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2010年6月27日(日)

ゲストハウスの硬い畳のうえで目を覚ました。周りの人はほとんど寝ている。料金は前払いなのでチェックアウトをする必要もない。それなのに、なぜか後ろめたいものを感じながら、入り口のそばに座り込んでいた女の子に会釈をして、そっと宿を後にした。


Aさんとの出会い
タクシーで沖縄国際大学へ。この日の運転手は吉本新喜劇島木譲二似のAさん。「この辺は米軍から返還された土地でね。今では少し賑やかになっているでしょう」「そうですね。他のところもそうなるといいんですけどね」 何気なく言ったぼくの言葉に、会話が途切れた。しばらくして、「基地がなくなるにこしたことはないんだけどね」とポツリ。米軍に土地を貸している地主のなかには年寄りもいる。土地が返還されたら地代が入らなくなる。しかも、返還されたからといって、その土地がすぐに使えるようになるわけじゃない。国による登録の手続きが済むまで数年間は手をつけられないのだ。若い人はいいけど、地代を当てにして暮らしている年寄りは大変だ・・・基地で働く人たちの問題もそうだけど、本当は返還された土地が使えるようになるまで、政府がしっかり生活を保障すべきだと思う。でも、「政府がそんなことをするわけがない」というAさんの不信は残念ながら当たっている。

だからといって、Aさんは普天間がこのままでいいと思っているわけではない。住宅街の真ん中に基地があるということは、人命が危険にさらされているということだ。だから、海のうえの辺野古へ基地を移設すべきだ、と言う。「ジュゴンがいくらカワイイったって、人間のほうが大事でしょうが?」 この町で生きていかねばならないAさんに、ぼくが反論できることは何もなかった。ましてや、実際に命を脅かされている人を前にして、「自然保護」を訴える気にはなれない。そして、正面から話してくれたAさんに好感を持った。Aさんは人懐っこい笑顔で、「学会?逃げられない?お昼ごろ逃げられたら、案内してあげるよ」と言った。


黒人研究の会2日目
学会2日目は自由研究発表。まずは浦和大学の岩本裕子先生が、黒人女性における「語りつぎ」の系譜について、文学、映画、音楽などさまざまな分野に触れ、沖縄戦の歴史なども絡めながら語った。10月には岩本先生の新著がメタ・ブレーンから発売される。楽しみだ。続く大阪府立大学の萩原弘子先生の発表は、イギリスのブラック・アート運動について。多数派の人びとが期待するエスニック・アートとは違う表現を求めたラシード・アリーンのような芸術家がいたこと。サッチャー政権下にあっても労働党が強い地方行政が、そうした多元主義的な動きをサポートしていたこと。さらに文化を加算的で均質なものと捉え、寛容さがヨーロッパに固有のものであるかのように振舞う多文化主義の問題点が明らかになってきたこと。いろいろと勉強になった。最後にスペルマン大学の上田洋子先生が黒人大学で教鞭をとっている経験から、ブラック・フェミニズムのなかにある葛藤を明らかにした。もともと「黒人を教育する」という同化主義的な意図のもとに設立された黒人大学には、戦闘的なブラック・フェミニズムとは相容れない保守性がある。そのなかで日本人の講師として、黒人女性の体験を教えるというのは、大変な難題であると感じた。休憩をはさんで、黒人研究の会創立期からのメンバーである大阪工業大学名誉教授の小林信二郎先生が、50年を超える学会の歴史のなかでアフリカ文学にどのように取り組んでこられたかについて語った。50年前にすでにアフリカ文学の翻訳・紹介に取り組んでおられたというのは、驚くべきことだと思う。


平和祈念公園
学会終了後、さっそくAさんに電話をかける。「さっき、沖縄国際大学まで送っていただいたものですけど」「あ、ああ」「ちょっと遅くなっちゃったんですけど、案内してもらえませんか」「え・・・いいけど、早番だから5時ごろまでしか乗せてあげられないよ」「どうせ8時の飛行機だから、いいですよ」 こうしてAさんの案内で、ほんの数時間だけ本島南部をめぐることになった。しばらくして現れたAさんは、ぼくを後部座席に招き入れると、「どこに行きたいね?」「摩文仁の平和祈念公園に」「遠いよ?いいの?」「いいです。それと、普天間基地が見渡せるところがあるっておっしゃってましたよね?そこ行きたいです」「ああ、よし、つれていくよ」

Aさんもときどきお孫さんと来るという嘉数高台公園。展望台からは普天間飛行場を含む町が一望できる。Aさんは「じいちゃんはもう年だから、下で待っているよ。一人で行ってきなさい」 朝はもっと若く見えたのだが、Aさんは思ったよりも年をとっているようだ。片足を引きずっているし、いつの間にか自分のことを「じいちゃん」と呼びはじめている。Aさんを残し、展望台の階段を駆けあがった。写真(↓)だとちょっとわかりずらいが、飛行場が住宅街の真ん中にあることがよくわかった。タクシーに戻ると、Aさんが笑顔で「早かったね。よう、がんばった」とほめてくれた。「でも、水分は取りなさい」と自販機を指差す。スポーツドリンクを買って、ぐいと飲み干した。タクシーはさらに南へ。

Hutennma

サトウキビ畑が続く。かつてこの地域はサンゴがもとになった地質のため、大きな植物は成長することができなかった。大規模な土地改良の結果、現在のような緑豊かな地域になったという。1945年5月22日、司令部が置かれた首里城周辺に米軍が迫っていることを察知した日本軍は、本島南部に後退し戦闘を続けた。軍の後退とともに住民もその後を追って避難をはじめたが、米軍の砲撃弾をかいくぐっての命がけの移動のなかで多くの民間人が命を落とした。摩文仁の洞窟に司令部を移した日本軍と共に本島南端に追い詰められた住民のなかには崖から飛び降りた人や、手榴弾で自決した人も多い。6月23日、牛島満司令官らの自決により、日本軍は組織的戦闘を終結した。沖縄戦で亡くなった人は、20~24万人。そのうち民間の犠牲者が9万人余りと言われている。

戦後、摩文仁の丘周辺に整備された平和祈念公園には、平和祈念資料館のほか、平和の礎平和祈念堂、各県ごとの慰霊塔などがある。Aさんは平和祈念堂が入場料をとることに憤っていた。「貧乏人は平和を祈るなと言うのか。じいちゃんはどんな観光客が来てもあそこは案内しないんだ」

Heiwa_kinen_koen

平和祈念公園の入り口で、記念写真。写真を撮りながら、Aさんは「あんた、どこの出身?」 「神奈川です」「じゃあ、神奈川の慰霊塔もあるから、探してごらん。それから、これ・・・」 懐からタバコを取り出すと、一本ひらげに渡し、「自分が吸うんじゃないから、吸い口を慰霊塔の側に向けて。線香じゃないから、立てちゃだめ。神様だから手を合わせて、自分のしたいことを思い浮かべながらお祈りしておいで。じいちゃんは足が悪いから、車で待ってる。資料館も必ずいってこなきゃいかんよ」 待ち合わせの時間を決めて、歩き出す。一面の緑。青い空と青い海。そこに並ぶ平和の礎。戦争で亡くなった方の名前が延々と並んでいる。犠牲になった住民の名前が村ごとに刻まれている。同じ苗字が多い。一家全滅もめずらしくなかったのだろう。しばらく歩いていくと、刻まれている名前が男ばかりになる。日本軍の戦死者だ。米軍、朝鮮人、中国人の犠牲者の名前もある。その間をうろうろ歩きまわっているうちに、涙が出てきた。みんな、死にたくなかったろう。こんなに殺しても、まだ殺したりないのか。怒りがこみあげてきた。

Umi

神奈川県の慰霊塔を探し、Aさんの言うとおり、タバコを供えて手を合わせた。礎や慰霊塔の写真を撮る気にはなれなかった。礎のむこうに海が見える。セネガルのゴレ島で、奴隷の積出口から見た海を思い出した。なぜ人間は美しい風景を、悲しいものに変えてしまうのだろう。平和祈念資料館に収められた折り重なった死体の写真を見たり、沖縄戦の体験記を読んだりしているうちに、また怒りがこみあげてきた。みんな平和に暮らしたかっただろうに。平和に暮らす権利があったのに。

駐車場に戻ると、Aさんが「こっち、こっち」と手を振っている。「よくがんばりました。あとは、首里城で降ろすからね」 道すがら、Aさんはひめゆりの女の子たちが看護をしていた野戦病院のあとや、戦争資料館、沖縄の公文書館を教えてくれた。「沖縄の南部を廻るだけで、2日はかかるね」というAさんに、必ずまた来ると約束する。お世話になりました。


首里城から国際通りへ
かつては侍の町だった首里。大きな屋敷が並んでいたこの町も、首里城に日本軍の本部が置かれたために、壊滅的な被害を受けた。首里城は跡形もなく砕け散り、戦後、跡地に琉球大学が建てられた。琉球大学を移転させて首里城が再建されるのは1992年。前回、沖縄を訪れたときにはまだ建設中だった。そのころも、守礼の門だけは再建されていて、琉装をしたお姉さんたちと写真を撮った覚えがある。

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首里城は塗り替え工事中なのが残念だったが、その壮麗さは十分感じることができた。思ったよりも小さいのだが、広く見えるような構造になっていて、その工夫に心を奪われる。なだらかな曲線を描く石垣が見事だ。宮殿内の茶店でさんぴん茶とお菓子をいただきながら、きれいなお姉さんの解説を聞いた。今日一日、泣いたり笑ったり歩いたりと忙しかったので、ほっと一息。

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首里駅からモノレールに乗って、国際通りの最寄駅:牧志で降りる。国際通りをぶらぶら。アクセサリーの露天商がやたらといるのが印象に残るばかりで、なんだか原宿みたい。途中、喜納昌吉さんの妹・啓子さんのお店『Ohana』を発見。呼び込みの男性に「今日もライブありますよ」と声をかけられるが、これから帰るんですよ・・・残念。県庁前近くで居酒屋のチラシをまいていたおにいちゃんが、ぴょん吉Tシャツを着たひらげを見て、「とのさまがえる~あまがえる~♪」と歌いながら近づいてきた。だから、もうカエルんだってば。県庁前駅からモノレールに乗って空港へ・・・バイバイ、沖縄、又はりぬ、チンダラヨ~♪

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