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2009年1月13日(火)

2009_01_13kamonka今日のラーメン:「黒ごま担々麺(980円)」@横浜『中国大陸料理 過門香』
クイーンズ伊勢丹のなかにある中華料理店。担々麺はラーメンかどうか微妙なところだが、一押しメニューのようなので食べてみた。ヒリヒリする唐辛子系の辛さはそれほどでもないが、喉の奥をつかまれるような香辛料が強烈でむせる。とはいえ、黒ごまのおかげで味はまろやか。ナッツが入っているのもいい・・・★★★+

Img069一昨日の日記で紹介した谷譲次が、アメリカ白人による黒人に対するリンチを告発した「私刑物語」・・・作品が掲載された雑誌『改造』1934(昭和9)年3月号をYahooオークションで手に入れた。

黒人小作人ヘンリー・ローレイは3年以上も働いてきたクレイグ農場を去るにあたって、主人のO・T・クレイグに小作料の支払いを求めた。それを面白く思わないクレイグは屋敷にのりこんできたローレイを罵倒し、追い返す。「奴隷駆使人スレイヴ・ドライヴアのやうに言はれて、農園中の黒人間に評判の悪い」(183)クレイグの息子ディックに至っては、帰途に着いたローレイを追いかけて猟銃を撃つ有様。我を失ったローレイはポケットに入っていた拳銃を取り出し、クレイグ氏と娘を殺害、二人の息子に重傷を負わせてしまう。この事件にショックを受けた地元民は、逃げたローレイを追って「黒人狩り」を始める。しばらくして、テキサス州エル・パソでローレイが逮捕される。ローレイとシェリフの乗りこんだ列車が田舎町の駅にすべりこむと、「物々しい顔をした白人の農夫や、小市民たち」を満載した自動車が町に集まってくる。「彼らはみな、何か非常に素晴らしい冒険に赴くやうに、蒼白に緊張した中にも、愉快そうに嬉々としてゐる風が見えた」(184)

リンチに至るまでの過程を小説のように物語りながら、ここでいかにもこの人らしく、アメリカ放浪中、実際に目撃した「黒人問題」の話へと脱線する。当時、作者はオハイオ州トレド市にいて、連日報道されるローレルの事件のことを耳にしていた。さらに、それから2、3年して現れたマーカス・ガーヴェイのアフリカ帰還運動に触れ、アフリカ移住の非現実性を指摘しながらも「『白人のための、そして白人だけの完全に白い亜米利加』といふアメリカ人の主張に対して、『黒人のための、そして黒人だけの完全に黒い阿弗利加』といふ愉快な旗印」であるとして全面的な共感を示していることに驚かされる(185)。デトロイトで開かれたガーヴェイ派の講演会にもでかけたというのだから、かなり深い関心を抱いていたのだろう。

話は暴徒に囲まれたヘンリー・ローレイに戻る。暴徒たちは「裁判にかけて下さい。真似でもいいから、一度は裁判に掛けて下さい!」と叫ぶローレルを列車から引きずり出して、嬲り殺しにする。リンチの具体的な描写は残酷すぎるためかところどころ伏字になっている。そして、作者はこれが普段は善良な小市民として退屈な日常を送っている暴徒たちにとって一種の娯楽であったことを見抜いている。

「ナディナ町に通じる街道は、まるで曲馬団サアカスか競馬の日のやうに、自動車や徒歩の人たちで絡繹と賑はつた。そのなかには、いはいる良家の夫人や令嬢といはれる婦人たちの、嬉々として談笑してゆく姿も見られた。亜米利加の私刑リンチなるものは、普通、芝居的趣味のもので、時としては数日前に広告される。そして、公衆の面前で、大規模に行はれる」(188)

黒人に対する共感の背景には、身をもって経験したアジア人差別に対する怒りがあるのだろう。一方で、作者は白人女性のレイプに関して、黒人に対するひどい偏見を露にする(「自制心のない未開人の血を持つ彼らのことだから、つい非常手段に訴へることにもなるのだらう」 190)。しかし、集団で命を弄ぶ暴徒と彼らを守るアメリカの欺瞞に対する怒りがそれをはるかに上回っている。続けて作者は悲惨なリンチの実態を具体的な例をあげて生々しく描き出し(ここでもあちこちに伏字)、リンチをもみ消そうとする上級判事の煮え切らない発言をパロディ化する。

「本官は、ごく僅少なる例外を除外しては、わが人道主義国家合衆国に私刑リンチなる蛮風の存在することを信じないものであるが、本事件は、不幸にして、その、本官のいわゆる極く僅少なる例外例の一つに相当するものであるかもしれないことを認めざるを得ないことを遺憾としなければならないほど、ことほど左様に、観察の角度によつては、世に謂ふ、私刑とやら称するあの忌まわしい出来事に、じつに紛らわしいほど酷似した外貌を具備した事件であることをここに指摘し、併せて警告しなければならないことは、本官の深く悲しみとするところで、いやはや何うも、苦しい限りで、自分ながら何を言つているんだか判らない次第で、実にどうも―。」(194)

この僅か1年3ヵ月後、谷譲次こと長谷川海太郎は喘息の発作を起こし、35歳の若さでこの世を去った。アメリカの欺瞞を攻撃すると同時に、国粋主義的な日本人にも同調できなかったジョーヂ・タニが生きていたら、欺瞞と欺瞞のぶつかり合い、大量虐殺のオンパレードであった第二次世界大戦をどう捉えただろう。

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