ジョセフィン・ベイカー主演の映画Princess Tam Tam (エドモン・T・グレヴィル監督、1935、邦題『タムタム姫』)を見た。ジョセフィン・ベイカーはパリで活躍した黒人女性ダンサー/歌手/女優(詳しいプロフィールは6月11日の日記参照)。本作は『はだかの女王』の成功を受けてつくられたベイカー3作目の主演映画。
フランスの小説家マックスは、妻ルーシーと彼女のスノッブな友人たちに辟易としている。ある日、派手な夫婦喧嘩をした彼は、気晴らしと小説の題材を求めて、秘書コトンとともにアフリカ(チュニジア)へ旅立つ。しかし、灼熱のアフリカでアイディアが浮かぶわけもなく、かといって文明のわずらわしさからも距離をおきたいマックスは毎日を無為にすごしている。そこへ、盗みや物乞いをしながらストリートで暮らしている野生児アルウィナ(ジョセフィン・ベイカー)が現われる。アルウィナの茶目っ気に魅せられたマックスは、彼女にヨーロッパ式の教育を施し、自分と彼女をモデルに「人種を越えた恋」というテーマで小説を書こうと試みる。見知らぬ外国人の奇抜な行動にとまどうアルウィナだったが、マックスの優しい態度に触れて彼とヨーロッパに渡ることを夢見はじめる。ところが、そこへパリからの手紙が届き、マックスはルーシーがパリ在住のマハラジャと親密な関係になってることを知る。嫉妬に狂った彼は、一刻も早く帰国するために一晩で小説を書きあげる決心をする・・・
・・・ヨーロッパ式の教育を受けたアルウィナはパリに渡り、社交界にデビューする。マックスはルーシーに見せつけるため、アルウィナを「アフリカのプリンセス」に仕立てあげる。アルウィナはその美しさでたちまち社交界の寵児となる。ある日、スノッブな人々の間を引きずりまわされることにうんざりしたアルウィナは、安酒場にでかけ、安酒を煽りながら扇情的なダンスを踊る。それを伝え聞いたルーシーは、人前で「野蛮な」ダンスを躍らせれば、アルウィナの評判は地に落ちるだろうと考え、マハラジャに相談する。果たせるかな、マハラジャ主催のレヴュー公演で、アフリカン・パーカッションの音に誘われたアルウィナはステージにあがる。窮屈な服をむしり捨てて踊り狂うアルウィナ・・・しかし、ルーシーの思惑とは裏腹に社交界の人々はアルウィナのダンスを拍手喝采で迎えた。もてはやされるアルウィナの横を逃げるように帰っていくルーシー。ルーシーの車を追うためマックスも車を走らせる。2台の車は接触して止まり、マックスとルーシーは口論しながらチュー・・・一方、アルウィナは、すべてを察知していたマハラジャに説得されて国に帰る決心をする・・・
・・・「どうだい?売れそうだろ?」とマックス。今までの話はマックスが一夜で書きあげた小説だったのだ。そこへ、アルウィナが入ってくる。「私たち、本当にヨーロッパに行くの?」「いいや、お前はここにいたほうがいい。屋敷をやるからここで暮らしなさい」・・・小説は出版され、ベストセラーになる。アルウィナはマックスのものだった屋敷で幸せに暮らしており、屋敷のなかは家畜であふれている。「文明」と書かれた本を食んでいるロバが大写しになり・・・Fin。
いやぁ、こんな皮肉な内容の映画だとは思わなかった。『はだかの女王』が「天真爛漫な野生児」ジョセフィン・ベイカーの魅力をストレートに出したものだとすると、『タムタム姫』はステレオタイプ的ともいえるそうしたイメージの孕む問題を正面から扱った作品であると言えるだろう。アルウィナがマックスの召使ダー(高貴な野蛮人タイプ)に「わたしヨーロッパに行きたいわ。だってあの人の言葉、優しくてすてきなんですもの」と言ったとたん場面が切り替わり、妻への嫉妬に荒れ狂い、汚い言葉を吐き散らしている「あの人」=マックスの姿が映しだされるところなど、かなり皮肉がきつい(フランス語が「世界でいちばん美しい言葉だ」なんて言ったのはだれだ?)。ヨーロッパ式の教育を受けたアルウィナが、猿の絵が描かれた屏風の向こうから登場するのも見逃せない(「野蛮な動物の世界→文明の世界」というイメージ)。しかし、何と言ってもこの映画で問題になっているのは、ヨーロッパ人が植民地の異性に求めるセックス・イメージだろう。ヨーロッパの男性(マックス)が植民地の女性(アルウィナ)に無邪気さを求めているのはもちろんのこと、ヨーロッパの女性(ルーシー)もまた植民地の男性(マハラジャ)に無限の優しさを求めている(「あなたの国では男性はみな女性を甘やかしているのね。男性はいつも女性のために生きているみたい」とルーシーはマハラジャに言う)。つまり、この映画ではヨーロッパ人が植民地人に抱くステレオタイプが自嘲的に描かれていると言えるのだが、皮肉なことに映画自体もまたそうしたステレオタイプにどっぷりつかっている。とりわけ、ロバが「文明」を食べてしまうラストシーンは決定的だ。文明は文明へ、自然(野蛮)は自然(野蛮)へ。両者は交じり合わないほうがいい。そして、アフリカなど植民地側はいつでも自然の側にいるべきだ・・・というわけ。この根本的な偏見に気づいていないのは1935年と言う時代を考えれば無理のないことかもしれないが、今の時代から見て見逃せるわけでもない。
いきおいにのって、ジョセフィン・ベイカーの生涯を描いたTV映画『裸の女王 ジョセフィン・ベイカー・ストーリー』(原題Josephine Baker Story、ブライアン・ギブソン監督、1991)を見た。
晩年、さまざまな人種の孤児を引きとって育てていたベイカー。しかし、養育費がかさみ、彼女の「虹の家族」は破産、長年住み慣れたフランス郊外の城を追い出されることになった。映画は苦境にあったベイカーが、パリの知人に引きとられた子供たちにあてて書いた手紙のかたちで始まる。ベイカーが生まれた20世紀初頭のアメリカには、人種暴動とリンチの嵐が吹き荒れていた(当時、人種暴動と言えば、白人による黒人の虐殺である)。暴動のなか殺されまいと小屋の角に身をひそめる少女―それが後のジョセフィン・ベイカーである。成長したベイカーは「かわいい黒人の少女はだれも憎まない」ことを学び、ミンストレル・ショーで歌や踊り、コメディを見せるようになる。やがて、母の反対を押し切ってパリに渡り、躍動的なダンスと大胆なヌードでセンセーションを巻き起こす。そこで出会ったのが、シチリア出身のイタリア人男性ペピト・アパティーノである。彼はマネージャーとして夫として、ジョセフィンを公私共に献身的に支えるが、ヨーロッパ・ツアーの成功を受けて行われたアメリカ公演で事態は一変する。人種差別の強い祖国では、ジョセフィンのステージは受け入れられず、傷ついたジョセフィンはペピトを罵り、追い出してしまう。肺病を病んでいたペピトは、まもなく孤独な死をむかえる。
心に深い傷を負って、第二の故国フランスへ帰ったジョセフィンを待っていたのは、ナチスによるパリ占領であった。レジスタンスに身を投じたジョセフィンはナチスの家宅捜索を受け、北アフリカの戦場へ逃げる。戦場ですっかり身体を壊したジョセフィンだったが、アメリカ軍の要請で慰問講演を行う。ステージの上から、前のほうの席に白人ばかり座っていることを指摘し、「それでいいの?後ろに座っている(黒人の)人たちも、いつまでそこに座っているつもり?」と煽るジョセフィン・・・彼女の真摯な訴えを聞いて動きはじめる兵士たち・・・人種差別を恐れて妹の葬式にすら母国に帰ろうとしなかったジョセフィンが、反人種差別の「闘士」として歩みだした瞬間であった。
戦後帰国したアメリカは、しかし、何も変わっていなかった。レジスタンスの闘士として多くの勲章をもらったジョセフィンはスターとしてむかえられたものの、多くのホテルやレストランが彼女に対するサービスを拒否した。彼女は慰問公演で知り合った指揮者ジョー・ブイヨンと徹底的な戦いを開始するが、赤狩り時代のアメリカの強い人種差別意識に阻まれて、フランス郊外の城へと撤退を余儀なくされる。ジョセフィンはそこで孤児を育てはじめる。最初は喜んで協力していたジョーだが、収入を考えずに次々孤児を引き取るジョセフィンについていけなくなり、ついに城を後にする。養育費捻出のために舞台に復帰したジョセフィンだが、結局破産。思い出のつまった城から、文字通り放り出される(城の片隅にうずくまる姿が、人種暴動のなか小屋の角に身をひそめていた少女に重なる)。
モナコの女王に住居を提供され、パリの舞台に戻ったジョセフィン。老いたジョセフィンが子供たちに電話で、「あたしのこと時代遅れだと思ってない?客席にミック・ジャガーが来てるわよ」と言って、ステージで歌うシャンソン調のボブ・ディラン「時代は変わる」に号泣。ジョセフィン役のリン・ホイットフィールドは、クリッとした童顔のジョセフィンとは全然違う顔で、最後までどうしても本人には見えなかったのだけれど、自分らしく生きようとしたひとりのアフロ・アメリカンの物語としてすごく感動的だった。