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2017年5月15日(月)

衝撃の新解釈。「あなたかわりはないですか」=どうしても別れるっていうなら、他のオトコ、紹介しなさいよ。

明治学院非常勤、前期第五回目。前回に引き続き、アレックス・ヘイリー原作のテレビドラマ『ルーツ』を見る。今回は、農場主ジョン・レイノルズに買われたクンタ・キンテが、様々な経験の末、逃亡を試みるが、失敗して鞭打たれるところまで。鞭打たれても、「トビー」という奴隷の名前を拒否し続けるクンタ・キンテ。ついに名前を受け入れたクンタのもとにかけつけたフィドラーが、「やつらはお前に勝手な名前をつけた。だが、お前はいつだってクンタ・キンテだ。いつかいい日が来る」というシーンでは、やはり泣きそうになってしまった。映画の内容を受けて、いくつかのポイントについて解説をした。

クンタの教育係フィドラーの印象が、だいぶ変わったという学生もいた。奴隷の身分に甘んじていたフィドラーも、自由を求めるクンタの姿勢に打たれて考えを変えた、と。もちろん、そういう面もある。ただ、フィドラーは最初から奴隷であることに納得はしていない。クンタと違って、奴隷として生まれたフィドラーは自由を経験したことがない。マルコムXに言わせれば、フィドラーは、白人の家に住み、白人のお下がりを着て、白人の残り物を食べる、白人に同化した家内奴隷のひとりなのだろう。しかし、マルコムは話を単純化している。家内奴隷は、白人に同化していたわけでも、野外奴隷と対立していたわけでもない。フィドラーがそうしていたように、白人の台所から食べ物をくすねてくるのは家内奴隷だったし、主人とともに旅をすることの多かった御者などの家内奴隷は、黒人コミュニティに必要な情報をもたらした(例えば、「アボリッショニストっていう人たちがいて、オレたちを逃がしてくれるらしい」とか)。

今回見たところで、焦点となる問題のひとつが、名前である。ドラマは、奴隷主が勝手につけたファースト・ネームをアフリカ出身のクンタ・キンテが拒否するという話だったが、姓についても同じようなことが言える。奴隷は奴隷主の姓を名のったため、別の奴隷主に売られれば、姓が変わった。ばらばらに売られれば、当然、家族でも別の姓になる。こうした「奴隷主」の名前を捨て、もはや知ることのできないアフリカ名の代わりに、未知数のXを名のろうと呼びかけたのが、マルコムXが所属したネイション・オブ・イスラム(NOI)である。スパイク・リー監督の映画『マルコムX』(後期の授業で見る予定)で、収監されたマルコムが囚人番号を答えることを拒否するシーンは、NOI入信の伏線であると同時に、クンタ・キンテへのオマージュなのかもしれない。

黒人女性の置かれた立場も、生々しく描かれていた。女性の奴隷は、男性の奴隷が味わう苦しみに加えて、レイプやセクシャル・ハラスメントといった女性特有の苦しみも味わうことになった。『ルーツ』のなかでは、奴隷監督のエイモスだが、実際にはレイノルズのような奴隷主も、しばしば、奴隷の女性を相手に性的な欲望を満たした。奴隷主の立場からすると、性的欲望を満たした上に、生まれてきた子供は奴隷という財産になる。生まれてきた子供の多くは、主人の都合で売られていき、奴隷の女性は子供との別れという苦しみをも味わうことになった。このことは、何回かあと、「人種間結婚」の項で扱う。

奴隷監督エイモスの存在にも注目しておこう。「奴隷同然で7年間働いた」というのは、彼が年季奉公人であったことを示している。年季奉公人とは、本国で集めた労働者に、アメリカへの渡航費と仕事を与え、決まった期間無償でj働かせるもので、アメリカの開拓は当初、彼らに頼るところが大きかった。しかし、白人の年季奉公人は、逃亡すれば身分がわからないし、期間が終われば解放される。そのため、アフリカ人奴隷が導入されると、アメリカ奴隷労働の主流はアフリカ人奴隷に移行していった。やがて元年季奉公人を含む白人貧困層(プア・ホワイト)の多くは、黒人を自分たちの下に位置付けることで、心理的な安定をえるようになっていく。

このあと、ジュリアス・レスター『奴隷とは』などから、奴隷の証言を引用して、プランテーションの劣悪な状況を概観した。もちろん、状況は農場によって大きく違っただろう。しかし、憶えておかなければならないのは、仮に「良い農場」「良い主人」があったとしても、奴隷たちにはそれを選ぶ権利がなかったということである。

國學院非常勤、前期第五回目。「1st Year English」は動名詞。動名詞は名詞の働きをする→主語、目的語、補語、前置詞の後に入る、と一歩踏み込んで考えることによって使える知識になる、という神奈川大で教えたのと同じポイント。「R&W」は、バラク・オバマ2008年大統領選勝利演説を読む。演説で引用されていたサム・クック「チェンジズ・ゴナ・カム」を聞きながら、授業開始。オバマの登場が、政治的な無気力状態に置かれていた人々に希望を与える、感動的な一節だが、再履修の学生には難しすぎたかもしれない。「それは、長い間、我々が達成できることについて、冷笑的で、びくびくと、疑い続けるよう言われ続けてきたひとたちに、歴史の弧に手をかけ、もう一度より良き日の希望へと引き寄せるよう促す答えである。長い時間がかかりました。しかし、今夜、今日、この選挙で、この決定的瞬間に、私たちがしたことゆえに、ついに変化は来たのです」

2017年5月14日(日)

東京オリンピックやめて、投稿オリンピックにしよう!(イミフ)

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母の日。

ある先生から聞いたエピソードを歌にしてみました。「まずいてんぷらや」・・・自分ではだいぶ気に入っていますが、怒られる可能性高し。

まずいてんぷらや
まずいてんぷらや
まずいてんぷらや
まずいてんぷらや

頑固そうなおやじが
ひとりで揚げてる
だけど まずい
だけど まずい
なぜか まずい
とても まずい

まずいてんぷらや
まずいてんぷらや
まずいてんぷらや

二十年つぎ足した
秘伝のタレ
・・・まずい
だけど まずい
ままま まずい
とても まずい

まずい
ままままま まずい
なぜか まずい

まずいてんぷらや
まずいてんぷらや
まずいてんぷらや

手書きのメニューに
人生訓もある
だけど まずい
だけど まずい
ままま まずい
とても まずい
なぜなんだ

とても まずい
やたら まずい
とても まずい
なぜなんだ
なぜなんだ
なぜなんだ
なぜなんだ

2017年5月13日(土)

「頭が割れそうに痛い」というが、本当に割れたやつは見たことがない。

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南半球系バンド・チキリカで、新大久保ひかりのうまに出演しました。足元の悪いなかお越しいただき、盛くださった皆さん、ありがとうございました!楽しく演奏することができました!演目は、「koma」「パームワイン」「健忘症」「腹がへったよ」「コトハナ」「山椒魚」「それでいいんじゃない」「わたなべくん」「花と風」「カゴメカゴメカゴメ」。対バンの男女デュオ=金魚さんはお二人ともキュートで、エネルギッシュで、曲もステキで、すっかり楽しませていただきました。お疲れさまでした!全体を通して、ただ一つ残念だったのは、今回もビデオが撮れなかったこと。機械に嫌われている私でした(写真は、金魚の関根さんに撮っていただいたものです)。

2017年5月12日(金)

神奈川大非常勤、前期第四回目。「初級英語」2コマは、thatの見分け。指示代名詞、接続詞、関係代名詞といろいろな使われ方をするthatだが、見わけるにはどうしたらいいか。ちょっとふざけて、

I think that that that that that boy wrote is wrong.
(あの少年が書いたあのthat は、間違っていると私は思う)

みたいな文を書いたのはよけいだったか。「基礎英語」は動名詞。目的語に動名詞しかとらない動詞と、不定詞しかとらない動詞、どちらをとるかで意味が変わる動詞があるのは、動名詞に「過去~現在(スデニアル)」、不定詞に「未来(コレカラアラワレル)」というニュアンスがあるからであることを説明。

日本女子大の非常勤講師懇親会に出席。

2017年5月11日(木)

ウクライナで、いくらナウ。

首都大非常勤、前期第四回目。『ジャズの誕生』をテキストとするリーディング3コマ。ルイ・アームストロングの歌う「(ホワット・ディドゥ・アイ・ドゥ・トゥ・ビー・ソー)ブラック・アンド・ブルー」を聞きながら授業開始。本当はYouTubeにアップされていた1965年パリでのライブ動画を紹介しようと思ったのだが、DVDがプレイヤーに拒否されたため、念のため持って行ったCDで音だけ。前回、紹介したファッツ・ウォーラーのつくったこの曲、陽気なエンターテイナーのイメージとは真逆の、差別されるものの苦悩を歌った重苦しいブルースだ。ラルフ・エリソン『見えない人間』のなかに、主人公がルイ・アームストロングのこの歌を聞くシーンがある。無邪気にも聞こえる歌の下に幾重にも広がっている、「見えない人間」にしか見えない「地下世界」を描いているのだが、そのことを説明しているうちに、ボールドウィン『もう一つの国』で、ルーファスがサキソフォン奏者の演奏のなかに「愛シテクレルカ?」という悲痛な叫びを聞き取るシーンとごっちゃになってしまったようだ(ダメじゃん!)。次回以降、整理して訂正しなければ。もっとも、二つのシーンには共通するものがある。表面的な陽気さの裏に潜む、「見えない人間」の苦悩。だから、本当は動画で、サッチモが満面の笑みを見せて歌い始めたり、目を見開いたりする姿を見て、その裏にある何かを感じてほしかった。

テキストは、「仮にジャズをヨーロッパ音楽と西アフリカ音楽という二つの偉大な音楽的伝統が、アメリカ合衆国で300年にわたって混ざり合った結果と定義してみよう。すると、ヨーロッパのモノが支配的な音楽文化にあって、ジャズを他とは少し違う、すぐに見分けのつくものにしている特質は、西アフリカと関係があるということになる。/ジャズと西アフリカ音楽の関係は何だろう?おそらく、もっとも明白な共通点はリズムである。西アフリカの部族民がジャズを好きになるということではない。混淆が進みすぎていて、好きになれないだろうから」 ぼくは差別的なニュアンスのある「部族」という言葉は使わないが、ここでは原文に出てくるので、注意を喚起しつつ、そのままにした。

2016年5月10日(水)

バタンキューって、最初に言いだしたのは、誰だろう。 ※エンタツアチャコさんと判明。

ゴールデン・ウィークも終わり、どこにそんな時間があったのか自分でも不思議だが、赤い鳥の「紙風船」をカバーしてみた。落ちてくる紙風船を何度も何度も打ち上げるしぐさに希望をこめた、黒田三郎さんの詩と、今風に言えば、ループ感のある音楽がマッチしていて、昔から好きな曲だった。ただ、原曲では、前半の短調の部分と、後半の長調の部分の間に、ジャーンジャーンという大仰なキメが入って、ループ感が途切れてしまうのが、いかにも残念だった(当時としては、「ループ」なんてことを考えて作ったわけじゃないだろうから、ぼくの言いがかりにすぎないのだけれど)。そこで、短調のメロディーがループするなかで、いつの間にか長調のメロディーに入れ替わっているというつくりにしてみた。途中からちょっとレゲエ風味にしてみたのは、ジャクソン・ブラウンボニー・レイットが、ウィーヴァーズの「ワインより甘いキス」(ぼくは最初、PPMヴァージョンで聞いたのだが)をレゲエにアレンジしてたのが、たまらなくカッコよかったからだ。そんな名作にはかわないかもしれないけど、「紙風船」エレキテル・ヴァージョン、自分では気に入っている。JASRAC、見逃して!

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