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2009年7月20日(月)

51xdjbkvyl__ss500_平岡正明黒人大統領誕生をサッチモで祝福する』(愛育社、2008)を読み終わった。『ミュージック・マガジン』などに書かれた文章を読んでいる程度で、ましてや面識があるわけではないのだが、平岡正明さんには「豪腕」というイメージがあった。極真空手の有段者だったからでも、革命家を自任するラディカルだったからでもない。例えば、この本の冒頭、「一九〇〇年、三遊亭圓朝が死に、ルイ・アームストロングが生まれた。したがってジャズは落語の生まれかわりであります」の言葉通り、志ん生の落語「首ったけ」でお気に入りの娼妓と喧嘩して吉原の遊廓を飛び出した男が、いつの間にかニューオリンズの紅灯街ストーリーヴィルに紛れ、伯母の経営する売春宿「マホガニー・ホール」でピアノを弾きながら「ペーズン・ストリート・ブルース」を作曲するスペンサー・ウィリアムズを呼び込む・・・筒井康隆ジャズ大名』のような飛躍した話を、それでも納得して聞かせてしまう腕力が、ぼくに「豪腕」のイメージを抱かせたのだと思う。つい、「聞かせてしまう」と書いたが、それは論理的に整理して「読む」ことを拒否する、ジャズのアドリブのような文章だ。そのため、「あまり論理的な文章ではない」(Wikipedia)などと批判されることもあるようだが、余計なお世話だろう。ここにあるのは論理というよりも、物語である。そして、物語でしか再現しえない論理もあるのだ。焼け野原だった桜木町の駅前にトレーラーを止めて蜜柑を食べながらバップを聞いていた黒人兵・・・といった鮮烈な記憶が、目の前で起こっている現実の前に投げ出される。「豪腕」という(ぼくが勝手に抱いた)イメージとは裏腹に、すごく繊細で自由な語りなのだ。

個人的に印象に残ったのは、サッチモもバラク・オバマも仮面をつけて人種差別社会に対応する現実主義者であるという、シェルビー・スティールオバマの孤独』の「つまらない結論」に対して反論した次の部分である。

「第一に、サッチモやマイルスのジャズは仮面ではない。
第二に、道化の戦闘性を否定することは、少数派、差別されている者の武装解除だ。
第三に、仮面をつければこそ真実を語ることができるという芸術の本質への無知である」(83)

「第二」と「第三」については、その通りだと思う。だとするなら、「第一」は「ジャズもまた仮面だ。それの何が悪い」でよかったのではないか。書き方はともかくとして、書いてある内容はこのところぼくが考えてきたのと同じことだ(拙論「黒人ミンストレルの虚構性と演技する力」参照)。平岡さんの死によって、ご本人にそのことを確認することはできなくなってしまったけれど・・・改めてご冥福をお祈りします。

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