2006年9月1日(金)
今日のラーメン:「ラーメン(550円)」@星川『濱壱家』
以前食べたときには典型的な家系だと思っていたのだが、ゴマがふりかけてあったり、半熟卵がデフォルトで入っていたりと家系の王道からはかなり外れている。なかでも麺は断面の丸い中太縮れ麺で、平たい印象の家系とはすいぶん印象が違う。スープはさすがにパンチの効いた家系だが、塩辛すぎる・・・★★★+
ジンバブウェのレゲエ・・・昨日に引き続き、今回はジグザグ・バンド編。中心となる4人のメンバー=エマニュエル・ンコモ、ロバートとジョージのルンガ兄弟、スタンレー・フィリは、ジンバブウェ中央部の町クウェクウェの出身。小学校でマリンバを習っていた4人は,、さらに音楽活動を続けるためユース・センターに入りびたるようになる。そこでアコーステック・ギターを手に入れたことが彼らの運命を変えた。ギター以外楽器は何もなかったが、中学を卒業して仕事もなかった彼らは「ウィザーズ」と名のって音楽活動を続けていくことを決意する。プロのバンドとのジャム・セッションなどで腕を磨いき、やがてホテルが売りに出した楽器を買いいれたビジネスマンと組んで本格的なバンド活動を開始。そのとき、彼らが選んだ名前がジグザク・ヨークだった。ギルバート・ザマイダ、バジル・フィリなどのメンバーを加えたグループは、1983年、シングル=「サルラ・ワコ/カデヤデヤ」でデビュー。このシングルは無残な失敗に終わった。ところが、捨てる神あれば拾う神あり。86年、ブラック・スピリッツとトラブルを抱えていたオリヴァー・ムツクジが、彼らをバック・バンドに採用したのだ。ムツクジのバックをつとめながらも、彼らは独自の演奏活動も続けてく。そんななかから生まれたのが「ゴモ・ラマサレ」という曲。これが有名プロデューサーの目にとまり、大ヒット。やがて、ムツクジから独立したジグザグは、1989年、ファースト・アルバム『チャイルド・サヴァイヴァル』を発表する。しかし、92年、イギリス帰りのプロデューサーを迎えてつくられたセカンド・アルバム『ムジム・ムクル』はいい曲がそろっていたにもかかわらず、商業的には失敗に終わった。やがて、メンバーの脱退などが相次ぎ、ジグザグは次第に解体していく。そのなかで、オリジナル・メンバーのほとんどがエイズなどで世を去った。現在もジグザグの名で細々と活動を続けているが、かつての勢いはない。
・・・以上がジンバブウェの新聞『ザ・ヘラルド』2005年8月24日付の記事を参考にまとめた、ジグザグのプロフィールである。ぼくが持っている一番古いアルバムはセカンドの『ムジム・ムクル』(1992、写真)で、これは全曲かなりレゲエっぽい。ウッチャカウッチャカがつねに響いているし、深いエコーが心地よい。マプーモで言えばロンドンで録音した『チムレンガ・フォー・ジャスティス』(1985)のころの感じ。2001年の『ンガジヴルウェ』になるとレゲエにチムレンガがかなり入り込んでくる。昨日届いた『チギヨ・ヴァイブズVol.1』(2003)になると、ハチロクの曲のほうが多いくらいだ。でも、ルーツロックの切なさは常に保たれているので、「ああ、ジグザグだな」と納得できる内容になっている。アンディ・ブラウンもそうだけど、とにかく曲がいいんだ。
【ZigZag Band Dsicography(○はひらげが持っているもの)】
①Child Survival(1989)
②Mudzimu Mukuru(1992)○
③Chigiyo Chehorero(1996)
④Ndoita Ripi Zano(1998)
⑤Ngadzivhurwe(1999)○
⑥Chigiyo Vibes(2003)△←CD化するときに、Vol.1、2と分けたものか?
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