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2009年7月31日(金)

この一週間ぐらいの間に、Yahooオークションで石田一松のSP盤をいくつか入手した。なかでもうれしかったのはタイヘイレコードから発売されていた「のんき節」と「男なら」のカップリング盤。一松のSPというと戦前のものがほとんどなのだが、これは戦後であることが歌詞からわかる。一部聞き取れないところもあるが、歌詞を掲載しておくと・・・

Nonki当選するにはしましたけれど
貧乏はやっぱり つきまわる
選挙費用の借金を
返しております のんき節
ハハ のんきだね

夜の目も寝ずに 選挙の運動で
さぞや疲れたことでしょう
さいわい当選したやつは
議会でゆっくり眠れます
ハハ のんきだね

相手の議員を殴り飛ばして
殴り返して 袖もいで
罪にならないそのわけは
正当防衛でございます
ハハ のんきだね

おいらは貧乏でも ほんとにけっこうだよ
日本が独立できたなら
そうだよ まったくだと宿無しどもの
話が○○○○ ○○○○○
ハハ のんきだね

文化人だと威張っているが
うわべばかりじゃ なんにもならぬ
洋食食って 栄養食べるが 文化人ならば
アメリカの九官鳥も文化人かいな
ハハ のんきだね

人間の拳闘は許してあるのに
犬の拳闘は許すなと
動物愛護会でおっしゃるそうな
人間愛護会はどこにある
ハハ のんきだね

1番で一松自身の選挙運動のことが歌われているから、少なくとも衆議院議員に当選した1946年以降の録音だろう。乱闘国会(1954年、警察法改正をめぐるものが有名。ただしこのときには一松はすでに国会を去っている)や独立(1951年、サンフランシスコ講和条約)といった内容からすると、もう少し後のものかもしれない。2番は『社会評論』1936年6月号の記事にも載っているし、6番の歌詞は戦前からくり返し歌っている。○○○としたところは、よく聞き取れない。みなさんも聞いてみて、わかったら教えてください(→MP3)。

他には、戦前(あるサイトによれば1932年)、ヒコーキレコードから発売された「モンパリ/浜辺の歌」。「モンパリ」は1927年、宝塚歌劇団によって上演された日本初のレヴュー『モン・パリ -吾が巴里よ-』の主題歌。元々はレヴューを演出した劇作家・岸田辰彌の訳詩で「うるわしの思い出 モン・パリ」として発売され、10万枚を超える売り上げを記録した。一松は歌詞を微妙に変えて「石田一松・訳詩」ヴァージョンとして歌っている(内容自体はあまり変らない。権利の問題があったのだろうか?)。それにしても、書生節の一松が「モンパリ」とは意外。B面の「浜辺の歌」は「あした浜辺をさまよえば~♪」ではなく、鳥取春陽作の別の曲。

あと、もう一枚、「中禅寺湖心中(上)(下)」。デュエット相手として名前が記されている石田文子とは、一松が若いころに同棲し、いっしょに流しもしていた女性「二三子」のことだろう。『闘った「のんき節」』によれば、一松を追って広島から上京した二三子は、若き日の演歌師を陰で支えながら、芸者出身という理由で結婚を反対され、静かに身を引いた(一松はその後、別の女性と結婚)。二人はそれ以前に1925年の「復興節」をはじめとして、「春の夢」「凋んだ花」「新関の五本松」などの録音を残している。ということは、これもそれら同様、一松最初期の録音ということになる。それにしても、のちに心ならずも別れることになる二人が、心中ものとは穏やかではない。

追記(1):聞きとれない部分について、4番が

我々は貧乏でも とにかく結構だよ
日本にお金の 殖えたのは
さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
話がロハ臺で モテてゐる
ア ノンキだね

という歌詞を元にしたものであるというご指摘をいただきました。ちなみに「ロハ台」とは金のかからない「只」=ロハの台ということで公園のベンチなどを指す言葉らしいのですが、ここではそうは聞こえない。そこの部分を何と歌っているのか、いろいろ考えたのですが、「地下道」とも聞こえます。だとすると、「宿なしども」が議論をする場所としていかにもふさわしい。【さらに追記】「街角」とも聞こえます。

(2)戦後、タイヘイレコードが再建されたのは1950年。しかも、同社は翌51年に「タイヘイ音響」と改名、52年には米マーキュリーレコードと専属契約を結び、53年、日本マーキュリー株式会社になっています。レーベルを良く見ると、TAIHEI ONKYO CO. LTD., NISHINOMIYAと書かれています。ということは、「のんき節/男なら」のSPは51~52年に録音・発売された可能性が高い、ということになります。

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2009年7月30日(木)

2009_07_30washo今日のラーメン:「中華麺(700円)」@三軒茶屋『めん 和正』
動物系のしっかりしたボディに魚系のダシがたっぷり加わった極上スープ。少し味が濃いような気もしたが、塩味よりも旨味が強いのでぐいぐい飲める。あっさりしたスープと脂の混ざり具合もいい感じ。やや平らな感じの縮れた麺もコシがあって美味しい。細いのに噛みごたえのあるメンマもグー・・・★★★★

Dscf8946_2スズメバチに刺された。

ベランダにスズメバチが巣を作っているのは知っていたのだが、まさかぼくの部屋に一匹紛れ込んでいようとは。右手中指の第二間節をちくりとやられた。一晩アイスノンで冷やして寝たから腫れはひいたが、怖くて自分の部屋に入れない。二回刺されると、穴開きしーナントカで頭にパカッと穴が開いて(←まちがい)、ショック死することもあるらしい。

駆除業者の人が来てくれたので一安心。今のところ激越な症状は表れていないし。最近、キイロスズメバチが大量発生ししているらしい。Rさんの話では、自然破壊によって天敵のオオスズメバチの数が激減したのが原因だという。なるほど、そういうことだったのか。生態系のバランスというのは微妙なものだ・・・

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ゆっくりり@三軒茶屋GuruGuru。今日は三人編成なのでチョット寂しかったけど、ゆったりした雰囲気でビールを飲みながら音楽を楽しみました。共演の夢中遊泳もかっこよかったです。

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2009年7月27日(月)

オクテイヴィア・バトラーの短編「血をわけた子供」(Bloodchild、1984、小野田和子訳、『80年代SF傑作選(下)』、ハヤカワ文庫、1992)を読んだ。異星生物の繁殖に身体を提供するという「共生」の形を描いた、ゼノジェシス三部作のプロトタイプというべき作品である。

奴隷化から逃れ地球を後にした人びとは、トゥリックという生物が暮らす惑星に行きつく。最初はトゥリックを「うじ虫」として抹殺しようとしていた地球人だったが、やがて、卵を体内に引き受け宿主としてトゥリックの繁殖を助けることで、彼らと共存する道を選ぶ。トゥリックも地球人を単なる大型動物として見ることをやめ、特別保護地域を設けて「人間」として扱うようになった。地球人の繁殖のために女性の身体が必要だという理由で、卵は普通、男性の身体に産みつけられる。産みつけられた卵は完全に孵る前に、宿主の身体を切り裂いて取り出される。が、時にはタイミングが遅れて、危険な状態になることもある。

こうした背景は読んでいくうちに明らかになる。物語の主題は、トゥガトゥワというトゥリックの卵を引き受けることになっている地球人の少年ガーンの葛藤である。ガーンの母親と親しいトゥガトゥワは家族同然の存在であり、ガーンも彼女の卵を宿すことに疑問を抱いてはいなかった。ところがある日、卵を取り出すタイミングを逃した男が運ばれてくる。トゥガトゥワは男の身体を切り裂き、血を舐めながら、幼虫を取り出す。ガーンは手助けしながら、その一部始終を目撃してしまう・・・

こうした異星生物による「寄生」は、作者がアフリカ系アメリカ人女性であることもあって、奴隷制における黒人女性の体験を思わせるものとして否定的に受け取られることもあったが、バトラー自身はむしろ「共生」のメタファーとして肯定的に捉えていた。とはいえ、身体のなかで何か異質なものが形を成していく違和感、それが身体を食い破ってでてくるような暴力的なイメージは、「共生」が常に痛みと覚悟をともなうものであることを表しているのだろう。考えてみれば、体内で何か別のものが形を成していくという感覚は、女性、とりわけ出産をしたことのある女性には馴染み深いものなのかもしれない。その意味で、その感覚を味わうことができない男性に対するバトラーの優しくも意地悪な視線を感じてしまうのはぼくだけだろうか・・・

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2009年7月25日(土)

多民族研究学会第12回大会@国士舘大学

最初の発表者は都立大院生時代の後輩でもある一橋大学院生の中川智視くん。日本では日本文化の紹介者として語られることの多いラフカディオ・ハーン小泉八雲)のニューオリンズ時代について語った。ガンボ、ジャズ、言語の不統一・・・ニューオリンズは「さまざまな都市の色合を集めた町」であり、そうした文化的混交のなかでハーンが人生の最も長い期間をすごしたということは、もっと注目されてもいい。彼はニューオリンズを舞台に、英語、ピジン、フランス語、スペイン語などが入り混じった短編も書いており、そうした傾向は英語のなかに日本語の単語が残された『怪談』にも通じる。一方で、ハーンは文化に抑制された一貫性を求める保守派の論客でもあり、来日後ますますその傾向を強めていった・・・非常に興味深い内容だったが、ニューオリンズの文化混交と、『怪談』の多言語性は一本の糸ではつながらないのではないかという気がした。文化的混交にどっぷりつかっていたニューオリンズ時代とは対照的に、来日後のハーンは日本文化をその一貫性を保ったまま英語に翻訳しようとしたのであり、だからこそ英語に翻訳しきれない部分が日本語の単語となって残ったのではないか。つまり、複数の文化がせめぎ合う文化混交と、ある文化の筋道を他の文化のなかに移し変えようとする文化翻訳とは全く違った現象だということである。文化混交→文化翻訳へという流れのなかに、ハーンの保守化を見ることができるかもしれない。

コロラド大学客員教授の鈴木繁先生はSF(サイエンス・フィクションスペキュレイティヴ・フィクション)におけるポストヒューマン的な傾向を総括しつつ、異星生物との細胞交換から生れる新しい生命を描いたゼノジェシス三部作を中心に、アフリカ系アメリカ人の女性SF作家オクテイヴィア・バトラーについて語った。近年のSFに特徴的なのは、リプリカントサイボーグ、エイリアンとの混血、遺伝子工学・・・といった人工的な操作によって生れる混成的な存在を通して、リベラル・ヒューマニズムによって構築された近代の人間主体を問い直そうとするポストヒューマン的な傾向である。エイリアンと遺伝情報をやりとりするオクテイヴィア・バトラーのゼジェノシス三部作はその一例であるといえるだろう。異星生物オアンカリの繁殖のために身体を利用されるというストーリーは、作者がアフリカ系アメリカ人女性であることもあって、奴隷制における女性の体験と結び付けて語られることもあった。しかし、バトラー自身はむしろ違った性質のものが必要なものを提供しあうことによってネットワークを形作る「共生」のヴィジョンとしてこの関係を捉えている。また、オアンカリのいう「人間は知的だが、階級的である」という言葉をとらえて、バトラーの人間観を生物本質主義的なものとする見方もあるが、むしろ彼女はアイデンティティを他者との関係(共生)のなかで構築されるものとして捉えており、本質主義的な図式にははまっていない。自らの身体のなかでエイリアンが繁殖していく違和感が生々しく描かれることからもわかるように、「共生」は誰もが気持ちよく受け入れるものというよりも、それぞれが納得できないものを感じながらも受け入れざるをえないものとして描かれている。それは昨日の日記で紹介したバトラーの問題作『キンドレッド』におけるエドナとルーファスの関係にも通じるものがある。

成城大学・中村理香先生の発表は、アジア系アメリカ人とアジアの連続性を無批判に受け入れることが孕む問題を、理論と作品の両面から明らかにするもの。同化の時代を経て、アジア系アメリカ人にとってアジアは「回復されるべき場所」であると認識されるようになった。しかし、アジアであると同時に帝国(アメリカ)でもある「アジア系」とアジアそのものの間にはすでに無視できない差異が生まれている。にもかかわらず、アジア系の娘がアジア出身の母親たちの物語を語るとき、しばしば母親の体験を審美化(romanticization)し、アジア系とアジアの文化的横断がたやすいものであるかのように描き出してしまう。あるいは、アジア系娼婦の物語を感傷小説という枠組で語ることはアジア系女性の連帯からすら排除されてきた人びとの体験をすくいあげるために有効だが、同時に西洋文学のジャンルを援用することによって本来は理解不能な体験から他者性を取り除き、あたかもアメリカ主流社会へ統合可能なものであるかのように無害化する。元従軍「慰安婦」の母「アキコ」(慰安所で与えられた名前)とアメリカ生れの娘の関係を描いたノラ・オッジャ・ケラーComfort Womanでは、ピジン英語では表現しえないアキコの内面が標準英語に託され、彼女自身の言葉ですら表現できない体験が描かれる。この手法は娘を含めたアメリカの人びとが見る「アキコ」と彼女の内面に大きなズレがあることを示すために有効だが、同時に「韓国系女性作家」の言葉によってアキコの体験を翻訳してしまうという危険を犯している。そんな作品にあって、母が娘にあてた手紙で唯一「慰安婦」を表す言葉だけが韓国語で書かれていること、娘にそれをBattalion slaveという英語に直させることによってアキコの体験の翻訳不可能性が示されていることは注目に値する。翻訳されえない体験はそれでも語られなければならないが、常に語りえない部分があるということを意識しながらでなくてはならない・・・というのがアジア系文学にも理論にも弱いぼくが、ぼくなりに解釈した発表の概要です。すごく刺激になりました。

最後に、長い間多民族研究学会の初代会長を務められた岸本寿雄先生の記念講演。小豆島に生まれ、身近な体験から部落や朝鮮人に対する差別を知り、大阪のもっとも貧しい地域で育ちながら、黒人文学に対する興味を深めていった生い立ち、ニューヨークのショーンバーグ図書館に通いつめた研究生活、さらには大学院を卒業された息子さんと出かけてから関心を深めたインドのお話など、非常に興味深い内容だった。現在は小豆島にお住まいの岸本先生だが、インドに何度も足を運ぶヴァイタリティは健在。150まで生きるつもりのぼくも、ぜひ見習いたい。

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2009年7月24日(金)

お腹が痛い。クーラーつけっぱなしで寝たせいか?冷え冷えの冷房車のせいか?薬局に相談すると、正露丸を差し出された。「正露丸って下痢の薬じゃ・・・?」「冷えすぎてお腹が痛くなったときとかにも効きますよ」・・・正露丸は日露戦争のころに広まった薬で、ロシアを征するという意味で名づけられたと聞いたことがある(もともとの名前は「征露丸」)・・・嗚呼、俺の腹んなかのロシアが革命を起しそうだ・・・いや、待てよ。すると相手はボリシェビキか。それじゃあ、ロシアを征しちゃっていいのか。むしろ援軍を送るべきではないのか・・・敵がボリシェビキ(便秘)なのか、王党派(下痢)なのかもわからぬまま、でかい鼻くそのような薬を三粒、飲み下した。う~ん、マンダム。

Img347オクテイヴィア・バトラーの小説『キンドレッド きずなの召喚』(Kindred、1979、風呂本惇子/岡地尚弘訳、山口書房、1992)を読み終わった。オクテイヴィア・E・バトラーはアフリカ系アメリカ人の女性SF作家。何世紀にもわたって生き続ける超能力者たちの物語=パターニスト・シリーズ(1976-84)や異星生物との細胞交換から生れる新しい生命を描いたゼノジェシス三部作(1987-9)などの作品で知られる。『キンドレッド』は、そんなバトラーが人種問題に真っ向から取り組んだ異色作。現代の黒人女性が奴隷制時代のアメリカ南部にタイムスリップするという、SF的手法で書かれた「奴隷体験記」である(バトラー自身はこの作品をSFとは認めず、「ファンタジー」と呼んでいる)。こんな本が翻訳されていたとは知らなかった。

作家志望の黒人女性デイナは、派遣先の職場で知りあった白人男性ケヴィンと結ばれ、新しい暮らしを始めようとしていた。そんな最中、突然激しいめまいに襲われた彼女は、十九世紀のアメリカ南部へタイムスリップし、溺れかけていた白人の少年を救う。この少年こそ、黒人女性アリスとの間に娘ヘイガーをもうけたエデナの祖先ルーファスであった。ルーファスがトラブルに巻き込まれるたびエデナは150年前に呼び出され、命の危険を感じると現代に戻る。現代で短い時間をすごして戻ってみると、十九世紀南部ではまたたく間に時が流れている。不注意だが優しい一面もあったルーファスも、次第に奴隷制社会の欺瞞を内面化した青年へと成長していき・・・

ある意味、荒唐無稽な話だが、それでもリアリティが失われることがないのは、歴史に取材しながら、登場人物どうしの距離が注意深く描かれているからだろう。「距離」がこの作品のテーマの一つだといってもいい。エデナは黒人だからといって黒人奴隷たちにすんなり溶けこめるわけではない。白人のような言葉をしゃべり、主人と寝食を共にするエデナは嫉妬と憎悪の対象ですらある。もちろん、そこには避けられない連帯や共感もあるのだが。また、ルーファスは奴隷主(の息子)としてエデナを束縛する立場にあるが、その一方で常に彼女に窮地を救ってもらう必要を感じている。祖先であるルーファスの死はエデナ自身の消滅をも意味しているから、彼女もまたルーファスに依存している。二人は全く違う立場にありながら、奇妙な相互依存関係に陥っている。登場人物のなかで、最もエデナと近いところからものを見ているのはケヴィンだろうが、彼もまた白人の視点、男性の視点を捨てることはできず、彼女と全てにおいて共感しあえるわけではない。

このように、それぞれの登場人物が互いに距離を意識しながら、それでも深く関係せざるをえない姿を描いているところが、この作品の魅力だと思う。だから、単に奴隷制社会を告発する、といった内容にはなっていない。バトラーは当初、奴隷制時代に「何の抵抗もしなかった」祖先を責める黒人男性をモデルに作品を構想したという。果たして、その男性が奴隷制時代に生きていたら、祖先たち以上に気高く振舞えただろうか。それは白人の側も同じである。ルーファスやその父トム・ウェイリンは決して血に飢えた狂人ではない。その時代、奴隷制の狂気に感染し、暴力に憑かれた白人もいただろう。しかし、ここではそうではない。論理や感情を残した人間が「奴隷制」という制度に忠実にすごすと、欺瞞や自己満足でふくれあがってしまう、ということなのだ。ぼくだって、もしあの時代に奴隷主だったら、奴隷制に疑問を差し挟めたか、美しい奴隷の女性を前に手を出さずにいられたか、わからない。

もちろん、「だから、奴隷制を免罪せよ」というのではない。

私たちは自分たちの時代に疑問を差し挟むことができているだろうか。エデナとケヴィンという現代(1976年)のカップルによる人種間結婚を通じて、作者はそんな問いも投げかけているように思えてならない。

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2009年7月23日(木)

2009_07_23webisu今日のラーメン:「つけ麺(650円)」@菊名『ゑびす』
基本的には家系のお店だが、つけ麺には魚粉がたっぷり入っている。つくる過程を見ていたら、そこにさらに生姜汁のようなものを入れていた。そのためか、味は濃い目で酸味が強く、それと豚骨スープの相性が良いと思うか、悪いと思うかで好みが別れるかも。ぼくはわりと好きなほう・・・★★★+

だじゃれ。シジミ・ヘンドリックス。貝だけど、ギターが上手い。仲間にシジミー・ペイジというのもいる・・・くーだらないくーだらない。

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2009年7月22日(水)

2009_07_22santouka今日のラーメン:「しおそば(800円)」@横浜『山頭火』横浜西口店
冷やし中華風のメニューで厳密に言えば「ラーメン」ではないだろうが、美味しかったので掲載。梅肉から出たエキスが塩味のスープに染みて、独特の清涼感を生み出している。豆苗と葱油の相性が抜群。トントロが三枚も入っているのもうれしい。縮れた中太麺もコシがあって美味しい・・・★★★+

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2009年7月20日(月)

51xdjbkvyl__ss500_平岡正明黒人大統領誕生をサッチモで祝福する』(愛育社、2008)を読み終わった。『ミュージック・マガジン』などに書かれた文章を読んでいる程度で、ましてや面識があるわけではないのだが、平岡正明さんには「豪腕」というイメージがあった。極真空手の有段者だったからでも、革命家を自任するラディカルだったからでもない。例えば、この本の冒頭、「一九〇〇年、三遊亭圓朝が死に、ルイ・アームストロングが生まれた。したがってジャズは落語の生まれかわりであります」の言葉通り、志ん生の落語「首ったけ」でお気に入りの娼妓と喧嘩して吉原の遊廓を飛び出した男が、いつの間にかニューオリンズの紅灯街ストーリーヴィルに紛れ、伯母の経営する売春宿「マホガニー・ホール」でピアノを弾きながら「ペーズン・ストリート・ブルース」を作曲するスペンサー・ウィリアムズを呼び込む・・・筒井康隆ジャズ大名』のような飛躍した話を、それでも納得して聞かせてしまう腕力が、ぼくに「豪腕」のイメージを抱かせたのだと思う。つい、「聞かせてしまう」と書いたが、それは論理的に整理して「読む」ことを拒否する、ジャズのアドリブのような文章だ。そのため、「あまり論理的な文章ではない」(Wikipedia)などと批判されることもあるようだが、余計なお世話だろう。ここにあるのは論理というよりも、物語である。そして、物語でしか再現しえない論理もあるのだ。焼け野原だった桜木町の駅前にトレーラーを止めて蜜柑を食べながらバップを聞いていた黒人兵・・・といった鮮烈な記憶が、目の前で起こっている現実の前に投げ出される。「豪腕」という(ぼくが勝手に抱いた)イメージとは裏腹に、すごく繊細で自由な語りなのだ。

個人的に印象に残ったのは、サッチモもバラク・オバマも仮面をつけて人種差別社会に対応する現実主義者であるという、シェルビー・スティールオバマの孤独』の「つまらない結論」に対して反論した次の部分である。

「第一に、サッチモやマイルスのジャズは仮面ではない。
第二に、道化の戦闘性を否定することは、少数派、差別されている者の武装解除だ。
第三に、仮面をつければこそ真実を語ることができるという芸術の本質への無知である」(83)

「第二」と「第三」については、その通りだと思う。だとするなら、「第一」は「ジャズもまた仮面だ。それの何が悪い」でよかったのではないか。書き方はともかくとして、書いてある内容はこのところぼくが考えてきたのと同じことだ(拙論「黒人ミンストレルの虚構性と演技する力」参照)。平岡さんの死によって、ご本人にそのことを確認することはできなくなってしまったけれど・・・改めてご冥福をお祈りします。

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2009年7月19日(日)

Niji
なげやりの練習をするため、新宿へ。新宿駅を降りると、だれもがいっせいに空を見上げている。写メを撮っている人もいる。なんだ何だ?UFOか?と思って見ると、大きな虹がくっきりと半円を描いていた。ごみごみした新宿の街を包み込むような、堂々とした虹だった。思わず、ぼくもカメラを向ける。

よどんだ空気のなか、座り込んでジュースを飲んでいるオッサンの横をすり抜けてスタジオへ。ロックンロールの塊になる。ようやく、ガタガタ言っても声が嗄れないようになってきた。「ゴリゴリ2009

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2009年7月18日(土)

2009_07_18rasta今日のラーメン:「ラーメン」@代々木『らすた』代々木店
日吉本店と比べると、見た目からして違う。スープの色が濃いのだ。食べてみると、予想通り、かなり醤油の味が濃い。豚骨スープ自体の濃厚な味わいは十分出ているが、やっぱりもう少し薄味の方が食べやすいかも。固めのコシがある麺は本店ゆずりで美味しい。やはり、味の濃さが残念・・・★★★

Iochiking
代々木laboにイオチキングのライブを見に行った。イオチキングは今、ロック・バンドとして最高に脂がのりきっている。シンプルで力強いロックンロールに、ヨシワラくんのギターがキラキラとした色彩を添える。演奏の充実ぶりに嫉妬すら感じた。打ち上げに参加してビールを飲みまくり、結局、イオチくんの家に泊まった。おじゃましました~。

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2009年7月17日(金)

Neverland
ミュージック・マガジン』8月号に、萩原祐子さんがマイケル・ジャクソンの追悼記事を書いていた。そのなかで、萩原さんは「彼はけっして世間で言われたように"白人になりたい黒人"ではなかったんじゃないかと思う。白でも、黒でも、何色でもない人になりたかったのではないか」(56)と書いている。前に書いたとおり、ぼくも同じ意見だ。晩年のマイケルが見せた白い顔は白人社会であれ何であれ、何かに受け入れてもらいたいというサインではなく、拒絶のメッセージ、空白の象徴であるようにぼくには思える。彼は何ものにもなりたくなかった。人種差別社会で大人になることが、自分の人種的アイデンティティを受け入れることであるとするなら、それを拒否するマイケル・ジャクソンは一生子供のピーターパンでいるより他なかったのだ。だから、マイケルは「自宅に広大な"ネヴァーランド"を建設し、大人になることを拒絶し、時を止め、無垢な子供たちとの夢の空間に閉じこもろうとした」(57)。そんなマイケルの曖昧なアイデンティティ(というよりもアイデンティティの拒絶)を、アメリカ社会が受け入れるはずはない。お前は白人なのか、黒人なのか?子供なのか、大人なのか?男なのか、女なのか?そのどちらでもないのなら、お前は異常者だ!マイケル・ジャクソンに対する執拗なバッシングは結局、アイデンティティを特定しない人物に対する不安の反映だったのではないか。

一方、ピーター・バラカンさんは7月4日付けの朝日新聞で、白人のビデオしか流そうとしなかったMTVに風穴を開けたマイケルの功績を認めながらも、「肌の色が白くなっていくに従って、マイケルの音楽には『黒さ』が失われていった」と語っている。ぼくもいわいる「黒っぽい」音楽が好きで聞いてきたし、少し前ならバラカンさんの言葉をすんなり受け入れることができただろう。でも、今は音楽の「黒さ」について、いくつかの疑問を投げかけずにはいられない。そもそも、音楽が黒いとはどういうことか?アフリカ系アメリカ人の音楽は常に変化し続けてきた。にもかかわらず、そこに「変っていく同じもの」、変化を貫く「黒さ」があるとするなら、それが何なのかはっきりさせなければならない。そうでないなら、「マイケルの音楽は黒くない」という発言は単なる好みの表明でしかありえない。それ以上に疑問なのは、マイケルは「黒く」あり続けなければならなかったのか・・・ということである。マイケルが「黒く」あり続けることに興味がなかったとするのなら、彼の意思に反して「黒く」あるべきだと言う権利が誰にあるだろうか(もちろん、バラカンさんは「黒くないから悪い」という表現は周到に避けているが)。

マイケル・ジャクソンがスター街道を邁進していたのとちょうど同じころ、イギリスでは若いアフリカ系の芸術家たちが、人種的イメージに挑戦する試みを行っていた。例えば、イングリッド・ポラードは『田園間奏曲』(1984)で、典型的なイギリスの田園風景のなかにアフリカ系の人物を置くことで、強烈な異化作用を生み出そうとしている。

「ウォークを余暇とし、桂冠詩人の詩的感興を奮い立たせたレイク・ディストリクトを歩いたことがある人であれば、いやそうでない人も含めて多くのイギリス人は、この写真を見ると、なにか落ち着かない奇妙なイメージだと思うだろう。写真から感じられるあたりの冷気、灰色の曇天、古い石垣、遠くに見えるまばらな木立、一眼レフ・カメラ、防寒装備、そういったものすべてが、ここにただひとりいる人物とそぐわない。なぜここに黒人女性がいるのか。これは奇妙だ、見たことがない」(萩原弘子『ブラック 人種と視線をめぐる闘争』、194-5)

黒人青年マイケル・ジャクソンが個人所有のディズニーランド、アメリカ主流文化の粋を集めた大豪邸のなかにいるのを見ることは、イングリッド・ポラードの作品がイギリス人に与えるのと同じ違和感を見るものに与えただろう。ほんの数十年前まで黒人の子供は遊園地に入ることも許されず、メリーゴーラウンドにジム・クロー・カー(黒人専用車)はないのかと問いかけなければならなかったのだ(ラングストン・ヒューズの詩「メリーゴーラウンド」)。もちろん、ポラードが戦略としてわざとやっているのに対し、マイケルはナイーヴさからそこにはまり込んでしまったという違いはある。そして、アメリカ社会の人種偏見はナイーヴな境界侵犯で乗り越えられるほど甘くはなかった。

「アイデンティティ」という仮面を拒絶したマイケル・ジャクソン。拒絶せずにはいられなかったのだ。ぼくはあんたらが思っているような「マイケル・ジャクソン」じゃない。ましてや、「黒人青年」なんかに回収されない・・・でも、やっぱり彼は仮面をかぶることを恐れるべきではなかった。いくつもの仮面をつけかえて、敵を煙に巻くべきだった。例えば、同時代に活躍したプリンスは、自己イメージの氾濫のなかに身を隠した。しまいには読むことすらできない記号をアイデンティティとして差し出した。そんなに俺が何者か知りたいなら、これをやるよ!(もちろん、冗談だけどね!) アフリカ系アメリカ人は、黒塗りミンストレルに活動の場を求めた黒人芸人以来、そうした仮面のつけかえの長い伝統を持っている(拙論「黒人ミンストレルの虚構性と演技する力」参照)。その意味で、マイケル・ジャクソンは「黒さ」を失ったといえるかもしれない。そして、それはぼくにとって残念なことだ。進んでいるように見えて実はバックしているムーンウォークのように、マイケルには観客を煙に巻いて欲しかった。

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2009年7月14日(火)

2009_07_14tenhou今日のラーメン:「ラーメン(醤油)」@六本木『天鳳』
店先には「札幌」の文字がおどる(本店は札幌ラーメン横丁にあるらしい)が、一押しメニューは醤油。ちょっと苦味があるような奥深い味は、札幌というよりも旭川のラーメンに近い。よく縮れた中太麺はかなり硬めに茹でられていて、ラーメン好きにはたまらない味わい。チャーシューはかたいが、これは好みだろう・・・★★★+

東京ミッドタウンのジャズ・クラブ『ビルボード・ライブ東京』で、ブルース・ブラザーズ・バンドのライブを見た。ダック・ダンマット・ギター・マーフィもいないメンツをブルース・ブラザーズ・バンドと呼べるのか、そもそもジョン・ベルーシの死後四半世紀以上もの間、「ブルース・ブラザーズ」として活動するのってどうよ・・・といった疑問にも関わらず見に行ったのは、スティーヴ・クロッパーがギターを弾くのをこの目で見てみたかったから、というに尽きる。それさえあれば、何でもいいよ・・・と思っていたのだけれど、ショーアップされた(悪ノリともいう)ステージに心躍り、気がつくと重たい身体をクネクネくねらせながら、「ハディハディハディホー」のかけ声に山びこよろしく答えていた。そして、御大スティーヴの演奏は・・・とてもゆるい。でも、かっこいい。譜面上だけのことを言えば、スティーヴ・クロッパーの弾くフレーズは、ちょっとギターの上手い人なら弾けるだろうと思う。でも、こうして目の前で御大のギターを聞くと、もう何もかもが違う。音のぶっとさ・・・それもある。でも、それだけじゃない。存在感というか、空気感というか。次のフレーズにいくときのふわっとした間というか。「スウィート・ホーム・シカゴ」でシャフルのなかに三連をぶちこむとき、もう一人のギターリスト(フュージョン畑の人らしい)が「ズジャッチャツチャズジャッチャツチャ」みたいに小気味良くカッティングで入れるのに対し、御大は低音弦を「ズジャジャジャズジャジャジャ」みたいな感じでベタに野太く弾いていた。これがまたかっこよい。いっしょに行ったギターリストのイノウエさんは、ステージのうえの御大と握手をしていた(ぼくはできなかった!スタックスのTシャツ着てアピールしてたのに!)。その手でギターを弾くと、いつもとは違う音がするよ、きっと!


↑1994年ニューオリンズでのライブ。このときはまだダック・ダンもマット・マーフィもいます。

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2009年7月13日(月)

2009_07_13keisuke今日のラーメン:「激烈担々麺(900円)」@品川・麺達七人衆品達『初代けいすけ』品川店
担々麺はラーメンかどうか自分のなかでも迷いがある(嫌いなわけではない)が、この店の場合、基本のラーメンを辛くしただけという感じなのでラーメンに入れていい。色から受ける印象とは裏腹にクリーミー(実際クリームを使っている)な味わい。それでいてインパクトも強い。「激烈」というほどではないが、辛さもパンチがある・・・★★★+

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2009年7月12日(日)

2009_07_12saitamaya今日のラーメン:「つけ麺(500円)」@神保町『さいたま屋』神保町店
関西の人がよく真っ黒い東京のうどんを見て「醤油入れてるだけ」というようなことを言うが、それを本当につくってしまうとこうなるだろう。鰹だし?は出ているが、こんなに塩辛くてはそれも意味がない。第一、つけ汁が出てきてから麺が出てくるまで2分以上もかかるっていうのはどういうことなんだろうか。評価できるのは値段だけ・・・★★

P1060108
花のように見せかけて、何かのスイッチに違いない。

今週もまた、神保町へ。『ジャニス』でCDを大量レンタル。『カフェ・ルーゾのアマリア・ロドリゲス』があったのには驚いた(何でもあるな、ここは!)。石田昌隆さんが『オルタナティヴ・ミュージック』で紹介していて、ぜひ聞いてみたかったのだ。家に帰って聞いてみると、石田さんも書いていた通り、観客の咳払いやグラスのぶつかる音まで入っていて、会場の様子を生々しく伝えている。曲間をはしょったりしていないのもいい。1955年のリスボンにいたら、間違いなくアマリアの歌と酒に溺れるな。

その足で『富士レコード』へ。石田一松のSP盤を2枚入手。一枚は「露営の夢/戦友の別れ」。戦時下に録音された「時局小唄」で一松本来の姿とは言いがたいが、自ら望んでのことかどうかはともかくとして、こうした歌を数多く録音したことを、原爆で家族を亡くした戦後の一松がどう思っていたのか・・・という問題を考えるうえで重要な資料ではある。もう一枚は「生活戦線異常あり/いやじゃありませんか」。ジャズ・バンドの伴奏で録音されたコミック・ソングで、これは素直にうれしかった。「生活戦線異常あり」(1930)は『西部戦線異状なし』を文字ってつくられた、添田唖蝉坊・最後期の作品。

春が来た来た 春が来た 春が来て草木も芽が出たに
俺の目は凹んだおかしいぞ ヨワッタネ 生活戦線異常あり

またまたデパアトの屋上から 若い男が飛び降りた
この世がイヤだと飛び降りた ヨワッタネ これは精神に異常あり

当局に睨まれること必至、一松と亜蝉坊の反骨ここにあり、といった作品である。「いやじゃありませんか」のほうは、「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」なんかにも影響を与えているはずだ。

Img330半蔵門線に乗ってワールド・ミュージック専門のレコード店、渋谷宮益坂の『エル・スール・レコード』へ(ここで、お知らせ・・・チキリカのCD『Boo Booo. . .』を『エル・スール』に置いてもらえることになりました。販売価格は850円)。西アフリカ・ベニンのファンクを収録したオムニバスと江州音頭のニューウェイヴ(?)・月乃家小菊のマキシシングル『踊れ大阪総おどり/気持ちヨホホイホイ』を購入。後者はバックをつとめる「月乃家会」の演奏が素晴らしい。以前、河内音頭や江州音頭が西洋楽器を入れてワールド・ミュージック界に殴り込みをかけたころと比べても格段の進化をとげている。特に、三味線とギターのポリリズミックなからみ、太鼓とベースが一体になってくり出すリズムの説得力が素晴らしい。関東では錦糸町周辺と『エル・スール』だけの販売です。ばかジャケ度の高さにも惹かれます。おすすめ。

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2009年7月11日(土)

Img326映画『ソウルビート・ストリート』(Good To Go、ブレイン・ノバック監督、1986)を見た。今さら?と言われるかもしれないが、ゴーゴーを聞きなおしている。地元コミュニティと結びついた「いなたい」音楽を求めるうちに、チャック・ブラウントラブル・ファンクを思い出した。どたんどたんと垢抜けないビートをくり返すゴーゴーは、どこか村祭りを思わせるローカル色強い音楽で、地元ワシントンDC以外ではほとんど大きな成功を収めなかったというのもうなずける。それだけに、それ自体地元密着のメタファーになりそうな、跳ねているのに重心の低いビートが気になってしかたがない・・・そんななか、石田昌隆さんの新刊書『オルタナティヴ・ミュージック』に、「ゴーゴーは今でもヴィヴィッドな音楽だと感じてしまう」(145)という文章を見つけて嬉しくなってしまった。そこでも紹介されているゴーゴーのライブてんこもりの映画がこれだ。

ゴーゴーの一時的流行にのって作られた(おそらく低予算の)映画なので、ストーリー映画としての深みは求めるべくもない。すっかり禿げあがったアート・ガーファンクル扮する新聞記者ブリスが、警察からの情報を鵜呑みにして書いたニセ記事の真相を求めて悪徳刑事ハリガンと対決する。レイプ殺人に関わったとして追われる身となった兄の無実を信じるリトル・ビートは、ブリスの真摯な態度に接して次第に心を開いていく。よくある「ヒューマン・ドラマ」だが、登場人物それぞれの背景がほとんど描かれていないので、行動に必然性が感じられない。リトル・ビートはなぜブリスが信頼できる人間だと認めたのか。ブリスは何がきっかけで自分のなかの人種差別に気づいたのか・・・全く見えてこない。「環境の犠牲者」なんて言葉は、それがどんな「環境」なのか一人ひとりの人生に即して描き出さなければ説得力を持つはずがない(それにしても、陳腐なセリフだけど)。まあ、この映画にそんなことを期待するのは、ないものねだりというものかもしれないけど・・・

結局、この映画の魅力は、音楽のカッチョよさ、ゴーゴーの背景となるワシントンDCの黒人街の雰囲気が捉えられているということにつきる。それは・・・素晴らしい。映像というのは恐ろしいもので、言葉が上すべりしているときでも泥臭い現実を伝えてしまうことがある。犯罪と隣りあわせで生きる人びとの生活と、そのなかに占める音楽の位置がイメージとして伝わってくる。陳腐なストーリーはそこに犯罪、人種差別、腐敗といった「名詞」の枠をはめてしまう。そこから一回きりの「動詞」としてはみ出す部分を、生々しい映像から垣間見ることができる。

↓ この人・・・

チキリカのメンバーに欲しい・・・

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2009年7月10日(金)

Wizダイアナ・ロス主演のミュージカル映画『ウィズ』(The Wizシドニー・ルメット監督、1978)を見た。『オズの魔法使い』をオール黒人キャストでミュージカル化し、トニー賞7部門を受賞した舞台(1975)の映画版である。

夢と現実のはざまで明けていくオズの国の朝。背景美術の素晴らしさに引き込まれる。くすんでいながら鮮やかな色彩には、グラフィティなんかにも通じるキッチュな感覚がある。スラムの廃墟、地下鉄、摩天楼・・・といったニューヨークのイメージが、もともとインダストリアルな国のチープなファンタジーである原作に不思議な生々しさを与えている。ドロシー(映画では24歳の設定になっている)を当時34歳のダイアナ・ロスが演じることに違和感はあるものの、それも予想していたほどではない(舞台では二十歳そこそこのステファニー・ミルズが演じていたのだから、無理があることは否定できないが・・・まあ、ダイアナ・ロスはそもそもカマトトだからね)。

それよりも素晴らしいのは、「かかし」役のマイケル・ジャクソン。うまく歩けない詰め物のかかしを演じながら、なおかつ華麗なステップを踏むという離れ業ができるのは、この人を置いて他にいないだろう。晩年の彼からは想像できない、豊かな表情に魅了される。母親キャサリンによれば、思春期を迎えるころから持ち前の天真爛漫さが影をひそめ、次第に引きこもりがちになっていったというマイケルだが、少なくともこの時点ではそうしたナイーヴさが演技や歌に良い影響を与えている。そして、このころのマイケルは「キング・オヴ・ポップ」ではない。黒人コミュニティーの息子だ。のちに人種を超えたスターになっていったことが良いことだったのか、悪いことだったのか、ぼくにはわからない。ただ、そのなかでこの映画に見られる何かが始まるようなウキウキとした感じを、豊かな表情とともに失ってしまったのはとても残念だ。

音楽や踊りに加えて、敵から逃げまわるドロシー一行のドタバタぶりもコミカルで楽しい。ひらげは根が子供なのでこういうのを見ると、キャッキャと手を叩いて喜んでしまう。それでいて、西の魔女イブリーンの工場でこき使われていた人びとがみすぼらしい服を焼き捨て踊りだすシーンなんかは、どこか奴隷の解放を思わせる。出演者には他にもレナ・ホーンリチャード・プライヤーらが名を連ねていて、アフリカ系スター総出演の感がある。監督が『十二人の怒れる男』のシドニー・ルメットだというのも驚き。

追記:ダイアナ・ロス扮するドロシーとマイケルかかしが黄色いブリック・ロードを踊りながら歩いていくシーンを見て何か思い出すものがあると思ったら、チャップリンの『モダンタイムス』のラスト、チャップリンと当時の奥さんだったポーレット・ゴダードが手に手を取って旅立っていくシーンだった。あの、何かがはじまる、不安だけどウキウキした感じ、それも似ているんだ。

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2009年7月9日(木)

2009_07_09zeroone今日のラーメン:「ガッツリラーメン(680円)」@@橋本橋本『麺屋 ZERO1』ミウィ橋本店
どこからどう見ても、『二郎』。魚介豚骨の「武士」と、『二郎』インスパイアの「ガッツリ」の二本立てということらしい。『二郎』自体得意ではないが、美味しいところは酸味と旨みが一体になったような味わいがある。ここには・・・ない。油が多すぎないのはいい。あと、チャーシューは美味しかった・・・★★★

評論家の平岡正明さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

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2009年7月8日(水)

2009_07_08zeroone今日のラーメン:「武士系豚骨つけ麺(750円)」@橋本橋本『麺屋 ZERO1』ミウィ橋本店
今日はつけ麺を試してみた。ラーメンほど甘さは感じなかったが、魚粉が多すぎて喉ごしがすこぶる悪い。それでいて魚系の美味しさはそれほど出ていない。『田ぶし』と似たところもあるが、あんなに洗練されていない。大量の麺がなかなかなくならない。これが「21世紀のラーメン」なのか?・・・★★★

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2009年7月7日(火)

2009_07_07com_pho今日のラーメン(?):「スパイシーフォー(780円)」@渋谷『コム・フォー』渋谷店
ベトナムやタイのお米の麺はやはりラーメンとは別物だと思う。とはいえ、辛いものもパクチーも大好きなひらげは、ときどき無性にエスニック系の麺が食べたくなる。今日はたまたま渋谷でベトナム料理のお店を見つけたので入ってみた。「スパイシー」とはいえ、タイ料理とはかなり違った味わい。これはこれでけっこういける・・・★★★+

Kikyo0707
桔梗渋谷屋根裏。4月に活動を再開したばかりの桔梗だが、このライブを最後にしばらく活動を休止するとのこと。残念。そのせいか、いつもにも増して気迫の感じられる演奏だった。レスポールの機嫌も直ったみたいだし。会場に中学生の息子がいたことも、なげやりくんの緊張感を高めていたのかもしれない(MCもいつになくキリリとしていたけど、あれも父親モード?)。終演後、少年は父親の演奏を真似して、エアギターをかき鳴らしていた。演奏をはじめる日も近いな。今後については、「桔梗」(スリーピースのロックバンド)という形をとるかどうかはさておき、この音楽はいずれ何らかの形で結実するだろうから心配していません。その日を楽しみにしています。

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2009年7月6日(月)

2009_07_06setagaya今日のラーメン:「魚郎らーめん(900円)」@品川麺屋七人衆品達『せたが屋』品川店
名店『せたが屋』による二郎インスパイア系ラーメン・・・筒井康隆による小松左京パロディ「日本以外全部沈没」のようなものか(?)。『せたが屋』らしく魚系の素材を使いながらも、全体から受ける印象はまさに『二郎』そのもの。酸味のあるスープはそれなりに魅力的だが、この油の多さだけはやはり受け入れがたい・・・★★★

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2009年7月5日(日)

2009_07_05hirugao今日のラーメン:「塩ラーメン(700円)」@東京『ひるがお』(東京ラーメンストリート)
『せたが屋』の昼の顔である本店はもちろん、新宿御苑店さえ未体験だったのだが、「東京ラーメンストリート」出店でついに行ってきた。でも、期待が強すぎたのか、「こんなもんかなぁ」という印象。無化調のスープは塩味も控えめで、旨味甘みが前面に出ている。パリッとした麺も美味しい。でも、強い「インパクトには欠けるような・・・★★★+

久しぶりに御茶ノ水→神保町→水道橋を散策。明大通りを下り、人気お笑いコンビ、オードリー命名の由来となった(異説もあるようだが)スープカレー屋を横目に、靖国通りを左へ。大型音楽レンタル店『JANIS』でCDを借りる。エイプリル・フール、ファー・イースト・ファミリー・バンド、井上陽水、マイケル・ジャクソン×2、ミュート・ビート、小玉和文、不破大輔、プリンス×2、カシミア・ステージ・バンド、計11枚。

靖国通りを神保町方面に引き返し、古書店に群がる古参のオタクたちを観察しながら(←お前もじゃ!!)、古書センター9階の『富士レコード社』へ。SP盤が並んでいるここなら、石田一松をはじめとする書生節のレコードが置いてあるかもしれない。ところが、実際に行ってみると、あんまりたくさんありすぎて、どこを探せばいいのかサッパリわからない。流行歌?だろうか・・・でも、一松の「のんき節」は寄席芸でもあるわけだし・・・それに流行歌はポリドール、テイチクなど会社ごとに分類してある。一松のレコードがどこから何枚出ていたのか、SP時代のことは資料もなく、はっきりしたことはわからないのだ。降参して店員さんに相談する。「書生節のレコードを探してるんですけど・・・」というひらげの訴えを受けて、店員さんはSP盤の山に埋もれるようにしてしゃがんでいるおばあちゃんに声をかけた。この方こそ誰あろう、富士レコード社の名物社長(大正12年生まれ)であるということは、あとでわかった。「書生節?鳥取春陽やなにかかしら?」「春陽もいいですが、ぼくは石田一松さんが好きで・・・」「あら、じゃあ『のんき節』はお持ち?」「いえ、それが持っていないんです」 おばあちゃん・・・いや社長は若い店員にも指示しながら、SP盤の山を探しはじめる。「書生節はね・・・」「(期待に目を輝かせながら)はいっ」「なかなか出ないんですよ・・・」「そうですか・・・」 しばらくすると店員さんが「時事小唄 のんきだネ」のSPを取り出してきた。「名人会寄席の夕」と題した浪曲物真似・前田勝之助とのカップリング盤である。「むこうでお聞かせして」社長の指示でSPがプレーヤーに運ばれる。

出囃子とともに一松登場。「しばらくご辛抱を願います。名人会のなかへ入りまして、ばかばかしい歌を一つ二つ歌わしていただきます・・・」 おおおっ!一松の録音はいくつか持っているが、漫談まで入っているのは初めてだ。軽妙なトークをはさみながら、披露したのんき節は

Nonkidaneポスターを貼るのも結構ですけど
貼っていけない場所がある
氷屋さんの店先に
買いだめするなと書いてある
ハハ のんきだね

スパイを気をつけ
そもそもスパイは
どちらがスパイか人間か
ちょっと区別がつきかねる
スパイは諸君のなかにいる
ハハ のんきだね

昔やなんでも晦日払いで
しかも売る方が礼言うた
今では何でも現金で
しかも買う方が礼を言う
ハハ のんきだね

発売年は不明だが、どれも戦時色強まる時勢を反映した内容で、反骨の演歌師・石田一松の面目躍如である。寄席のスタイルで録音したせいか、今までに聞いたどの録音より歌もヴァイオリンも生きいきとしている。スパイの一節は国の方針に従っているように見せながら、漫談で「スパイと人間は同じ動物ですから、どれがスパイで人間だか区別がつきません」とまぜっかえす。結局、美人に限って外国人と付き合いたがる、おかげでこちらは「廻りが悪くなってくる」という卑近な愚痴で落としている。「スパイは人間じゃないらしいね?でも、外国人にぶら下がる女でも美人なら人間の方に入れておきたいだろう?」と言っているようにも聞こえる。現金払いについての一節は、『のんき哲学』のなかで戦後の社会について同じようなことを書いていた。

それにしても、一松はこうしたレコードをどれくらい出しているのだろう。「SP時代はどんなものが何枚出たといったリストはないんでしょうかね」「ないのね。とてもたよりない世界なんですよ」「やはり一枚一枚集めていくしか・・・」「あとは昔の広告を見るか」「ああ、何が出ていたはずだって言うのはわかるわけですね」「そう。とてもたよりない世界なの」 社長は最後にすぐ近くにある系列店の場所と、古書センター内にある落語カフェに寄席芸関係の資料があることを教えてくれた。「でも、面白いところに着眼なさっているわ」 中古レコード業界の生き字引にお褒めの言葉をいただいて、意気揚々と神保町の町にくり出した。

Img321

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2009年7月4日(土)

2009_07_04daifukuya今日のラーメン:「重厚中華そば(730円)」@赤羽『大ふく屋』
『天下一品』かと見まごうどろりとしたスープは濃厚。豚骨をベースとしながらも、煮干の香りが全体を強く支配する。野菜もかなり使っているらしい。今までにないバランスのスープだ。硬めに茹であがった麺、太いが柔らかいメンマ、しっかりしたチャーシューなど、すべてに抜かりがない。ラーメンの神様、ステキな出会いをありがとう・・・★★★★+

Oka_daisuke
浅草木馬亭に岡大介さんと小林寛明さんのカンカラ演歌を聞きに行った。岡さん(カンカラ三線/ギター/歌)と小林さん(ラッパ二胡/二胡)の『かんからそんぐ 添田亜蝉坊・知道をうたう』は演歌/書生節が本来持っていた若々しさ、清新さ、反骨とセンチメンタリズムを現代によみがえらせた傑作だ。今回の出演者は『かんからそんぐ』をレコーディングしたメンバー・・・いやがおうにも期待は高まる。会場は単館上映専門の映画館ほどの広さ。場所柄、観客の年齢層は高めである。年配の方7割、比較的若い人が3割(ピチピチギャルやチャラ男はいないが)といったところか。開場前、後ろに並んでいたおばあちゃんが「でも、亜蝉坊なんて、年寄りしか知らないだろう?」と言っていた。それが知ってるんですよ~、へへ。固い椅子に座って待つこと30分、「東京節」の演奏にのせて幕が開いた。おおおっ!ここでワタクシ、ひとつ勘違いしていたことに気づきました。小林さんの担当する楽器は「ラッパ二胡」だったのですね。「ラッパと二胡」だと思ってました(「ラッパ二胡」は中国の弦楽器・二胡のボディを金管にした楽器。驚くべきことに、手作りではなく既製品だという)。素晴らしい演奏にのせて、岡さんは添田親子の名曲をはじめとする演歌/書生節を次々と歌っていった。さらに、岡さんのルーツであるフォークソングや、ドリフの「いい湯だな」、春日八郎「お富さん」、岡晴夫(←岡さんのおじいちゃんだというのは・・・嘘です!)「あこがれのハワイ航路」も披露。どの歌も岡さんらしいひたむきさがあふれている。小林さんとの軽快なトークも快調。自然と笑みがもれ、音楽に参加したくなる。前の席のおばあちゃんが懐かしい歌を口ずさみはじめる。身体を揺らす人、手拍子を叩く人、声援を送る人。これだよな・・・音楽って。いいタイミングで子供の笑い声が響いたのも偶然ではなくて、音楽が楽しかったんだよ。感動とともに、自分の音楽についても考えさせられました。素晴らしい時間をありがとう。

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2009年7月3日(金)

チデジカに負けるな!アナログマTシャツゲット!
Analoguma
アナロ熊の歌」 ←かなり切ない。

Img317キャサリン・ジャクソンマザー:ザ・ジャクソン・ファミリー・ストーリー』(Mother: The Jackson Family Story、1990、小林禮子訳、扶桑社、1990)を読みおわった。ジャクソン・ファミリーのお母さんが家族の歴史を語った本。母の話にマイケルとラトーヤ以外の兄弟姉妹が補足的な説明をさしはさむという構成になっている。

マイケル・ジャクソンが気になる。あれだけ嫌いだった『スリラー』すら買ってきてしまった。マイケルが突然の死を迎える前にそう言っていたら、予言者的な嗅覚を認められていたかもしれない。今となっては後づけの感は免れないが、マイケルの死には単なるゴシップ以上の意味があるような気がしてならない。全米を代表するスーパースターとして、すべての夢をかなえたかのように見えた男が、なぜあんな不幸な死を迎えなければならなかったのか。そんなのはプレスリーやマリリン・モンローのころから変らない、ショウビズの裏話じゃないか、と言われればその通りかもしれない。でもやっぱり、気になるのだ。晩年のマイケルの表情をなくしたような顔と数々の奇行。奇行も過剰なサービス精神の表れにすぎないなら、酔ったときのひらげと同じで罪はない(?)のだが、マイケルのそれは強烈な「拒絶」の臭いがした。すっかり白くなった顔を見て、「マイケルは白人になりたかったんだよ」という人もいるが、ぼくにはそうは思えない。だったら、何でせっかく手に入れた白い顔を黒いマスクで隠してしまうのだ。表情を失くした白い顔は白人社会であれ何であれ、何かに受け入れてもらいたいというサインではなく、拒絶のメッセージ、空白の象徴であるようにぼくには思えた。彼は何ものにもなりたくなかった。白人、黒人・・・それどころか、「自分」でいることすら拒否したのだ。

そんななか、この本を読んだ。マスコミが書きたてたマイケルのスキャンダルのひとつに家族との不仲がある。この本が書かれた背景には、そうした噂を一掃するという意図があったのだろう。このころ、ジャクソン家の娘のひとり、ラトーヤがジャクソン家に関する暴露本を書いたばかりだった。キャサリンはラトーヤの裏切りはもちろん、夫ジョーの浮気が原因で離婚寸前まで行ったこと、モータウンから独立する際にジャーメインと他の兄弟に確執があったことなどを認めている。ただ、そうしたトラブルはどこの家庭にも起こりうることだ。この本に書いてあることをすべて信じるわけではないが、貧しい子沢山の一家が音楽で夢をかなえるサクセス・ストーリーに不自然さはない。厳しく躾けられた反発から子供たちが父ジョーから距離を置いているなどといわれることもあるが、がんこなジョーの姿は大勢の子供を食べさせていかなければならない父親としてはごく普通のものだろう。そして、特に男の子の場合、大人になってから父親との距離をうまくとることは、どこの家庭でも難しいものだ。ささいな諍いはあったとしても家族は家族であり、それがマイケルの「拒絶」の原因になったとは考えにくい(マイケルの遺言書が見つかって、マスコミはまた父親に遺産を残さなかったことを書きたてている。ぼくがマイケルでも同じことをしただろう。誰が浮気癖のある父親に一生かけて稼いだ金を任せるものか。どのみち母親に残した金は父親のためにも使われることになるのだ)。

問題はマイケル自身や家族よりも、マスコミやオーディエンスにあったと考えるべきだろう。この本にもマイケルが根拠のない報道に悩まされていたことがくり返し書かれている。あることないこと書きたてるマスコミというのは今にはじまったことじゃない。ただ、ぼくが気になるのはなぜ、アメリカのマスコミはマイケル・ジャクソンをあれほど執拗に攻撃したのか、ということである。晩年、奇行をくり返すようになる前から、マスコミはマイケルを「異常者」であるかのように描いてきた。ぼくにはどうしても、そこに人種的なバイアスがかかっているように思えてならない。マイケルは黒人、白人を超えた幅広いオーディエンスに受け入れられた最初の黒人ミュージシャンだった。ジャクソン5として活躍していた70年代はもちろん、80年代ですらアメリカのショービズの世界にマイケル・ジャクソンのような存在はいなかった。しかも、マイケルはディズニーランドやクラッシックな内装といった白人メインストリームの文化が大好きで、私生活をそうした「黒人らしからぬ」装飾で派手に演出した。オーディエンスの多くはそんなマイケルを眩しく思いながらも、どこか強烈な違和感を抱いていたのではないだろうか。乗っていたロールスロイスを盗難車と決めつけられて逮捕された話はその意味で象徴的だ(306)。当時はまだ黒人の若者がロールスロイスに乗るのは「異常」なことだったのだ(今だってわからないが)。だから、そうした行動がマイケルの精神的異常さの表れであるというマスコミのストーリーが説得力を持ってしまったのではないだろうか。そんなマスコミやオーディエンスに対し、パブリック・イメージを保つことに疲れてしまったのだろう。ある時期からマイケルは周到につくられた自分らしい仮面をかぶることを拒絶した。どんな仮面をつけようが、どうせ異常者の気の迷いとされてしまうのだ。

ロンドン公演でマイケルはもう一度自分らしい仮面、ステージの上の「マイケル・ジャクソン」を取り戻そうとしていたのかもしれない。でも、50歳のマイケルにその時間は残されていなかった。『スリラー』を聞いている。80年代の軽い音ではあるけれど、マッコサのリズムを使っていたりして意外と悪くない。改めて、ご冥福をお祈りします。

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2009年7月1日(水)

2009_07_01zeroone今日のラーメン:「武士系豚骨ラーメン(680円)」@橋本『麺屋 ZERO1』ミウィ橋本店
橋本MeWeの『きらら』があった場所に新しいラーメン屋ができたので行ってみた。蒲田にあるお店の支店。魚系を前面に出した「武士系」と、見た目二郎風の「がっつり系」の二本立て。今回は「武士系」を。見た目で期待したのとは全く違う味。とにかく甘い。白味噌のような甘さはどこから来るものか・・・★★★

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2009年6月30日(火)

2009_06_30ishin今日のラーメン:「柚子塩麺(800円)」@横浜『麺屋 維新』
柚子を使ったラーメンというと、普通は香りづけに柚子の皮を添えておく程度だろう。ところがここの「柚子塩麺」は果汁が入れてあるのか、かなり柚子の酸味が出ている。塩味のスープ自体が絶品なのでギリギリのところでバランスを保っているが、最初口にしたときはちょっとビックリした。でも、美味しかったです・・・★★★+

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2009年6月28日(日)

2009_06_28tentenyu京のラーメン:「中華そば」@四条・烏丸『天天有』四条烏丸店
京都に限らず、鶏白湯ラーメンが注目されたのは最近のことだと思う。だとすると、一乗寺に本店があるこの店はその草分けと言うことになるだろうか。スープはクリーミーで野菜の甘みが出ている。甘くてクリーミーというとぼくの好みではなさそうなのだが、これが実に美味い!こんなラーメンもあるのか、京都おそるべし!・・・★★★★

黒人研究の会・第55回大会2日目。オバマに焦点をしぼった1日目に続いて、今日は自由研究発表の日。アフリカ系の文化・歴史を新しい視点から捉えた刺激的な発表が相次いだ。

日本女子大学の小泉泉さんの発表はトニ・モリソンソロモンの歌』のマジカル・リアリズム的傾向について検証するもの。モリソン自身は自分の作品が「マジカル・リアリズム」と結びつけて語られることを好んでいるわけではない。にもかかわらず、モリソン作品のには空飛ぶ人々のような超自然的エピソードが織りこまれている。モリソンはアフリカ系アメリカ人の文化的遺産を受けつぎ、そうしたエピソードを現実として描いている。だからこそ、彼女は「マジカル・リアリズム」と呼ばれることを嫌ったのだ・・・というような内容だったと思う。ぼくもマジカル・リアリズムが文化的遺産に基づいていることは確かだと思う。ただ、そうした文化的遺産を受けつぎながらも、伝統的な意味でのリアリズムに留まっているチヌア・アチェベのような作家もいる。その作品がマジカル・リアリズム的だと感じるためには、現実と超自然的な世界の間の境界線が曖昧になっている必要があるのではないか。マルケスしかり、ベン・オクリしかり、である。それぞれの民族が保持してきたコスモロジーのなかでは、現実と超自然的な世界の境界はむしろはっきりしている。マジカル・リアリズムは、植民地支配以降の現実が入りこむことによって、そうした境界が曖昧になった時代の産物、そうした時代に新たなコスモロジーを確立しようとする試みではないかと思う・・・そんなことを考えて、よせばいいのにまた質問に立ち、勝手なことを述べさせていただいた。

大島商船高専の石田依子先生の発表は海事史研究の立場から、17~18世紀の海賊船における黒人の存在を明らかにする今までにない意欲的なもの(ひらげは司会を務めた)。海賊のなかには貴族や国王と契約して他国の船を襲うものや奴隷貿易に関わるものもあったが、一方で「陸」とは違う秩序のもとに結束し、奴隷船から奪ったアフリカ人を仲間に加えるものもあった。存在を証明する確固とした証拠はないものの、マダガスカルにアフリカ人を含む船員たちによるユートピア社会「リバタリア」を建設したとされるジェイムズ・ミッソン船長のような人物もいたほどである。映画シリーズ『パイレーツ・オヴ・カリビアン』の世界は所詮絵空事と思っていたのだが、全くの想像の産物というわけでもないらしい。ちなみに、ミッソン船長の来歴が唯一記された海事誌A Genral History of the Robberies and Murders of the Most Notorious Pirates(1724)の作者チャールズ・ジョンソン船長は、英文学の分野ではダニエル・デフォーと同一人物であるとする説があるらしいが、海事史の分野では全くの「陸者」であるデフォーに詳細な海事誌が書けるはずがないとして否定されている。ぼくも『ロビンソン・クルーソー』のようなデフォーの作品の裏にあるのは海賊的な自由思想ではなく、フライデイのような「野蛮人」を「陸」の秩序につなぎとめようとする論理であり、同じ人物がミッソン船長のような人物を肯定的に描くことはないのではないか、という印象を持った(デフォーが作者であるとするジョン・ロバーツ・ムーアがどのような根拠でそういっているのか、わからないが)。ともあれ、こうした「陸」の秩序を無視した海賊たちの生き方は権力者たちに危険視されるようになり、1722年に海賊船の船長が大量に処刑されて海賊黄金時代は幕を下ろす。たいへん興味深い内容で、今後、さらなる研究を期待したい。

最後の発表は、黒人研究の会の重鎮である古川博巳先生と大谷大学の朴珣英先生による韓国版『黒人文学全集』についての報告。1961年に早川書房から出版された『黒人文学全集』は、日本初の黒人文学の翻訳全集として現在でもその価値を失っていない。日本版『全集』が世に出たころ、黒人研究の会に韓国から入会希望者があった。李秀光(イ・スグァン)というその青年の入会に関する短い記事が当時の会報に残っている。李氏はその後、日本の『全集』を参考に、黒人研究の会創設者の一人である赤松光雄先生の協力を仰ぎながら、1965年、韓国版『黒人文学全集』を完成させた。韓国版『全集』は作品の選択などにおいて日本版を意識してはいるものの、全く独自の編集で作られている。複数の人びとが翻訳者として名を連ねており、韓国にもこの当時から黒人文学に注目する文学者が少なからずいたことに驚きを隠しえない。韓国語訳のタイトルと作者名がハングルで書かれているだけなので、原作が同定できないものも多い。今回の発表中にも新たにいくつかの原題・作者が判明した。ちなみに、編集者の李氏の現在の消息は不明である。それも含めて、韓国における黒人文学研究の歴史がさらに明らかになることを願いたい。

発表のあと、長年にわたって黒人文学・文化研究に関わってこられた風呂本惇子先生が「黒人文学と私」と題して、黒人文学との関わりについてお話をされた。特殊潜航艇(神風特攻隊の潜水艦ヴァージョン)の出撃基地であった館山で迎えた終戦、新しい支配者であるアメリカに対する複雑な感情から説き起こし、シンクレア・ルイスの小説Kingsblood Royalや黒人霊歌との出会い、手に入れることさえ困難な洋書を快く貸してくれた黒人研究の先輩方との交流など、淡々とした口調で貴重なお話を聞かせてくださった。音楽家について、「名人になればなるほどどんどん意思が強く、エゴは弱くなっていく」と書いたが、研究者もそうなのかもしれない。素晴らしいお話をありがとうございました。

Kokujin_korea

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2009年6月27日(土)

2009_06_27shinpukusaikan京のラーメン:「新福ラーメン」@河原町『新福菜館』河原町店
京都に来たら、とりあえず『新福菜館』に行かなくては。毎回たかばし本店では能がないので、今日は河原町店にしてみた。そんなにしょっちゅう食べているわけではないので気のせいかもしれないが、本店よりも苦味が強くコクは少ないような気がした。もちろん、十分美味しいのだが、やっぱり次回は本店で食べよう・・・★★★+

夜行バスで京都へ。誰もいなくなった車内で運転手さんに起される。「お客さん、まだいたんですか!?」 揺れるバスのなかでここまで熟睡できる才能・・・というか無神経さを与えてくれたことを両親に感謝したい。

Fanon_che_wilkins黒人研究の会・第55回全国大会@京都キャンパスプラザ。今回のテーマは「アメリカ新大統領誕生の背景と意義を考える」。黒人研究の会設立当時には、想像すらできなかったであろう黒人大統領の誕生という歴史的出来事を受け、同志社大学からファノン・チェ・ウィルキンス先生、また長くオバマを取材してきた在米ジャーナリストの佐藤美玲さんを招いて、お話をうかがった。

ウィルキンス先生の講演は、MYBO(MyBarrackObama.com)のようなインターネットを通じた草の根の運動がオバマの大統領当選やコミュニティ活動一般において果たしてきた役割を、ポール・ギルロイが『ブラック・アトランティック』で用いたフラクタルといった概念を援用しながら明らかにするものだった。コミュニティのニーズをくみあげるための装置としてインターネットのような情報技術が欠かせないものになっているということはわかった。ただ、そうした技術が進めば進むほど、そこにアクセスできる人たちとできない人たちの格差が広がっていくのではないか・・・という疑問は残った。例えば、アフガニスタンやイラクのような国でインターネットを利用できる人はごく一部にすぎないはずだ。アメリカ国内のネットワークが相互的で複雑な図形を描くようになればなるほど、そこから排除された人びとの実像はフラクタルな図形の外の出来事として、せいぜい間接的にしか認識されなくなるのではないだろうか。そして、コミュニティ活動を最も必要としている人たちの多くは、そうした新しいネットワークにアクセスできないところにいる・・・乏しい英語力で必死に話の筋を追いながら、そんなことを考えていた(最初の数分間を聞き逃したこともあって、完全に理解したという自信はありません。ここに書いたのは講演に対するコメントというよりも、先生のお話を聞きかじってぼくが勝手に考えたことだと思ってください)。

佐藤美玲さんは在米ジャーナリストとしての経験を踏まえて、オバマの何が、人種を超えたアメリカ国民の心をとらえたのかについて語った。メッセージの一貫性、自発的で多様な草の根組織、ウィルキンス先生が詳しく述べていたようなテクノロジーの力、オバマ本人の指導者としての新鮮さ・・・といった要素に加え、白人の母とケニア人の父の間に生まれ、ハワイとインドネシアで育ったという「曖昧なアイデンティティ」が、オバマを「人種を越えた候補」にしていたことはやはり大きい。一方で、オバマ自身は自ら「人種を越えた候補」と名のることはなかった。ミドル・クラス的な出自や中間航路を共有していない(元奴隷でない)ことは黒人支持層を失う危険を孕んでいた。しかし、当初距離を置いていた黒人組織のバックアップをとりつける一方で(この点でミシェル夫人の役割は大きかったのだろう)、「黒人候補」だからダメだというネガティヴ・キャンペーンをはねかえして、オバマは大統領選挙に勝利する。これは、多くの人びとがアメリカが人種が問題でない国になるという希望をオバマに託した結果であったと言えるだろう・・・

ぼくが気になったのは、曖昧なアイデンティティがアメリカに結束をもたらすだけなら、それは危険ですらありうる・・・ということだった。オバマが解決しなかればならないのは、アメリカの国内の分裂だけではない。アメリカと他の国ぐにとの関係、とりわけイラクやアフガニスタンにおける米軍の存在が新大統領の肩に重くのしかかっている。こうした問題を解決できないなら、結束したアメリカがますます内向きになっていく可能性だってある。その点でオバマがどんな戦略をとろうとしているのか、ぼくにはまだ見えてこないのだ・・・と思い、質問に立った。佐藤さんは、オバマ支持者の多くが9・11地球温暖化問題をきっかけとして、自分たちの国がいかに嫌われているかに気づき、世界から孤立することに危機感を感じていると言う。その上で、オバマは多くの人が思っているほどラディカルな候補ではないと指摘した。むしろ、いろいろな力関係のなかでバランスをとっていくタイプの政治家だ。それはその通りだと思う。だからこそ、アメリカの外にいるぼくたちも、オバマに期待するだけではなく、アメリカの政治がどの方向に向かうか監視しつつ、場合によってはオバマ政権に圧力をかけていかなければならないのだと思う。

懇親会でジャズやブルースの話をしながらひとしきり飲んだ後、今年から京都精華大学で教鞭をとっている大学時代の同級生、エースことヤスダくんと河原町で飲んだ。川沿いにあるカウンターと2人がけの席ひとつだけの小さなお店で、季節の料理に舌鼓を打ちつつ、話に花を咲かせた。うーん、酒を飲むならやっぱり京都だねぇ・・・いろいろ話したけど、慣れない土地で困難な仕事に取り組んでいる友人を見て、誇らしく思った。ぼくもがんばらなくちゃ。しこたま飲んだ後、エースの家に泊めてもらった。そのまえに、どうしてもと勧められたので、一日一ラーメンの禁を破って今日二杯目のラーメンを食べた。

2009_06_27takumi今日二杯目のラーメン:「チャーシューメン(800円)」@出町柳『中華そば たく味』
おそらく『第一旭』あたりからはじまって発展した関西独特のとんこつ醤油。こういうラーメンは京都や神戸にはたくさんあるが、関東で食べようとすると、ぼくの知っている限りでは明大前に一軒あるぐらいでなかなか見かけない。すすめられてチャーシューメンにしたが、その迫力に圧倒される。ネギもたっぷり。なかなかおいしい・・・★★★+

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