2009年7月31日(金)
この一週間ぐらいの間に、Yahooオークションで石田一松のSP盤をいくつか入手した。なかでもうれしかったのはタイヘイレコードから発売されていた「のんき節」と「男なら」のカップリング盤。一松のSPというと戦前のものがほとんどなのだが、これは戦後であることが歌詞からわかる。一部聞き取れないところもあるが、歌詞を掲載しておくと・・・
当選するにはしましたけれど
貧乏はやっぱり つきまわる
選挙費用の借金を
返しております のんき節
ハハ のんきだね
夜の目も寝ずに 選挙の運動で
さぞや疲れたことでしょう
さいわい当選したやつは
議会でゆっくり眠れます
ハハ のんきだね
相手の議員を殴り飛ばして
殴り返して 袖もいで
罪にならないそのわけは
正当防衛でございます
ハハ のんきだね
おいらは貧乏でも ほんとにけっこうだよ
日本が独立できたなら
そうだよ まったくだと宿無しどもの
話が○○○○ ○○○○○
ハハ のんきだね
文化人だと威張っているが
うわべばかりじゃ なんにもならぬ
洋食食って 栄養食べるが 文化人ならば
アメリカの九官鳥も文化人かいな
ハハ のんきだね
人間の拳闘は許してあるのに
犬の拳闘は許すなと
動物愛護会でおっしゃるそうな
人間愛護会はどこにある
ハハ のんきだね
1番で一松自身の選挙運動のことが歌われているから、少なくとも衆議院議員に当選した1946年以降の録音だろう。乱闘国会(1954年、警察法改正をめぐるものが有名。ただしこのときには一松はすでに国会を去っている)や独立(1951年、サンフランシスコ講和条約)といった内容からすると、もう少し後のものかもしれない。2番は『社会評論』1936年6月号の記事にも載っているし、6番の歌詞は戦前からくり返し歌っている。○○○としたところは、よく聞き取れない。みなさんも聞いてみて、わかったら教えてください(→MP3)。
他には、戦前(あるサイトによれば1932年)、ヒコーキレコードから発売された「モンパリ/浜辺の歌」。「モンパリ」は1927年、宝塚歌劇団によって上演された日本初のレヴュー『モン・パリ -吾が巴里よ-』の主題歌。元々はレヴューを演出した劇作家・岸田辰彌の訳詩で「うるわしの思い出 モン・パリ」として発売され、10万枚を超える売り上げを記録した。一松は歌詞を微妙に変えて「石田一松・訳詩」ヴァージョンとして歌っている(内容自体はあまり変らない。権利の問題があったのだろうか?)。それにしても、書生節の一松が「モンパリ」とは意外。B面の「浜辺の歌」は「あした浜辺をさまよえば~♪」ではなく、鳥取春陽作の別の曲。
あと、もう一枚、「中禅寺湖心中(上)(下)」。デュエット相手として名前が記されている石田文子とは、一松が若いころに同棲し、いっしょに流しもしていた女性「二三子」のことだろう。『闘った「のんき節」』によれば、一松を追って広島から上京した二三子は、若き日の演歌師を陰で支えながら、芸者出身という理由で結婚を反対され、静かに身を引いた(一松はその後、別の女性と結婚)。二人はそれ以前に1925年の「復興節」をはじめとして、「春の夢」「凋んだ花」「新関の五本松」などの録音を残している。ということは、これもそれら同様、一松最初期の録音ということになる。それにしても、のちに心ならずも別れることになる二人が、心中ものとは穏やかではない。
追記(1):聞きとれない部分について、4番が
我々は貧乏でも とにかく結構だよ
日本にお金の 殖えたのは
さうだ!まつたくだ!と 文なし共の
話がロハ臺で モテてゐる
ア ノンキだね
という歌詞を元にしたものであるというご指摘をいただきました。ちなみに「ロハ台」とは金のかからない「只」=ロハの台ということで公園のベンチなどを指す言葉らしいのですが、ここではそうは聞こえない。そこの部分を何と歌っているのか、いろいろ考えたのですが、「地下道」とも聞こえます。だとすると、「宿なしども」が議論をする場所としていかにもふさわしい。【さらに追記】「街角」とも聞こえます。
(2)戦後、タイヘイレコードが再建されたのは1950年。しかも、同社は翌51年に「タイヘイ音響」と改名、52年には米マーキュリーレコードと専属契約を結び、53年、日本マーキュリー株式会社になっています。レーベルを良く見ると、TAIHEI ONKYO CO. LTD., NISHINOMIYAと書かれています。ということは、「のんき節/男なら」のSPは51~52年に録音・発売された可能性が高い、ということになります。
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