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2017年6月27日(火)

日本女子大非常勤、前期第十回目。「米文学随筆論文演習」は、ハリエット・アン・ジェイコブズの奴隷体験記を読む。リンダ(ジェイコブズの仮名)は、幼馴染で自由黒人の男性に恋をする。しかし、奴隷であるリンダの「結婚」には、法的な認可が与えられることはない。恋人は彼女を買おうとしたが、フリントがそれに合意するわけがなかった。フリント夫人もリンダを厄介払いしたかっただろうが、このような形でではなかった。リンダが近所に住み続ければ、フリントはセクハラ行為を続けるだろうし、奴隷の夫が妻を守るためにできることは何もなかった。「アカデミック・ライティング」はついに、前期の課題である「前期エッセイ」を書き始めた。

ひらげエレキテルとして、荻窪Bungaに出演して、6曲歌ってきました。演目は、「New Song」「サンダル」「かわいい子猫ちゃん」「二人でお茶を」「すっぽんぽん節」「最後の日」。今回もまた、自分の客はいない厳しい状況。対バンとそのお客様が盛り上げてくださったので、楽しく歌うことができました。ありがとうございました。

2017年6月26日(月)

汽車の動きをイメージしたインスト「トレイン・ピース」をつくってみました。

明治学院非常勤、前期第九回目。前回、ぼくが間違ったプリントを持って行ったために、記憶に頼って行った授業をプリントを使ってフォローした後、映画史に残る傑作でありながら、クー・クラックス・クランを正義の騎士として描き、人種差別的な内容を含む問題作、D・W・グリフィス監督の『国民の創生』(1915)の後半を見はじめた。前半で紹介されるキャメロン家とストーンマン家をはじめとする登場人物の人間関係図を配って、背景を確認。今回は、黒人兵士ガスがフローラに言いよる直前まで。解放された黒人たちや、サイラス・リンチら混血が恐ろしく見えるように描かれている場面は枚挙にいとまがないが、フローラの周りをうろつくガスが木の枝の間から、ちらっちらっと見えるカメラアングルはその最たるものだろう。視点を変えてみれば、ガスは隠れているわけでも何でもないのだが、枝越しに描かれることによって、いかにも表ざたにできない邪悪なことを行っているような印象を与える。実のところ、ガスは好きな女の周りをうろうろしているだけだ。そんな男がこの世に何万人いるだろう?

2017年6月25日(日)

ふんどし締め直していこう。ふんどしはいてないけど。

共謀罪にしても、秘密保護法にしても、もっともこれを活用するのは、政権が代わっても国の中枢にい続ける官僚だろう。これらの法律を手中に収めた官僚が、アベ政権を支える理由は、もうない。ただし、アベのあとにやってくるのは、はるかに明晰で恐ろしい連中ではないかと思う。それに反対する人を、容赦なく抑え込む手段はすでにそろっている。

2017年6月24日(土)

新曲「ハルノウタ」、歌詞に意味はありませんが、童謡のつもりです。

とりことりこうのとり
ひとひとりひとみしり
うたうたううたうたい
はねはねるはるのうた

Mbirasummit12_omote_b5_4c

全国から親指ピアノ(ムビラ)奏者を一堂に集めた、恒例のムビラサミット@浜松町カラバッシュで、司会をやってきました。第一回から参加の近藤ヒロミさん、ショナ人のムビラ正統派パシチガレ・ムビラズをはじめ、前回のムビラ・コンテスト優勝者DAMBI DUMBIのクオリティ高いパーカッション・アンサンブル、親指ピアノと言うより独特の「声」の世界が素晴らしかった木歌さん、そして、独特のエレクトリック・ムビラとシタール・ギターを駆使したスペシャルゲストのCom/Soさんと、素晴らしい面々。今回も拙い司会で失礼いたしました。お疲れさまでした。

2017年6月23日(金)

神奈川大非常勤、前期第八回目。何かと反省の多い一日だった。いつものことだが。帰りの電車で、大学院の後輩、Uさんと遭遇。お互い元気で何より。

2017年6月22日(木)

愛の小売りだ。

首都大非常勤、前期第八回目。『ジャズの誕生』をテキストにしたリーディング3コマ。ニューオリンズの音楽文化において、重要な意味を持つ葬列のサンプルとして、女性歌手ジャニタ・ブルックスの葬儀を収録した動画を見ながら、授業開始。テキストの進み方はクラスによって違うが、ジャズのなかに隠されたポリリズムについて書かれたあたり。「ジャズは伝統的に、採譜上、4分の4拍子もしくは2拍子で近似をとる―実際はもっと複雑なのだが―このマーチのリズムが基本である。それはニューオリンズのブラスバンドの音楽のなかに、はっきりと聞くことができる。しかし、新しい何かが加えられている―その音楽は、スウィングするのだ。そして、この新しい要素がヨーロッパからいたのでないことは明らかである」。次の段落では、これまで「西アフリカ音楽とヨーロッパ音楽がいかに違うか」を力説してきた著者が、「どうやって、またなぜ、ヨーロッパの音楽と西アフリカの音楽は、そんなにも簡単に混ざり合ったのか」という疑問を入り口に、両者の類似性を強調しはじめる。

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