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今年も南部アフリカの国、ジンバブウェに行ってきました。ジンバブウェでの飲んだくれ具合は『ジンバブウェ滞在記2009』をご覧ください。 |
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白戸圭一『ルポ 資源大陸アフリカ 暴力が結ぶ貧困と繁栄』(東洋経済新報社、2009)を読み終わった。2004から2008年まで毎日新聞のヨハネスブルグ特派員をつとめた著者が、犯罪や内戦で混乱するアフリカ諸国の現実を犯罪組織や武装勢力への潜入取材を交え明らかにする。アパルトヘイト廃止後、人種差別のない「虹の国」として出発しながら、世界最悪の犯罪大国になってしまった南アフリカ。石油に群がる外国企業と政府による少数民族の抑圧から犯罪の巣窟と化したナイジェリア。やはり、資源をめぐる思惑から出口のない紛争を続けているコンゴやスーダン。対テロ戦争のなか、世界の「脅威」となった無政府国家ソマリア。こうした国々の現状から見えてくるのは、貧困と繁栄―圧倒的な格差であり、富めるものと貧しいものの接点が暴力に集約してしまう厳しい現実である。暴力が吹き荒れているのは、必ずしも貧しさに喘いでいる最貧国ではない。むしろ、豊富な資源などをめぐって争いが起こり、貧富の差が広がっている国なのだ。いわいる「先進諸国」に暮らす我々も、石油や希少金属などを通じて、こうしたアフリカの暴力に資金を提供している。そして、アフリカに渦巻く暴力は、ときにソマリアの海賊などの形で、日本や欧米に逆流する。
一方で、作者の言葉にもあるように(317)、こうした「暗部」を描きだすことは、アフリカのステレオタイプを助長するものとして否定的に捉えられることも多い。かくいうぼくも、アフリカ文化の肯定的な面を紹介したいという立場なのだが、ここで描かれているような状況が現実に存在する以上、無視することもできない。どちらにしても、ほとんどの日本人がアフリカとそこで暮らす人びとをイメージできない、あるいはイメージしようと思ったことすらないというのが現実だろう(当たり前だ、そんな地球の反対側のことを考えていられるか・・・というのも、もっともではある)。その結果、貧困や暴力について知ってはいても、遠く離れた「遅れた」地域の特殊な状況として、括弧にくくってしまう(その際に、便利な言葉として持ち出されるのが「部族紛争」である)。実際は本書が明らかにしているように、日本に暮らすわれわれもアフリカの状況と無関係ではない。とはいえ、通り一遍の報道では逆に、「遅れた」地域という偏見を煽ることになりかねない。著者は潜入取材などを通して、現実に何が起きているのか見極めながら、アフリカに生きる人びとを「我々と同じく喜び、悲しみ、悩み、怒りながら生きている」存在として描きだす。歴史的背景についても丁寧に説明されていることもあって、読者はアフリカの人びとも日本や欧米と変わらない―苦しいものは苦しいし、悲しいものは悲しい、うれしいものはうれしいといった同じ感情を持った人間であると理解する。こうした「人間」のイメージがあってはじめて、読者は厳しい状況を自分のものとして受けとめることができる。
アフリカには「人間」を受けとめる素晴らしい文化がある。にもかかわらず、人間性を否定する圧倒的な現実があることもまた事実である。ぼくが毎年行っているジンバブウェは、紛争がないだけマシだとも言えるが、やはり非人間的な出来事が日常的に起こっている。例えば、国民皆保険制度がないアフリカ諸国の公立病院でしばしば見られる次のような応対は、ジンバブウェの友人レジナルドくんがⅠ型糖尿病にかかったときの体験に酷似している。
「違ったのは、昨日は無人だった隣のベッドに、見るからに貧しそうな初老の白人女性が手足を紐で縛られ、ベッドに固定された状態で仰向けに寝かされていることだった。糞尿はベッドの上に垂れ流しでシーツを茶色く染め、病室には異臭が漂っているが、誰かが片付けに来そうな様子もない。女性の視点は定まらず、声にならない呻き声を発しながら天井を見ている。遺体の隣でベッドに縛り付けられた患者と、糞尿を垂れ流す患者の横に半日以上放置されている異体。そこに人間の尊厳があるようには思えなかった」(312)
人間の尊厳が無視される現実を自分たちには関係のないものとして受け流すのか、当事者として、同じ人間として受けとめるのか、本書で投げかけられているのはそうした問いである。ぼく自身、重く受けとめなければならない。
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今日のラーメン:「超らぁめん(超濁系・醤油味・二刀流麺)(690円)」@天王町・星川『超らぁめん 麺や 神音』 丸鶏を使った「超澄系」、とんこつを使った「超濁系」、それぞれに醤油・塩・味噌があり、麺も細麺から極太まで数種類が選べる。今日は豚骨醤油、二種類の麺を合わせた「二刀流」で。スープは一見、家系のようだが、家系のようなまろやかさはない。二刀流とはいえ、麺の違いはあまり感じられない。お店の人も「ラーメンにするとあまりわからないかもね」と言っていた。それじゃ意味ないじゃん・・・★★★+
このところ作っていた新曲のデモトラックが完成した。タイトルは「ろじうらー」→こちら
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今日のラーメン:「らあめん」@渋谷『らあめん 渋英』
経堂『英』の系列店(渋谷には同系列の『渋谷三丁目らあめん』もある)。本店ゆずりの本格的豚骨ラーメンが食べられる。すごくパンチのきいたスープなのだが、油が多いわけでも味が濃いわけでもない。豚骨臭もそれほど気にならない。結局、豚骨の旨味の強さがこの重量感を生み出しているのだろう。パリッとした麺、しっとりとしたチャーシューも美味い・・・★★★★
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今日のラーメン:「香味つけ麺(780円)」@天王町『らーめん むつみ屋』横浜天王町店
普通の麺と全粒粉の麺が選べるのだが、断然全粒粉の麺をお薦めする。栄養価が高いということもあるのだが、コシもあるし、香りも高い。普通のラーメンでもこの麺を使って欲しいぐらいだ。タレはつけ麺にしては薄い方か。それもさり気なくていい。一味と唐辛子を少し加えると、パンチがきいてより美味しい。『むつみ屋』の新メニューにはあっと驚くようなものはあまりないのだが、これはかなりいけると思う・・・★★★★
ラルフ・エリソンのエッセイ集『影と行為』(Shadow and Act、1953、行方均/松本昇/松本一裕/山嵜文男訳、南雲堂フェニックス、2009)を読み終わった。アフリカ系アメリカ人を代表する作家の一人でありながら、エリソンが生前に残した作品は長編小説『見えない人間』の他に、『ラルフ・エリソン短編集』(Flying Home and other stories、1996、日本語版は2005)に収められた短編と、本書と『準州へ行く』の2冊にまとめられたエッセイがあるのみである。にもかかわらず、彼が後に与えた影響は大きい。とりわけ、安易な決めつけを排してアフリカ系アメリカ人やアメリカの文化を論じたエッセイは、時代に先んじていた。
若き日のエリソンはブッカー・T・ワシントンの創設したタスキーギ大学で、音楽家を志していた。彼が目指していたのはジャズのような「黒い」音楽を演奏することではなく、クラッシックの作曲家として交響曲を完成させることだった。にもかかわらず、エリソンはジャズやそのルーツともいうべき泥臭い南部のフォークロアが自分にとってなくてはならないものであることを認めていた。
「綿花畑は旧南部のひとつの象徴でもあり、その旧南部を忘れるために親たちは西部へやってきたのです。けれども、綿花畑への旅は私には羨ましい体験であるように思われました。なぜなら、級友たちが素晴らしい話を持ち帰ってきたからです。それに級友たちがしきりに話したのは厳しい労働ではなくて、人との交わりや遊び、食事やダンスや歌でした。また級友たちはジョークも持ち帰ってきました。それは白人が黒人に関して語るようなジョークではなく、私たち黒人のジョークでした。それに級友たちは、私が以前に一度も聞いたことがなく、私が知っているどの本にも載っていない黒人民話をいつもしこんで帰ってきました。こうしたことは肯定すべきことでしたし、私はそのなかに重要なことが含まれていると感じたのです」(26)
アフリカ系知識人の南部帰還は、エリソンにはじまったことではない。しかし、北部に生まれ育った先人たち ― 例えば、『黒人のたましい』におけるデュボイス ― が失った南部フォークロアと「再会」しなければならなかったのに対し、エリソンの時代には南部から移動した人びとが見知らぬ土地に新たなコミュニティをつくり、南部のアフリカ系文化を移植し始めていた。エリソンが生まれた西部では、それはカウント・ベイシー楽団のようなジャズとなって花開いたと言えるだろう。何かと何かがぶつかりあって、新しいものが生まれようとする時代にあって、エリソンは多面的な世界を行儀の良い結論に収めることを拒否し、価値と価値の間を即興的に動きまわる「ルネサンス的」人間像に理想を見い出していった。
「それに、理想的な人間像とはつかみどころのない、めまぐるしく変化する人間たちであると、われわれは何となく感じていた。そういった人間たちとはわれわれがでたらめに即興で考え出した、ときには喜劇的だがたいていは気紛れで、悪ぶって、英雄であることをおくびにも出さぬ人間たちのことで、白人でも黒人でもなく、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもないが、ある種の望ましい本質の典型であり、肉体的にも美的にも道徳的にも技量と力強さを兼ね備えていた」(9)
こうしたエリソンのいう「ルネサンス的」人間像に、トリックスターというアーキタイプを当てはめることもできるかもしれない。しかし、「冗談を交わして、くびきをはずせ」のなかでエリソンが警告しているように、使い古されたアーキタイプを安易に用いてしまうと、ある文化をその上位にある「主流の」文化を補完する道化に貶めることになりかねない。それでは、「哀れな黒人」というステレオタイプに白人文化の規範から漏れたものを託することによって、自分たちのなかの「他者」を飼いならそうとしたブラックフェイス・ミンストレルと同じ過ちを犯すことになってしまう。ジャズ的な即興性と体験を共有させるフォークロアの機能を兼ね備えたこの人間は、アメリカの社会全体を反映しており、アメリカ主流文化の補完物ではない。
こうした文化のあり方に対する彼の考え方は、多様な人種集団がそれぞれの歴史からつかみ取った現実は「つかみ取ったその集団だけのものではなく私たちみんなのものである」(188)という結論へエリソンを導く。エリソンにとってアフリカ系アメリカ人はアメリカであり、アメリカはアフリカ系アメリカ人であった。エリソンが作家としての自分自身をマーク・トウェインやヘミングウェイといったアメリカ人作家の系譜に位置づけるのもそのためである。それは人種的な差異を無視した安易な同化指向ではない。「黒人であることとアメリカ人であることに矛盾はない」というゾラ・ニール・ハーストンの直感を理論化したのがエッセイストとしてのエリソンだったのかもしれない。
まだまだ、ぼくもつかみきれていないことばかりだ。原文とあわせて何度か読んでみよう。
【追記】
アイデンティティを社会に開いた窓(オシッコするところではない)と考えればいいのかもしれない。アイデンティティをある集団が社会に占める領域と考えると、その集団以外の人間がその領域に踏み込むことは越権行為である。しかし、アイデンティティは窓であり、見える角度が違うだけで誰しも自分の窓から共有された体験や知恵にアクセスすることができる。だから、アフリカ系アメリカ人もアイデンティティを失うことなしにアメリカ的な体験を共有することができるのだ。ということは、もっとグローバルな社会を想定するなら、ぼくも日本の窓からブルースやアフリカ音楽にアプローチすることができるはずだ。これぞまさに「いんちきアフリカ」の極意なり。
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出井康博『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫、2008、2001年に新潮社から刊行された『日本から救世主が来た』を改題、加筆・再編集したもの)を読み終わった。太平洋戦争前夜のデトロイトで、有色人種の団結を訴え、黒人たちを扇動した日本人がいた ― 中根中。サトハタ・タカハシといった偽名を使い、「ディベロプメント・オヴ・アワー・オウン(我々自身の発展)」という団体を率いたこの男は、ときに日本の右翼団体・黒龍会や帝国陸軍との関係を仄めかしながら、黒人貧困層に支持者を増やしていった。同時期にデトロイトで誕生したネイション・オヴ・イスラムとも交流があったと言われている。
たしかに、当時、黒龍会は亡命インド人ラシュ・ビハリ・ボースのインド独立運動を支援していたし、本書でも取りあげられている疋田保一のように日本政府の命を受けて工作員として黒人街ハーレムに潜入した男もいた。しかし、中根の場合、本人の大言壮語とは裏腹に、そうした背景を示す証拠は何ひとつない。西海岸の小さな町で日系社会の顔役となっていた弟を頼って渡米し、イギリス人の妻との間に3人の子供をもうけながら、酒と賭博に溺れ家族を捨てた男である。そんな男が国外追放をものともせず、デトロイトの街で「メジャー・タカハシ」として貧しい黒人の尊敬を集めるようになっていったのはなぜだったのか。また、故郷で出会ったアメリカ人英語教師の影響でキリスト教に改宗した中根が、どういう経緯で白人による有色人種差別を弾劾するようになったのか。空白の多いバイオグラフィーからはなかなか本当のところは見えてこない。ただ、おそらく、1924年に制定された排日移民法が与えた影響は大きかったのではないか。「自由の国」アメリカに存在する人種差別という現実が、彼をアフリカ系アメリカ人に接近させた。そして、中根にしろ、疋田にしろ、当時アフリカ系アメリカ人に対する共感や関心を表現するには、「有色人種の盟主・日本」という帝国主義的な枠組を受け入れざるをえなかったのだろう。時代が違っていれば、ひらげと酒を酌み交わしていたかもしれない。
非常に興味深い本だったのだが、どうしても見すごせない事実誤認があったので指摘しておきたい。「行き場のない黒人の怒りは、第一次世界大戦後の1919年を頂点に各都市で人種暴動となって爆発する一方、ガーベイの運動を盛り上げていく」(37-8)という件。この時代の「人種暴動」は差別された黒人が怒りを爆発させるといった類のものではない。むしろ、貧しい白人がそのはけ口を人種差別に求め、黒人を殺しまくったというのが実態である。ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンが「赤い夏」と呼んだ1919年の「暴動」も、プア・ホワイトによる黒人の大量虐殺に他ならなった(黒人の側からの組織化された抵抗もあったようだが)。米黒人問題専門のシンクタンクで客員研究員をしていたという著者が、そのことを知らないとは思えないのだが。
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今日のラーメン:「節つけ麺(680円)」@橋本『東池袋大勝軒 節の一分』
久しぶりに大勝軒系の『節の一分』へ。節系をこれでもかとプッシュした感じは相変わらず。でも、こんなに醤油味が強かったっけ?ぼくの記憶もあまり当てにならないのだが、ちょっと印象が違うような。野菜がたくさん入っているところは身体にはいいかも。極太麺は本家ゆずりのつるんとしたパスタのようなものではなく、もっとひっかかりとコシのある流行りの感じ。これも前からこうだったかなぁ・・・★★★+
ピーター・バラカン『魂(ソウル)のゆくえ(改訂版)』(アルテス・パブリッシング、2008)を読みおわった。1989年に発売されたオリジナル版は、ピーター・ギュラルニック『スウィート・ソウル・ミュージック』が翻訳されるまでは、日本語で読めるソウル入門書の決定版だったといっていい。ゴスペルへの回帰と白人ミュージシャンとの共同作業という両面からソウル・ミュージックを捉える視点を、ギュラルニックの本に先立ってぼくに植えつけたのはこの本だったかもしれない。本書はオリジナル版を大幅に改訂・増補したもので、ヒップホップなど1989年以降の動きをフォローしてある。ただし、あとから加えた部分は一人ひとりのミュージシャンに割かれたスペースも少なく、とってつけたような感は否めない。ヒップホップ以降の音楽やワールド・ミュージック(サリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥールや「砂漠のブルース」まで取りあげている)は、「ソウル」という文脈で取りあげるには無理がある。「音楽で感情をストレートに表現することを仮にソウルと呼ぶなら」(254)というような捉え方は、世界各地の音楽を「ワールド・ミュージック」で括ってしまうこと(←バラカンさんも苦言を呈している)と同じくらい乱暴だと思う。せっかく、前半でソウル・ミュージックの時代性を丁寧に明らかにしているのにもったいない。それと、「黒っぽい」かどうか、というような視点ではもはや切り取れないところに今のブラック・ミュージックは来ている。その意味で、オリジナル版から大幅に削ったというマイケル・ジャクソンについては、批判するにせよ評価するにせよ、論じておいて欲しかった。とはいえ、レコード/ビデオ・ガイドも全面的に改訂され、わかりやすい言葉で書かれた入門書としての価値は増した。明治学院の授業(「アフリカ系アメリカ人の歴史と文化」)で学生に推薦しよう。
気になることがひとつ。オーティス・レディングを紹介するなかに、「『愛しあってるかい』と呼びかけ、純粋な愛を切々と歌う姿が『ラブ&ピース』の時代に似合っていた」という一節がある(86)。オーティスがモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで"We all love each other, am I right?"って言ったのは確かだけど、「愛しあってるかい?」っていう訳は、オーティスを意識したキヨシローのMCを思わせる(オリジナル版が手元にないので、今回付け加えた言葉かどうかはわからない)。バラカンさんは「どこがいいの?歌詞?」などと発言して、RCファンの反発を招いたことがある。その後の忌野清志郎についてどう思っていたのか、ちょっと聞いてみたい気がした。
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京のラーメン:「中華そば(並)(650円)」@京都『新福菜館』たかばし本店
京都駅に近いこともあって、京都に来るととりあえずここのラーメンが食べたくなる。すぐ隣の『第一旭』には比較的若い人たちが列を作っている。こちらもすいているわけではないのだが、客層はやや年齢高め。苦みばしった大人の味だからだろうか。どちらも美味いには違いないのだが、ぼくはどちらかといえば『新福菜館』派。チャーシューがたっぷりのっているところもうれしい・・・★★★★
京都キャンパスプラザで行われた黒人研究の会10月例会で、ジンバブウェの現状について報告した。
今回の発表は二人。まずは岡山大学院生の大上さんがマルコムXとゲットーについて語った。マルコムの思想の基盤は、都市部のゲットーにある。南部を拠点とするマーティン・ルーサー・キングとは対称的に、マルコムは人種隔離の撤廃が問題の解決につながるとは考えなかった。人種問題を解決するには、ゲットーの環境改善、貧困対策が不可欠である。マルコムが目指したのはゲットーの経済的自立に他ならない。一方で、ネイション・オヴ・イスラム入信後のマルコムは、自身どっぷりつかっていたゲットーのサブカルチャー ― ズート・スーツに身を包んだハスラーの世界 ― から距離を置こうとした。
こうしたテーマで修士論文を書こうとしていること自体、刺激的だったが、アフリカ系アメリカ人について「サブカルチャー」という言葉を使う場合、事情はもっと複雑であると思い、僭越ながらその点を指摘させていただいた。つまり、黒人文化それ自体が白人メインストリームに対するサブカルチャーであると考えることもできるし、黒人コミュニティのなかにも毎週教会に行くようなスクエアな人たちの文化と、ブルースやズート・スーツに代表されるような「サブカルチャー」が存在する。しかも、黒人コミュニティ内の「サブカルチャー」をミンストレル的なものとして白人メインストリームの文化が後押しする、といった状況もある。もうひとつ、経済的自立、黒人企業の創出といったような発想は40年代ごろまではむしろ黒人中産階級のものだったということは、フレイジャーの『ブラック・ブルジョワジー』などで指摘されている通りである。また、隔離撤廃に重点を置いていたマーティン・ルーサー・キングも、晩年、貧困対策の重要性に気づき、そのことがベトナム戦争反対の表明→暗殺にもつながっている。ゲットーにおけるコミュニティ活動から登場したオバマも、こうした流れに位置づけることができるのではないかと思う。
さて、次はいよいよひらげの出番。ジンバブウェの現状について、そこに至る過程を踏まえながら、「正しいのはどちらだ?」というような問題の立て方をすることなしに語ったつもりである。ジンバブウェを北朝鮮やイラクなどともに「圧制の前哨」呼ばわりしたコンドリーサ・ライスのような立場に賛成はできない。かといって、混乱の責任が独立以来大統領の職を守ってきたムガベと与党ZANU=PFにあることも否定できない。混乱の引き金となった白人大農園主からの土地強制収用についても、道義的な正しさは「ヨーロッパ人に奪われた土地を取り返す」というムガベ/ZANU=PFの側にあるのかもしれない。しかし、同義的に正しいことと政治的に正しいこととは違う。もし、道義的な正しさだけを求めるなら、北海道からアイヌ以外の人々は出て行かねばならなくなる。そんなことをしたら、北海道の経済は崩壊し、アイヌのを含めた全ての人びとにとって望む結果にはならないだろう。
ジンバブウェの問題を解決困難にしている原因のひとつは、農村と都市の齟齬にある。ジンバブウェでは農村と都市が互いに深く結びつきながらも、違う方向を向かざるをえない。ムガベ/ZANU=PFの政策自体、農村と都市の間を揺れ動いてきた。地道な農村開発を行っていた80年代から一転、構造調整計画によって経済が自由化された90年代は、大きくなったパイをめぐって汚職が横行する都市ブルジョワの時代だった。その結果、都市ではバブルに取り残された人びとが、民主化を求めて野党MDCに結集する。一方、農村では土地問題の解決の遅れに不満を募らせた人々が、土地占拠という形の「民主化運動」を起こす。同じ「民主化」を求める動きでも、都市と農村では全く違う形を取った。そして2000年、農村の動きを追認する形で政府による土地強制収用が行われる。ジンバブウェ政府は再び、農村の側に大きく舵を切った。とはいえ、収用された土地は貧しい農民の手に渡ったわけではない。ほとんどが政府の関係者に分配され、多くの不在地主が生まれた。
2008年の大統領選を経て生まれたZANU=PFとMDCの連立政権は、国の分裂を修復するために最善の選択だったのかもしれない。実際、さまざまな不安定要素はあるものの、ジンバブウェの状況は良い方向に向かっているように見える・・・(と話したのだが、帰宅後、MDCが連立政権を離脱するというニュースを聞いた。ジンバブウェはどこへ向かうのか、とても心配だ)。
例会終了後、京都精華大学に勤める旧友のエースこと安田くんと飲んだ。安田くんのうちに泊めてもらう。おじゃましました~&ありがとう。
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今日のラーメン:「煮干ラーメン(650円)」@天王町『北海道らーめん 壱鵠堂』天王町店
煮干をふんだんに使った新メニュー。煮干の香るスープはそれなりに美味いが、ちょっとわざとらしい感じも。どっさりとのせられた魚粉とあいまって、これでもかと魚の旨味が。GMフーズ系列に特徴的なゴムのような麺は好きになれないが、スープの熱が通るうちに気にならなくなる。チャーシューはパサパサであまり美味しくない。それにしても北海道ラーメンでも何でもなくなってきたな・・・★★★+

横浜中華街の諸国漫遊食堂ネネカフェでサカキマンゴーさんのライブ&トークを見た。小さめの親指ピアノを手に登場したマンゴーさんは、地を這うようなゆったりしたテンポの曲を演奏しはじめた。この速さでテンポを乱さず、芯に力強いグルーヴを感じさせるところはさすがだ。タンザニア製の大きなリンバに持ち替えての演奏は圧倒的。びりびりという音が波になって、隅から隅まで世界を洗いつくす。
ここでトーク・コーナー。モニターにマンゴーさんがタンザニア、コンゴ、マラウィなどで撮ってきた写真やビデオが映しだされる。マンゴーさんのユーモラスな説明を聞いているうちに見えてきたのは、楽器だろうがおもちゃだろうが、なければ自分で作ってでも、人生を謳歌する人びとの姿だった。何もない不便なところほど、人びとは飄々と自由気ままに音楽を楽しんでいる。こういった「暇つぶしの」音楽は、ラジオのような新しい娯楽が入ってくると消えていく運命にあるという。そういえば、ハラレでも停電になるとみんな意気消沈してたもんなぁ。こういうときこそムビラを弾いたらいいんじゃないかと思ったんだけど・・・(電化製品にかこまれて暮らしているぼくがとやかく言えることじゃないので黙っていた)。
後半、会場の明かりを落として演奏したのは、現地では5時間も「鳥が飛んでいる」という歌詞をくり返し、老婆をトランスに導くという曲。波寄せるリンバの音に身を任せるうちにぼくの魂は空高く舞い上がり、マチュピチュの上空を飛ぶコンドルの俯瞰から世界を見下ろしている。これは5時間やられたら、間違いなくトランスに入る。ジンバブウェのムビラによる「ネマムササ」や鹿児島弁で歌う「浜へ(ハメエ)」(この切なさはなんだろう?)も胸にしみた。アンコールでピグミー・スタイルのコーラスを割り振って、観客を楽しませる。素晴らしい時間だった。
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