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2009年4月7日(火)

2009_04_07mutsumiya今日のラーメン:「香味つけ麺(780円)」@天王町『らーめん むつみ屋』横浜天王町店
普通の麺と全粒粉(小麦を外皮や胚芽まですべて挽いたもの)の麺が選べる。珍しいので全粒粉をにした。麺は見たからに色が濃く、舌触りもボソッとした感じがある。栄養価は高そうだし、食べごたえがあるとも言える。魚系のだしのきいたつけ汁との相性も悪くない。たまにはいいかな・・・★★★+

ウエストのところがきゅっと締まったこげ茶のスーツを着て、長いパイプをふかしながら、地元の商店街をモデル歩きで颯爽と通りすぎる人物を目撃した。何者!?謎だ・・・もしかしてスパイ?(←根拠なし)

Img230コーネル・ウェスト人種の問題 アメリカ民主主義の危機と再生』(Race Matters、1993、山下慶親訳、新教出版社、2008)を読みおわった。アフリカ系アメリカ人の哲学者・思想家コーネル・ウェストはプリンストン大学で宗教学・黒人問題を教える一方、ラップのCDを出すなど多彩な活動を通じて、人種差別の撤廃に対して「意志薄弱」なアメリカ社会の変革に取り組んできた人物である。本書は、90年代初頭のアフリカ系アメリカ人が置かれた閉塞状況を社会的・歴史的に解きほぐしたウェストの代表作である。

ウェストが危機感を抱いているのは、侮辱され抑圧された人びとの間に広まりつつある、「黒人であること自体へのニヒリズム」(34)であり、形骸化した議論によってそうしたニヒリズムの脅威を隠蔽するリベラル/保守派双方の指導者である。黒人保守派は「市場原理」や「自助努力」の名のもとに優遇措置を撤廃し、少数者や女性の採用を「業績に基づいて」判断するよう求めている。しかし、アメリカにおける人種差別の根深さを考えれば、優遇措置がなければ「人種的・性的差別が復讐を伴って舞い戻ること」は確実である(105)。つまり、保守派が言っているような「業績か、人種か」という枠組ではこの問題を理解することはできない。それは人種偏見の影響のもとで判断された「業績」を、法律によって修正するかどうかの問題なのである(89)。保守派は多くの人が生まれついて生活している厳しい状況から目を逸らしている。「黒人に主体者であることを求めることが意味をなすのは、彼らの主体性が部分的に発揮されている犠牲化のメカニズムについて検討する場合だけである」(36)。

このように問題を「自助」という形で個人に帰していく保守派に対し、リベラル派は保守派が目を逸らした社会の構造的制約に焦点を置く。しかし、このことは「ほとんど排他的に経済と政治にしか関わらない」ことを意味する、とウェストは指摘する(34)。リベラル派は「結局、問題は一部の人間の間違った行動である」という保守派の結論に手を貸すことを恐れて、文化や価値観の話に踏み込むことを避けている。そのため、彼らは人間の行動を自己利益と自己保存という動機からのみ位置づけてしまう。十分な収入、社会的・政治的な地位・・・こうした成果はもちろん重要だが、それだけでは「黒人であること自体へのニヒリズム」 ― 人種差別社会に存在を否定された自分とは何なのかという空虚感 ― を埋めることはできない。「人々は、とくに侮辱され抑圧された人々は、アイデンティティにも、意味にも、自己価値にも飢えている」からである(34)。

こうしたリベラルと保守派の形骸化した議論に対し、ウェストは「回心の政治学」と呼ぶモデルを提唱する。

「回心の政治学の提唱者は、リベラル構造主義者と同様に、人々の苦しみと生活を形成している構造的状態を決して見逃すことはしない。しかしながら、リベラル構造主義者とは違って、回心の政治学は、ニヒリズムの脅威に真っ向から立ち向かう。回心の政治学は、保守的行動主義者とは違って、これらの行動を非人道的状況の中に位置づける(しかしそれによって自分を免責はしない)」(45-6)

重要なのは、「回心の政治学」の提唱者としてのウェストが、ニヒリズムの空虚を黒人民族主義で埋めようとはしていないことである。「黒人の結束的心理に培われた黒人的真正性の主張は危険である。なぜならば、まさにこの結束は、通常、黒人女性の犠牲の上に成り立っているからである。それはまた、黒人アメリカにおける階級や性的傾向の分裂(中略)を無視する傾向がある」(54)。すべてのアフリカ系アメリカ人が同じ「黒人性」を共有しているという本質主義的な考えの代わりに、ウェストは多様な見解への「道徳的評価」を奨励する(56)。黒人民族主義は、結局のところ、黒人が特殊な文化様式を持った「よそ者」的な存在であることを認め、白人優越主義の存続に寄与することになりかねない。黒人性を共有しているか否かによって人間を区別し、他人種を「神格化や悪魔化」(57)することは、人間性の回復にはつながらない。仮定された単一の「黒人の声」に同一化する指導者は「黒人の窮状を看過させ忘却させるために、白人アメリカ人が慰撫しなければならない人物として機能」することになる(71)。指導者は多様な意見を批判的に統合し、新たなヴィジョンを提示しなければならない。

こうした視点から、ウェストは黒人とユダヤ人の関係、黒人のセクシャリティといった問題に切り込んでいく。最後の章ではマルコムXを取りあげ、「黒人が自分自身を人間として肯定し、もはや自分自身の肉体と精神と魂を白人のレンズを通して見るのではなく、自分自身の運命を自分自身で支配できるようになると」信じた「黒人の怒りの預言者」として評価しながらも(143)、その民族主義的な限界を指摘している。マルコムがどうしても逃れることのできなかった単一の黒人性という考えに対置されるのは、「ジャズ」という言葉である。

「黒人生活の文化的な雑種的性格は、マルコムXの見解とは異質な比喩 ― しかしながら、聴衆に対する彼の演技には調和している ― を際立たせること、すなわちジャズの比喩へと私たちを導く。私はここで『ジャズ』という用語を、音楽的芸術形態の用語としてよりも、この世界における存在様態として用いている。それは『あれか/これか』的見解、教条主義的宣言、優越主義的イデオロギーの疑いがある現実に対して、変幻自在で、流動的で、柔軟性のある即興的様態である。ジャズ的な自由の闘士であることは、厭世的な人々に衝撃と活力を与えて、批判的交流と幅広い考察を奨励する責任あるリーダーシップを備えた組織形態へと導くことである」(159)

短いけど刺激的な本です。興味のある方は、ぜひ。

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