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2009年7月27日(月)

オクテイヴィア・バトラーの短編「血をわけた子供」(Bloodchild、1984、小野田和子訳、『80年代SF傑作選(下)』、ハヤカワ文庫、1992)を読んだ。異星生物の繁殖に身体を提供するという「共生」の形を描いた、ゼノジェシス三部作のプロトタイプというべき作品である。

奴隷化から逃れ地球を後にした人びとは、トゥリックという生物が暮らす惑星に行きつく。最初はトゥリックを「うじ虫」として抹殺しようとしていた地球人だったが、やがて、卵を体内に引き受け宿主としてトゥリックの繁殖を助けることで、彼らと共存する道を選ぶ。トゥリックも地球人を単なる大型動物として見ることをやめ、特別保護地域を設けて「人間」として扱うようになった。地球人の繁殖のために女性の身体が必要だという理由で、卵は普通、男性の身体に産みつけられる。産みつけられた卵は完全に孵る前に、宿主の身体を切り裂いて取り出される。が、時にはタイミングが遅れて、危険な状態になることもある。

こうした背景は読んでいくうちに明らかになる。物語の主題は、トゥガトゥワというトゥリックの卵を引き受けることになっている地球人の少年ガーンの葛藤である。ガーンの母親と親しいトゥガトゥワは家族同然の存在であり、ガーンも彼女の卵を宿すことに疑問を抱いてはいなかった。ところがある日、卵を取り出すタイミングを逃した男が運ばれてくる。トゥガトゥワは男の身体を切り裂き、血を舐めながら、幼虫を取り出す。ガーンは手助けしながら、その一部始終を目撃してしまう・・・

こうした異星生物による「寄生」は、作者がアフリカ系アメリカ人女性であることもあって、奴隷制における黒人女性の体験を思わせるものとして否定的に受け取られることもあったが、バトラー自身はむしろ「共生」のメタファーとして肯定的に捉えていた。とはいえ、身体のなかで何か異質なものが形を成していく違和感、それが身体を食い破ってでてくるような暴力的なイメージは、「共生」が常に痛みと覚悟をともなうものであることを表しているのだろう。考えてみれば、体内で何か別のものが形を成していくという感覚は、女性、とりわけ出産をしたことのある女性には馴染み深いものなのかもしれない。その意味で、その感覚を味わうことができない男性に対するバトラーの優しくも意地悪な視線を感じてしまうのはぼくだけだろうか・・・

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