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2009年8月4日(火)

Img364プリンス監督・主演の映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』(Under the Cherry Moon、1986)を見た。熱狂的なファンを別にすると、プリンスの映画をよく言っている人を見たことがない。この映画も公開当時からケチョンケチョンに貶されていたような記憶がある。確かに、自らの妖しいジゴロぶりに陶酔しきった殿下の姿はとても演技と呼べるようなものではないし、やたらとすっ飛ばすくせにところどころ妙に説明的になる展開も「良くできている」とはいいがたい。

でも、見ているうちにだんだんと、この映画はそうやって見るものではないのかもしれないと思いはじめた。ゴージャスなクラブで金持ちのマダムを口説き落とす冒頭のシーンからして、40年代に流行ったクラブ映画を思わせるものがある。ルイ・ジョーダンキャブ・キャロウェイといった当時の売れっ子ミュージシャンを抜擢してつくられたクラブ映画は、申し訳程度につけられた筋書きではなく、演奏やダンスを提供することに主眼があった。この映画も、ジゴロが金持ちの少女にほだされ愛を貫く・・・という陳腐な筋書きではなく、音楽とそれが導きだす世界観を楽しむべきなのかもしれない。長いプロモーション・ビデオのような感じがするのはそのためだろう。

とはいえ、クラブ映画の80年代版として片付けるには、危うい部分が多すぎることも確かだ。プリンスは人種・階級・性差といったさまざまな境界を越え、自らのアイデンティティを曖昧にすることによってスターになった。フランスの高級リゾート地で行われている金持ちのパーティに忍び込むクリストファーと相棒のトリッキーは境界線を越えるだけではなく、派手な服で相手の目を眩ませたり、フォーマルな服で擬態したりすることによって、自らのアイデンティティを曖昧にする。「すべては遊びだ」「仕事はしていない。やっているのは趣味だけだ」といったクリストファーの言葉は、何者にも回収されることを拒否したプリンス自身の姿と重なる。

アイデンティファイされるのを拒否することによって聴衆に強烈なインパクト(違和感)を与えたという点で、プリンスとマイケル・ジャクソンはよく似ている。ただ、大きく違うのは、いくら拒否しようとしても、アイデンティティを強要する境界というものが世の中に存在し続けているということを、プリンスは見失わなかった。マイケルだってそんなことはわかっていたはずだ。でも、彼はナイーヴにもそれを無視しようとした。プリンスはアイデンティティを曖昧にしながらも、自分がどちらの側にいるのかはっきり意識していたと思う。クリストファーが「金持ちは俺たちからいろいろなものを奪った。だから俺たちも奪ってやろう」と金持ちの娘を連れ去るとき、ぼくは彼がプリンス自身が選んだペルソナであることをさらに強く意識するのだ。

プリンスの世界観に身を委ねると、思いのほか心地のよい映画だと思う。

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