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2009年2月16日(月)

2009_02_16misoya今日のラーメン:「味噌ラーメン(750円)」@神保町『札幌 味噌や』
白味噌仕立ての比較的上品なスープ。あっさりしていて味噌ラーメンからイメージするどぎつい感じはない。麺は色こそさほど黄色くはないものの、縮れた太麺はいかにも札幌ラーメンという感じ。もやしなどの野菜がたっぷり載っている分、チャーシューはちょっと少ない印象。オロチョンのほうがよかったかな?・・・★★★

Ghetto_2ロビン・D・G・ケリー『ゲットーを捏造する アメリカにおける都市危機の表象』(Yo Mama's Disfunktional!: Fighting Culture Wars in Urban America、1997、村田勝幸/阿部小涼訳、2007)を読み終わった。アフリカ系アメリカ人の文化について語るとき、抑圧に対する対抗手段、未曾有の体験に根ざした特異な性質を持つものとして捉えがちである。抑圧された状況に対する「異常な」代償行動と捉えるにせよ、あるいはある種の政治的なテキストとして読むにせよ、そうした見方は文化が「参加者と現場の人間にとってそれがどういう意味をもつのか」(76)ということや、アフリカ系アメリカ人コミュニティが文化的雑種性を持っているということを見えにくくしてしまう。実際には文化は対抗手段や代償行動である以前に、「美的価値・様式・アイデンティティをめぐるダイナミックな闘争」であり(53)、「鳩尾から湧き上がる快楽」(71)を求める行動である。文化はたんに生きのびること以上のものであり、それはどんなに困難な状況にあっても変らない。ゲットーだからといって、文化が政治的パンフレットに矮小化されてしまうわけではないのだ。だからこそ、快楽を感じる対象に多様性があるのは当然のことであり、また独自の個性を持ちながらもアフリカ系アメリカ人の文化が他の文化と遠く離れた「特異な」(あるいは「異常な」)ものではない・・・ということもまた当然である。

こうしたことを踏まえなければ、アフリカ系アメリカ人の置かれた状況は彼らの持つ文化的特異性が原因である・・・ということになりかねない。著者が第四章で「階級」ばかりを優先しようとするニュー・リベラリズムの論客を批判するのも、このことと無縁ではない。そうした論客はときにマーティン・ルーサー・キングすら援用しながら、リベラルの運動から人種やジェンダーやセクシュアリティの問題を排除しようとする。それは結局、そうした問題をアフリカ系アメリカ人・女性・ゲイといった「特異な」集団の「アイデンティティの政治」として切り離す。実際には、そうした問題は労働問題のようなリベラルが伝統的に扱ってきた問題と骨がらみの関係にある。例えば、マイノリティの人口比率が多い貧しい地域に対する公共サーヴィスの削減といった巧妙な形で現れる現代アメリカの人種主義に抵抗することは、アフリカ系アメリカ人やラティーノ、アジア系以外の人びとのためでもある広汎な勝利につながるはずだ。

ぼく自身、まだ上手く説明できないところもあるのだが、文化を政治的主張に矮小化せず当事者がどんな快楽を感じているのか、多様性と変化を捨象せずに捉えるということと(そのなかにアイデンティティは複合的に現れる)、人種やジェンダーやセクシュアリティを一部の人間のアイデンティティだけにかかわる問題としてではなく全体に関わる問題として捉えることは、どちらも見逃せない視点であり、切り離して考えることができない。もう少し深く考えてみよう。

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