2009年12月7日(月)
今日のラーメン:「らーめん<700円)」@品川『せたが屋』(麺達七人衆 品達ラーメン)
せたが屋のラーメンって、食べるときによって違った印象を残す。味にムラがあるとかいったことではなくて、こちらの体調によってあっさりと優しい味にも、しつこいぐらいに押しの強い味にも感じられるということ。今日はあまり体調がよくなかったけど、そんなときには「いいよ、ゆっくりしな~」って感じで優しく体のなかに入ってくる。滋味あふれるスープに体が癒される。やっぱりいいな、ここのラーメン・・・★★★★+
マイケル・ジャクソン『ムーンウォーク』(Moonwalk、1988、田中康夫訳、CBSソニー出版、1988)を読み終わった。当時人気絶頂だったマイケルが書いた自伝。おそらく、本人の話をもとにゴーストライターがまとめたものだろうし、内容を鵜呑みにすることはできない。それでも、根拠のない噂に悩まされていたマイケルが、どんな「マイケル・ジャクソン」像を提示しようとしていたのか、知るヒントにはなる。
ジャクソン5を結成したジャクソン兄弟が、父親の指導のもとに鍛錬を積み、モータウンと契約してスターダムにのし上がる成功物語は、あまり生き生きと描かれているとは言えない。そのへんのことは母親とマイケル以外のジャクソン兄弟による話をまとめた『マザー』のほうが読ませる。まあ、当時のマイケルは子供だったのだから無理もない。しかし、その後独立して『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』で大成功を収めるころの話でも、マイケルの口調は体験したときの空気を伝えるというより、自分がプロフェッショナルとしていかに意識的に音楽に取り組んできたか・・・といった自己主張が強く、正直、あまり面白くない。その分、彼がどんな自画像を描いていたかということが良くわかる。ひとつは今いったような才能にあふれ、努力を惜しまないプロのアーティストとしての自分。これは長年マイケルを自分たちのプロダクションのなかに囲い込もうとしていたモータウンに対する返答でもある。そして、もうひとつは人種、年齢、性別などを超えた人間同志の交歓に価値を見出す普遍主義者としての自分だ。
「観客の中には、よちよち歩きの小さな子供から、ティーンエイジャーから、おじいちゃん、おばあちゃん、そして20代、30代の人たちも見えます。みんな、体を揺らし、手を上げ、歌っています。観客席を明るくしてくれないかとスタッフに頼み、彼らの顔が見えるようになったら、『手をつないで』と言うのです。すると、みんな手をつなぎます。『立ち上がって』とか『手をたたいて』と言えば、彼らはそうします。彼ら自身も楽しんでいて、言ったことは何でもやってくれます。とても素敵です。あらゆる民族の人々が一緒になって、同じことをしているんです。そんなときには、僕はこう言うのです。『まわりを見てごらんよ。君自身も見てごらん。ねえ、見て。まわりを見るんだ。やったことを見てごらんよ』。本当にすばらしいのです。とてもすごいのです。偉大な瞬間です」(258)
人類はひとつ、人種も年齢も性別も関係ない ― 「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも見られる、こうしたナイーヴな普遍主義は、それ自体、間違っているわけではない。マイケルは自分の音楽がさまざまな壁を越えて人びとを結びつけると本気で考えていたと信じたい。もちろん、マイケルはそうした壁の存在を知らなかったわけではない。知っていて、あえて無視したのだ。とはいえ、マイケルの「普遍」は、実際に人種障壁が存在する社会ではあまりにもナイーヴに響く。人種差別社会は彼のナイーヴさを曲解し、数々のスキャンダルにからめとり、奇妙なマイケル・ジャクソン像をつくりあげた。彼の不幸な死もそのことと無関係ではないだろう。
マイケル・ジャクソンのセルフ・イメージが「普遍」なら、プリンスは何だろう・・・と考えた。同じように人種や年齢、性別を超えるイメージを提示しながら、プリンスが差し出したものは「普遍」ではなかった。思うに、プリンスのセルフ・イメージは「越境」ではなかったか。障壁の存在を意識しながら確信犯的にそれを踏みこえていくプリンス。裕福な社交界に紛れ込む混血ジゴロ(映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』)のように・・・それは決して「普遍」のような居心地のいい抽象にとどまることはできない。
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>>SADAさま
レスが遅くなりまして、失礼しました。
シンポジウムでも述べたとおり、ぼくも生前はマイケルに
見向きもしなかった人間の一人です。
なぜ、彼があんなにもスキャンダルに苦しめられなければならなかったのか
これからも考えていきたいと思っています。
ところが、実を言うと映画This Is It、見逃してしまいました。
DVDを予約済みです。さて、どんなマイケルを見ることができるか
楽しみです。また乾燥書かせていただきます。
投稿: ひらげ | 2009/12/22 16:41
12月12日のセミナーで声を掛けさせて頂いた者です。無事にブログに行
き着くことができました。(数日忙しくてメール出来ずです)
少し長文になると思うのですが、お付き合い願います。マイケル君につ
いてはいっぱいの想いがあるのですが、なかなか周りに一緒に語り合え
る人がいません。(以前の私がそうであったようにモンスターのミュー
ジシャンへの冷たい反応ですね)
私は11月11日に「THIS IS IT」の映画を見るまでは「Thriller」すら全曲
聴いたことありません。ぼんやりと異様に白い顔をして大勢の人間に囲
まれ手を振っているイメージしかなく、かなり怪しい人間と思っていた
ようです。
亡くなったすぐの頃に生前2日前の映像が流れているのを観ていて他の
人と一緒にダンスしているのになぜか一人異空間にいる彼がすごく印象
に残っていました。といってもその程度で、映画を楽しみにしていたで
もなく、上映が延長されたと聞いて、とりあえずLADY'S DAYの特権で
も行使しとくか位の軽い乗りで観に行ったわけです。いやー凄い衝撃で
した。「THIS IS IT」即買いに始まり、とりあえず、順次CDをレンタル
したり、購入したり。(「HISTORY」のDISK2が今はお気に入りです。
)
映画のシーンで一番印象に残ったのは、Jackson5のメドレーの時イヤ
ーフォンを外したシーンです。KINGではなく音楽に真摯に向合いながら
苦悩している彼の姿は私が抱いていたマイケル像をガタガタと崩してい
きました。涙したシーンです。過保護気味にマイケル君に反応していた
私は少年時代を取り戻そうともがく姿(といっても楽曲でなんですが)
に涙してました。まあ多かれ少なかれ大人になっても取り戻したいと人
は願うものなんですよね。セミナーの時の4人の方のその辺りの反応で
スーッと落ち着く感じがしました。それまでは、ちょっと異常なぐらい
切なくそういう曲を聴いた時胸が締め付けられておりました。大きな収
穫になりました。パフォーマーとしてより、楽曲の提示者であり、その
表現の素晴らしに今はすごく感動しております。亡くなってからしか知
り合えなかったマイケル君ではありますが、彼の残した物を大切にして
いきたい。そして、報道を観る時やっぱりしっかりと観ていこうと深く
反省しております。(なんだかウッズさんもすごい事になってますよね
)
改めて音楽の持つ魅力に気づき、食わず嫌いを止め、どんな分野にも関
心を持っていこうと思ってます。ひらげさんの紹介されているものも少
しずつ関心を持っていきたいです。今後とも活躍を期待しております。
長々と書きましたが、お付き合い有難うございました。
SADA
投稿: SADA | 2009/12/15 10:52