無料ブログはココログ

2012年5月13日(日)

ブッカー・T&MG's のベーシスト、ドナルド・"ダック"・ダンが来日公演を終えて宿泊中だった都内のホテルで亡くなった。スタックスの屋台骨を支え、ブルース・ブラザーズ・バンド、そして忌野清志郎との共演でも知られる名ベーシストの死を心から惜しみたい。最後になった来日公演があることを最終日当日に知り、今回は無理だな、でも元気になったんならまた来るだろうぐらいに考えていた。まさか、亡くなってしまうとは・・・合掌。むこうでキヨシローをオーティスに紹介してやってください。

Renseki

全体像を残す会」の主催で行われたシンポジウム「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」(@目黒区民センターホール)に参加してきた。若松孝二監督の映画をきっかけに連合赤軍事件に興味を持ち、関係者の手記などを読みあさってきた。事件後40周年の節目に行われた今回のイベントでは、実際に山岳ベース事件に関わった当事者が3人(前澤虎義氏、植垣康博氏、青砥幹夫氏)、さらに真岡銃砲店襲撃事件で逮捕された雪野健作氏が壇上に上がるという。とりわけ、青砥氏は釈放後、ほとんどメディアに顔を見せることがなかったので、事件をどのようにとらえているのか興味があった。

連合赤軍事件について疑問に思うのは、同志を次々に死に追いやるという残虐行為が、若者の「無私」の心から生まれたとする前提である。彼らが世界を変えようと思ったことは確かだし、そのことによって何らかの利益を得ようとしたわけではないということはわかる。ただ、事件には「無私」という言葉では整理できない建前や自尊心の問題が潜んでいる。「革命戦士として死にたい」という言葉は、彼らが「革命的」であるという「建前」にすがって生きていたことを示しており、同志を殺したり見捨てたりしてしまったのは、「革命家」としての自分を守るためだったということもできる。あれだけのことがありながら山岳ベースから逃げるものがほとんどいなかったのも、「逃げたら殺される」という恐怖以上に、「逃げたら革命家でなくなる」という不安が大きかったのではないか。「無私」を言うのであれば、「反革命」の誹りを受けてでも山を下り、虐殺をとめるという道もあったはずである。

もちろん、ぼくはこのことをもって、当事者を責めようというのではない。ぼくだって、あのときあの状況にいたら、山を下りられたかどうかわからない。一人ひとりに徹底した「共産主義化」を要求する連合赤軍のやり方は、革命が個人の徹底した自己犠牲に支えられるべきものであるという前提に立っている。しかし、革命家であれ何であれ、人はそうそう「無私」ではいられない。なかには全く自分を顧みないお釈迦様のような人物もいるかもしれないが、すべての人にそれを要求するのは酷というものである(ぼくは無理だ)。だから、第2部のパネラー鈴木邦男氏の「左翼の人たちは人間に期待しすぎだ」という言葉には、大きく首肯せざるをえなかった。

ごく普通の若者が自己犠牲を貫く英雄的革命家になろうとした ― そのことが事件の根底にある。この考えは、第3部のパネラー田原牧氏が言っていたように、事件を「平凡な若者に起こった悲劇」として「エセ市民社会」に回収してしまうことになるのかもしれない。しかし、一方で、彼らを異常者と決めつけてしまえば、事件を市民社会とは無関係な遠い世界のこととして葬り去ることになる。事件を普通の人間が起こした、市民社会と深い関係にある、震撼すべき事件として、ありのままに語り継ぐことが大切なのではないか。すなわち、それは市民社会それ自体が、事件と同じ闇を抱えているということになる。例えば、個人に過重な負担を強いる「自己責任」という言葉は、平凡な個人に英雄として死ぬことを強いる「共産主義化」と同じ精神を表わしているような気がしてならない。第4部でフロアからの質問票にあったいじめの問題も、連合赤軍事件がいじめに影響を与えたというよりも、いじめを生み出すような社会の歪みを連合赤軍事件が体現していたというべきなのではないかと思う。

事件の与えた影響ということでいえば、事件後若者が政治活動自体を危険なものと捉えるようになり、世の中を変える回路が閉ざされてしまったという第4部のパネラー雨宮処凛氏の指摘が印象に残った。たしかに、ぼくらの世代は学生運動はカゲキハとかミンセーとかいて危ないという風潮があった。バブル景気のまっただなかで、社会を変えるという意識が薄かったこともあるが、連合赤軍事件のことはぼんやり知っていたし、そのことが「政治=コワイ」というイメージに拍車をかけていた。事件の当事者からしたら、青砥氏が事件の後運動をやめた仲間のことを例に挙げて言ったように、「そこまで面倒みきれない」というのが正直なところだろうと思う。時代に翻弄されたという意味では、連合赤軍の若者もバブル期のノンポリ学生も同じなのだ。

ただ、その後、連合赤軍事件をはじめとする内ゲバ的な暴力事件が忘れられていくに従って、社会に働きかけることを躊躇する理由が見失われたまま、「政治=コワイ」というイメージだけが残っていったのではないか。その呪縛は否定的なイメージの由来を知っている世代より、原因が分からない分、強かったのではないか。30代以下の人たちが連合赤軍事件に興味を持ちはじめているとしたら、「政治=コワイ」という催眠を解くカギを探す必要に迫られてのことなのかもしれない。

非常に充実した内容で、頭がくらくらした。理知的な雪野さん、物静かな前澤さん、お調子者だが楽天的な(イメージです)植垣さん、頑固な不良親父風の(イメージです!)青砥さんと、事件の当事者はそれぞれに魅力的な人たちだった。なぜこの人たちが、という思いはやはり強い。2次会で彼らと直接お話しすることもできたのだが、今日は母の日なので帰ることにする。また、同様の企画があることを期待して。

2012年5月12日(土)

久しぶりにベーシスト有りのチキリハ(チキリカ・リハーサル)。当たり前だけど、ベースがいると曲がまとまるねぇ。準新曲「花と風」、新曲「山椒魚」を仕上げる。しばらく、ブランクがあったことで、曲を冷静に見れるようになったことも、良い方向に作用した。10月ぐらいまでにはライブをやりたいところ。

2012年5月9日(水)

4882020602

坂東国男永田洋子さんへの手紙 十六の墓標を読む』(彩流社、1984)を読み終わった。坂東国男は連合赤軍の元幹部。赤軍派から連合赤軍に合流。山岳ベースでの同志殺害に関わった後、坂口弘らとともにあさま山荘にたてこもり、銃撃戦の末、逮捕された。クアラルンプール事件の超法規的措置によって釈放され、日本赤軍に参加。パレスチナ解放闘争に身を投じている。本書は坂東が戦闘の合間に、永田洋子の手記『十六の墓標』への返答という形で書いたもの。推敲を重ねることが不可能な環境で書かれたこともあって、本人も書いているように、論点が不明瞭な文章や、くりかえし、内輪にしかわからない表現などがあり、決して読みやすい内容であるとは言えない。にもかかわらず、読みごたえのある本だった。

坂東は本書で、永田が認めようとしなかった感情、見栄や自尊心、建前の問題をはっきり指摘している。『十六の墓標』には同志たちを死に追いやる永田の葛藤が書かれていたが、一方でそれが自分の不完全さを認められない彼女の驕り、プライドを傷つけられた時の感情の爆発といったものを隠ぺいしている。彼女は同志たちを導きたいという無私の気持ちから、とまどいながら同志たちを殺してしまったとでもいうかのように。

しかし、加藤能敬や遠山美枝子に対して見せた激しい感情は、自分の不完全さを認められないプライドの高さを示しており、指導的立場を守ろうとしたことが殺害の動機と無関係であるとはとても考えられない。それは彼女がかつての自分の行動をどのように解釈するかということとは関係がない。むしろ、彼女の実際の行動が周囲の人間にどんな影響を与えていたか、という点から考えるべきことなのだ。

『十六の墓標』を読んで感じることは、自分の感情や頭の中での問題意識を比較的正直に表現していると思いますが、しかし、そこに価値がないということをとらえかえしてほしいと思いました。客観的に映る永田同志や私の姿は、まさに、自分の誤りを保守するために、冷酷に、鬼のように同志をしに至らしめたという姿であって、まさに、その実体こそが、敗北を引き起こしたのだということに中心の問題があると思います(243)。

坂東は「それでも自分には何かがあるはず」(13)とするプライドを克服するなかで、このことに気づいていった。「自分も少しはたいした人という自分への幻想がある分、知らず知らずのうちに、闘えない責任を他人に責任転嫁していた」のだと(112)。そこには、迷える「人民」を先頭に立って指導するのは自分たち「前衛」であるとする驕りがあった。実際には、自分もまた「人民」のひとりであり、「人民」から学ぶことなしには運動は一歩も前へ進めないのだ。

勇気を持って誤りを認めること、本音に居直ることも建前にすがりつくこともなく、現実の自分を変えていくこと、自分の部分的正しさを強調して誤りを隠蔽しないこと(その場合の「正しさ」は誤りを隠蔽するという意味で「誤り」そのものである)、責任を個人に帰さずコミュニティの問題として考えること(「自己責任」と連赤の「共産主義化」は同じことなのではないか)。学ぶことの多い本だった。刑務所で(「権力」にではなく、遺族や「人民」に対して)恭順の意を示しているかに見える永田・坂口よりも、超法規的措置で革命を続行した坂東のほうが、連合赤軍事件を深く総括しているように思った。釈放後の彼の闘い方が正しかったのかどうかは別にして。

2012年5月8日(火)

國學院非常勤、前期第四回目。引き続き、リロイ・ジョーンズブルース・ピープル』を読む。省略された関係代名詞がどこにあるか探すコツ(「名詞・名詞・動詞」という並びがあったら、名詞と名詞の間があやしい)を教える。来週はこれを使って、別の文で省略された関係代名詞を探してもらう。今日のブルースは、ライトニン・ホプキンス「モージョ・ハンド」。さすがに教室でかけると違和感があるな。

2012年5月7日(月)

明治学院非常勤、前期第四回目。前回、『ルーツ』で奴隷船の船長が罪深い事業に関わったことを悔いているのを見て、「白人のなかにも奴隷貿易を悪いと思っている人がいたことに安心した」という意見がだいぶあったので、少し問題提起をした。

奴隷貿易に関わったことを悔いる船長は、平気な顔で残酷な仕打ちをする奴隷監督スレーターよりもマシだと言えるだろうか。スレーターはおそらく、社会の底辺で辛酸を嘗めつくした末に奴隷船にたどりついた。生き残るために他者を踏みつけることを余儀なくされた人物だ。一方、船長には奴隷船に出資できるだけの金があり、生き残るためというよりも、事業の拡大のために奴隷貿易に手を出したのだろう。『鏡の国のアリス』に大工とセイウチの話がある。黙々と牡蠣を食べるセイウチと涙を流しながら食べる大工。大工の行為は、「偽善」と言うべきなのではないだろうか。

一方で、奴隷貿易に関わりながら、のちにそれを悔い、奴隷貿易廃止のために自らの体験を語った牧師ジョン・ニュートンのような人物もいる。有名な讃美歌「アメイジング・グレイス」は、ニュートンが罪深い生活から自分を救ってくれた神への感謝を歌った歌だ。

このあと、奴隷貿易と奴隷制に歴史について、年表を見ながら解説。さらに、アメリカに到着した奴隷たちがどのようにして売られていったか、競売台の様子をジュリアス・レスター『奴隷とは』から引用して、説明。最後に再び、『ルーツ』を見はじめた(詳しい内容は、去年の日記をご覧ください)。

アメリカ独立宣言の高い理想と奴隷制の間に見られる矛盾について話をしたところ、ある学生(アメリカからの留学生?)から「建国のときに矛盾を抱えていたのはアメリカだけではありませんよ」というリアクションがあった。もちろん、その通り。建国時どころか、いつだって、あらゆる国が矛盾を抱えている。日本だって、さまざまな矛盾を今でも抱えている(例えば、被差別部落、韓国・朝鮮人、アイヌ、身障者、同性愛者・・・あらゆる差別がある)。

アメリカ建国の理想と奴隷制という現実のギャップが大きいことは事実だ。100人以上の奴隷を抱えながら奴隷制に反対するような動きを見せたトーマス・ジェファーソンのような人物は、そうしたアメリカの矛盾を体現しており、彼の姿勢を「偽善」と呼ぶこともできるだろう。ただ、「偽善」だからすべてが悪いというわけではない。奴隷制という現実を前に、偽善になることを恐れて理想を掲げるのをやめればよかったのか。スレーターの現実主義は偽善ではないとは言えるだろうが、それでは何も変わらない。一方で、アメリカ植民地の議会が「民主的」な手段で奴隷制を合法化していったのは、理想による現実の隠ぺい(「民主主義という理想に沿って決断しているのだから、間違っているはずがない」)に他ならない。

高い理想を掲げたとき、現実がそう簡単に変わるものではない以上、必ず理想と現実のギャップ、「偽善」が生まれる。問題は現実に開き直るのでも、理想で糊塗するのでもなく、そうしたギャップを直視することだ。ジェファーソンは答えを出すことはできなかったかもしれないが、ギャップを埋めようと試行錯誤を重ねた。そうした努力は今の目から見れば、「偽善」と言う他ないかもしれないが、ギャップを埋めよう(弁証法的にいえば止揚?)とするエネルギーがアメリカの歴史を前に進めてきたのだともいえる。

次回は、自分とアフリカをめぐる「矛盾」「偽善」についての話も交えながら、そんな問題を提起してみようと思う。

«2012年5月3日(木)

最近のトラックバック

2012年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31