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2009年5月28日(木)

この間つくった「はだか節」のデモ録音はかなりユルイ感じだったので、作り直してみた(こんな感じ)。とりあえず、カラオケ・ヴァージョンで。今度近くのスタジオで歌を録音してこよう。

14081116P・W・シンガー子ども兵の戦争』(Children At War、2005、小林由香利訳、NHK出版、2006)を読み終わった。

子供が戦争に動員されることは、以前からなかったわけではない。しかし、子供を戦場から遠ざけるべきであるというのは世界のほとんどあらゆる地域に見られる規範であり、「子ども兵」は長い間、あくまで例外的な存在にすぎなかった。万が一、子供が徴集されたとしても、大人に比べ体力的に劣る子供たちは、武器の運搬など補助的な役割にまわらざるをえなかった。

状況が大きく変わりはじめたのは、冷戦終結後のことである。米ソの援助を受けて命脈を保ってきたアジアやアフリカ、中南米の国々が、後ろ盾を失って崩壊しはじめた。こうした「途上国」の軍隊は「非常に弱く不安定で、持続的な軍事行動ができないままだった」が(79)、求心力の失われた国家を支えるために、安上がりで迅速な徴集の方法を見出す必要があった。一方、混乱に乗じて勢力を拡大しようとする反体制勢力や地方の軍閥もまた、手っ取り早く兵力を拡大する方法を求めていた。そんななか、カラシニコフAK47のような軽くて扱いやすい小火器の開発がすすみ、体力的に劣る子供でも少しの訓練で軍事活動に参加できるようになった。こうして、本人の意思に反して従軍させることができ、ほとんど報酬を求めない「子供」の存在がクローズ・アップされることになったのである。

子ども兵の存在は人びとを紛争の泥沼へと引きずりこんでいく。子ども兵の徴集のしやすさは、武装組織が大衆を味方につける必要がないということを意味している。「大義では草の根の支持を得られない組織でも、誘拐または教化によって新兵を引き入れることで兵を集められる」からである(144)。そうした組織は「地域社会の繁栄だの協力だのを必要としないので、善政を行おうという意欲が薄れる。むしろ、より略奪的、破壊的になる」(145)。鉱山資源などの資金源を手にすれば、彼らには政治的な要求などないに等しい。こうした連中と交渉して「政治的な」譲歩を引き出すのは、非常に難しい。また、子ども兵は紛争を始まりやすく、終わりにくくする。戦力を確保するコストが安くなることで、紛争への「参加障壁」が低くなる。また、戦況が不利になっても子ども兵を集めることで簡単に勢力を回復できるので、なかなか決着がつかない(138)。自らの判断で行動する大人と違い、相手が子どもの場合、武装解除にも困難がつきまとう。

もちろん、社会的な影響以上に問題なのは、強制や教化(あるいは「洗脳」)によって子供を戦争の捨駒にする行為そのものである。子ども兵の多くは「断れば大人の上官に殺される」という状況のなかで、残虐行為に加担させられる。なかには家族や友人を殺すよう強制されたものもいる。戦闘の恐怖を抑えるために麻薬を投与されることもある。女の子ども兵の多くは上官にレイプされた経験を持つ。女の子ども兵をレイプするよう強制された男の子ども兵もいる。こうした状況を潜り抜けてきた子供たちは、ほとんどがPTSDのような精神的な疾患を抱えており、保護を必要としている。にもかかわらず、残虐行為に加担したことを理由に彼らを排除したり、彼らに報復したりしようとする住民が少なくない。子供たちのなかには家族を失ったり、家族と生き別れたりしたものも多い。運良く家族と再会できたにもかかわらず、子ども兵であったために当の家族が彼らを恐れ遠ざけるといったことさえある。こうした救われない子供たちの存在が、暴力の連鎖を生み出さないと言えるだろうか。

こうした厳しい現実を踏まえながら、作者は「子ども兵」をなくすための具体的な方法を提言する。子供の権利を守るための協約はすでに数多く採択されている。問題はそれを効力のあるものにすることである。子ども兵を使う武装勢力に圧力をかけるには、彼らが資金を得るためにつながりを保っている国際企業に圧力をかけることが有効である。また、国際裁判によって子ども兵を使った指導者を裁くことも重要だ。一方で、子ども兵が現実に存在する以上、子ども兵を使った組織と戦わなければならない場合、軍は子ども兵の命を最大限に守りながら味方の兵士をも守る方法(例えば、非致死性武器の使用など)を検討する必要がある(作者は子ども兵問題について米軍の顧問を務めている)。さらに、紛争終了後の元子ども兵たちの心のケアと社会復帰にも細心の注意が払われなければならない。こうしたことは、どれもまだ不十分にしか行われていないし、子ども兵がすぐになくなるとは思えないことを認めながら、作者はそれでもこうしめくくる。

「願わくば、これまでの戦争における多くの慣行と同じく、子ども兵を使う慣行も近い将来、消え去ってほしいものだ。ひょっとすると、子どもの兵士が使われた時代は歴史上の例外、道徳規範がほんのつかの間崩壊したがすぐに回復した時代、とみなされるようになるのかもしれない。戦場には子どもたちの出る幕はないと、昔から信じられてきた。それをもう一度現実にするには、悪事を働こうとする人びとの意思に、善をなそうとする意思を持って対抗するだけでいい」(297)

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2009年5月26日(火)

2009_05_26gyunyuya今日のラーメン:「ラーメン(中太麺)(700円)」@新横浜ラーメン博物館『牛乳屋食堂』
ラーメンとソースカツ丼で有名な会津若松のお店がラー博に出店。もともとは牛乳屋だったためこの名前がついたらしい。中太麺と極太麺が選べるが今日は無難に中太で。手もみの縮れ具合が舌に心地よい。スープはあっさりだが、見た目よりも醤油の味が強い。が、角が立ってはいないので、飲んでも大丈夫・・・★★★+

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2009年5月24日(日)

2009_05_25itsvegetable今日のラーメン:「担々麺(840円)」@錦糸町『イッツベジタブル 苓々菜館』
ここは菜食中国料理のお店なので、動物性の食材は一切使っていない。それどころか、ニンニク、ニラ、ネギといった刺激性の強い植物もNG。にもかかわらず、ごまをたっぷり使ったスープはけっこうコクがあって、優しいなかにもパンチがある。麺はもう少し固いほうが好みだけど、全体的に美味しかった・・・★★★+

Img293渋谷のエル・スールで先日買いそびれたアフリカもののレコードを大量購入。トゥンデ・ナイチンゲールS・E・ロジーI・K・ダイロシキル・アインデ・バリスタージェイムズ・チモンベ・・・貴重なLPを抱えてニンマリしていると、店長の原田さんが東南アジア特有の節回しの歌を流しはじめた。タイのウィルソン・ピケットと言われる(誰が言いはじめたんだ!?)ダーオ・バンドンという男性シンガーのCD(写真)だという。モーラムのなかに洋楽的な要素が入りこんでいる・・・というか、洋楽的な音楽をやろうとしてモーラム的な地金が見えてしまったというべきか。ロックンロールのベースライン、ズンズンズンズン・・・と思ったら、音がありえないところにずれるので背骨を脱臼しそうになる。でも、一昔前の日本の歌謡曲(初期のサブちゃんとか)もこんな感じだよね・・・日本の歌謡曲が東南アジアの音楽に影響を与えている可能性もあるし・・・と原田さん。結局、このCDも買うことにする。

Encuentros
錦糸町の『イッツベジタブル 苓々菜館』に、ケーナ奏者の清水康之さん率いるEncuentrosの演奏を聞きにいく。ところが今回はギターリストの都合がつかなかったため、ケーナは風絃流しなどで活躍する金子勲さんにまかせ、清水さんはギターを担当。バンマスのケーナが聞けたのは本編の1曲とアンコールの2曲のみ。金子さんの自由奔放なケーナは素晴らしいものだったし、数ヶ月でここまでギターを弾けるようになった清水さんの努力にも脱帽するが、もっと清水さんのケーナを聞きたかったというのが正直なところ。それだけ、清水さんがケーナを吹いた3曲が素晴らしかったということでもある。今度は金子さんと清水さんのケーナ・デュオを聞かせて欲しい。

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2009年5月23日(土)

2009_05_23ikkokudou今日のラーメン:「魚介つけ麺(680円)」@天王町『壱鵠堂』天王町店
「魚介」のつけ麺と聞いて勝手に上品なものを想像していたのだが、こういう行き方もあるのか。濁ったつけ汁の舌触りが少々粉っぽいせいもあって、正直あまり洗練された感じはしない。細めの縮れ麺はそれなりにコシも合って美味い。具が取り分けてあるのは効果があるのかな?ぼくはつけ汁に入っていたほうが好き・・・★★★

クサナギくんの復活も近いことなので、彼の言葉にインスパイアされた自作書生節「はだか節」のデモ録音を作ってみました。宴会・合コンなどでどうぞ(嘘) 。

(このときのヴァージョンはかなりゆるゆるだったので、作り直しました→こんな感じ


1578006「はだか節」(裸だったら何が悪い)

知事も議員も大臣も
生まれたときはみな裸 
女の腹から チョイト 出たときに
股を隠したやつはない
裸だったら何が悪い

ひとりで夜を明かすより
隣に誰かがいたほうがいい
言葉で愛を チョイト 語るより
包み隠さず見せるがいい
裸だったら何が悪い

人目を気にして生きるより
だめな自分を愛したい
誰かのアラを チョイト 探すより
酒酌み交わせばアラ不思議
裸だったら何が悪い


ちなみに写真のTシャツは
http://clubt.jp/product/53181_1578006.html
で。

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2009年5月22日(金)

2009_05_22eki今日のラーメン:「味噌ラーメン(900円)」@新横浜ラーメン博物館『らーめんの駅』
味噌ラーメンの名店『すみれ』『純連』の創始者が、北海道に開いたお店の移転・復活。甘み、苦味、旨みなどが渾然一体となったスープは、豚骨をベースに煮干や昆布を加えたもの。濃厚すぎて最後はさすがにのどが渇くが、抜群に美味い。定番の縮れた太麺も相性ぴったり。『すみれ』を最初に食べたときの衝撃を思い出した・・・★★★★+

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猫ラーメン・Tシャツ、ゲット!

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2009年5月17日(日)

2009_05_17wakaba今日のラーメン:「つけ麺(とんこつ和風だし)(700円)」@吉祥寺『つけ麺 若葉』
吉祥寺のハモニカ横丁にあるつけ麺屋。麺は太めの平打ち麺で、つるつるとした喉ごしがなかなか心地よい。今回はつけだれは色々な味があるが、いちばん上に書いてあった「とんこつ和風」を選んだ。とんこつに魚粉もきいていてなかなか美味しいけど、この麺にはちょっと弱いような気も・・・★★★+

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南半球系バンド・チキリカが、吉祥寺曼荼羅でライブをやりました。アフロ系インスト・バンド=JariBuのお誘いで、『MUSIC SURFER 41』という企画に参加。出演者はJariBuの他にも、レゲエ~スカ系のOH! SKA-SUN、ロカビリーやR&B系のOLD FASHIONとツワモノぞろい。DJも入って、グルーヴが途切れることのない好企画でした。自分の演奏について言えば反省することばかりなのですが、暖かいお客さんに助けられて何とかやり遂げることができました。ぼくの妄想のなかのニワトリに声を合わせて、ホロロケロホロロケロと叫んでくださったみなさん、ありがとうございました。

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2009年5月15日(金)

Isida2石田一松『のんき哲学』(大空社、1998、1946)を読み終わった。石田一松は広島県出身の演歌師。添田唖蝉坊の東京青年倶楽部で演歌師としての活動を始め、得意のヴァイオリンを手に「のんき節」などの流行歌で一世を風靡した。1946年には戦後初の衆議院選挙に立候補して、見事当選。53年のバカヤロー解散による総選挙で落選するまで、寄席に出演しながら議員活動を続けた。いわば、タレント議員第一号である。そんな一松が代議士になった直後、「のんき節の寄席芸人に何ができる」という世間の嘲笑に一矢酬いんとして書いたのが本書である。とはいっても、「へへ、のんきだね」という暴力的なオチで聴衆を沸かせた一松のこと、生真面目なマニフェストのようなものを書いたわけではない。「序言」からして、「読者諸君、仕舞った!と、この本を買ったことの後悔はもう遅い、何故ならば、きっとこの本を諸君に売った本屋は、買った値段では、この本を買戻しはしないだろうから」(6)と読者を煙に巻くトリックスターぶりがまぶしい。

「いわいる哲学者の哲学は難解なる文章の羅列によって、文章の意味を解読することだけでも、一つの事業であり、さしづめ語学の研究だけでも大変である。哲学書というより鉄学書と呼ぶべき冷たく、固いものである」 (17) ― 「のんき哲学」と銘うちながら、冒頭からの「哲学」批判である。上の引用に続けて、一松は哲学書が難解な言葉で書かれているのは、その内容(のなさ)を見抜かれないようにするためであると喝破する(18)。こうして哲学の専門性が孕む問題を暴き出しながら、一松の言葉はそこにとどまらない。一歩すすんで、自らを批判する対象のパロディとして提示するところが、トリックスターのトリックスターたる所以である。「闇の哲学的考察」と題して、一松は難解な文章の無内容を自ら演じてみせる。

「闇とは明に対する語であり文字である。即ち光明の絶無なる暗黒の空間である。故に完全なる闇の空間においては、人間の視覚は無であり、視覚の無なるが故に、視覚による物体の認識も無である。
 視覚による物体の認識が無である必然の結果は、少く共、視覚に関する限り、物体の存在も無である」(20)

抽象的な「闇」の定義は間髪いれずに、現実の「闇取引」、それもより生々しい「女を対象とする闇取引」の暴露へとなだれ込む。こうして読者を引きずりまわした挙げ句、一松は現実の「闇」に対する批判を狂った言葉遊びのなかに解消してみせる。

「不当なる価格であると、自覚する人間の自覚は、五感の中の視覚を無視した四官によるものであるから、これはノーマルな人間の自覚と称することはできない。これは自覚にあらずして四覚である。この四覚は不完全自覚である。不完全自覚である四覚を、完全自覚にするためには、視覚を加えなければならない。
 即ち四覚プラス視覚は八カクである。八カクの八と、味覚のミの三とを連絡して「八三」と呼び、闇の意味に用いられるのである」(22)

認識論のような顔をしながら、ダジャレにダジャレを重ね、最後はメチャクチャな結論(オチ)にたどり着く・・・クラクラするほどの見事な手腕である。

「伝記叢書」の一冊として復刻されたものの、本書のほとんどは伝記的な内容ではなく、上に書いたようなヘリクツである。そう。もうわかったと思うが、一松はヘリクツ親父である。それも、ああいえばこういう、ハンパじゃないヘリクツ親父なのである。もちろん、代議士として社会問題や若者の生き方をまじめに語っている部分もあり、そのなかには今となっては古臭い部分もある。そんなときもなお、一松はヘリクツを忘れず、「へへ」と笑って読者をのんき節の異次元へと置き去りにする。後半、ホンの少しだけ自らの半生を語るときも、その自意識過剰なヘンクツぶりは変わらない。出生についての一節など、まるで『ブリキの太鼓』を読んでいるかのようだ。

「私が生まれたのは ― 私が生まれたのです。私は断じて、生まれた瞬間から、石田一松ではなかったのです。私が生れて、七日間ほど経って、私は石田一松になったのです。― 明治三十五年十一月十八日生れです。この生年月日も、父親から教えられ、或は役場の戸籍謄本に書いてあるのを、私が読んで記憶したので、七歳の幼い頃に覚えた自分の生年月日を、何十年も忘れないでいる、この素晴らしい記憶力には、われながらつくづく感心しています」(200)

幼少時代の話は、愛人をつくって出て行った母との別れ、継母との確執など、悲しいものが多いのだが、一松は記憶から湿っぽさをふり払い、どこかヒトゴトのような顔をして語る。母に対する怒りも、ぼくにはどこか怒ったふり、演技のように思えてしかたがない。そうしなければならないほどつらかったということだろうか・・・稀代のトリックスターというのはこういうところから生れるものなのかもしれない。

ともかく、こんな男が国会にいたと考えるだけで、愉快だ。ちなみにこの一松論もまた、難解で無内容な文章のパロディであることはいうまでもない・・・なんて。へへ、のんきだね。

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2009年5月14日(木)

2009_05_14piriya今日のラーメン:「醤油ラーメン」@橋本『ぴり家』
店名が示している通り、オロチョン・ラーメンが売りの店らしい。が、今日は醤油ラーメンで。特にけなすところもないが、褒めるところもない普通の醤油ラーメン。この洗練のされなさは場末の北海道ラーメンのお店によくある感じ。味は濃い目で、辛くしても負けないようにしてあるのかもしれない。餃子が美味かった・・・★★★

鴻池元副長官の著書は『お天道さんは見てござる』というタイトルだそうで。そうですか。見ていても関係ないでござるか。

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2009年5月13日(水)

2009_05_13buten今日のラーメン?:「ソーキソバ」@中山『沖縄居酒屋 舞天』
沖縄そばはラーメンではないが、まあ、日本そばよりは近いだろうということで。『舞天』には何度も来ているが、そばを食べるのははじめて。何かが突出することのない、穏やかな味。ソーキもしっかり脂抜きされていて、あっさりとした仕上がりになっている。コーレーグースを入れると美味さ倍増・・・★★★+

Suzies090513
スージーズ@中山『舞天』。最初に、ミドル・テンポの渋い民謡を三曲ほどたて続けにやった。島唄はみんなそうだけど、これぐらいのテンポでメロディがうねうねと上がり下がりする歌はとくに、霊を呼ぶね。音楽の力で空気にみなぎる霊の力を集めて、最後はもちろん「ちょんちょんキジムナー」とカチャーシーでどーん!となる。終演後、観客として来ていたOYA-Gさんのラップ(製作中)に耳を傾けつつ、カシスシークワーサーソーダ割りを飲み続けた。

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2009年5月11日(月)

2009_05_11jyogennotsuki_2今日のラーメン:「らーめん(650円)」@蒲田『上弦の月』
豚骨から鶏だしへと変化したスープは、再び豚骨+鰹だしの醤油ラーメンへ(スープには鰹節そのものも入っている)。共通しているのは重量感が並ではないこと。縮れた細麺と併せて、ガッツリ系が好きな人には強力にお薦めしたい。ただ、混みあっていたせいか、醤油ダレが底にたまっていた。念のため、よく混ぜて食べたほうがいいかも・・・★★★★

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2009年5月10日(日)

2009_05_10taishyoken今日のラーメン:「中華そば」@横浜『大勝軒』横浜西口店
並ぶほどではないのでめったに行かないが、今日はすいていたので入ってみた。スパゲッティみたいな麺はやっぱり苦手。でも、スープは大味な感じだけど、美味しい。魚粉と黒胡椒を少しかけたら、味がしまったような気がして、ぼく好みになった。やっぱり量はちょっと多すぎるけど・・・★★★+

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母の日。カーネーションを買って帰る。ひとの喜ぶ顔を見るのはいいものだ。

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2009年5月9日(土)

17日の曼荼羅ライブへ向けたチキリハ(チキリカ・リハーサル)後、エロさん以外のメンバーと赤羽の沖縄料理屋で飲んだ。今ごろ、青山ではキヨシローを偲んでたくさんの人が涙を流したり、歌を歌ったりしているんだろう・・・と思いながら、ヒージャー刺しを肴にビールを飲む。

キヨシローの告別式。友だちにも誘われたし、リハが終わり次第駆けつけようかとも思ったんだけど、やめておいた。喪服も着なくちゃいけないし。もちろん、キヨシローの葬式だから、ド派手な服で行こう・・・という気持ちもわかる。でも、何となく、ぼくはイヤだった。ぼくは生前の故人と面識があったわけじゃない。すごくすごく好きだけど、ただのファンだ。だから、最低限の距離を保ちたかった。

キヨシロー=いい人みたいなことばかり強調されているけど、たぶん、イジワルなユーモアも大好きな人だったと、ぼくはファンとして勝手に思っている。「ファンからの贈り物」みたいなさ。つまらないものはゴミ箱に捨てるぜーって。だから、知り合いでもないのにベタベタしてくるやつには、きっつーい一言をお見舞いしたんじゃないかと思う。あくまでぼくの心のなかのイメージだけど、ぼくの心のなかのキヨシローはそういう人だ。ま、それはそれでキヨシローの優しさだって言うこともできるけど。だから、ぼくは遠くから手を合わせるのがいちばんいいんだ。

・・・と自分に言い聞かせる。

イシイ夫妻が息子のカズくんを連れてきた。ドラマーとピアニストの息子なのに、2歳にして自分のパートはギターだと決めている。イマナラがギターを貸したら、目をらんらんと輝かせて嬉しそうにジャンジャンかき鳴らす。「子供が希望」なんて言葉を聞いても、結婚すらしていないぼくは「ふーん」としか思わなかったんだけど、この10日ぐらいでちょっとその気持ちがわかるようになった。

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2009年5月8日(金)

2009_05_08takenibo今日のラーメン:「つけ麺(930円)」@調布『たけちゃんにぼしらーめん』
おかしい。こんなはずじゃない。つけ麺の汁にしては薄いせいか、油のしつこさばかりが印象に残る。コシのある太麺は悪くないものの、それを受けとめるだけのパンチがない。最悪なのはチャーシュー。暖めてないのはともかく、それならばこんなに脂の多いものを選ぶべきではないと思う。どうした、たけにぼ!?・・・★★★

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三軒茶屋Heaven's Door桔梗の演奏を聞きにいく。開演まで時間があったので、久々に渋谷のEL SUR RECORDSに寄る。途中、渋谷駅の連絡通路で曼荼羅に電話していたら、はかるさんに遭遇(偶然ですね!おひきとめしてすみませんでした)。エル・スールで原田さん、元新宿ディスク・ユニオン店員のお客さんと談笑しながら、レコードを物色。しばらく行かない間にアフリカものが大量入荷している。とても全部買うのは無理だったので、ジンバブウェのオリヴァー・ムツクジ、ブラッキッツ、ナイジェリアのキング・サニー・アデ、シキル・アインデ・バリスターを買って、残りは給料日まで我慢(・・・なんてここに書くと、誰かに先を越されるか・・・笑)。

桔梗はやっぱり素晴らしかった。前回はスエヒロくんがギターに対する新鮮さを失っていないことに驚いた。それはもちろん今回も変わらないのだが、とはいえ、そんじょそこらのションベンくさいギターリストとは年季が違う。キューンと短くチョーキングしただけで、いろいろな光景が浮かびあがる。これはギターだけじゃないけど、演奏の密度が濃いので、聞いている時間が一瞬のようにも、永遠のようにも感じられる。すごいな。対バンではブ∞モジャコの女性ドラマーが印象に残った。あんなに撥の残像が美しいドラムをはじめて見た。

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2009年5月6日(水)

2009_05_06musou_2今日のラーメン:「マー黒武士(750円)」@赤羽『麺士 武双』
ダブル・スープを世に広めた名店『武蔵』系のお店。同じダブルスープでも透明感のある本家に対して、ここは白濁した豚骨スープに節系の魚だし+マー油とい強烈な組み合わせ。それぞれにインパクトの強い要素ばかりなので、好みは分かれるかも。ただ、もちっとした太麺を受けとめるにはこれくらいの強さが必要なのかも・・・★★★+

17日の曼荼羅ライブ
に向けて、チキリハ(チキリカ・リハーサル)。

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2009年5月5日(火)

Amadoujpgアマドゥ・クルマアラーの神にもいわれはない ある西アフリカ少年兵の物語』(Allah n'est pas oblig、2000、真島一郎訳、人文書院、2003)を読みおわった。西アフリカのコート・ディヴォワールに生まれ、病に苦しむ母親の悲惨な境遇を目の当たりにして育った少年ビライマ。両親と死に別れた彼は、新たに後見人となった叔母と暮らすために、怪しげな呪術を使う「グリグリマン」=ヤクバとともに隣国リベリアに向かう。リベリア内戦に巻き込まれ、少年兵となったビライマは、戦地を転々とする叔母を追って、武装勢力から武装勢力へと渡り歩く。やがて、やはり内戦で混乱するシエラレオネへとたどり着き・・・

自分たちの体験を書いて欲しいというソマリアの少年兵たちの声を受けて、作者は舞台を西アフリカに移し、他ならぬ少年兵による語りの形でこの作品を描いた。作品のあちこちに見られるプロットやフレーズのくり返しは、語りに見られる特徴を生かしたものであると同時に、「部族戦争」という不条理のくり返しを写し取ったものでもあるのだろう。例えば、ビライマは親しかった仲間たちが無残な死を遂げるたび、同じような語り口で彼らの短い人生を振り返り、追悼の意をこめて語る。それは彼らの存在証明であると同時に、さまざまな背景を持った少年兵たちがまるで個々には価値のない存在であるかのように同じような悲惨な死を余儀なくされる現実を示唆している。そうした戦場の現実はぼくのような人間の想像力をはるかに超えている。死者の数や武装勢力の動向といった「記録」ではとらえることのできない不条理が現実に起きているのだ。作品中、いかにも作り話に思える出来事が現実で、いかにも事実であるかのように実名入りで書かれた出来事のほうが史実とは微妙にずれているという訳者・真島一郎氏の指摘を、読者は肝に銘じて読むべきだろう(作品の孕む問題を余すところなく捉えた氏の解説は、すごく勉強になった)。そうした「記録」では捉えきれない現実を提示するためにこそ、語り、あるいは文学が存在するのではないかと思う。

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2009年5月4日(月)

家に帰るのがあんなにイヤだったことはない。家に帰ったら、伯母の遺体と対面しなければならない。でも、闘病生活と抗がん剤の副作用ですっかり老けた伯母の顔を見ていたら、意外なほどすんなりと現実を受け入れることができた。クロアチアの田舎を旅行していた父と母も、あらゆる手をつくして何とか帰ってきた。帰ってきて良かったと思う。お骨になってからじゃ、現実を受け入れられなかっただろう。

イジワルな冗談が好きな人だったから笑ってすごそうと思ったんだけど、お棺が出るときにはさすがにちょっと泣いた。でも、重たい扉の向こうに木の箱が消えて骨になって出てくるのを見て、かえって伯母はいっしょにいるという感覚が強くなった・・・形が変わっただけなのだ。伯母は壊れた肉体から解き放たれた。でも、ぼくはまだまだ、この不自由な肉体に未練がある。生きて生きて、生き続ける。

テレビでキヨシローの死が大きく報道されている。キヨシローも肉体を失った。もう二度とあの声帯が空気を震わせることは無い。でも、やっぱりキヨシローはそこにいるのだ。録音に残っているとか、そういうことだけじゃなくて。空気にはそういう存在が満ちている。歌うとか演奏するっていうのは、そういう充満した空気を震わせるっていうことなのかもしれない。

お疲れさまでした。何もしてあげられなかったけど。その分、ぼくも死ぬまで生きるよ。

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2009年5月2日(土)

2009_05_02shyuhakkou今日のラーメン:「ルーローメン(650円)」@天王町『舟八口』
近所にできたラーメンとチャーハン中心のお店。いかにもチェーン店的な店構えだが、他に同じ名前のお店はないようだ。ルーローメンはニラや高菜が入ってそれなりに工夫されているし、角煮も脂っこくなくて美味しい。スープもそれなりに飲めるが、食べ終わった後、口のなかに不自然な旨味が残る。お腹がすいたときにはいいか・・・★★★

忌野清志郎が亡くなった。

思えば、ぼくは遅れてきたRCファンだった。『ラブソディ』が出た80年には小学6年生だったし。

ぼくがRCサクセションに夢中になったのは、中学の同級生オニマルくんの影響だった。お寺の息子でくりくりと潔い坊主頭のオニマルくんは独特のセンスの持ち主だった。お兄さんの影響で日本のフォークやロックに詳しかった。特に仲がいいというわけではなかったけど、ときどき突発的にひょうきんなことをするオニマルくんに、中学生のぼくは一目置いていたのだ。

そして、「いけないルージュ・マジック」がやってきた。シングルを買ってきたのは、亡くなった伯母だった。派手なメイクをしたキヨシローとキョージュが寄り添うジャケットに目を奪われた。母は「気持ち悪い」と顔をしかめたけど、ぼくは伯母のセンスに脱帽した。そして、キヨシローがRCサクセションの人だと知り、「魅惑のフォークソング・ヒット集」とかなんとかいう楽譜集に入っていた「ぼくの好きな先生」とのあまりのギャップに驚いた。伯母に「同じ人?」と聞いたのを憶えている。その後、キヨシローとキョージュは『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」に出て、札束をばらまきながら男同士でチューをした。「人の目を気にして生きるなんて、くだらないことさ」というメッセージが、いたいけな中学生に伝わった瞬間だった。

さっそく当時流行りはじめたばかりの貸しレコード屋に行って、『ラブソディ』と『初期のRCサクセション』を借りた。衝撃だった。これこそ、ぼくの求めていた音楽だと思った。調べてみると、キヨシローが当時好きだった井上陽水のお友達だということがわかった。キヨシローはラジオで、「陽水のつくってくれたカレーがうまかった」とか言っていた。一家に一枚のベストセラー『氷の世界』にも陽水とキヨシローの共作曲が収録されていた。ぼんやりとした予感が確信に変わった。これだ!ぜったいこれだ!

掃除の時間、廊下で「言論の自由」や「烏合のシュー」を歌っているオニマルくんのそばに行っていっしょに歌った。「おれも知ってるぜ」とアピールしたかった。学校の先生は顔をしかめたけど、知ったこっちゃなかった。受け取ったメッセージを実行する小さな革命児の気分だった。そして、『BEATPOPS』が出て、キヨシローが「もしもあんたがアレをもっていたら」と歌うのを聞いた。「ぼくはアレを持っているだろうか」と思いをめぐらせた。そもそも、アレってなんだ?

それが、81年から82年にかけての出来事。このあとも、ぼくとキヨシローの物語はえんえんと続く。伯母と行った西武球場のライブ。中学校の音楽室で友だちのバンドに飛び入りして、「トランジスタ・ラジオ」を歌ったこと。高校の時のバンドでは完全にキヨシローになりきっていたこと。大学に入ってからだって・・・それだけで、一冊の本ができるだろう・・・

・・・ご冥福をお祈りします。亡くなった伯母も同時期に闘病中だったキヨシローの歌に元気づけられていました。素晴らしい歌をありがとう。中学のときに好きだったものを今でも好きでいられるぼくは幸せです。ぼくはいまでも道端で泣いてる子供なんです。

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2009年4月30日(木)

夜中三時ごろ、こみあげてくるものを感じて目を覚ました。飲みすぎたときに逆流する胃液とも違う(第一、昨夜はそんなに飲んでいない)。熱い血の塊が爆発して、喉を内側から締めつけるような感じ。30分ほどして伯父から電話があり、伯母の死を知らされた。ああ、あの時だったんだな、と思った。血液の癌を患い、長い闘病生活の末の死だった。

ぼくが生まれたとき中学生だった伯母は、伯母というよりも年の離れた姉のような存在だった。伯母が結婚するまでは同じ家で暮らしていた。ギターを弾きはじめたのも伯母の影響が大きい。まだレコード・プレーヤーを持っていなかったぼくは(CDやDVDが登場するよりも前の話)、「名盤」といわれるレコードを買っては伯母の部屋に行って、いっしょに聞きながらカセットテープに録音してもらっていた。セックス・ピストルズを買ったときには、震える声で「パンク買ってきちゃったよ!」と打ち明けて、二人で小さな音で聞いたものだ。T・レックス来日公演のときのマーク・ボランがいかにへたっぴーだったか、教えてくれたのも伯母だった。

生き死にを左右することはできないにせよ、死期が迫ったとき、人間は死ぬタイミングを選べることがあるのかもしれない。伯母はぼくの仕事にも、イベントやバンドにも支障のないときを選んだかのように、逝ってしまった。伯母のことを娘のように思っていた母は、クロアチアの田舎を旅行中で帰って来れない。きっと伯母は母が泣くのを見たくなかったんだと思う。

通夜と葬式がつらいな。

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2009年4月29日(水)

2009_04_29tamagatta今日のラーメン:「ラーメン(630円)」@横浜『らぁめん たまがった』横浜西口店
ムビラの巨匠パシパミレさんを連れて大分ラーメンの『たまがった』に。濃厚な豚骨スープはジンバブウェ人にも評判が良かった。ぼくはもちろん、麺ばりかたで。極細麺はダンダン柔らかくなる。これがまた食べあきない理由なのかも。このあたりで九州ラーメンの美味しいお店を見つけるのはけっこうたいへんなので、貴重なお店・・・★★★★

O0452064010161979042ムビラ・サミットVol.4@横浜Thumb's Up。ムビラやリンバ、いわいる「親指ピアノ」と呼ばれる楽器のプレイヤーが集まるムビラの祭典も、今年で4回目。今回はジンバブウェからムビラの巨匠ルケン・パシパミレさんをお迎えして、日本人、アフリカ人入り乱れての素晴らしいイベントになった。ムビラの弾けないムビラ愛好家=おかムビラーのひらげは、例によって司会を担当した。本番前にはパシパミレさんをラーメン屋にご案内する役目をおおせつかった。

まずは湘南を拠点に活動するスマイルカリンバが、開放感ある音のなかにジャズっぽいフィーリングが潜むグルーヴィーな演奏を聞かせる。ジンバブウェのムビラ奏者カリガイ・ティコリティさんの息子トンデライを中心としたマズィタテグルは、伝承曲をムビラ3台のアンサンブルで。トリを飾ったパシパミレさんと比べると、金属音的成分の強い、キラキラした音。マツヒラくん率いるロワンビラはドラム、ベースありのバンド・スタイルで、伝承曲にユニークな日本語の歌詞をのせて歌う(マツヒラくん曰く、「アフロ・J-POP」)。続いて、タンザニア出身のバンド=タンザナイツ・バンドのリスタ(キーボード&カリンバ)&フレッシ(ヴォーカル)が、ルンバ・コンゴリース風の甘い歌を聞かせる。小池龍一くん(ムビラ、リンバ)とOtoさん(ギター)のユニット=ムビラトロンは、チェロとアイルランドの太鼓バウロンのサポートで、ゆったりとしたグルーヴの演奏を披露。そして、満を持して巨匠ルケン・パシパミレさんが登場。ハヤシエリカさんとムビラジャカナカのマサさんを従えて、圧倒的に存在感のある音で会場を満たす。辛抱ならなくなった人たちが踊りだす。腰を振る人、手をひらひらさせる人、足をバタつかせる人・・・思い思いに身体を動かす人たちでダンスホール状態。パシパミレさんのムビラは比較的くすんだ渋い音なのだが、にもかかわらず、というか、だからこそというか、人を動かすパワーを持っている。このイベントに参加できてよかった。パシパミレさんを招聘したハヤシエリカさんをはじめ、スタッフのみなさん、出演者のみなさん、お疲れさまでした!次はムビラ・サミットVol.5でお会いしましょう!

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