もなかなか美味い。なかでも固めの豆腐を使った麻婆豆腐は絶品だった。おそらく山椒が思うように手に入らないのだろう、痺れる辛さ(麻)はあまり感じられないのだが、数種類の唐辛子や香味野菜を使って補い、味に深みを出しているところはさすが。あまりの辛さにジンバブウェ勢は箸が進まなかったようだが・・・

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ブックカフェでホープ・マシケの演奏を聞く。2年前、同じ場所で彼女の演奏に接する機会があった。そのときは歌もムビラもチウォニソ・フォロワーの域を出ておらず、突然国を出て行ってしまったチウォニソの後釜として雇われたのだろうな・・・ぐらいにしか思わなかった。反面、彼女のグループにはリコーダーを吹く女の子なんかもいて、素人くささがかわいいところでもあり、悪い印象は持たなかった。今回、久しぶりに彼女のパフォーマンスに接して、その変貌ぶりに驚かされた。バックバンド(ベース、マリンバ、パーカッション、ドラム)は全員男で、相当キャリアを積んだジャズ系のミュージシャンと思われる。だるめの諧謔を誘う身体表現がいかにもジャズの人らしい。マシケの歌もかなりジャズ色が強く、その点でチウォニソの影響を一歩脱している。7拍子の曲やセカンドライン風の曲、レゲエなんかもあって、曲調はバラエティ豊か。なかでも、どスローなジャズから始まって、徐々にムビラとマリンバで空間を埋めていくスタイルにはすでにオリジナリティがある。チウォニソやミリアム・マケバのカヴァーすら、ダンスホール・レゲエのリズムを挟んで、独自のアレンジを施している。意外にもレジ/アンジー夫妻は「前のスタイルのほうが良かった」と、お気に召さないようだったが(特にアンジーは「退屈」とまで言っていた)、今後の活動に注目したい人の一人だ。

2010年9月6日(月)

目を覚ますと誰かが「タイレヴァ、タイレヴァ、タイレヴァ・・・」と歌っているのが聞こえる。ムビラの伝承曲だが、「言っただろう、言っただろう、言っただろう・・・」と警告する歌である。意味を考えると、朝っぱらから、何かおかしい。

作家シマー・チノジカ(Shimmer Chinodya)のアドレスを手に入れた。ヘラルド紙のシェパード氏を通じて、チノジカ氏にインタビューしたことのある記者に連絡して、携帯番号を教えてもらった。教えられた番号に電話すると、警戒した声のチノジカ氏。あたりまえだ。どこの馬の骨だかわからない日本人が連絡を取りたい、なんて言うんだから。でも、仲介してくれた記者の名前を出すと、それならとメールアドレスを教えてくれた。日本に帰ったら、失礼をお詫びして、いろいろと質問しよう。

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夕方、アルビノのミュージシャン=ビッグ・ジャンジー(Big Zhanje)と会見。ジャンジーはベーシストで、ンドゥリ・アーツ(Nduri Arts)というグループを率いるバンドリーダーでもある。ラジオDJ、音楽プロデューサーとしても活躍している。長いキャリアのあるジャンジー氏からは、ジンバブウェのレコード業界についてさまざまな裏話を聞くことができた。長い間、レコード業界を支配してきたグランマ・レコードは、新人ミュージシャンにはシングルで成功するまでアルバムの発売を許さなかった。そのことに不満を覚えたミュージシャンたちが、90年代初頭に新しいレコード会社をつくって独立した。例えば、オリヴァー・ムツクジも自身のレーベル”Tuku”を設立している。そういえば、ムツクジのシングルはある時期からデザインが変わる。なるほど、そういうことだったのか。のちに単独でも成功を収めるジグザグバンドがムツクジのバックを務めるようになったいきさつも聞いた。80年代後半、ブラック・スピリッツのメンバーは、病気休養を余儀なくされ、給料を支払うことができなくなったツクのもとを離れた。回復したツクは演奏を続けるため、クウェクウェで見つけた新しいグループをバックバンドに採用する。ただし、録音にジグザグの名義はない。ジグザクと録音したレコードはムツクジのソロ名義で出されている。ムツクジには他にオーシャン・シティ・バンドがバックを務めたアルバムもある。オーシャン・シティ・バンドはサフィロ・マジカティレ(Safilo Madzikatire)ジェイムズ・チモンベ(James Chimombe)など多くのミュージシャンのバックを務めた経験を持つジンバブウェ音楽界の名門バンドだ。ムツクジのバックも勤めていたとは驚きだが、やはりレコードにクレジットはないと言う。いっしょに写真をとらせてもらって、他にもミュージシャンを紹介してもらえるよう約束した。

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ジャンジーを自宅に送り届けたあと、ムカンヤ・バーの並びに新しくできたムカンヤ・ナイトクラブ(写真左の建物)で飲んだ。酔ったおっちゃんが若者に絡んでいる。ぼくのところにもやってきて、「サダオ・ワタナベを知ってるぞ!」とか言っている。ジャズ狂なのだ。どこで聞いたの?レコード?ラジオ?と聞いても、酔っているので埒が開かない。しまいには、「お、おれ、お前らに一杯ずつおごるぞ!」とビールをオーダーした。みんなが「おっちゃん、無理すんなよ」となだめると、「何言ってんだ、あんなはした金!」と息巻いている。おっちゃんにもらったビールを飲みながら、猥談に花を咲かす。やつらの猥談は本気でえげつないので、ここでは割愛。代わりにぼくが披露したやつを。「紳士(gents)用のトイレはあるけど、ワイルドなやつ(wild man)用はないのか?(自分の股間を見て)あ、紳士用でいいか」猥談ばかりでは何なので、レジに怪談「耳なし芳一」を話してやった。にぎやかな音楽が流れるなかでは、ぜんぜん怖さが伝わらなかったようだ。

2010年9月5日(日)

ハラレ郊外、豪邸が立ち並ぶ一角に、広大な敷地に建てられたムガベ大統領の邸宅がある。そばで見ただけではどれだけの広がりがあるのかすらわからない。延々と続く高い壁が持てるものと持たないものを隔てている。角を曲がると、重たそうな銃を抱えたカーキ服の兵士が一人、警備についていた。これを独立の英雄が受けるべき当然の報酬と考えるか、孤独な独裁者の乱心と考えるか。この国がどの方向へ向かうのか、まだまだ予断を許さない。

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要塞のような高級住宅街を通りすぎると、再び境界のない世界が広がっている。枯れ草を揺らして心地よい風が吹き抜けていく。風の足あとを追うようにして幹線道路を離れると、カラフルな衣装を身に着けた人たちが、でこぼこと続く赤土の道を踏みしめるように歩いている。フロントグラスに土埃を積もらせながらしばらく車を走らせると、小さなタウンシップのむこうに茅葺き屋根の巨大な建物が現れる。このあたりの地名を取って「オチ・シティ」と呼ばれている、ライブ施設のあるレストランだ。今日はここで、「チェソ・パワー」を旗印に人気を集めるアリック・マチェーソがパフォーマンスを行うと聞いてやってきた。

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レンガ造りの立派なステージのうえでは、オープニング・アクトの女性ダンス・グループが、腰をぐるんぐるん回しながら迫力のあるダンスを披露していた。指先までピシッと合わせたりしないところが、妙にエロティックで健康的だ。1、2曲力いっぱい踊っては、1曲休み、というのんびりした構成で、1時間ほど観客のご機嫌をうかがった。続いて登場したのは、アサガイという若手のバンド(写真)。トーマス・マプーモオリヴァー・ムツクジジョン・チバドゥラなどのカヴァーを中心に、後半ではレゲエも。ギターのチューニングがちょっと不安定だったのを除けばそつない演奏だが、ここまではあくまでもマチェーソ登場のためのお膳立てにすぎなかった。

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アリック・マチェーソとオーケストラ・ムベリクワゾが登場したとたん、会場の雰囲気は一変した。満を持した観客がいっせいにステージに押し寄せ、パチンとはじけるようにして始まった演奏が観客の心に火をつける。ぼくもたまらず飛び出して、がくがくと身体を揺らした。一昨日のサクバ・スタジアムでもそうだったのだが、黄色い男がジンバブウェ音楽で踊っているのを見ると、現地の人たちはとたんに笑顔になる。何でこんなところにチャイニーズが?という一瞬の驚きとともに、愉快で、誇らしげな気持ちがこみあげてくるらしい。

マチェーソはベース・ギターリストとして、早いパッセージでリズムを先導していたかと思うと、太い弦をギターのようにかき鳴らしたり、片手をあげて軽快なステップを踏んだりと大忙し。よく聞くとその間も常に、ドッドッというベース音が休むことなく鳴り続けている。日本でライブ・ビデオを見たときから疑問に思っていたのだが、これを一人でこなすのは人間業ではない。どうもサブのベーシストがいるようだ(一瞬だが、巨大なアンプの後ろに姿を確認した)。それにしたって、あれだけの演奏をしながら、すべてを掌握するマチェーソのバイタリティは圧倒的だ。

しばらく踊ったり、ビールを飲んだりをくり返していると、レジが「ヒラゲさん、ステージのうえで踊りたくないか?」と言う。見ると踊りたい人全員集合!のかけ声に煽られて、観客がステージにつめかけている。「いや、ぼぼぼぼ、ぼくは・・・」「踊りたいんだろ?行ってくれば?」「いやややや・・・」ステージのうえでは素人が次々と自慢のステップを披露している。押し出されるようにしてステージ脇に行くと、スタッフが「なんだ!踊りたかったんか、チャイナ!早く言えよ」と、ぼくの手を握ってステージに引っ張りあげる。見下ろすと全員黒い顔の観客が、「ワー」と声を上げながらぼくを見ている。こうなったらもうヤケクソだ。でたらめなダンスを踊って、最後は両足を広げてジャンプした。ドラマーはさすがプロ、ぼくの着地のタイミングで鋭いスネアをパパンと入れる。ステージを降りたら、少年が片目をつぶって親指をつきだしてきた。

5時すぎにはじまったマチェーソの演奏は、9時をすぎてもまだ続いていた。ステージも観客もボルテージは上がるばかり。会場が真っ暗になり、停電か!?と思ったら(実際、この日、停電で何度か演奏が中断した)、演奏は続いている。ステージ脇の車が2台、ヘッドライトで観客を照らす。サプライズ的な演出に観客の興奮は最高潮。そんな騒ぎを横目にダウトがテンポ良く缶ビールを空けていく。だんだんろれつが回らなくなってきた。大丈夫か、こいつ。ドライバーなのに・・・と思っていたところへ、そんなことは軽く吹き飛ばす爆弾男がやってきた。

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「ぐぉー」と野生的な雄叫びをあげて、コンクリートの敷居の向こうから飛び込んできたのは、ジャクソン。レジの近所に住んでいた彼とは去年、毎晩のように飲みに行った。引っ越したと言うので、今年は会えないと思っていたのだが・・・引越し先がこの辺りだったのだ。折れるかと思うほど激しく拳を突き合わせ、「お前ら、来てたのかああああ!」と荒っぽく抱きついてくる。Black BlackとプリントされたTシャツを着た爆弾男は、すでに相当出来上がっている様子。ぼくらの缶ビールを2缶、むんずとつかむと、1缶は自分で開け、もう1缶を相棒に投げて渡した。気のいいやつだが、酔うとジャイアン化する(多かれ少なかれぼくもそうだけど)。「俺んちに泊まれ!」とかなり強引な感じになってきたので、すきを見て退散することに。

またしても、素晴らしい夜だった。ジャクソン、また会おうぜ!

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