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2010年6月26日(土)

昨日の酔いも醒めぬまま、あわててとび起きた。10時25分羽田発のJAL国内便で、沖縄へ。


20年前の置き土産
ぼくが弟と二人で沖縄を訪れたのは、大学生のころ・・・喜納昌吉りんけんバンドに憧れてのことだった。りんけんさんの父上でコザ共和国終身大統領=故・照屋林助さんがポリカインのCMに出たり、横浜ルミネの吹き抜けで素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたりしたのも、このころだったと思う。沖縄の抱える重たい現実なんかはまだあまり頭になくて、ただただ、素晴らしい音楽に触れたいだけだった。

ところが、実際に行ってみると、どこに行けば民謡が聞けるのか、よくわからない。しかたなく、今よりもずいぶん垢抜けない感じだった国際通りをうろうろしては、適当に見つけたお店に入って、知っている限りの沖縄料理を頼んでみたり。そのころのぼくは今のようにビール漬けではなかった。弟と二人、居酒屋に入っても時間が持たない。そのうえ、ぼくらがやって来てからというもの、沖縄は雨ばかりで、ぼくと弟は実につまらないことで喧嘩をした。泊まったホテルの目鼻立ちのはっきりしたお姉さんの、やる気のない笑顔ばかりが印象に残っている。

そんなぼくらを車で案内してくれたのが、両親の知り合いのYさんだった。どこに行きたい?と聞かれても、要領を得ない答えしか返すことのできないぼくらを乗せて、車は北へ。山のなかを走る県道で、Yさんは演習になるとここを爆弾が行き交うんだと説明した。県道104号線越えの実弾砲撃演習のことだと今はわかる。そのころのぼくは語られていることの重大さがピンとこないほど、若く、無知で、無自覚だった。楽器店に連れて行ってもらい、合成皮の三線を買った。「蛇皮は手入れしないとすぐ破けるから、やめたほうがいいよ」 店の主人はやがてぼくがそれを使わなくなることを見抜いていた。帰ってからしばらく工工四を見ながら曲を覚え、大学の仲間と「沖縄バンド」をやってみたりしたが、独学ではおのずと限界があった。

ところが、失敗に終わったかに思えたこの旅の経験が、あとになってボディブローのように効いてくる。国際通りのレコード店で、何気なく手にした喜納昌吉さんの父上・昌永さん(故人)のカセット。「アッチャメー小~多幸山」のカチャーシーに衝撃を受けた。何というグルーヴ!(その当時はグルーヴという言葉も知らなかったと思う)。ずっと後になって、チキリカというバンドを組んだときに、そのときの衝撃を少しでも生かせればと思って「じんとうせ」という曲をつくった。最近では、大学の先輩=スージーさんのスージーバンドをきっかけとして、沖縄音楽のパフォーマンスに通いつめている。一方、沖縄について学ぶにつれ、Yさんの言っていたことは、こういうことだったのかと今さらながらに気づく。普天間のことをきっかけに、戦後日本の「平和」とは何だったのか、考えずにはいられなくなっている。

そんななか、黒人研究の会全国大会が沖縄で開かれることになった。これはもう、行くしかないだろう。20年ぶりの沖縄だ。


20年ぶりの沖縄
海の青さがエメラルドの深い緑に変わり、眩しいパステル・カラーが一瞬挟み込まれたかと思うと、灰色の滑走路が流れるように進入してくる。五感に滑りこんでくる色の変化。強い日差し。20年前と同じだ。すっかり新しくなった空港でソーキそばを食べ、タクシーで沖縄国際大学へ。

タクシーの運転手が「アメリカ人の車だよ」とあごをしゃくった。見るとナンバープレートの仮名のところが「Y」になっている。「あれ、何でYなんでしょうね?」「そりゃ、あんた、わかってるだろう。なんとかゴー・ホームってやつだよ」 ヤンキー??まさか、そんな・・・(あとで調べたら、この制度が横浜で始まったことによるらしい。横浜に生まれ育ちながら知らなかった)。空港から市街まで、海側はずっと米軍の所有地になっている。ヤンキー・ナンバーと揶揄したくもなるだろう。一方の陸側には、重たいコンクリートの建物がうずくまるように並ぶ。水辺に根をめぐらせたマングローブのように、台風を待ち受けている。沖縄の家は台風対策のために、天井が低くつくられているという。

沖縄国際大学は本土復帰の年(1972年)に設立された私立大学。普天間飛行場に隣接しており、2004年8月13日には米軍のヘリが墜落する事故が起きている。夏休み中だったので死傷者は出なかったが、墜落現場となった1号館は崩壊し、住宅地のなかにある基地の危険性が浮き彫りになった。ぎりぎりの操縦能力が問われる訓練に、事故はつきものだ。同じような事故はいつでも起こりうる。ある意味で、落ちたのが休業中の大学で良かったのだ。人家に落ちていたらと思うとぞっとする。この日は慰霊の日が近かったせいか、軍用機はあまり飛んでいなかったが、普段は爆音で会話が邪魔されるほどだという。

Okinawa_kokusai_daigaku
↑崩壊した1号館の解体


黒人研究の会・第56回全国大会
学会は沖縄キリスト教学院大学・新垣誠先生の基調講演からはじまった。お盆に戻ってくる先祖の霊を送迎するための芸能であるエイサー。本土に移り住んだ世代を中心とした同化運動のなかで、一度は捨て去るべきものとして排除されたエイサーのなかに、本土で生まれたウチナンチューの若者たちが新しい意味を見出していく。エイサーによって彼らは差別のなかで死んでいった仲間たちの霊を弔い、自分たちもまた彼らの一人であるということを再認識する。そこにはヤマトンチューが考える「かっこよさ」だけではない、沖縄の人たちの苦しみや悲しみや怒りを抱えこんだエイサーがある。かつて、白人が「陽気な黒人の歌」のなかにある苦しみ、悲しみ、怒りといったものを感じとれなかったのと同じように、エイサーや島唄のなかにある苦しみや悲しみや怒りといったものもまた見過ごされがちである。苦しみや悲しみや怒りは、エイサーや島唄の持つ陽気な側面と別に存在しているのではない。両者は同じものとして、分かちがたくそこに存在する。

ああ、まさにブルースだ。ブルースのことを話している。こんなにドキドキする講演も珍しい。他にも、コザ蜂起当時の米軍のなかに、ブラック・パンサーと結びついた黒人兵の一派がおり、黒人とウチナンチューの連帯を訴える活動をしていたという話も興味深かった。コザで反乱を起こした人々は、Yナンバーの車を片っ端からひっくり返しながら、黒人の車には決して手をつけなかったという。こうした差別されたものへの共感から出たと思われる行動の裏に、ブラック・パワーの働きかけがあったとすると、コザの反乱は無計画な「暴動」ではなく、周到に準備された「革命」であった可能性がある。そして、「俺たちは人間だぞ!」と叫びながら車をひっくり返した反乱者たちがその場で踊ったカチャーシーもまた、喜びと、苦しみ、悲しみ、怒りが一体になったものだったろう。

休憩をはさんで、シンポジウム。まずは沖縄国際大学のピーター・シンプソン先生がボツワナで教鞭をとった経験をふまえ、アフリカと沖縄におけるステレオタイプと開発の持つ意味について、写真や絵本を交えながら話した。つづいて、四日市大学の山本伸先生。カリブと沖縄をさまざまな点で比較しながら、「遊び庭/パンヤード(トリニダードのスチールドラム練習場)」といった「複合的多機能空間」、コミュニティの文化が生まれる場というものに意味を見出した。最後に沖縄国際大学の追立祐嗣先生が、沖縄文学と黒人文学の作品を比較しながら、ラディカルな論を展開した。沖縄にもマルコムXが現れなくてはならないということ、また沖縄もまたアメリカの軍事戦略に加担させられているというのは本質を突いた議論だ(ただ、それを言うなら、加担させられているのは沖縄ではなく、沖縄に基地を押しつけている日本全体ではないのかとも思う)。

最後に質疑応答。「遊び庭/パンヤード」といった場から生まれる文化について、そうした場から離れたところでそれらの文化の恩恵を受けようとしているぼくのような人間はその危うさを自覚すべきだが、逆に文化が場をつくっていく可能性もあるのではないかと発言して、パネラーの意見を求めた。どの先生も誠実に答えてくださったが、経済支配の問題を指摘された追立先生、文化が特定の「場」を超えて出会う可能性は認めながらも、世界の音楽を集めながら自分自身(=日本)の音楽だけが抜け落ちている坂本龍一『NEO GEO』の例を挙げて、クロスオーヴァー的な試みが博物館的なヒエラルキーのもとで「見つめる側」の特権を行使するだけに終わってしまう危険性を指摘した新垣先生の話が心に残った。

一日目が終わったところで、懇親会。昨日飲みすぎたので、ういっぷ・・・となりながらも、ビール片手に先生方と親交を深めました。


800円の宿
この日の宿は一泊800円(!)のゲストハウス。カーテンのかかった木枠の個人用スペースが、カプセルホテルのように並んでおり、ここは一泊1500円。その上にはしごで登っていくと、区切りのない畳のスペースがあり、そこが800円。トイレ、シャワー、キッチン共同。長期滞在の若者が多く、家族のように和気あいあいとしている。自分のスペースで寝ていたら、年長の男性が若い女の子に「○○ちゃん、出しっぱなし~♪だよ」とか注意している。ほほ笑ましい。「今日はどこ行ってきたの?」「んー?つりー」とか、とくに何を見るとかいう目的があってきているわけではない人もいるようだ。「新しい人はいったんだって?男?女?」とかいう声も聞こえる。おれのことかな?10時半ごろにロビーで宴会がはじまった。楽しそうだけど、自己紹介をして仲間に入れてもらうには、疲れすぎていた。彼らは何を求めて沖縄にいるんだろう。他の場所ではなく、沖縄である理由は何だろう・・・聞いてみたい。どんな答えにせよ、金儲けのために来ている大人たちよりは共感できるような気がした。

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