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2009年12月12日(土)

Mjsympo
黒人研究の会12月例会/マイケル・ジャクソン追悼シンポジウム@京都キャンパスプラザ。

マイケル・ジャクソンの死には考えさせられることが多かった。世界に愛されていたはずのスターがスキャンダルに悩まされ、悲劇的な最後をむかえなければならなかったのはなぜなのか。そこには人種、ジェンダー、大人/子供といった個人を規定するイメージ、とりわけ人種的なステレオタイプの問題が潜んでいる。ぼく自身アフリカ系アメリカ人の文化研究に関わる立場にありながら、生前の彼を取り巻くそうした問題に無頓着だった。面白おかしい報道にのせられて、根拠のない噂を信じてすらいたのである。そんな過去の自分を総括する意味でも、マイケルのスキャンダルについて考えなければならないと思っていた。そんな折、神戸外国語大学の鉄井先生から、マイケル・ジャクソン追悼のシンポジウムをやると聞き、ぜひ参加させて欲しいと手を挙げた。

会場には予想を超える80人近い人々が集まり、マイケル・ジャクソンの人気と彼に対する関心の高さに驚かされる。鉄井先生が今回のシンポジウムの意図、マイケルの経歴・業績、マイケルの全盛期であった80年代のポスト・モダン的状況について話したあと、不肖ワタクシが「マイケル・ジャクソン:イメージのムーンウォーク」と題して、マイケルのパブリック・イメージとアメリカにおける人種的ステレオタイプについて語った。マイケルの音楽やパフォーマンスの話が聞きたい人には、「もういいよ」という感じだったかもしれないが、このことを置き去りにして先には勧めないという気がした。以下、この日記で述べてきたこととも重複するが、内容をまとめてみよう。

マイケル・ジャクソンは根拠のないスキャンダルに悩まされてきた。ペットの猿パブルスくんとの奇妙な関係、皮膚の漂白を含む整形、同性愛、幼児虐待。こうしたスキャンダルはすべて根拠のないものであるか、真実だったとしても責められるべきではないものかのどちらかである。整形に関しては、鼻の手術をしていることは本人も認めているものの、皮膚の白さが尋常性白斑病に由来するものであるという本人の弁明はほとんど無視されてきた。同性愛についても本人は否定している。そして、整形や性的嗜好に関して、もし噂が真実だったとしても、ペットとの関係同様、そのことで責められるべきではない。スキャンダルのなかで唯一、罪に問われるべきなのは幼児虐待疑惑だが、これに関しては無罪判決が下されているという重い事実を忘れてはいけない。こうしたスキャンダルに共通するのは、マイケル・ジャクソンは人間/動物、黒人/白人、男性/女性、大人/子供といったさまざまな範疇に収まらない、中性的で奇妙な存在であるということだ。

無責任なスキャンダルとは別に、アフリカ系アメリカ人の文化をまじめに考えようとする人びとのなかからもマイケルに対する批判は聞かれた。ネルソン・ジョージは『R&Bの死』のなかで、マイケルの非黒人性について次のように批判している。

「80年代最大の黒人スター、マイケル・ジャクソンとプリンスの二人は、黒人であること、そして男性のセクシーさについての伝統的なイメージから急速に遠く離れていった(そして彼らのビデオはMTVで成功をおさめた)。マイケル・ジャクソンの整形された鼻や、気持ち悪いこともしばしばのメークアップ、人工的にカールされた髪の毛などは、多くの黒人の目には、人種的裏切りともいえる膚の色の否定と映った。何やら人を不安にさせる中性っぽさをそこに加えれば、驚くほど非黒人的で男臭さにかける、アメリカで最も人気ある黒人男性のできあがりだ」(318-9)

興味深いのはジョージが黒人であることと、男性であることを結びつけ、中性的なイメージを持つマイケルやプリンスを「気持ち悪い」といった感情的な言葉で攻撃していることである。音楽の持つ黒人性という興味深いが定義しがたい問題を前にして、ジョージの意見は、スキャンダルの発信者たちと変わらないところにはまり込んでいるようにも思える。またこうした中性的なイメージ、あるいは去勢された黒人男性というイメージは白人聴衆をひきつけるポップ化の結果であるということが仄めかされることもある(三井徹『マイケル・ジャクソン現象』、69)。それでは、はたして「黒人らしい」とはどういうことだろうか。「黒人らしさ」と、「中性的であること」「ポップであること」は両立しないのだろうか。

こうした問題を考えるとき、アフリカ系アメリカ人が二重のイメージによって縛られてきたことを考えなければならない。「黒人らしく」ふるまえ/「白人のように」ふるまえという二重の拘束である(ここでいう「黒人らしく」「白人のように」というイメージは、あくまでも白人アメリカの考えるそれである。白人/黒人が本質的にそうであるということではない。念のため)。アフリカ系アメリカ人は粗野で愚鈍で性的に奔放な黒人像を演じることで、黒人が劣った存在であると考える白人アメリカを満足させなければならなかった。その一方で、アメリカ主流社会に少しでも近づきたいと思ったら、白人の考える洗練・知性を身につけ、従順な態度で「白人のように」ふるまわなかればなからなかった。「黒人らしい」イメージの典型がミンストレル・ショーにおけるジム・クロウ(まぬけな黒人)やジップ・クーン(中身のないシャレものの黒人)であり、「白人のような」イメージは白人の反感を買わないために紳士的に振舞わなければならなかったジョー・ルイスジャッキー・ロビンソンに体現されているといえるだろう。

さらに複雑なのは、相反する二つのイメージにはどちらも制限が設けられていることである。「黒人らしく」振舞っていた黒人がひとたび制限を超えて、仕事を放棄したり、叛乱を起こしたり、白人の女をレイプしたり(実際には声をかけるといった程度のことだが)すれば、厳しく排除されることになる。一方、「白人のように」振舞っていた黒人が制限を超えて完全な同化を求めた場合も、やはり拒絶される。二つのイメージは互いにけん制しあう関係にある。「黒人らしく」振る舞いすぎれば「白人のように」洗練された態度を要求され、「白人のように」振舞いすぎれば「黒人らしく」しろと押さえつけられる。多くのアフリカ系アメリカ人はこうした二つのイメージの間に自分の立ち位置を求め、微妙なバランスを取りながら生き抜いてきた。

マイケル・ジャクソンの場合は、どうだろう。三井徹はマイケルを「ジップ・クーンとしての優等生的黒人」と位置づけている。しかし、マイケルは「白人のように」振舞おうとする優等生的黒人の面は持っていても、ジム・クロウにしろジップ・クーンにしろ、ミンストレル的な黒人ステレオタイプには当てはまらない。むしろ、粗野、愚鈍、性的に奔放と言ったイメージから自分を遠ざけてきたのがマイケルである。マイケルはある意味で典型的な「優等生的黒人」と言えるだろう。にもかかわらず、そのことこそがマイケルを人種差別社会における危険な存在にしてきた。マイケルの母キャサリン・ジャクソンは著書『マザー』のなかで、ロールスロイスに乗ったマイケルが警官に職務質問されたエピソードを紹介して、「明らかに警官は、ロールス・ロイスに黒人の少年は似つかわしくないと思ったのでしょう」(305-6)と述べている。マイケルは明らかに「白すぎた」のだ。

マイケル・ジャクソンがスター街道を邁進していたのとちょうど同じころ、イギリスでは若いアフリカ系の芸術家たちが、人種的イメージに挑戦する試みを行っていた。例えば、イングリッド・ポラードは『田園間奏曲』(1984)で、典型的なイギリスの田園風景のなかにアフリカ系の人物を置くことで、強烈な異化作用を生み出そうとしている。

「ウォークを余暇とし、桂冠詩人の詩的感興を奮い立たせたレイク・ディストリクトを歩いたことがある人であれば、いやそうでない人も含めて多くのイギリス人は、この写真を見ると、なにか落ち着かない奇妙なイメージだと思うだろう。写真から感じられるあたりの冷気、灰色の曇天、古い石垣、遠くに見えるまばらな木立、一眼レフ・カメラ、防寒装備、そういったものすべてが、ここにただひとりいる人物とそぐわない。なぜここに黒人女性がいるのか。これは奇妙だ、見たことがない」(萩原弘子『ブラック 人種と視線をめぐる闘争』、194-5)

白人メインストリームの文化に囲まれて豪邸で暮らすマイケル・ジャクソンの存在は、ポラードの絵が生み出すのと同じ違和感を人びとに与えていたとは言えないだろうか。「中性的」なマイケルに対する攻撃は、そうした違和感を解消しようとする無意識の動きだったのかもしれない。

それでは、マイケルは「白人のように」、あるいは白人になりたかったのだろうか。それはわからない。そういう一面もあったかもしれない。ただ、マイケル自身は自分を黒人でも白人でもない、普遍的な存在として規定したがっていたのは事実である。自伝『ムーンウォーク』のなかに見られる次のような一節がそのことを示している。

観客の中には、よちよち歩きの小さな子供から、ティーンエイジャーから、おじいちゃん、おばあちゃん、そして20代、30代の人たちも見えます。みんな、体を揺らし、手を上げ、歌っています。観客席を明るくしてくれないかとスタッフに頼み、彼らの顔が見えるようになったら、「手をつないで」と言うのです。すると、みんな手をつなぎます。「立ち上がって」とか「手をたたいて」と言えば、彼らはそうします。彼ら自身も楽しんでいて、言ったことは何でもやってくれます。とても素敵です。あらゆる民族の人々が一緒になって、同じことをしているんです。そんなときには、僕はこう言うのです。「まわりを見てごらんよ。君自身も見てごらん。ねえ、見て。まわりを見るんだ。やったことを見てごらんよ」。本当にすばらしいのです。とてもすごいのです。偉大な瞬間です」(258)

こうした普遍主義はそれ自体、決して間違っているわけではない。もちろん、マイケルはそうした壁の存在を知らなかったわけではない。知っていて、あえて無視したのだ。とはいえ、マイケルの「普遍」は、裕福な白人の社交界に潜入する混血ジゴロを演じたプリンスの「越境」と比べると、あまりにもナイーブに響く。人種差別社会は彼のナイーヴさを曲解し、数々のスキャンダルにからめとり、奇妙なマイケル・ジャクソン像をつくりあげた。とはいえ、マイケルの「普遍」とプリンスの「越境」は、互いに補完しあいながらアメリカの人種障壁に風穴を開けることに寄与したのだと考えたい。

・・・と、大体こんな内容。

ぼくのあとに近畿大学のコンラッド・ベイヤー先生が自らベース・ギターを弾きながら、マイケル・ジャクソンがソウル、ファンク、ロック、ディスコ、テクノといったさまざまなコンヴェンションを自分の音楽に取り入れていったこと、またそれぞれのコンヴェンションが独自の機能を持っていることについて語った。こうしたさまざまなコンヴェンションを組み合わせ、求められるニーズに対応できるようになったことこそが、音楽の「ポスト・モダン」であるといったことだったと思う。天理大学のデイビッド・ホプキンス先生は主にジャクソン5時代のモータウン=ベリー・ゴーディ・ジュニアのイメージ戦略について語った。特に、ブルースやファンクのような大人の黒人音楽を、そうした音楽の持つ意味のわからない子供に歌わせることによって、白人観衆にも手なずけられるものにしてしまうというのはその通りだと思った(いつもは他人の発表についても詳しく書くのだが、自分の発表で手一杯だったのでこれくらいで)。

フロアからも有意義な質問がたくさん出た。とくに、マイケルとヒップホップの関係について、ヒップホップの女性差別的な側面に触れながら質問があったのが印象に残った。ヒップホップにはディスコやテクノ経由でゲイ文化も入り込んでおり、ギャングスタが主流になるまでは必ずしもマッチョなものではなかったとぼくは考えている。マイケルとヒップホップの関係でいうと、音楽よりもむしろダンスにおいてストリートの文化をかなり意識的に取り入れていたはずだ。音楽的には、むしろやや人気にかげりが見えてきてから、健気なほどに最新のビートを取り入れようとしていたように思える。その際、『バッド』とか『デンジャラス』とか、少なくとも表面的にはストリートのタフな世界との関係を臭わすようなタイトルをつけたりするのが面白いところだ。マイケル自身はたぶん、あんまりそういう人じゃなかったような気がするんだけど。

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