2008年4月8日(火)


ワールドミュージック専門の音楽誌『グローバル・リズム』の4・5月号に、チウォニソを紹介する記事が載っていた。見開き2ページの短いものだが、ところどころチウォニソ自身の発言が引用されていて興味深い。
チウォニソことチウォニソ・マライレはジンバブウェ伝統音楽の巨匠ドゥミサミ・マライレの娘であり、新世代のジンバブウェ音楽を担う歌手/ムビラ奏者である。父も得意としていたニョンガ・ニョンガという小型のムビラを弾き、伝承曲や自作曲を歌う。アメリカでジンバブウェ音楽を教えていた父とともに16歳までワシントン州オリンピアですごしたチウォニソは、自分は「アフリカ系アメリカ人、南アフリカ、ジンバブウェ」という「三つの文化の子供」だという。彼女の作る曲にどこかひとつところに定まらない浮遊感があるのは、そのためかもしれない。
チウォニソは、ミュージシャンの持つ語り部的な役割を強く意識している。「人々は自分たちが何者であるか知らなくてはならない。知識は力なのだから」・・・ヨーロッパによって歪められたものとは違う、アフリカの歴史を語ることによって人々の意識を変えることに意味を見いだす。また、幼い頃から「なぜ世界に不平等があるのか」と疑問を抱き、「大人になったら社会運動家か小児科医になろうと思っていた」という彼女は、歌手として語るすべを持たない人のために語ることこそ自分の仕事だと考えている。そんな言葉を裏づけるように、様々な社会的な運動に積極的に関わっている。
こうした自立した、強い女性のイメージとうらはらに、チウォニソにはどこか壊れてしまいそうな危うさがある。ジンバブウェで彼女のステージを何度も見たが、見るたびにハラハラする。強い意思を感じさせるはりつめた声と凝縮されたパフォーマンスはプロフェッショナルそのものなのだが、ポキリと折れてしまいそうな、コントロールできない切なさが聞き手の耳にも余るほどライブハウスの空間を満たしてしまう。民俗音楽としてのムビラ音楽が持つ霊感で包み込むような暖かさとも異質な、はじき出されて手からこぼれだしてしまう「真実」を不器用に拾い集めているような感触に、胸をしめつけられる。そして、ライブの前も後もチウォニソはたいていトリップしているか、酔っ払っている。「レベル・ウィミン」の「物思いに沈んだ語り」がやがて「焼けつくような感傷的でない哀歌になる。その効果は心を捉えてはなさず、はらわたをえぐるよう ― 頭と心への一撃だ」という言葉で記事が言おうとしているのもそのことだと思う。
私生活でもパートナーだった(現在は破局)アンディ・ブラウンのプロデュースで製作されたファースト・アルバム『エイシェント・ヴォイセズ』(写真左)は、ややオーヴァー・プロデュース気味であんまり好きじゃなかったのだけれど、今聞くとそんなに悪くない。でも、やっぱりセカンド・アルバム『タイムレス』(写真右)と比べると、かゆいところに手が届かない感じ。それは一作目に収録された自作の「ワンディラサ」を、二作目でまったく違うアレンジで再演したチウォニソ自身もわかっていたんだと思う。ところが、この『タイムレス』、ジンバブウェ以外ではなかなか手に入らない。「ワンディラサ」(もちろん、『タイムレス』ヴァージョン)のPVがYouTubeにアップされているので、のせておきます。
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