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2005年6月28日(火)

2005_06_28Rakyou今日のラーメン:「塩ラーメン」@たまプラーザ『おばんざい らっきょう
『むつみ屋』があったところに、別のお店が建っていた。ラーメン屋じゃないのかぁ・・・と思ったらメニューに「塩ラーメン」がある。これは食べてみなくては・・・透明なスープからは煮干の香りがふわりと・・・むむっ、うまい!!『汐のや』系列らしいが、ラーメンが本業の『汐のや』よりも全然うまいぞ・・・★★★★

Life_Is_Beautifulイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(原題La vitta e bella、ロベルト・ベニーニ監督、1999)を見た。

お調子者のグイドはユダヤ系イタリア人。給仕をしている叔父を頼って、トスカーナのある街にやって来た。そこで彼は小学校教師のドーラに恋をする。ドーラは幼馴染の高慢な役人と望まない結婚をさせられそうになっている。グイドのロマンチックな純粋さは彼女の心を捉え、婚約披露パーティーの当日、グイドはドーラを連れて逃げる。こうして結ばれた二人は、ジョズエというかわいい息子を授かることになった。

ところが、戦争とファシズムの波がそんな彼らの幸せを飲み込んでいく。グイドとジョズエはナチスのユダヤ人収容所に送られ、ユダヤ人ではないドーラも二人を追って自ら収容所行きを選んだ。地獄のような収容所で、グイドはジョズエに「これはゲームで、いい子にしていれば点数がもらえる」「1000点集めて一等になれば、戦車に乗ってお家に帰れる」と信じこませようとする。ドーラのことを気にかけながら、ジョズエの命を守ろうとするグイド。連合軍の侵攻がはじまり、解放が間近に迫った夜、ナチスによる虐殺を避け、グイドはジョズエを連れて逃げる。しかし、ジョズエを隠し、ドーラを探していたところをナチスの兵に捕らえられ、物陰であっけなく射殺されてしまう。父親の言いつけを守って人気がなくなるまで隠れていたジョズエがそっと出てきたとき、連合軍の戦車が入ってくる。ジョズエは本当に戦車に乗って「お家に帰る」ことになった・・・

嘘からでたマコトって言葉がある。C調なグイドの言葉は調子のいいデマカセばっかりなんだけど、それを本気でやっているうちに本当になってしまう。ドーラに愛を語るときも、ジョズエを守ろうとしているときも・・・こんな風に生きていきたい。最期の最期まで、ジョズエのためにおどけた兵隊の行進をしてみせたグイドみたいに・・・戦車が入ってくるのを見て、ジョズエが「ほんとうだったんだ!」と叫んだとき、笑いと涙で顔がぐちゃぐちゃになった。そうだよ、ほんとうだったんだよ!

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2005年6月27日(月)

2005_06_27Tsushima今日のラーメン:「中華そば」@浅草『つしま
博多ラーメンの『田中商店』が雷門近くに開店したお店だが、なぜか和風醤油ラーメン。豚骨と魚介系のダブル・スープらしい。『青葉』ほどトロリとはしていないし、色も黒い(が、透明感もある)。すっきりしているが舌に残るものもあり、かなり美味しい。ペタンとした麺はプルプルしていながら、コシもあってグー・・・★★★★

チキリカのギターリスト、イマナラに息子誕生!!おめでとう!おめでとう!!

SMile_DVDブライアン・ウィルソン『スマイル』ツアーのパフォーマンスと、ビーチボーイズの最高傑作として喧伝されながら未発表に終わったこのアルバムが37年の時を経て完成されるまでを追ったドキュメンタリー『ビューティフル・ドリーマー』を収録した2枚組DVDを見た。

ライブ・パフォーマンスのほうは、来日公演を生で体験したときの、あの震えるほどの感動はさすがにない。その分、あちこちに挿入されたおかしな音がどのようにして出されていたのかとか、ブライアンがどんな顔をして歌っていたのかとか、細かいところがチェックできて、ブライアンおたく(←ブライアンのファンにはこの呼び方がいちばんしっくりくる)にはやっぱり堪らないものがある。それに、ブライアンのこの声!60をすぎたおっさんがこんなイノセントな声を持っているなんて、それだけですごいことじゃないだろうか。

ドキュメンタリーのほうは、貴重な映像満載。幸せなエネルギーに満ちて『スマイル』製作にのりだしたブライアンが、ツアーから帰国したビーチボーイズのメンバーに否定されて、次第に失速していく過程が丁寧に描かれている。新妻の支えで復活したブライアンが、トラウマに立ち向かいながら『スマイル』を完成させていく姿も感動的。『スマイル』初演でステージに呼ばれた共作者のヴァン・ダイク・パークスが、ブライアンと子供のようにはしゃぐのを見て涙が・・・チャイルド・イズ・ファーザー・オヴ・ザ・マン・・・

子供 子供よ 人の父よ
かんたんさ、ぼうや 信じても大丈夫
荒野から出て きみが孕んでいるもののなかへ
きみは成しとげる 子供 子供よ 人類の父よ

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2005年6月26日(日)

2005_06_26Yousukou今日のラーメン:「ラーメン」@大阪・梅田『揚子江
大阪・梅田の駅周辺で美味しいラーメンといえば、まずはここ。あっさりした塩味のスープは、鶏がらでダシをとった上品なもの。麺はストレート細麺でのびるのは早そうだが、つるつるとした感触はとてもおいしい。あっさりしていながらしっかり肉らしい叉焼、春菊や揚げ玉ねぎなどの具もいい感じ。大阪でしか食べられない味・・・★★★★+

P1010010寝坊した。

市内のホテルが取れなかったので、京都駅から近鉄で30分行った「祝園」(←「ほうその」と読むらしい)という駅からタクシーで10分のところにある「けいはんなプラザホテル」というところに泊まった。まったく、えらい遠いところに宿をとってしまったものだが、おかげで昨夜は祝園駅に停車するかどうか教えてくれたR谷大学の女子大生としばらくお話しすることができたし(←これって、ナンパ?)、まあ、いいか。でも、朝はますますもってカッタルイ。ちゃんと前もってタワーホテルを押さえておけば、京都駅周辺で全てこと足りたのに・・・とにかく、急いで京都駅へ・・・ま、きょうと~って言ったら下りればいいや・・・ちょっと寝よう・・・スピー・・・

あれ?やば?寝すぎた?いや・・・うつらうつらはしてたけど・・・まだ京都のアナウンスはないはず・・・え?あれ?放出?放出って知り合いが住んでるけど、大阪だよなぁ。この路線は大阪をぐるりとまわってまた京都に・・・?そんなわけないなぁ・・・あ、あれ?近鉄じゃなくて、JR乗ってる!あたたたたた・・・うーん、こりゃ、もう間に合わないなぁ。しかたない(←明らかにしかたなくありません)、大阪見物していくか。

久しぶりの大阪は、やっぱりいい感じ。無計画につくられた雑然とした町並み(←ほめてます)。中途半端に高いビルディング(←ほめてます)。必要以上に大きな看板(←くどいようですが、ほめてます)。すれ違ったあんちゃんが、「○○さんってな、日本一海が似合わない男でな」とか言っているのが聞こえてきた。お前、それ、確かだろうなぁ~日本中の海が似合わない男集めてコンテストしたのか~・・・と、ツッコミを入れたくなってしまう発言が飛び交っているのもまた大阪のいいところ♪・・・そして、駅前に観覧車!ビルの屋上に観覧車!そのふもとの『揚子江』でラーメンを食って、バンドのメンバーへのお土産にお持ち帰りを4パック買った。屋上に観覧車のある阪急HEP FIVE(大阪の若者のメッカ・・・渋谷の109のようなところである・・・たぶん)のトイレで用を足す。ひらげに会いたい人は、HEP FIVE3階男子トイレのいちばん入り口側の個室に行ってください。急いでいけば、残り香ぐらいは・・・(←サイテー!!)

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2005年6月25日(土)

2005_06_25Kumagorou今日(京)のラーメン:「醤油ラーメン」@京都『京熊五郎』
京都のラーメンは濃ゆい。「京料理は薄味」という先入観を粉々に打ち崩す濃厚さだ。京都駅の地下街ポルタ内にある『京熊五郎』の「醤油ラーメン」は、見た目も味も味噌ラーメンかと思う濃厚さ。『新福菜館』や『第一旭』とは全然違うが、「京都のラーメンは濃ゆい」という印象は変わらなかった・・・★★★+

P1010009黒人研究の会第51回全国大会@キャンパスプラザ京都

久しぶりにやって来た京都は、なにしろ暑かった。考えてみれば、夏、京都に来るのははじめて。うわさに聞く以上の暑さだ。この日は日本全国どこも真夏日だったらしいのだが、それにしても内にこもったような京都の暑さは身体にこたえた。思わず、京都タワーの写真を撮る。ぼくの記憶のなかでは、もっとゆらゆら揺らいでいたのだが・・・

関西の先生方との再会を喜ぶ。ところが、事務局長の古川先生と話しているうちに、大変なことに気づいた。今日の発表で使うはずのビデオ・・・VHSで持ってくると断言していたにもかかわらず、DVDで持ってきていたのだ。がーーーん。「コムズカシイことを言うビデオジョッキー」の計画(昨日の日記参照)が・・・キャンパスプラザにはDVDがない。結局、山本先生のノートパソコンとプロジェクターをつないで何とか上映できることになったからよかったけれど、自分のバカさカゲンにほとほと嫌気がさす。

立命館大学・中條献先生の講演「公民権運動の『歴史』」は、非常に刺激的な内容だった。「歴史」はもちろん、「過去」と無関係ではありえない。しかし、「過去」を語るのが「現在」の人々である以上、「歴史」はまた「現在」の問題でもある。だから、歴史は常に語りなおされるし、「現在」が先に進みつづけている以上、語りなおされなければならないものなのだ。そうした立場から「公民権運動」を語りなおすと、それがアメリカ合衆国の国民統合の一大契機であったことがわかる。「国民統合」というのは必ずしも良い意味ではない。アメリカが公民権運動を期に、統合されたひとつの強大な国に「なってしまった」ということである。しかも、公民権運動が国内の不平等(人種差別) をある程度まで解消したことによって、「アメリカは常に民主主義に向かって邁進する国である」という言説に説得力を与えることになった。こうしたアメリカ進歩史観のなかに、「公民権運動」を位置づけてしまうことの危険が再認識されるべきなのではないか。質疑応答で須田先生がおっしゃっていたように、「公民権=市民権(Civil Rights)」は、あくまでもアメリカ合衆国の市民の権利であり、そこからは200近くの国家に分断された世界で一人ひとりの人間がどのようにして人権を確保していくかという視点が抜け落ちてしまう可能性もある。とりわけ、9・11以降、「アメリカが世界に民主主義を広める」というような言説が大手を振ってまかり通り、かつてアメリカの良心といわれたような人たちがイラクやアフガニスタンで何が起きているかではなく、合衆国内部の自由が奪われることにばかり目を奪われている昨今、「公民権(Civil Roghts)運動」を「人権(Human Rights)運動」として捉えなおし、「自由の国アメリカ」ではなく、もっと大きな世界の歴史のなかに位置づけることが必要なのかもしれない。もちろん、50~60年代当時は公民権運動もある程度まで相手(合衆国のメインストリーム)の言葉に合わせて運動を語ることが必要だったことは理解できるし、公民権運動で黒人が獲得したような権利が在日韓国・朝鮮人をはじめとする外国人に与えられていない日本のような社会では、「公民権運動の見直し」以前の問題が山積していることは確かなのだが。

1987年にNHKで放映されたドキュメンタリー「アメリカ公民権運動」の上映をはさんで、「公民権運動と21世紀」というテーマでシンポジウム。大島商船高等専門学校の石田依子先生が「公民権運動と人種問題 ― サリー・ヘミングス問題にみる公民権運動の遺産」、天理大学の上田禮子先生が「公民権運動内のジェンダー問題―女性参画の効果」というテーマで発表。ひらげは「音楽と公民権運動―ソウル・ミュージックにおけるルーツ回帰と人種統合」というテーマでコムズカシイことを言うビデオジョッキー(笑)を・・・ひらげの発表はソウル・ミュージックにおけるゴスペル音楽の導入と白人音楽との融合が、公民権運動の時代とどのようにリンクしていたかを追うもの(内容についてはいずれ「黒人研究の会」の機関紙にまとめますが、5月28日の日記に書いたようなことをふくらませたものです)。この日流したビデオは①映画『レイ』より、レイ・チャールズ(ジェイミー・フォックス)が夫人に「アイ・ガッタ・ウーマン」を聞かせるシーン②映画『マルコムX』より、サム・クック「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」をバックに、マルコムX(デンゼル・ワシントン)が暗殺されることになるボールルームに向かうシーン ③オーティス・レディングのモンタレー・ポップ・フェスティヴァルにおける演奏より、「アイヴ・ビーン・ラビング・ユー・トゥー・ロング」 ④映画『ワッツタックス』より、ジェシー・ジャクソン師の演説「アイ・アム・サムバディ」~キム・ウェストン「リフト・エヴリ・ヴォイス・アンド・シング」

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2005年6月24日(金)

2005_06_24Ryoma今日のラーメン:「ラーメン」@東神奈川『竜馬
クリーミーな豚骨スープに中太の縮れ麺・・・いかにも、ひらげの食指を動かさないタイプ。それでも何かあるかもしれないと思って食べてみた。うーん、やっぱり何にもないかも(ごめんなさい)。旨みがないわけではないが、クリームスープに油が浮いているような感じで、ちょっとひく・・・★★★

明日、京都のキャンパスプラザ京都で黒人研究の会全国大会があって、「公民権運動とソウル・ミュージック」というテーマで発表をすることになってる。まあ、準備は万端なのだが、気合を入れるためにオーティス・レディング『ライブ・アット・モンタレー』のビデオを見ている。ああ、興奮して今日は眠れないかもしれない。シェイク!アーリインザモーニン!シェイク!レイトインディイヴニン!シェイク!ミッドナイトアワー!(ぱーらーぱっぱらーぱー)・・・ビデオ満載の楽しい発表にするつもり・・・発表というより、コムズカシイこと言うビデオジョッキーみたいな感じで・・・ガッタガッタ!

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2005年6月23日(木)

2005_06_23Koshinbou今日のラーメン:「らぁめん」@町田『胡心房
稲城にあった『虎心房』が、名前を変えて町田に移転。基本は豚骨なのだが、どんぶりに顔を近づけたとたん、魚の香りがふわっと舞う。店員は女性ばかりだが、湯切りはかなり力強い。それでいて、店内はきれいだし、メニューにサラダがあるなど繊細な心づかいもある。麺はもう少し固いほうが好みだけど、全体的に高レベル・・・★★★★

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2005年6月20日(月)

2005_06_20Tokiwa今日のラーメン:「磯中華そば」@天王町『ときわ
久しぶりに『ときわ』に行ったら、新メニューが出来ていた。すぐそばにある『むつみ屋』の「磯醤油ラーメン」を意識したと思われる「磯中華」・・・岩海苔が入っていて磯の香りを演出・・・ってそのまんまじゃん。繊細なここのスープには、岩海苔の風味が強すぎるような気がする。ぼくは普通の「中華そば」にします・・・★★★+

アクセス解析の結果とかは基本的に公開すべきではないのだろうけれど、どうしても気になることがあるので大目に見ていただきたい。「アフリカラーメン」と検索してこのブログに来た人がいるのだ。「アフリカ ラーメン」ではなく(←これでも十分衝撃的だけど)、「アフリカラーメン」ですよ。もしかして、ぼくの知らない間にアフリカ風味のラーメン(??)が登場して、『王様のブランチ』で取り上げられたりしているのだろうか。さっそく、Yahooで検索してみると、出てきたのは『ひらげ日記』だけだった(カテゴリーの「アフリカ」と「ラーメン」がヒットしたのだ)。そういえば、『下北沢 一龍へ行こう!』の管理人・池ポンさんも、『ひらげの部屋』の紹介文で「アフリカにも麺類ってあるのかな」と書いてたけど・・・ぼくの知っている限りでは、アフリカにラーメンに類するものはない。パスタという鬼っ子は別にすると、麺というのは基本的にアジアの文化なのだ。でも、去年ジンバブウェに行ったとき、レジナルドくんが「ハラレラーメンつくってやるよ」(ハラレはジンバブウェの首都)と言ったことはあった。ムビラ奏者のレジナルドくんを日本に連れてきたとき、「俺のフェイバリット・フードだ!」と言ってあちこちのラーメンを食いに連れて行ったのだけれど、帰国前日に食べた家系総本山『吉村家』のラーメンにはレジもいたく感動していたようだ。「マゾンド(牛の踵を煮込んだ料理)でスープを取ってさぁ・・・」 う、うん・・・ 「ちょっと太目のスパゲッティーを買ってきて茹でればいいんだよ」 スパゲッティー・・・一抹の不安が・・・ 「大丈夫、俺はあの味覚えてるから!」 いや、そこまで言うなら・・・でも、大丈夫かなぁ・・・食べてみたい気もするけど・・・でも・・・結局、こちらの不安が伝わったのか、魅惑のアフリカラーメンは実現しなかった。今年は麺を持ってアフリカに行こうかなぁ・・・

世界のラーメン情報「アフリカ方面掲示板」

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2005年6月19日(日)

某ニュース番組のインタビューで貴乃花親方が「もう一度若貴兄弟決戦を」と言っている映像が何度も放映されるのを見るにつけ、「親方はこのブログを読んでいるのではないか?」(6月13日の日記参照)という妄想にとらわれている。もし、本当にこのブログを読んでいるのなら、貴乃花親方にひとつだけ聞きたいことがある。

どうやってダイエットしたんですか?

・・・お願い。ぼくにだけ、こっそり教えて。

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2005年6月18日(土)

Princess_Tam_Tamジョセフィン・ベイカー主演の映画Princess Tam Tam (エドモン・T・グレヴィル監督、1935、邦題『タムタム姫』)を見た。ジョセフィン・ベイカーはパリで活躍した黒人女性ダンサー/歌手/女優(詳しいプロフィールは6月11日の日記参照)。本作は『はだかの女王』の成功を受けてつくられたベイカー3作目の主演映画。

フランスの小説家マックスは、妻ルーシーと彼女のスノッブな友人たちに辟易としている。ある日、派手な夫婦喧嘩をした彼は、気晴らしと小説の題材を求めて、秘書コトンとともにアフリカ(チュニジア)へ旅立つ。しかし、灼熱のアフリカでアイディアが浮かぶわけもなく、かといって文明のわずらわしさからも距離をおきたいマックスは毎日を無為にすごしている。そこへ、盗みや物乞いをしながらストリートで暮らしている野生児アルウィナ(ジョセフィン・ベイカー)が現われる。アルウィナの茶目っ気に魅せられたマックスは、彼女にヨーロッパ式の教育を施し、自分と彼女をモデルに「人種を越えた恋」というテーマで小説を書こうと試みる。見知らぬ外国人の奇抜な行動にとまどうアルウィナだったが、マックスの優しい態度に触れて彼とヨーロッパに渡ることを夢見はじめる。ところが、そこへパリからの手紙が届き、マックスはルーシーがパリ在住のマハラジャと親密な関係になってることを知る。嫉妬に狂った彼は、一刻も早く帰国するために一晩で小説を書きあげる決心をする・・・

・・・ヨーロッパ式の教育を受けたアルウィナはパリに渡り、社交界にデビューする。マックスはルーシーに見せつけるため、アルウィナを「アフリカのプリンセス」に仕立てあげる。アルウィナはその美しさでたちまち社交界の寵児となる。ある日、スノッブな人々の間を引きずりまわされることにうんざりしたアルウィナは、安酒場にでかけ、安酒を煽りながら扇情的なダンスを踊る。それを伝え聞いたルーシーは、人前で「野蛮な」ダンスを躍らせれば、アルウィナの評判は地に落ちるだろうと考え、マハラジャに相談する。果たせるかな、マハラジャ主催のレヴュー公演で、アフリカン・パーカッションの音に誘われたアルウィナはステージにあがる。窮屈な服をむしり捨てて踊り狂うアルウィナ・・・しかし、ルーシーの思惑とは裏腹に社交界の人々はアルウィナのダンスを拍手喝采で迎えた。もてはやされるアルウィナの横を逃げるように帰っていくルーシー。ルーシーの車を追うためマックスも車を走らせる。2台の車は接触して止まり、マックスとルーシーは口論しながらチュー・・・一方、アルウィナは、すべてを察知していたマハラジャに説得されて国に帰る決心をする・・・

・・・「どうだい?売れそうだろ?」とマックス。今までの話はマックスが一夜で書きあげた小説だったのだ。そこへ、アルウィナが入ってくる。「私たち、本当にヨーロッパに行くの?」「いいや、お前はここにいたほうがいい。屋敷をやるからここで暮らしなさい」・・・小説は出版され、ベストセラーになる。アルウィナはマックスのものだった屋敷で幸せに暮らしており、屋敷のなかは家畜であふれている。「文明」と書かれた本を食んでいるロバが大写しになり・・・Fin。

いやぁ、こんな皮肉な内容の映画だとは思わなかった。『はだかの女王』が「天真爛漫な野生児」ジョセフィン・ベイカーの魅力をストレートに出したものだとすると、『タムタム姫』はステレオタイプ的ともいえるそうしたイメージの孕む問題を正面から扱った作品であると言えるだろう。アルウィナがマックスの召使ダー(高貴な野蛮人タイプ)に「わたしヨーロッパに行きたいわ。だってあの人の言葉、優しくてすてきなんですもの」と言ったとたん場面が切り替わり、妻への嫉妬に荒れ狂い、汚い言葉を吐き散らしている「あの人」=マックスの姿が映しだされるところなど、かなり皮肉がきつい(フランス語が「世界でいちばん美しい言葉だ」なんて言ったのはだれだ?)。ヨーロッパ式の教育を受けたアルウィナが、猿の絵が描かれた屏風の向こうから登場するのも見逃せない(「野蛮な動物の世界→文明の世界」というイメージ)。しかし、何と言ってもこの映画で問題になっているのは、ヨーロッパ人が植民地の異性に求めるセックス・イメージだろう。ヨーロッパの男性(マックス)が植民地の女性(アルウィナ)に無邪気さを求めているのはもちろんのこと、ヨーロッパの女性(ルーシー)もまた植民地の男性(マハラジャ)に無限の優しさを求めている(「あなたの国では男性はみな女性を甘やかしているのね。男性はいつも女性のために生きているみたい」とルーシーはマハラジャに言う)。つまり、この映画ではヨーロッパ人が植民地人に抱くステレオタイプが自嘲的に描かれていると言えるのだが、皮肉なことに映画自体もまたそうしたステレオタイプにどっぷりつかっている。とりわけ、ロバが「文明」を食べてしまうラストシーンは決定的だ。文明は文明へ、自然(野蛮)は自然(野蛮)へ。両者は交じり合わないほうがいい。そして、アフリカなど植民地側はいつでも自然の側にいるべきだ・・・というわけ。この根本的な偏見に気づいていないのは1935年と言う時代を考えれば無理のないことかもしれないが、今の時代から見て見逃せるわけでもない。

Baker_Storyいきおいにのって、ジョセフィン・ベイカーの生涯を描いたTV映画『裸の女王 ジョセフィン・ベイカー・ストーリー』(原題Josephine Baker Story、ブライアン・ギブソン監督、1991)を見た。

晩年、さまざまな人種の孤児を引きとって育てていたベイカー。しかし、養育費がかさみ、彼女の「虹の家族」は破産、長年住み慣れたフランス郊外の城を追い出されることになった。映画は苦境にあったベイカーが、パリの知人に引きとられた子供たちにあてて書いた手紙のかたちで始まる。ベイカーが生まれた20世紀初頭のアメリカには、人種暴動とリンチの嵐が吹き荒れていた(当時、人種暴動と言えば、白人による黒人の虐殺である)。暴動のなか殺されまいと小屋の角に身をひそめる少女―それが後のジョセフィン・ベイカーである。成長したベイカーは「かわいい黒人の少女はだれも憎まない」ことを学び、ミンストレル・ショーで歌や踊り、コメディを見せるようになる。やがて、母の反対を押し切ってパリに渡り、躍動的なダンスと大胆なヌードでセンセーションを巻き起こす。そこで出会ったのが、シチリア出身のイタリア人男性ペピト・アパティーノである。彼はマネージャーとして夫として、ジョセフィンを公私共に献身的に支えるが、ヨーロッパ・ツアーの成功を受けて行われたアメリカ公演で事態は一変する。人種差別の強い祖国では、ジョセフィンのステージは受け入れられず、傷ついたジョセフィンはペピトを罵り、追い出してしまう。肺病を病んでいたペピトは、まもなく孤独な死をむかえる。

心に深い傷を負って、第二の故国フランスへ帰ったジョセフィンを待っていたのは、ナチスによるパリ占領であった。レジスタンスに身を投じたジョセフィンはナチスの家宅捜索を受け、北アフリカの戦場へ逃げる。戦場ですっかり身体を壊したジョセフィンだったが、アメリカ軍の要請で慰問講演を行う。ステージの上から、前のほうの席に白人ばかり座っていることを指摘し、「それでいいの?後ろに座っている(黒人の)人たちも、いつまでそこに座っているつもり?」と煽るジョセフィン・・・彼女の真摯な訴えを聞いて動きはじめる兵士たち・・・人種差別を恐れて妹の葬式にすら母国に帰ろうとしなかったジョセフィンが、反人種差別の「闘士」として歩みだした瞬間であった。

戦後帰国したアメリカは、しかし、何も変わっていなかった。レジスタンスの闘士として多くの勲章をもらったジョセフィンはスターとしてむかえられたものの、多くのホテルやレストランが彼女に対するサービスを拒否した。彼女は慰問公演で知り合った指揮者ジョー・ブイヨンと徹底的な戦いを開始するが、赤狩り時代のアメリカの強い人種差別意識に阻まれて、フランス郊外の城へと撤退を余儀なくされる。ジョセフィンはそこで孤児を育てはじめる。最初は喜んで協力していたジョーだが、収入を考えずに次々孤児を引き取るジョセフィンについていけなくなり、ついに城を後にする。養育費捻出のために舞台に復帰したジョセフィンだが、結局破産。思い出のつまった城から、文字通り放り出される(城の片隅にうずくまる姿が、人種暴動のなか小屋の角に身をひそめていた少女に重なる)。

モナコの女王に住居を提供され、パリの舞台に戻ったジョセフィン。老いたジョセフィンが子供たちに電話で、「あたしのこと時代遅れだと思ってない?客席にミック・ジャガーが来てるわよ」と言って、ステージで歌うシャンソン調のボブ・ディラン「時代は変わる」に号泣。ジョセフィン役のリン・ホイットフィールドは、クリッとした童顔のジョセフィンとは全然違う顔で、最後までどうしても本人には見えなかったのだけれど、自分らしく生きようとしたひとりのアフロ・アメリカンの物語としてすごく感動的だった。

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2005年6月17日(金)

2005_06_17Oyaji今日のラーメン:「おやじ麺」@相模原『北海道ラーメン おやじ
豚骨ペースのスープはかなり甘くひらげの好みではないが、白味噌と野菜の甘みが出た感じで決して悪い感じはしない(胡麻やナッツも使っているらしい)。クリーミーなようでいて、ちょっとひっかかりのある舌触りを残しているところが、かえってパンチのある味を生みだしている。いかにもカンスイ多そうな黄色い縮れ麺もグー・・・★★★★

「手ながおじさん募金にご協力お願いしまーす」・・・えっ!?

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2005年6月16日(木)

2005_06_16Sakurazaka今日のラーメン:「中華そば」@渋谷『櫻坂
昨日に引き続き『櫻坂』に行ってきた。醤油味の「中華そば」は、鶏がらがメインの「塩ソバ」とはかなり印象が違う。豚骨魚介のミックス・スープといったところだろうか。魚系(かつお節?)の風味が強く出ている。「塩」も美味いけど、こちらのほうがさらにひらげ好み・・・★★★★+

眠い、眠い。眠さのあまり、「悪いこびとさんがガードレールに突起物をつけているのを見た!」などと口走って隔離されかねないので、駅の広告にツッコミを入れて気を紛らわす。「南東北への旅」・・・って方角ばかりでどこ行くんだかさっぱりわからないぞ!(←いいがかりである)・・・まだ眠いので、別の妄想に浸ってみる。ブラックジャックの傷がジッパーつきの四次元ポケットだったら・・・「ブラえもーん、お腹が痛いよう」「(パラリラッパラー)メースー」「えっ、切るのっ!?」・・・眠いとこんなんばっかで、能率悪いなぁ。

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2005年6月15日(水)

2005_06_15Sakurazaka今日のラーメン:「桜塩ソバ」@渋谷『櫻坂
渋谷においしいラーメン屋を発見。塩ラーメンは鶏の旨みが強く出たもので、かなり美味い。ちょっと塩気が強い気はするけど、全然許せる範囲。控えめに添えられた穂先メンマもいい感じ。麺は表面がつるんとしたもので、ぼくの好みではないのだけれど、ちょっととろみのあるスープには合っている・・・★★★★

NHKで夏目漱石についての番組をやっていた。夏目漱石といっても『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『こころ』のほかは短編の「夢十夜」ぐらいしか読んだことがないけど、べらんめぇ調の江戸っ子とイギリス帰りの神経質な知識人がモーフィングしたようなテンポのいい文章はけっこう好きだ。『我輩は猫である』のなかで、「猫」の主人・苦沙弥先生がこんな短文を披露する。

「大和魂!と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした
大和魂!と新聞屋が言う。大和魂!と掏摸が言う。大和魂が一躍して海を渡った。
英国で大和魂の演説をする。ドイツで大和魂の芝居をする。
東郷大将が大和魂をもっている。さかな屋の銀さんも大和魂をもっている。
詐欺師、山師、人殺しも大和魂をもっている。
大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。
五、六間行ってエヘンという声が聞こえた。
三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂はその名の示すごとく魂である。
魂であるから常にふらふらしている。
だれも口にせぬ者はないが、だれも見た者はいない。
だれも聞いたことはあるが、だれも会った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

さすが。「三角か四角か」だって、ぷぷっ。そうそう、「魂」ほど「ふらふらしている」ものはないんだよね。週刊誌やタブロイド紙に威勢のいいナショナリズムが踊る昨今・・・あなたの語る大和魂とか、愛国心というのはいったい何なのか?100年も前(1905年ごろの作品)に書かれた漱石の(苦沙弥先生の)文章は問いかけているように思う。「日本人ならわかるだろ?」なんて言われたって、わかんないよ。ぼくは火星人だから。

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2005年6月13日(月)

あなたは若派?貴派?

故二子山親方の相撲協会葬が行われるということもあって、テレビは朝から若貴兄弟骨肉の争いの話で持ちきりだ。どのコメンテーターも「仲のよかった2人のこんな姿は見たくないいですねぇ」とか間の抜けたコメントをくり返している。「見たくない」という言葉が発せられるたび、「見たい見たい」としか聞こえないのはぼくだけだろうか。それともぼくの知らない間に若者がすっかり日本語を変えてしまって、「見たくない」という言葉が「見たい」という意味で使われるようになってしまったのだろうか(見たくなくなくなーい?)。視聴者はみな、カメラの前で若貴が罵りあったり、取っ組み合いの喧嘩をするのを見たくてしょうがないのだ。ほんとうに2人に仲直りして欲しいのなら、テレビでも新聞・雑誌でも取り上げない、取り上げられても見ない読まないというのがいちばんのはず。かく言うぼくはどうかと言えば、若貴が血みどろの争いをするのを見たくて見たくてしょうがない。貴乃花親方の激白が読みたくて、大嫌いな『週刊文春』も買ってしまった。どちらが悪くてどちらが正しいのか、なんてことはわからないし、どうでもいい。興味があるのは、ようやく始まった2人の真剣勝負だ。

兄弟横綱を張っていたころの2人にはどこか気色悪いところがあった。お互い同じ世界に身をおく勝負師で、ライバルであるにもかかわらず、「弟を守りたい」「お兄ちゃんのおかげです」などとゆるい発言をくり返していた。「そんなわけないだろう」と、ほとんどの人が内心思っていたんじゃないだろうか。優勝決定戦で対決した感想を聞かれて、若乃花は「嫌だった」なんて言ってたよなぁ。いい人ぶるのもイイカゲンにしろ!弟なんかに負けたら沽券に関わるって思うのが兄だろ?弟がぺこぺこしているうちは余裕でふんぞり返ってるけど、いざ本気で自分に刃向かってきたら鬼になってぶっつぶすのが!それもあっての兄弟じゃないのか?今回の騒動は「ようやくガチンコ勝負をはじめたな」という感じがして、見ててすがすがしくすらある。そして、どちらが正しいかではなく、勝負師としてはやはり平成の大横綱・貴乃花のほうが数段上だ。ここまで来てまだいい人ぶろうとしている花田勝はかっこ悪いとしか言いようがない。インタビューに答える貴乃花親方の姿は、土俵のうえとはまた別の意味で勝負師としてのオーラにあふれていた。ひらげは完全に貴派!

jukejointオスカー・ミショーと並ぶアメリカ黒人映画の先駆スペンサー・ウィリアムズ監督のコメディ映画Juke Joint (1947)を見た。流れ者の黒人バッド・ニュース・ジョンソン(スペンサー・ウィリアムズ)とジュライ・ジョーンズは中西部の小さな町にたどり着いた。ハリウッドの俳優を装って、まんまとママ・ルー・ホリデイの家に転がり込む。ホリデー家の娘バーバラは、ジューク・ジョイント(安酒場/小劇場)で行われる美人コンテストに出場することになっていた。ジョンソンは巧みな話術で自分たちが娘に舞台での立居振舞を指導することができると思い込ませたのである・・・口先三寸のジョンソン(ホリデー家ではバンダービルト・ホイットニーという仰々しい名前を使っている)と居眠りばかりしているマヌケ者のジョーンズ(やはりコーンブレッド・グリーンと名のっている)のコンビに、ママ・ルーの尻に引かれる恐妻家の夫サミュエル(ママ・ルーに怒鳴られてプルプル震えている姿はなかなか笑える)や、恋人とシカゴに逃げ出そうとしている娘フロリダなど、ホリデー家の人々がからんで典型的なシチュエーション・コメディがくり広げられていく。バーバラは美人コンテストで優勝。フロリダは恋人とシカゴにたつところを母親に見つかり、子供のようにお仕置き(おしりペンペン)され、サミュエルは若い娘といちゃついているところをママ・ルーに見つかってこっぴどくやっつけられる。ホリデー家はドタバタしながらも、ママの豪腕のもとハッピー・エンドをむかえる。終盤ではアクロバテックなジルバ(Jitterbug)やダンスコンテストも挿入され、40年代当時のジューク・ジョイントの雰囲気をうかがい知ることができる。

オスカー・ミショーの作品に登場する黒人の多くが中産階級であったのに対し、ウィリアムズの映画に出てくるのは中流以下の比較的貧しい人々で、言葉や仕草もミショー映画の登場人物とはまったく違う。ぼくらがイメージする黒人の英語やライフスタイルにより近い印象を受けるが、それだけにステレオタイプ的な黒人のイメージとどう違うのか、微妙なところ。スペンサー・ウィリアムズは、のちに『エイモス・ン・アンディ』のテレビ版でアンディ・ブラウン役を演じたことでも知られている。『エイモス・ン・アンディ』は白人ナレーターが黒人を演じるラジオ番組からはじまったドラマで、のちに黒人キャストによってテレビ化された。ステレオタイプ的な黒人像の典型としてあげられる。自身が監督する黒人向けコメディ映画に出演するウィリアムズと、もともとは白人向けにつくられた「ステレオタイプ的な」コメディ(しかし、下層階級の黒人にはかなり受けたらしい)に出演するウィリアムズとはどう違うのか、あるいは違わないのか。そもそもコメディというものがステレオタイプ的なものを好んで取り上げるものであるだけに、興味深い問題をはらんでいると思う。

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2005年6月11日(土)

JosephineBakerBurlesqueジョセフィン・ベイカー主演の映画Zou Zou (マルク・アレグレ監督、1934)を見た。ジョセフィン・ベイカーはミズーリ州セントルイス出身の黒人女優/ダンサー/歌手。1920~30年代のパリで、大胆なヌードと躍動感あふれる動きで人々を魅了した。舞台での成功を受けて本作や『タムタム姫』(1935)のような主演映画もつくられ、やはり大成功をおさめている。

黒人少女ズーズー(ジョセフィン・ベイカー)と白人少年ジャン(ジャン・ギャバン)は共に親を亡くし、サーカスの団長パパ・メレに兄妹として育てられた。成長し船乗りになったジャン(←「ジョーン」って聞こえるけど)。数年ぶりに帰ってくるジャンを待ちわびるズーズー。ジャンは上官とのトラブルで停泊中の軍艦に拘束されるが、夜の闇に乗じて抜け出す。ジャンとの再会を喜ぶズーズーとパパ・メレ。サーカスはすでに破産しており、3人はパパのつてを頼ってパリに移り住むことにする。ジャンは劇場の電気技師として、ズーズーは洗濯女として家計を支える毎日。貧しい生活のなかでも、ズーズーは持ち前の明るさで人々から愛されている。一方、劇場の支配人トローンペは、主演女優バーバラの気まぐれな行動に悩まされている。ブラジルに渡る恋人に心を悩ませたバーバラは、舞台の直前ジャンの手引きで劇場から姿を消してしまう。

ジャンはズーズーの友人で洗濯屋の娘クレアと恋に落ちるが、ズーズーもまたジャンへの恋心を隠すことができない。ある日、3人で出かけたダンス・クラブで、ジャンはズーズーと強引に踊ろうとした男を殴り倒す。ますます、ジャンに惹かれるズーズー。ところが、数日後ジャンが殴った男が殺され、たまたまそこに居合わせたジャンは逮捕される。ズーズーは真犯人を目撃するが、取り逃がしてしまう。ジャンの弁護費用を捻出するために、舞台に立つ決心をするズーズー。ズーズーのレヴューはたちまち大成功をおさめるが、真犯人の男が別件で逮捕されたことを知ったズーズーは舞台を抜け出し、警察に証言してジャンを救い出す。間一髪で舞台に戻ったズーズーは、満場の喝采を浴びる。釈放されたジャンを迎えに行くと、そこにはクレアの姿が・・・ジャンへの切ない思いをこめて舞台で歌うズーズー・・・Fin。

華やかで誇大妄想的なパリのレヴューもこれはこれで素晴らしいものなのだけれど、この映画の魅力はやっぱり子供のように愛らしく、それでいて卑屈なところのないベイカーの生きいきとした姿に負うところが大きい。感情を素直に表現する子供っぽさは、当時黒人に与えられていたステレオタイプ的な役割であるとも言えるけど、身体全体で「自由」を表現するベイカーはやっぱりステキだ。「自由」、あるいは「束縛からの解放」というテーマは、映画のなかで何度もくり返される。海軍の船から脱走するジャン、カゴの鳥を逃がすジャンとズーズー、楽屋の窓からバーバラを逃がすジャン、そして牢獄からジャンを解放するズーズー・・・ズーズーは巨大な鳥カゴのセットに入って舞台に登場する。だから、クレアとジャンの仲を知ったズーズーがやはりカゴのなかで歌うラスト・シーンは切ない・・・でも、ズーズーはまたきっとカゴから飛び出すはずだ!って思わせてくれるようなエネルギーがジョセフィン・ベイカーにはある。

ストーリーもよくできている。気まぐれな女優バーバラ(はっきりいって、歌も踊りも全くさえない)が登場したときから、映画の観客はベイカーが彼女の代わりに舞台に立つことを期待するが、その瞬間は最後の最後まで先延ばしにされる。こっそりリハーサル中の舞台で踊ったズーズーは、支配人に見つかって怒られる始末。弁護資金捻出のために、舞台に立たせてくれるように頼みに行ったときも、支配人はバーバラの巨大なポスターを指さして、「お前がこんなポスターになるなんてありえないね」と笑い飛ばす。シャレてるのは、バーバラのポスターが大写しになった瞬間、それがズーズーのポスターにオーバーラップし、その前で支配人がズーズーを褒め称える記者会見の練習をしている・・・という展開。成功までのいきさつはサラリと流され、支配人のマヌケぶりだけがクローズアップされている。

日本語版が出ていないのが残念。古い映画だけど、ベイカーのキュートさは今の若い人にすごく受けるんじゃないかなぁ。ちなみにかつての邦題は『はだかの女王』だけど、写真のようなオール・ヌードはこの映画には登場しないので、あしからず。『ジョセフィン・ベイカー・フォト・ギャラリー

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2005年6月10日(金)

携帯の留守電に、身に覚えのないメッセージが・・・「○野ですけど・・・こちらに迎えに来ていただけるんでしょうか・・・」 知らんがな!だれか、○野さんを迎えに行ってあげて!

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2005年6月9日(木)

右に行こうと 左に行こうと
それはたいした問題じゃない
行き着くところはいつも同じ 大切なのは
ひとりじゃないってこと
いっしょに泣いたり 笑ったり
気がつくと 雨はあがっている
足元に虹がかかっている

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2005年6月7日(火)

「フランス語は数も数えられない言語で、国際語の資格はない」

都立4大学の再編・「首都大学東京」設立に対する反対派が仏文科に多いことを受けて、石原都知事がこう言ったそうである。フランス語を専門とする人たち(※「都内のフランス語学校の方々」・・・こぞのくんのコメントを受けて訂正します)のなかからは、このことで都知事を民事で訴えようとする動きすらあるらしい・・・う~ん・・・もちろん、ぼくも都知事の発言は乱暴だと思う(フランス語が数を数えられないんじゃなくて、都知事がフランス語で数を数えられないんだろう・・・週3回しか登庁していなかったところを見ると、日本語でも数えられなくなっているのかもしれないが)。でも、アフリカ文学を研究している立場からすると、フランス語や英語を母国語とする人たちがよってたかってアフリカやアジアの言語を「文明を伝えるのに適さない下等な言語」として扱ってきたことを思い出さずにはいられない。そのことについてフランスやイギリスが頭を下げたなんて話は聞いたことがない。「英語が国際語になる前は、フランス語がその地位にあったのだ」なんて発言を聞くと、おいおい、あちこちで植民地を拡大してきたから国際語になれたんだろう?国際語の地位についてるってことは裏返せば、アジアやアフリカでそれだけ野蛮なことをやってきた証じゃないの?などと皮肉のひとつも言いたくなる。

そのことはさておくとしても、「フランス語を侮辱するとは!」なんていきり立つのは、石原の術中にはまるだけだと思う。小泉もそうだけど、石原慎太郎という男は一見直言をしているように見せながら、論点をずらし本質を見えなくすることに非常に長けた男だ。つめよられると、「お前のようなやつは・・・」とまったく関係のない相手の欠点をあげつらう(定例記者会見をよく見て欲しい)。「フランス語は・・・」という発言も、そうした石原の論点ずらしの典型だ。問題はそこではなく、果たしてやつのすすめている「大学改革」、ひいては都政が正しいのかどうかというところにある。フランス語なんか、ぜーんぜん関係ないのだ。まんまとその論点ずらしにのって、肝心のところはどこかにいっちゃった、なんてことがないようにしないといけないんじゃないのかなぁ。

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2005年6月4日(土)

P1010012
エル・ドラドに、ミク友onmakaさんのグループLotus Engineの演奏を聞きに行った。交通渋滞のため開演が遅れたので、セルヒオ清水さん(ケーナ)とliuさん(チャランゴ)が急遽、素晴らしいフォロクローレを披露してくれた(得した~)。満を持して登場したLotus Engineは、onmakaさんのウィンドシンセ&スリン(東南アジアの笛)にギター、ウード、パーカッションという編成。アイルランド民謡から、アラブ音楽、さらには東南アジアの音楽まで幅広いレパートリーを爽やかに奏でる。演奏後、ひらげはウードに興味津々。ウードのような形状の弦楽器はアフリカ~アラブ~ヨーロッパの各地にあるけど、ひらげにとっては何と言ってもヌビア音楽(ヌビアはエジプト、ナイル川上流地域。ミュージシャンとしてはハムザ・エル・ディーンなんかが有名)のイメージが強い。ウード奏者ドラゴンさんの手元で何やらベロのようなものが振動していたので、「どうなってるんですか?」と聞くと「本当は企業秘密なんですけどね」と笑いながらウード用のピックを見せてくれた。なるほどぉ・・・こうなっているのか・・・(企業秘密なので、秘密にしておきます・・・笑)。

さんざんエル・ドラドで飲んだ後、清水さんと飲み歩く。横浜の居酒屋→ひらげ自室と移動しつつ飲み明かした。清水さんにのせられるまま、手当たり次第にレコードを聞かせていた憶えはあるのだけれど、確証はない。目を覚ましたら、部屋中にばら撒かれたCD、LP、ドーナツ盤(牧伸二の「ソウル・それはないじゃないか」まであった)に埋もれて、布団もひかずに寝ていた。

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2005年6月1日(水)

2005_06_01Yagumo今日のラーメン:「ラーメン」@中目黒『八雲
魚系の醤油ラーメンが好きな人なら、ぜったいお薦め。ワンタンメンも美味しいけど、どんなにがんばってもスープが薄まってしまうので、ダシをしっかり味わいたい人はやっぱり基本メニューのラーメンでしょう。ワンタンを入れることを考えて醤油味はちょい濃い目だけど、これがまた美味い!・・・★★★★+

「メメクラゲに左腕を噛まれ・・・」「?何?つげ義春?」「真っ赤な血を流しながら・・・」「『ねじ式』でしょ?」「CDショップに入ると・・・」「へ?CDショップ??」「同じ女性シンガーのCDしか置いてなくて・・・」「?もしかして・・・」「ちくしょう、MISIAばかりではないか!」・・・MISIAという歌手を~謎かけ問答で解くならば~♪(dedicated to東京ボーイズ←あちこちマニアックなので、わかる人だけわかってくれればいいです。金太郎ポキン♪)

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2005年5月30日(月)

2005_05_30Tetugama今日のラーメン:「ラーメン」@横浜『久留米らーめん鐵釜
西口のダイヤモンド地下街に新しく出来た久留米ラーメンのお店。「久留米ラーメンに自己流を加えた」ものということだが、ぼくの知っている久留米の豚骨とはずいぶん違う。獣臭さのないスープもさることながら、つるんとした麺も何かが違う。豚骨は思い切りパンチがあるほうが好きなので・・・★★★

豚骨ラーメンのお店↑で、「トンコツはだめだから、ラーメンの汁に醤油入れてくれ」と言っているオヤジを見た。だーかーらー、そのラーメンの汁が豚骨エキスで出来てるんだって!すぐ隣に大して美味しくない醤油ラーメンのお店があるから、そっちに行きなさいよ。でも、嫌いじゃないけど、こういう人・・・(笑)。

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