2009年4月28日(火)
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ジンバブウェからムビラ奏者ルケン・クワリ・パシパミレさんをむかえてのNGOMA JAPANI Vol.4@高輪区民センター。ひらげも巨匠パシパミレさんのイントロダクションとなるべく、ジンバブウェのポピュラー音楽についてトーマス・マプーモやオリヴァー・ムツクジ、ポール・マタヴィレらの映像を交えながら話した。出演は他に、タンザニアのアフリカン・パーカッション、リンバとギターにダンスというユニークな編成のハクナターブ、そのハクナターブでエネルギッシュなダンスを披露していた伊藤宏子さんによる師匠フクウェ・ザウォセ(もうひとりの巨匠!)の映像上映・・・と盛りだくさん。トリを飾ったパシパミレさんとハヤシエリカさん、マサさん(ムビラ・ジャカナカ)による演奏は、もちろん素晴らしかった。区民センターのホールは音響もよく、ムビラの響きをあますことなく楽しめたと思う。ムビラ独特のびりついた音が、歪んだ雑音からホールの空気を満たす魔法に変っていく。ホール全体が楽器というか、空気それ自体が楽器というか。ステージのプログラムと同時進行で行われていたワークショップに参加した子供たちが踊りだす。演奏者を囲んでくるくる廻る人たちと恥ずかしそうに歩いていた少女が、音楽にのせられてぴょんぴょんと跳ねはじめる・・・打ち上げでもパシパミレさんの温かい人柄に触れられて、すごくハッピーだった。
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都立大軽音の後輩ムカイくんの結婚式2次会。音楽仲間のお祝いらしく、バンド演奏アリの楽しい会になった。チキリカもそろってお祝いに参上するつもりで演奏のリハもしていたのだが、のっぴきならない理由でメンバーが揃わず。出席できたメンバー+コバ(バーカッション)で「シンプルライフ」を演奏した(歌詞、間違えちゃった)。続けてイオチキング、新郎がギターリストをつとめるくるくるファンタジーが素晴らしい演奏を披露。音楽仲間の結婚パーティーは楽しくていいね。はしゃいじゃうね。それにしても、ムカイくん、きれいな嫁さんもらったな!おしあわせに!
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クサナギくん、やってしまいましたね・・・ぼくも若いころ、同じようなことをしたことがあるので(汗)、ヒトゴトとは思えません(お酒には気をつけようっと)。それにしても、クサナギくんの一連の行動はコントとして完璧です。ひとり深夜の公園で、裸で踊る泥酔男・・・ぶっ飛んだ発想に彼の非凡なる才能が垣間見えます。この才能をなくすのは惜しい。そして、何より
「裸だったら何が悪い!」
という言葉。この言葉の奥深さにじわじわと胸を打たれています。かつて、飲酒も自由な恋愛も許されないイスラム社会のアルジェリアで、ライのミュージシャンたちが「酒を飲んで何が悪い!女を抱いて何が悪い!」と歌ったことを思い出します。この言葉は自分をさらけ出せない閉塞した日本社会に対するクサナギくんのアンチテーゼ、魂の叫びなのではないでしょうか…
…はい、気のせいです(笑)。
とはいえ、歴史に残る名言には違いないので、書生節にしてみました。
「はだか節 (裸だったら何が悪い)」
♪知事も議員も大臣も~
生まれたときはみな裸
女の腹から生まれたときに
股を隠したやつはない
裸だったら何が悪い
ひとりで夜を明かすより
隣に誰かがいたほうがいい
言葉で愛を語るより
包み隠さず見せるがいい
裸だったら何が悪い
人目を気にして生きるより
だめな自分を愛したい
アラを探して暮らすより
酒酌み交わせばアラ不思議
裸だったら何が悪い
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今日のラーメン:「らーめん(500円)」@赤羽『せい家』赤羽店
チェーン店化しながら、家系の味を守っている『せい家』の支店が赤羽にできた。家系のなかではアッサリしているほうだが、しっかり旨味もあって悪くない。蒲田店で食べたときにはもう少し重量感がある印象だったが、こちらのほうがいいという人もいるだろう。そして、この値段の安さ!お値打ちです・・・★★★+
チキリハ(チキリカ・リハーサル)。子育てと仕事でしばらく欠席していたナカヤマくんが久々に参加。やっぱりベースがいると楽しいね。ただいま、25日のムカイくん結婚式、5月17日の曼荼羅ライブに向けてリハビリ中です!乞うご期待!
NHKでほんの一瞬、遠峯あこさんという方が紹介されていた。オリジナルの他、「野毛山節」などの古い俗謡や民謡、歌謡曲、浅草オペラなどを、アコーディオン弾き語りで聞かせる。こういう人、いるんだなぁ。探してみたら、YouTubeに動画があった(↑)。横浜を中心に演奏活動をしているらしいので、今度行ってみようと思う。
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今日のラーメン:「スタミナラーメン」@矢部『くい処 やっせんぼ』
以前は淵野辺にあった鹿児島料理が売り物の居酒屋。「スタミナラーメン」は現在は裏メニュー。なんと、ラーメンにウナギが丸ごと入っている。しかし、濃い目のスープがウナギを受けとめ、ゲテモノ的な感じはない。生卵も効果的。プルプルと不均衡に縮れた麺もいい感じ。普通のラーメンは600円から・・・★★★+
「のんき節」で有名な「演歌師」・石田一松の著書『のんき哲学』(1946)を首都大の図書館で発見。ちょっと読んだだけだが、読者を煙に巻くトリックスターぶりが見事な名著。読み終わったら、改めて報告します。
首都大英文の新助手・ササガワくんと矢部の居酒屋『やっせんぼ』で飲む。場末感漂うなか、時間がゆったりと流れていく。驚きの「スタミナラーメン」の他、地鶏刺し、馬のたてがみなど珍味に舌鼓。へへ、のんきだね。
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今日のラーメン:「麓郷つけめん(840円)」@千歳烏山『麺工房 麓郷』
『むつみ屋』プロデュースによるお店らしい。暖簾には「牛骨ラーメン」の文字が躍るが、メニューには魚介系のつけ麺や豚骨ラーメンなどさまざまな品名が並び、どうもイメージの焦点が結びにくい。つけ麺は確かに魚介の味が出ているものの、ちょっと塩辛すぎる気がする。最近流行りの太麺は悪くないのだが・・・★★★

千歳烏山『TUBO』で岡大介さんのライブを見た。岡さんの存在を知ったのは、添田啞蝉坊のことを調べていたときだった。啞蝉坊の曲が聞けるCDがないかとAmazonを検索していたところ、岡さんが二胡奏者の小林寛明さんと録音した『かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう』に行き当たった。カンカラ三線弾き語りで歌われる添田親子の「演歌」が、岡さんの声によって新たな生命を吹き込まれていた。「ホロホロ節」「浅草歌」といったオリジナルも、すごくいい感じ。いっぺんでファンになった。そんな岡さんのライブがあると、Pigapigaナイトの多田さんに教えてもらって、取るものも取りあえず行ってきた。
ちょっと遅れて到着。ガラス張りのドア越しにのぞくと、古びた細身のギターを片手に高田渡の「生活の柄」を歌っている青年の姿が・・・ホームページでみたままの岡大介その人であった。歌というのは恐ろしいもので、どんなに誤魔化してみても歌う人の生活や心持ちが表れてしまう。岡さんの歌は眩しいほどのひたむきさを放っている。今日はそこに、バイオリン、アコーディオン、アイルランドの太鼓バウロンが、鮮やかな演奏を添える。岡さんをのぞく3人だけで演奏したアイルランド音楽がまた素晴らしかった。バウロンってこんなに音程の出る楽器だったのか(まるでトーキング・ドラム)。
日本のフォークシンガーに影響を受けた岡さんは、ボブ・ディランやウディ・ガスリーではないルーツを探し求めるうちに、明治・大正期の「演歌」にたどり着いたという。そんな岡さんの歌を「枯れている」という言葉でレトロとして捉えることも出来るだろうが、ぼくにはむしろ「演歌」が本来持っていた若さを現代によみがえらせたもののように思える。添田親子の歌をはじめとする流行歌を同時代的に聞いていたのは、けっこう若い人たちだったに違いない。
今日はもうひとつ、馬頭琴とホーミーの岡林立哉さんの演奏も聞くことができた。岡林さんの楽器はボディに皮を張った古いタイプの馬頭琴で、すごく素朴で深い音がする。モンゴルの音は塞がれた日本の空を開く。「開放的」というよりも、どこまでも距離が広がっていくような、いつまでも終わることなく星が降りてくる(それでいて手が届くことはない)ような。モンゴルの有名な民謡も素晴らしかったし、最後に「生活の柄」を馬頭琴で弾き語りしたのも感動的だった。奇しくも今日は高田渡さんの命日。多田さん、岡さん、岡林さん、それぞれに故人と親交のあった人たちの思いが、馬頭琴にあわせてふわりと浮かびあがる。
岡さんと岡林さんのデュオ、出演者そろっての演奏と贅沢なプログラムは続く。終演後、多田さんと話しながらビールを飲み続ける。しばらくして、興がのったのか、再び演奏が始まった。「もう、今日は帰れなくてもいいや。それもまた人生!」という気持ちになったところで、お開き。ステキな夜をありがとう(写真は「大ファンです!」といっていっしょに撮らせてもらいました)。
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今日のラーメン:「香煎黒味噌ラーメン(800円)」@天王町『らーめん むつみ屋』横浜天王町店 基本的には美味しいけれど平坦な『むつみ屋』のスープ。胡椒や山椒がきいているところがアクセントだが、だんだんと味に引き込まれるような高揚感はあまりない。タマネギのみじん切りがのっているのも面白いが、味的には思ったほどの効果はないような。全体に美味しいけど、「また」とは思わないかな・・・★★★+
夜中すぎにレジから電話があった。明るい声で「ジンバブウェは変わった!」という。「良い方向にか?」「そうだ」 詳しいことは聞けなかったが、こんなに明るいレジの声を聞いたのは久しぶりだ。このままジンバブウェの歴史が新しい時代に入ることを祈ろう。
『添田啞蝉坊 ― 啞蝉坊流生記』(日本図書センター、1999、1941)を読みおわった。添田啞蝉坊は明治の演歌師。息子・添田知道(芸名・さつき)とともに数々の流行歌を生み出した。その作品はフォーク・シンガーの高田渡やソウル・フラワー・ユニオン・モモノケ・サミットによって歌い継がれてきた。最近ではカンカラ三線弾き語りの岡大介さんが『かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう』で添田親子の作品を取りあげている。
「演歌師」とはいっても、現在の「艶歌」「怨歌」ではない。啞蝉坊の出発点は、明治初期、道端で政治的主張をこめて歌われた「壮士演歌」である。自由民権運動のなかから出てきた「壮士演歌」だが、その主張の中心となったのは腐敗した藩閥政治への批判と、素朴なナショナリズムだったと言えるだろう。元祖とも言うべき川上音二郎の「オッペケペー節」のような軽妙なものもあるが、文語体でがなるように主張をぶつける壮士演歌からは「大衆の蒙を啓く」という上からの目線が感じられる。また、不平等条約改正に端を発したナショナリズムは、日清・日露戦争を経て、日本の戦果を喜ぶ拡大主義的な世論を反映したものとなっていく。刊行されたのが太平洋戦争がはじまった1941年ということもあり、本書の冒頭には大政翼賛会による「新体制」を賛美するかのような詩が掲げられている。実際、啞蝉坊は翼賛体制を壮士演歌の主張する腐敗一掃とナショナリズムの延長線で捉えているようでもある。
「政界上層部に在る者が、政権を私してその争奪に日を送っている時、私たちの仲間はこんな歌をうとうていた。『護国』の歌の如きは、今の大政翼賛会の主旨や、皇紀二千六百年祭の祝詞となんら寸分の相違もない。私たちは、常に天下の憂いの先頭に立っていたのだ。裸一貫ながら、護国尽忠の指導精神、確固不動の心構えの盛られたこの演歌を提げて、当時の民衆に呼びかけていたのである」(99)
堺利彦と親交のある社会主義者だった啞蝉坊が本気で当時の翼賛体制を支持していたのか、それとも厳しい時代にあって仕方なくそうしていたのかはわからない。ただ、上の引用も「国のため国のためと言うけれど、そんなことは昔から俺たちはやっていたんだ」という反骨をこめた主張と取れないこともない。それは間借りしている屑屋について、「『製紙原料』『輸出ボロ』その他一切の廃品を生かすところの、つまり生産従業者で、重要な存在なのです」(15)と書いているところからも感じられる。非常時につき物資を供出せよという政府に対して、それをずっとやってきたのは社会の最底辺で蔑まれてきた「屑屋」ではないのか、と言っているようにも聞こえる。
そう思いたくなるのは、壮士演歌の影響下から離れた啞蝉坊の歌がことの他素晴らしいからである。それらの歌は上から目線の説教調だった壮士演歌とは違い、普通の人々の目線で、ときにやけっぱちなくらいの笑いをこめて歌われている。そうした歌をつくるきっかけのひとつとして、流し仲間の「渋井のばあさん」に「どうも演歌のかたくるしい文句はいけない、もっとくだけたの作ってくださいよ」(153)と言われたことをあげている。そうしてできたのが「ラッパ節」「あきらめ節」「わからない節」といった、わかりやすい言葉で歌われた流行歌の数々である。たとえば、こんな感じ・・・
わたしゃよっぽどあわてもの がまぐち拾うて喜んで
家へ帰ってよく見たら 馬車に引かれたヒキガエル トコトットトー(「ラッパ節」)
親じゃ親じゃと親風吹かせ
威張りなさるな チョイトチョイト
親は子供の ヤレソレ 抜け殻じゃ
ソレヨそうじゃないかネーあなた チョイト(「都節」)
パンのみにて生きるものではないというか牧師
そんなら食わずにいてごらん
アラほんとに 現代的だわね(「現代節」)
唖蝉坊は終戦を待たずして、1944年、72歳で亡くなった。その遺志は息子の知道に受けつがれたというべきか。こんどはその知道が父の歌について書いた『流行り唄五十年 唖蝉坊は歌う』(朝日新書、2008、1955)を読んでみようと思う。
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今日のラーメン:「らぁめん(650円)」@成瀬『介一家』成瀬店
軽めの家系だが、一般受けするように味を変えたというような感じはしない。正統派豚骨醤油を薄くしたといったところ。とはいえ、鶏油があまり前面に出てこないのでさみしくはある。麺は一般の家系以上にぎゅっと縮れていて、コシもある。悪くはないと思うけど・・・★★★+
負けはしたものの、すごかった。金本の3打席連続ホームラン。今年のタイガースは勝ち負け以前に、しびれる試合を見せてくれそうだ。
次々と悲惨な状況に巻き込まれていく夢を見て、夜中に目を覚ました。つけっぱなしのテレビのなかで、ジャック・バウアーがテロリストを追いつめている。わかった、わかった・・・ぼくが知ってることは何でも話すから、寝かしてくれ・・・
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今日のラーメン:「節骨こってりラーメン(680円)」@三軒茶屋『節骨麺 たいぞう』
こってりとしたスープには背脂も浮いているし、チャーシューも脂身が多い。にもかかわらず、それほどしつこい感じがしないのは、魚系、とりわけ節もののダシが強く出ているからだろうか。ちょっとわざとらしいくらいで、もう少しさり気なくてもいいんじゃないか・・・と思う。とはいえ、コシのある太麺ともども、悪くない・・・★★★+

三軒茶屋Heaven's Doorで桔梗のライブを見た。桔梗のアコースティック版とも言うべき「ゆっくりり」のライブにはこのところ足しげく通っているが、この編成での演奏を聞くのは久しぶりだ・・・ギターの音がはじき出された瞬間から、喉元をつかまれて抗えなくなる。一つ一つの音が今日生まれてきたように、立っている。気がつくと目の前にある。年齢も四十に近くなれば、ギターを弾くことに新鮮味を感じなくなるのがフツーだと思う。ましてや、オリジナル曲のフレーズなんて何百回となく弾いたはずだ。ところが、この男ははじめてチョーキングをした時のしびれるような感覚を、今も失っていない。ライブ後、感想を聞かれて、思わず「おまえ、今でもギター弾くとチ○コ立つだろ」と言ってしまった。男は曖昧に「ああ」と言ったが、当たっていたはずだ。そして、それはやっぱりすごいことなのだ。
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こんどは上下黒のスーツに黒いサングラス、険しい顔の外人が大股歩きでH沼高校から出てくるのを見た。 な、何者?! ・・・もしかして、狙われている?(←誰に?)
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今日のラーメン:「香味つけ麺(780円)」@天王町『らーめん むつみ屋』横浜天王町店
普通の麺と全粒粉(小麦を外皮や胚芽まですべて挽いたもの)の麺が選べる。珍しいので全粒粉をにした。麺は見たからに色が濃く、舌触りもボソッとした感じがある。栄養価は高そうだし、食べごたえがあるとも言える。魚系のだしのきいたつけ汁との相性も悪くない。たまにはいいかな・・・★★★+
ウエストのところがきゅっと締まったこげ茶のスーツを着て、長いパイプをふかしながら、地元の商店街をモデル歩きで颯爽と通りすぎる人物を目撃した。何者!?謎だ・・・もしかしてスパイ?(←根拠なし)
コーネル・ウェスト『人種の問題 アメリカ民主主義の危機と再生』(Race Matters、1993、山下慶親訳、新教出版社、2008)を読みおわった。アフリカ系アメリカ人の哲学者・思想家コーネル・ウェストはプリンストン大学で宗教学・黒人問題を教える一方、ラップのCDを出すなど多彩な活動を通じて、人種差別の撤廃に対して「意志薄弱」なアメリカ社会の変革に取り組んできた人物である。本書は、90年代初頭のアフリカ系アメリカ人が置かれた閉塞状況を社会的・歴史的に解きほぐしたウェストの代表作である。
ウェストが危機感を抱いているのは、侮辱され抑圧された人びとの間に広まりつつある、「黒人であること自体へのニヒリズム」(34)であり、形骸化した議論によってそうしたニヒリズムの脅威を隠蔽するリベラル/保守派双方の指導者である。黒人保守派は「市場原理」や「自助努力」の名のもとに優遇措置を撤廃し、少数者や女性の採用を「業績に基づいて」判断するよう求めている。しかし、アメリカにおける人種差別の根深さを考えれば、優遇措置がなければ「人種的・性的差別が復讐を伴って舞い戻ること」は確実である(105)。つまり、保守派が言っているような「業績か、人種か」という枠組ではこの問題を理解することはできない。それは人種偏見の影響のもとで判断された「業績」を、法律によって修正するかどうかの問題なのである(89)。保守派は多くの人が生まれついて生活している厳しい状況から目を逸らしている。「黒人に主体者であることを求めることが意味をなすのは、彼らの主体性が部分的に発揮されている犠牲化のメカニズムについて検討する場合だけである」(36)。
このように問題を「自助」という形で個人に帰していく保守派に対し、リベラル派は保守派が目を逸らした社会の構造的制約に焦点を置く。しかし、このことは「ほとんど排他的に経済と政治にしか関わらない」ことを意味する、とウェストは指摘する(34)。リベラル派は「結局、問題は一部の人間の間違った行動である」という保守派の結論に手を貸すことを恐れて、文化や価値観の話に踏み込むことを避けている。そのため、彼らは人間の行動を自己利益と自己保存という動機からのみ位置づけてしまう。十分な収入、社会的・政治的な地位・・・こうした成果はもちろん重要だが、それだけでは「黒人であること自体へのニヒリズム」 ― 人種差別社会に存在を否定された自分とは何なのかという空虚感 ― を埋めることはできない。「人々は、とくに侮辱され抑圧された人々は、アイデンティティにも、意味にも、自己価値にも飢えている」からである(34)。
こうしたリベラルと保守派の形骸化した議論に対し、ウェストは「回心の政治学」と呼ぶモデルを提唱する。
「回心の政治学の提唱者は、リベラル構造主義者と同様に、人々の苦しみと生活を形成している構造的状態を決して見逃すことはしない。しかしながら、リベラル構造主義者とは違って、回心の政治学は、ニヒリズムの脅威に真っ向から立ち向かう。回心の政治学は、保守的行動主義者とは違って、これらの行動を非人道的状況の中に位置づける(しかしそれによって自分を免責はしない)」(45-6)
重要なのは、「回心の政治学」の提唱者としてのウェストが、ニヒリズムの空虚を黒人民族主義で埋めようとはしていないことである。「黒人の結束的心理に培われた黒人的真正性の主張は危険である。なぜならば、まさにこの結束は、通常、黒人女性の犠牲の上に成り立っているからである。それはまた、黒人アメリカにおける階級や性的傾向の分裂(中略)を無視する傾向がある」(54)。すべてのアフリカ系アメリカ人が同じ「黒人性」を共有しているという本質主義的な考えの代わりに、ウェストは多様な見解への「道徳的評価」を奨励する(56)。黒人民族主義は、結局のところ、黒人が特殊な文化様式を持った「よそ者」的な存在であることを認め、白人優越主義の存続に寄与することになりかねない。黒人性を共有しているか否かによって人間を区別し、他人種を「神格化や悪魔化」(57)することは、人間性の回復にはつながらない。仮定された単一の「黒人の声」に同一化する指導者は「黒人の窮状を看過させ忘却させるために、白人アメリカ人が慰撫しなければならない人物として機能」することになる(71)。指導者は多様な意見を批判的に統合し、新たなヴィジョンを提示しなければならない。
こうした視点から、ウェストは黒人とユダヤ人の関係、黒人のセクシャリティといった問題に切り込んでいく。最後の章ではマルコムXを取りあげ、「黒人が自分自身を人間として肯定し、もはや自分自身の肉体と精神と魂を白人のレンズを通して見るのではなく、自分自身の運命を自分自身で支配できるようになると」信じた「黒人の怒りの預言者」として評価しながらも(143)、その民族主義的な限界を指摘している。マルコムがどうしても逃れることのできなかった単一の黒人性という考えに対置されるのは、「ジャズ」という言葉である。
「黒人生活の文化的な雑種的性格は、マルコムXの見解とは異質な比喩 ― しかしながら、聴衆に対する彼の演技には調和している ― を際立たせること、すなわちジャズの比喩へと私たちを導く。私はここで『ジャズ』という用語を、音楽的芸術形態の用語としてよりも、この世界における存在様態として用いている。それは『あれか/これか』的見解、教条主義的宣言、優越主義的イデオロギーの疑いがある現実に対して、変幻自在で、流動的で、柔軟性のある即興的様態である。ジャズ的な自由の闘士であることは、厭世的な人々に衝撃と活力を与えて、批判的交流と幅広い考察を奨励する責任あるリーダーシップを備えた組織形態へと導くことである」(159)
短いけど刺激的な本です。興味のある方は、ぜひ。
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今日のラーメン:「さつき麺(秋)(750円)」@天王町『麺坊 さつき』
普通のラーメンは冴えない印象しかなかったのだが、『欅』の流れをくむ味噌ラーメンや限定ラーメンはハッとするようなインパクトがある。「さつき麺(秋)」は豚骨と節系をあわせたダブル・スープ。どちらのダシもさり気ないので物足りない人もいるかもしれないが、バランスがいいのでぼくは好き・・・★★★+
南半球系バンド・チキリカが久しぶりにライブをやることになりそうです!2009年5月17日(日)、アフロビートを主体とするインスト・バンド=JariBuの企画で吉祥寺『曼荼羅』に出演する予定です。詳細は後日!

伊勢佐木町モールでオバマの顔を大きくプリントしたTシャツが売られていた。露天商の商魂逞しさにほだされて、つい買ってしまった。隣にいたおばさんが「オバマ?オバマね!?」と声をかけてきた。それを確認してどうするつもりだ?と思ったが、「黒人大統領」の浸透ぶりに驚き、黙ってうなづいた。
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今日のラーメン:「中華そば(580円)」@横浜『自家製中華そば 大和家』
夜は常連がお酒を飲んでいたりしてちょっと入りにくい。何の変哲もない鶏がら主体のあっさりした醤油ラーメンだが、旨味の強いスープはなかなか。一口目、酸味が強いかと思ったが、食べすすむうちにそうでもなくなった。麺もはりっとした強さがああって悪くない。チャーシューが2枚も入っているのも嬉しいし、味もいい・・・★★★+

赤レンガ倉庫で行われたアフリカンフェスティバルよこはま2009に行ってきた。夕方から大学で新任者の歓迎会があったので駆け足で見てまわることになったのだが、とりあえずハヤシエリカさんの招聘で来日したムビラ奏者ルケン・クワリ・パシパミレさんのステージを見るために取るものもとりあえず駆けつけた。
伝統的なムビラの演奏は淡々としている。強烈なリズムで驚かすようなことはしないし、展開らしい展開もない。パシパミレさん、ハヤシさんとムビラジャカナカのマサさんが弾く3台のムビラがからみ合い、催眠性のあるフレーズを積み重ねていく。最初のうち、3台のムビラは別々の楽器として響いている。そのうちに、3者の音がひとつの楽器のような豊かな響きのなかに滲んでいく。こうなると、楽器の音が人間の身体の持つ倍音と同期しはじめ、自分自身の身体が一種の増幅装置のようになって、響いている空気と響いている身体が一体化する。こうして、「自分」というものが宇宙のなかに霧消していく・・・ムビラが精霊を呼ぶことができるのも、こうした響きの作用と無関係ではないのだろう。
フェスティバルの性質上、出演時間が短いのが残念だが、その分、これからはじまる日本ツアーでたっぷり素晴らしい演奏を聞かせてくれることこでしょう。ツアーの詳しい日程などはこちら。
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家族を連れてジンバブウェから南アフリカに一時避難しているレジナルドくんから、支援団体のDMハンズの会にメールがありました。南アフリカでの生活はジンバブウェ以上に苦しく、朝から晩まで働きづめだそうです。そのためか低血糖で倒れ、携帯電話をなくすといったトラブルもありましたが、ひとまずは無事暮らしているようです。
ジンバブウェの状況はレジが悲観していたほどひどくはなく、ツァンギライ首相のもと、少しづつではあれ良い方向に向かっているようです。レジ自身、新しい政府の厚生省に招かれ、ジンバブウェに一時帰国して、今後の医療体制についての意見を聞かれたそうです。ジンバブウェに帰ったら、厚生省から仕事をもらうこともできそうだということです。
土地収用の見直しといったツァンギライの政策に対するムガベ派の反発など、まだ楽観できない要素もありますが、このままツァンギライ政権が軌道にのり、欧米の投資も戻ってくるよう祈るばかりです。
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☆告知☆にのせたチウォニソの来日公演、9月23日と書きましたが、8月23日の間違いでした。お詫びして訂正させていただきます。、9月ではなく、8月です!(←大事なことなので二度言いました)
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