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2009年11月1日(日)

2009_11_01mutsumiya今日のラーメン:「香味つけ麺(780円)」@天王町『らーめん むつみ屋』横浜天王町店
普通の麺と全粒粉の麺が選べるのだが、断然全粒粉の麺をお薦めする。栄養価が高いということもあるのだが、コシもあるし、香りも高い。普通のラーメンでもこの麺を使って欲しいぐらいだ。タレはつけ麺にしては薄い方か。それもさり気なくていい。一味と唐辛子を少し加えると、パンチがきいてより美味しい。『むつみ屋』の新メニューにはあっと驚くようなものはあまりないのだが、これはかなりいけると思う・・・★★★★

51w5uiuypwl__ss500_ラルフ・エリソンのエッセイ集『影と行為』(Shadow and Act、1953、行方均/松本昇/松本一裕/山嵜文男訳、南雲堂フェニックス、2009)を読み終わった。アフリカ系アメリカ人を代表する作家の一人でありながら、エリソンが生前に残した作品は長編小説『見えない人間』の他に、『ラルフ・エリソン短編集』(Flying Home and other stories、1996、日本語版は2005)に収められた短編と、本書と『準州へ行く』の2冊にまとめられたエッセイがあるのみである。にもかかわらず、彼が後に与えた影響は大きい。とりわけ、安易な決めつけを排してアフリカ系アメリカ人やアメリカの文化を論じたエッセイは、時代に先んじていた。

若き日のエリソンはブッカー・T・ワシントンの創設したタスキーギ大学で、音楽家を志していた。彼が目指していたのはジャズのような「黒い」音楽を演奏することではなく、クラッシックの作曲家として交響曲を完成させることだった。にもかかわらず、エリソンはジャズやそのルーツともいうべき泥臭い南部のフォークロアが自分にとってなくてはならないものであることを認めていた。

「綿花畑は旧南部のひとつの象徴でもあり、その旧南部を忘れるために親たちは西部へやってきたのです。けれども、綿花畑への旅は私には羨ましい体験であるように思われました。なぜなら、級友たちが素晴らしい話を持ち帰ってきたからです。それに級友たちがしきりに話したのは厳しい労働ではなくて、人との交わりや遊び、食事やダンスや歌でした。また級友たちはジョークも持ち帰ってきました。それは白人が黒人に関して語るようなジョークではなく、私たち黒人のジョークでした。それに級友たちは、私が以前に一度も聞いたことがなく、私が知っているどの本にも載っていない黒人民話をいつもしこんで帰ってきました。こうしたことは肯定すべきことでしたし、私はそのなかに重要なことが含まれていると感じたのです」(26)

アフリカ系知識人の南部帰還は、エリソンにはじまったことではない。しかし、北部に生まれ育った先人たち ― 例えば、『黒人のたましい』におけるデュボイス ― が失った南部フォークロアと「再会」しなければならなかったのに対し、エリソンの時代には南部から移動した人びとが見知らぬ土地に新たなコミュニティをつくり、南部のアフリカ系文化を移植し始めていた。エリソンが生まれた西部では、それはカウント・ベイシー楽団のようなジャズとなって花開いたと言えるだろう。何かと何かがぶつかりあって、新しいものが生まれようとする時代にあって、エリソンは多面的な世界を行儀の良い結論に収めることを拒否し、価値と価値の間を即興的に動きまわる「ルネサンス的」人間像に理想を見い出していった。

「それに、理想的な人間像とはつかみどころのない、めまぐるしく変化する人間たちであると、われわれは何となく感じていた。そういった人間たちとはわれわれがでたらめに即興で考え出した、ときには喜劇的だがたいていは気紛れで、悪ぶって、英雄であることをおくびにも出さぬ人間たちのことで、白人でも黒人でもなく、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもないが、ある種の望ましい本質の典型であり、肉体的にも美的にも道徳的にも技量と力強さを兼ね備えていた」(9)

こうしたエリソンのいう「ルネサンス的」人間像に、トリックスターというアーキタイプを当てはめることもできるかもしれない。しかし、「冗談を交わして、くびきをはずせ」のなかでエリソンが警告しているように、使い古されたアーキタイプを安易に用いてしまうと、ある文化をその上位にある「主流の」文化を補完する道化に貶めることになりかねない。それでは、「哀れな黒人」というステレオタイプに白人文化の規範から漏れたものを託することによって、自分たちのなかの「他者」を飼いならそうとしたブラックフェイス・ミンストレルと同じ過ちを犯すことになってしまう。ジャズ的な即興性と体験を共有させるフォークロアの機能を兼ね備えたこの人間は、アメリカの社会全体を反映しており、アメリカ主流文化の補完物ではない。

こうした文化のあり方に対する彼の考え方は、多様な人種集団がそれぞれの歴史からつかみ取った現実は「つかみ取ったその集団だけのものではなく私たちみんなのものである」(188)という結論へエリソンを導く。エリソンにとってアフリカ系アメリカ人はアメリカであり、アメリカはアフリカ系アメリカ人であった。エリソンが作家としての自分自身をマーク・トウェインヘミングウェイといったアメリカ人作家の系譜に位置づけるのもそのためである。それは人種的な差異を無視した安易な同化指向ではない。「黒人であることとアメリカ人であることに矛盾はない」というゾラ・ニール・ハーストンの直感を理論化したのがエッセイストとしてのエリソンだったのかもしれない。

まだまだ、ぼくもつかみきれていないことばかりだ。原文とあわせて何度か読んでみよう。

【追記】
アイデンティティを社会に開いた窓(オシッコするところではない)と考えればいいのかもしれない。アイデンティティをある集団が社会に占める領域と考えると、その集団以外の人間がその領域に踏み込むことは越権行為である。しかし、アイデンティティは窓であり、見える角度が違うだけで誰しも自分の窓から共有された体験や知恵にアクセスすることができる。だから、アフリカ系アメリカ人もアイデンティティを失うことなしにアメリカ的な体験を共有することができるのだ。ということは、もっとグローバルな社会を想定するなら、ぼくも日本の窓からブルースやアフリカ音楽にアプローチすることができるはずだ。これぞまさに「いんちきアフリカ」の極意なり。

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