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2010年1月31日(日)

Crチェス・レコードの盛衰を描いた映画『キャデラック・レコード』(ダーネル・マーチン監督、Cadillac Records、2008)を見た。ブルース・ファンでチェス・レコードの名前を知らないものはいない。シカゴを拠点に、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフリトル・ウォルターといったブルース・マンから、チャック・ベリーボ・ディドリーまで、数々のミュージシャンを世に送り出した伝説のレーベルである。そんなチェスの内幕を描いた映画だ。見たいに決まっている。ところが例によって重い腰をあげるのに時間がかかっているうちに、劇場公開はほぼ終わってしまった。「どぼちてどぼちて」と涙をクラッカーにして悔やんでいたところ(←わかる人だけわかってくれればいいです)、早くもDVDが出るという。迷わず購入した。

物語はチェス・レコードの創始者レナード・チェスとマディ・ウォーターズの関係を軸にすすめられる。アトランティック・レコードアーメット・アーティガン同様、レナードと弟フィルにも「結局は黒人ミュージシャンを搾取しただけではないのか」という批判がついてまわる。しかし、アトランティックにしてもチェスにしても、黒人ミュージシャンと共同で、あの凝縮されたサウンドをつくりだす作業は、とてもお金のやりとりだけに還元できるものではない。とはいえ、日本公開時につけられた副題「音楽でアメリカを変えた人々の物語」から連想されるような美しいできごとばかりでなかったことも確かだろう。「家族的経営」のなかで、白人の経営者は保護者のように振る舞い、黒人ミュージシャンは正当な報酬が支払われていないと不信感を募らせる。

リトル・ウォルターが死んだあと、ハウリン・ウルフが言う言葉 ― 「父親がいないってのはいいもんだ」 ― が示唆しているように、この映画のテーマは「親と子」の関係だ。母親に捨てられたトラウマから酒と麻薬に溺れるウォルター、白人の父親に拒絶されて傷つくエタ・ジェイムズ(レナードとエタの愛人関係もどこか父と娘を思わせる)、「父親」としての白人経営者(レナード・チェス)と「子供」としての黒人ミュージシャン、そして親分マディと子分ウォルター・・・登場人物のなかで、自分を見失わずに意志を貫いているのはハウリン・ウルフだけだ。マディは父親としてのレナード・チェスに異を唱えることができず、子分ウォルターを深く傷つけてしまう。情に厚いがゆえに、いざとなるとどうしていいかわからなくなる ― マディはそんな人物として描かれている。現実に振りまわされる人間たち ― ブルース界の大物も、そんな人間たちの一人なのだ。だからこそ、ウォルターの死に際し、トイレに閉じこもって慟哭するシーンに心を動かされるのだ。

エタ・ジェイムズ役のビヨンセは、実物に比べてかわいすぎ。フィル・チェスとか、ココ・テイラーとか、ビッグ・ビル・ブルーンジーとか、出てきてもいいはずの人物が出てこない。全体にずいぶんさらっと描かれている感じはするけど、やっぱりドキドキしてしまった。リトル・ウォルターの破天荒ぶりは話に聞いていたけど、こうして映像化されるとやはり痺れる。あのカメラを食い入るように見つめる写真の印象そのままだ。ビヨンセは製作総指揮にも関わっているらしい。『ドリームガールズ』といい、この映画といい、先人の遺産を見つめなおしたいという思いがあるのだろうか。

今年はシカゴ・ブルースだす、にゃ〜んこ先生!

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