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2009年10月31日(土)

Img453_2出井康博『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫、2008、2001年に新潮社から刊行された『日本から救世主が来た』を改題、加筆・再編集したもの)を読み終わった。太平洋戦争前夜のデトロイトで、有色人種の団結を訴え、黒人たちを扇動した日本人がいた ― 中根中。サトハタ・タカハシといった偽名を使い、「ディベロプメント・オヴ・アワー・オウン(我々自身の発展)」という団体を率いたこの男は、ときに日本の右翼団体・黒龍会や帝国陸軍との関係を仄めかしながら、黒人貧困層に支持者を増やしていった。同時期にデトロイトで誕生したネイション・オヴ・イスラムとも交流があったと言われている。

たしかに、当時、黒龍会は亡命インド人ラシュ・ビハリ・ボースのインド独立運動を支援していたし、本書でも取りあげられている疋田保一のように日本政府の命を受けて工作員として黒人街ハーレムに潜入した男もいた。しかし、中根の場合、本人の大言壮語とは裏腹に、そうした背景を示す証拠は何ひとつない。西海岸の小さな町で日系社会の顔役となっていた弟を頼って渡米し、イギリス人の妻との間に3人の子供をもうけながら、酒と賭博に溺れ家族を捨てた男である。そんな男が国外追放をものともせず、デトロイトの街で「メジャー・タカハシ」として貧しい黒人の尊敬を集めるようになっていったのはなぜだったのか。また、故郷で出会ったアメリカ人英語教師の影響でキリスト教に改宗した中根が、どういう経緯で白人による有色人種差別を弾劾するようになったのか。空白の多いバイオグラフィーからはなかなか本当のところは見えてこない。ただ、おそらく、1924年に制定された排日移民法が与えた影響は大きかったのではないか。「自由の国」アメリカに存在する人種差別という現実が、彼をアフリカ系アメリカ人に接近させた。そして、中根にしろ、疋田にしろ、当時アフリカ系アメリカ人に対する共感や関心を表現するには、「有色人種の盟主・日本」という帝国主義的な枠組を受け入れざるをえなかったのだろう。時代が違っていれば、ひらげと酒を酌み交わしていたかもしれない。

非常に興味深い本だったのだが、どうしても見すごせない事実誤認があったので指摘しておきたい。「行き場のない黒人の怒りは、第一次世界大戦後の1919年を頂点に各都市で人種暴動となって爆発する一方、ガーベイの運動を盛り上げていく」(37-8)という件。この時代の「人種暴動」は差別された黒人が怒りを爆発させるといった類のものではない。むしろ、貧しい白人がそのはけ口を人種差別に求め、黒人を殺しまくったというのが実態である。ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンが「赤い夏」と呼んだ1919年の「暴動」も、プア・ホワイトによる黒人の大量虐殺に他ならなった(黒人の側からの組織化された抵抗もあったようだが)。米黒人問題専門のシンクタンクで客員研究員をしていたという著者が、そのことを知らないとは思えないのだが。

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